1 新聞記者
この物語はフィクションです。
登場する人物団体は全て架空のものです。
菊池友子がその人に再び接触した時には、事件からすでに20年の歳月が経っていた。
海道芳江さんは、20年経った今も、駅前でビラを配る活動を続けていた。
妹が殺された事件の手がかりを求めて——。
殺人事件の時効がなくなったとはいえ、すでにお宮入りしてしまったようなこの事件のことを覚えている人は少ないだろう。
捜査は今も続いている。・・・ことになっているが、実質は何もしていないようなものに違いない。
何か新しい情報でも出てこない限りは・・・。
事件は風化を始めていた。
友子は新聞社の新入社員だった頃、この事件の遺族取材の担当を命じられた。
当時、絞り出すような声で答えてくれた芳江さんの顔が友子は今も忘れられない。
社命で出かけた取材先での経験は、その後の友子の記者人生に大きな影響を与えた。
その後、友子は会社のスキルアップ支援制度を利用してアメリカに留学し、犯罪被害者支援について学んだ。
ずっと事件のことが気にかかっていたのは、それが未解決だというだけでなく、被害者が同じ菊池姓だったということもあるかもしれない。
久しぶりに会った海道芳江さんは年よりも老けて見えた。
彼女は、犯人逮捕もそうだが、真相を知りたがっていた。
妹はなぜあんなふうに殺されなければならなかったのか・・・。
かわいい甥っ子や姪っ子はなぜあんなふうに殺されなければならなかったのか・・・。
長閑、と言える田舎町で、その凄惨な事件は起きた。
初め、それは未明の火事の通報だった。
全焼した一軒家の中から、4人の黒焦げの遺体が見つかった。
4人はこの家に住む菊池愛梨さん(45)とその子どもたち。菊池広宣くん(15)、菊池惠さん(13)、菊池悠太くん(9)だった。
お父さんの菊池茂樹さん(47)は残業で会社にいたため、難を逃れた。
その日、10月10日は末っ子悠太くんの誕生日で、その日は家族で誕生日を祝う予定だったという。
ただの「不運」のはずだったその火災が一転してマスコミを賑わす「事件」に発展したのは、4人が火事の前に殺されていたことが検死の結果わかってからだった。
無惨な殺され様だった。
妻の愛梨さんと長女の惠さんはめった刺しにされ、長男の広宣くんと末っ子の悠太くんはナタのようなもので頭を叩き割られていた。
その後、遺体に直接油(たぶん灯油だろうということだった)のようなものがかけられ、火をつけられたらしい。
遺体は激しく燃えており炭のようになっていたが、死因が焼死ではなく殺人であると判明したのは、骨にまで達していた傷によってであった。
4人の遺体付近が最も激しく燃えており、火災の出火元が4人の遺体であることは明らかだった。
これほどの事件でありながら捜査が難航したのは、火災と消火活動によって現場の直接証拠が焼失してしまったからだった。
そしてもう1つ。
不審者の目撃情報や、近隣住民からの情報も有力なものが何も得られなかったのである。
菊池さんはキクという柴犬を飼っていたが、犬の吠える声を聞いたという証言もなく、しかもさらに不思議なことには、キクは鎖を外されており、消火活動の間、誰も見かけていないのである。
消防の活動が終わった頃、キクはどこからともなく戻ってきて、くうん、くうん、と悲しげに鳴いていたという。
唯一の証言は、近隣の住民の1人が未明に女性の悲鳴の様な声を聞いた、というものだけだった。
この事件には謎が多い。
女性の悲鳴を聞いた、という住民が証言した時間から119番通報までは1時間ほどのタイムラグがある。
なぜ犯人はすぐ逃げず、念入りに灯油を撒いて火をつけたのか?
真夜中とはいえ、近隣住民にも気付かれず4人を次々に殺害できるものだろうか?
殺害方法が2人ずつ全く異なっているのはなぜか?(2人はナタ、2人は刃物で刺されている)
末っ子の遺体だけがベッドではなく、リビングにあったのはなぜか?
犬はなぜ吠えなかったのか?
犬の鎖を外したのは誰か?
それはなぜか?
そして最も大きな謎は「動機」である。
9歳の子どもまで徹底して殺さなければならないほどの動機とはいったい何なのか?
犯人像が見えないまま、時だけが過ぎた。
殺人事件の時効がなくなってからは、捜査本部の解散した未解決事件は県警の特命係に移される。
しかしその体制は、6人ほどの人数で30件近い事件を抱えるというものだ。
しかも、特殊詐欺などの他の事件の応援にも駆り出される。現在進行形の事件の方が優先順位が高い、というわけだ。実質的には何か新しい情報でもない限り、動き出せるようなものではないだろう。
実際の現場には、杉下右京はいないのだ。
友子が再びこの事件を追ってみようと思ったのは、事件直後と変わらぬ目でビラを配り、犯人にたどり着こうとしている芳江さんに寄り添いたいと、ただそう思ったからだった。
新聞が取り上げることで、少しは特命係の目もこの事件に向くかもしれない。優先順位が上がるかもしれない。新しい情報提供者が現れるかもしれない。
だから取材を始めた時には、まさかそんな展開になるとは夢にも思っていなかったのだ。