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鬼の末裔  作者: Aju
2/10

2 遺族

 当時の警察はまず、()()()()現場に居合わせなかった夫=菊池茂樹さんを第一容疑者として疑った。

 捜査の定石の1つとはいえ、突然家族を失った上に、殺人の容疑者として疑われるというのは茂樹さんにとってどれほど辛いことだったろうか。

 自分なんかの想像を超えてしまう部分だろう、と友子(ゆうこ)は思う。


 しかも警察は一旦、彼を逮捕したのである。

 友子は当時の取材記録や記事を、もう一度読み返してみた。

 警察は会社のパソコンを使って会社の倉庫にあった半端な在庫品をネットで販売した、として横領と詐欺の容疑で逮捕状を取り、茂樹さんを拘束したのだ。

 別件逮捕というやつだろう。

 警察はそれを否定したが、裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けた後、弁護士と共に異例の記者会見を行った茂樹さんは、警察の取り調べの酷さを訴えた。

 取り調べの内容は在庫品の販売のことではなく、殺人放火事件についてばかりだったという。

「おまえが殺ったんだろう。」

「私が殺しました。素直にそう言えば楽になるよ?」

「子供をかわいそうとは思わんのか? 人の心があるのか?」

 そんなことを耳元で言われ続けておかしくなりそうだった、と。

 私は被害者だ——と。

 弁護士も、実際に菊池さんは何度か倒れたが医者にも診せてもらえなかった、と主張した。

 それが本当なら、酷すぎる話だ。


 当時、茂樹さんは他の女性と不倫していたという噂があり、それが動機だと見立てたのかもしれなかった。

 しかし、それで9歳の末っ子まで殺す必要があるだろうか?

 無理があり過ぎる。

 そもそも、茂樹さんにはアリバイがあった。

 その時間、彼は間違いなく会社にいたのであり、実際会社の玄関の防犯カメラには火災の知らせを受けて玄関を飛び出すまで、彼の出入りする姿は写っていないのだ。

 浮気相手とされた女性にもアリバイがあった。

 警察はなぜ、そんなにも執拗に「遺族」であるはずの茂樹さんを責め立てたのか?


 20年経った今、退職した人も含め、友子がもう一度警察関係者に話を聞いてみると、何人かは口を開いてくれた。

「そんな馬鹿な取り調べはやっていない。当時、取り調べは知能犯担当の2課がやったんだ。検察からも取り調べに1課(殺人課)は入るなと釘を刺されていた。」

「そんな違法な取り調べをやったんなら、横領詐欺事件に関してだって無罪を主張すれば通ったはずだ。起訴した検察は赤っ恥だよ。弁護士ならそれくらい知ってるはず。」

 ところが茂樹さんは、あっさりと横領詐欺に関しては罪を認め、執行猶予付きの有罪判決を受けている。

 これも、改めて見ると友子にとっては奇妙に見えた。


 遺族である茂樹さんが、このめちゃくちゃな取り調べでどれほど傷ついたかは、想像に余りある。

 しかし・・・

 ならばせめてもの抵抗として、横領事件に関しても警察・検察の面目を潰すくらいのことはできたはずだ。

 なのになぜ、あっさりと有罪を受け入れたのか?

 気力を失ったのだろうか?

 だとしたら、その後のあの記者会見は・・・?

 友子もその場で取材していたからわかる。

 あれの方が、よほど気力が要る。


 この事件は謎だらけだ。


 友子は改めて、菊池茂樹さんの話を聞いてみたいと思った。

 当時は取材には全く応じてもらえなかった。

 弁護士が間に入って、一切のマスコミの取材を拒否していた。

 20年経った今なら・・・。

 彼だって、犯人を捕まえたいはず・・・。


 しかしやはり、今の住まいのインタホンを押しても反応はなかった。

 丁寧に手紙を書いて、ポストに入れてその日は帰った。

 後日、弁護士を通して「そっとしておいてほしい」という伝言だけが伝えられた。


 なぜ、横領事件の無罪を主張しなかったのか、弁護士にも聞いてみたが、守秘義務を盾に一切の答えを拒否された。

「あなたは何を今さら蒸し返そうとしてるんです? あの時、あなた方マスコミはさんざん彼を傷つけたでしょう。まだ足りないんですか?」

 そう言われると、返す言葉がなかった。


 警察にもマスコミにも不信感を持ってしまい、一切心を開こうとしないのだろうか。

 あの会見の記事は友子も書いたが、あの時のマスコミは茂樹さんには好意的だったはずだ。

 いや、そう思うのはこちら側の勝手な言い分であって、家族を奪われ、その上「容疑者」にされた彼にとっては、そういう記事を書き連ねて部数を、視聴率を稼いでいたマスコミは皆同じ穴のムジナに見えたのかもしれない。


 今の茂樹さんの心の健康は大丈夫なのだろうか?


 しかしそれを問うことすらできない立場に自分がいるということを、友子はあの弁護士の言葉から痛感せざるを得なかった。

 彼が犯人を捕まえたいと思っているだろうなんて想像すら、おこがましいのかもしれない。

 一夜にして家族を失い、家も焼かれたあげく、その犯人として警察に追及される。

 それは、どれほどの地獄だろう。どのように心の整理をつけて、その後を生きてきたのだろう。

 海道芳江さんとは別の形でこの20年を生きてきた菊池茂樹さんという被害遺族に、友子はどのように向き合っていいのか途方にくれる思いだった。


 一方で、横領詐欺事件の有罪判決とともに彼は釈放されたわけだが、しかし、殺人事件の容疑者としての疑いが晴れた、と決まったわけではない。タテマエ上、捜査はまだ継続しているのだ。

 警察官は捜査中の事件については「捜査上の秘密」があるので、簡単には口を開いてはくれない。マスコミへのリークには上司の許可が要る。

 よく「関係者によると・・・」といった記事の書き出しが見られるが、あれは捜査を有利に進める目的もあってあえて()()()しているのである。


 警察はいったい、彼の何を疑っているのか?

 あるいは、いたのか?

 莫大な保険金が入ったわけでもない。

 その証拠に、彼は親戚の経営する安アパートに今は1人で暮らしている。


 現役の警察官は、話せることも限られるだろう。

 しかし、すでに退職した当時の警察官なら、少しは当時のことについて話してくれるかもしれない。

 幸いにも、長い記者生活の中で親しくなった元警官は何人かいる。


 当時の捜査の検証くらいはジャーナリストとしてするべきではないか?

 その中で、警察の見落としているヒントに気づくことだってあるのではないか?

 友子は20年目のこの取材を進めていくうちに、そんなふうに考えるようになった。



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