75 ナチュラルじゃないけどハイになる
元の場所に戻ってきた。と言っても舞台が逗麻西中から逗麻高へと移っただけで、ここはまだガラス渡りが創り出した彼の領域であることには変わりない。
逗麻西フィールドでは俺はずっと文字さん達と同じ教室にいたのだが、例えるなら幽霊みたいな存在だったので向こうに気付かれることもなく傍観しているだけだった。そしてそのことがいたく気に入らなかったのか、逗麻高フィールドに場面が変わり互いの存在を認識するや否や、鋭い眼光で文字さんは俺を睨み付けてくる。
「・・・お疲れさん、そしてさっきぶりだね」
「ハア、まったくのん気なものね。それで滑稽で現実味の薄いあのコントみたいなのをあなた達はどう使うつもりなのかしら?」
「ホント疲れたわ」とボヤキながら文字さんは近くにあった椅子に腰を下ろす。
「みんなに同じものを見せて記憶を追加するズラ」
「追加? 上書きじゃなくて?」
「そうズラ。オラに記憶を消す力はないから追加ズラ」
「でもそれってどうなるの? 同じ日同時刻に二つの異なる事象が起きた記憶が残るのよね。みんな混乱するのでは?」
「少なくとも精神がおかしくなるようなことはないからその辺については心配いらないズラ。あれ、どうだったかな? くらいにしかみんな思わないズラ」
事前にガラス渡りから聞いた話だと、傾向的に最初からあった方の記憶が曖昧になり、追加された方の記憶が強く印象に残るようだ。人によっては最終的に記憶が完全にすり替わることもあるらしい。しかし押切や小山さんのように事件の真相を知り記憶として色濃く残っている者は追加されても最初から気付かない可能性があると言っていた。だがどちらのパターンも決して記憶が消えるわけではないようなので、何かの拍子に急に思い出すこともあるようだ。
何にせよ当事者や関係者の記憶がいつの間にかすり替わっていた、なんてことは起こらない。それ以外の事の顛末を遠巻きで見ていた連中や、人伝いで事件のことを聞いた人間に関しては新しい記憶の方が優先されやすいというわけだ。
「そう言うことだからこれをバラまこうと思ってるんだけど、文字さんの考えを訊かせてくれ」
彼女は全て話すと言った。二年間ひたすら隠し通してきた中で、ここへきての心境の変化の理由を推し量ることは難しいが、出来るだけの後押しとサポートはしてあげたい。
「そうね、別に私はどちらでもいいのだけど、一哉が気に止まずに済むのならあなた達の企みに乗せられるのも悪くないわね」
「本当にいいズラか? 何度も言うけどオラは記憶を取り出したり追加することは出来るけど消すことはできないズラ。一度やってしまえばもう後戻りはできないズラ」
「なら一つだけいいかしら?」
「何でも言うズラ。可能な範囲なら叶えてやるズラ」
「小さいのに気前はいいのね。私のお願いはそう難しいものでは無いわ。私の父親のこと、それから楓紀と私が兄妹だった件は入れないでほしいの」
「それくらいお安い御用ズラ。でも既に現実の世界で知ってしまった人間に対してどこまで効果があるかは保証しかねるズラよ。それでもいいズラか?」
あの場にいた全員がその二つのことを聞いていたしなかったことにすることは難しいだろう。どちらかと言うと後から割り込んできて教室を滅茶苦茶にしたやつら対策ってところか。それとも最初にいた押切を除く女子三人の記憶を出来るだけ曖昧なものにしたいって可能性もあるな。
「ええ問題ないわ」
「じゃあ早速やるズラよ。ここからはオラ一人でやるから二人は先に戻ってるズラ」
すると辺りが一瞬景色が暗転し、目を開けるとそこは自室のベットの上だった。
どれだけの時間意識を・・・・いや寝ていたといった方が正しいか。
あの不思議な世界には気を失うか寝ている状態でないと行くことはできない。正確には俺の記憶の複製があちらへ行き、戻ってくる時にガラス渡りの力によって本体に記憶が刻まれる仕組みだという説明を受けた。つまりついさっきまでこの体にはあの体験の記憶はなく、たった今それが刻まれ目を覚ましたというわけだ。
ベットに潜り込んだのは昨夜十一時過ぎだったが、これから意識だけとはいえ異世界のような場所に行くと思うと少年心が刺激されて妙に興奮してしまい、なかなか寝付くことが出来ず少なくても午前一時過ぎまでは起きていた記憶がある。
今の時間は・・・・・まだ朝の四時か。
睡眠時間は三時間弱だが不思議なことに眠気は一切感じらない。もし今からテストを行うと言われてもいつも通りの実力が出せそうなくらい意識はハッキリしている。
「そう言えばガラス渡りは?」
肌に直接透明な物を身に付けろと言われたのでとりあえず使わなくなったクリアのスマホケースを括り付けてある。かなり使い込んでいたのでお世辞にも綺麗とは言えず、ガラス渡りからも「もっとピカピカなものにしてほしいズラ」と文句を言われる始末。しかし他に適当なものが見つからなかったので我慢しろと言って無理やり納得させた。
それはともかくとして、そのスマホケースに居たはずの小さな妖の姿は見えない。
ケースを通して直接接触していたのは俺の記憶をあの世界に連れていくことが主の目的ではなかった。ガラス渡りは相手に触れずとも、一度見た人間なら自由自在に記憶をコピーし自分の創った空間に誘うことが出来るらしい。ではなぜわざわざそんな面倒なことを俺にさせたかと言うと、
『律樹は燃料の様なものズラ』
つまり俺の中にある何かしらのエネルギーを利用してあの空間を創り出したってわけだ。その何かしらが一体何なのか詳しく教えてくれなかったが、「オラはプロズラ。加減は間違えないから安心するズラ」という『妖怪にもプロの世界があるのかよ!』というツッコミたい気持ちを抑え、一応彼を信じ全てを任せることにした。
今考えると結構危ないことしてたよな。何かあったら夏鈴さんが出てくるという保険があるものの、得体の知れない事には変わりないからなあ・・・・・・
夏鈴さんには前もって話してあったのでその点は抜かりが無いと言ってもいいが、彼女は全くと言っていいほど俺の心配はしてくれなかった。まあそれが彼女の経験上危険はないと判断した上での態度ならいいのだが、話をした時点でかなりお酒が進んでいたようだったのでまともに話を聞いていたか? と問われれば五分五分ってところだろう。普段家で飲んでいても酔っているように見えることはまずなかったのだが、昨日はだいぶ盛り上がったせいか頬を軽く染めていたように思える。因みに近所迷惑になるということで酒宴の舞台は途中から家の中へと移ったのだが、それは俺が寝付くころまで続いていた。今は静かなのでお開きになったと思うが、昼から始まったことを考えると丸半日以上飲んだくれてたことになる。ベロベロになってしまった水堀さんは夕方過ぎには佐々木さんが連れて帰った。それを皮切りに時間を追うごとに徐々に人が減っていく・・・・・・・ことはなく、十時過ぎに俺と河島さんが抜けるまで誰一人掛けることはなかった。
ていうかこの家の住人の未成年はともかく押切と中田さんは帰さんといかんだろ。先生二人を含めた大の大人が揃ってそのことを気にしていないのはどうなの?
「おーいガラスさんやー、ここにいるならその高貴なご尊顔を一度見せてくれー」
・・・・・・・・・・・・・・
返事はない。今はここに居ないか、それとも力を使うことに集中して無視しているかのどちらかもしれないな、でも後者なら燃料である俺に引っ付いているだろうし、そうなると全てをやり終えどこかに行ってしまったのかも。
あの空間と現実世界とでは時間の流れが違うようだし、実際複製の記憶が戻って来てからすぐ目を覚ましたという確証はない。可能性として高いのはやはり前者か。
トントントン
「高遠君起きてる?」
河島さん? まさかこんな時間まで起きてたのか?
とりあえずベットから足だけを床に下ろす。
「ああ今さっき目を覚ましたとこ。大丈夫だから入ってきなよ」
何が大丈夫なのか自分で言っていて意味が分からねえ。でもナチュラルハイになっているわけでもないので、入ってきていきなり襲うとかそんなことしないって意味では大丈夫かな。まあハイになっててもそんなことしないけど。
「体は大丈夫?」
深夜と言うこともあり静かに部屋に入ってくる河島さんなのだが、その格好を見て心臓が跳ね上がる。
ピンクのパジャマ? いやもっと大人っぽい感じだし良く知らんけどこれがネグリジェってやつなのか? どちらにしろ破壊力あり過ぎだろ。
「も、もしかして今までずっと起きてた?」
「ううん、一度は寝つけたんだけどやっぱり気になってすぐ起きちゃった。一度目が覚めた後はずっと眠れなくてね。でも下から物音が聞こえたからもしかしてと思って」
ふう、思わず凝視していたことはバレてなさそうだ。
「そうだったのか。心配かけて悪いな。それと体は問題ない。寧ろスッキリしすぎて怖いぐらいだ」
「ねえそれって逆に危ないんじゃ・・・・・やっぱり私も一緒に行けばよかったかなあ」
それはダメだ。危険はないと思うがそれでも得体の知れない事には変わりない。心配だからと言う理由だけで言っていい場所ではないのだ。
「ホント大丈夫だって。それよりこの通り俺は何ともない朝までもう少し寝たらどうだ?」
「そうしたいけどまだ眠れそうにないなあ。それにどうなったのか気になるし高遠君が嫌じゃなかったら話を聞かせてよ」
そんなナチュラルに俺の隣に座り上目遣いでそんなこと言われたら、俺の何かがハイになってしまう・・・・・・・ああいい匂いだ・・・・・・・じゃなくて!
「お、おう。分かったから距離感考えようか。ここは男の部屋で君は女の子。外はまだ暗く俺達が今乗っかっているのは?」
やべっ、俺は何バカなことを言ってやがるんだ。これじゃあまるで・・・・
「っ・・・・・・ゴ、ゴメンバカ!」
ゴメンバカって初めて聞いたよ。でも言いたい気持ちは分かるぜ。しかし・・・・
「いや普通恥ずかしくなったら無意識に距離をとるものでは?」
何故か離れようとしない河島さん。まだ体は触れていないものの、どちらかが少しでも身じろげばその一瞬だけ体と体の距離がゼロになるかもしれない。それくらい近いのだ。
男としての本能がー・・・・・・・・




