63 視認の条件
『ダン!』と大きな音が二階の廊下に響いた。そしてわずかな静寂のあと、捕獲できたのか気になって仕方がなかった俺は思わずトウラに訪ねる。
「・・・・やったのか?」
そう言葉に出した瞬間嫌な予感が脳裏を走った。
もしかしてフラグ立てちゃった?
「今動いてはダメなのだー!」
「えっ?」
先走ってしまった俺は無意識に少しだけ前進してiいたのだ。
『捕獲失敗、進路を反転させ律樹の方へ向かっているわ!』
スマホから夏鈴さんの声が響く。だがそんなこと言われても俺に出来るのは行く手を阻む振りをするくらいだ。
『距離は約三メートル、とにかく捕まえる素振りをしてでも時間を稼いで』
捕まえる振り? 両手を広げて構えてればいいのか? とにかく何か行動しなくては。
「小僧ー、オレッチが後ろから捕まえるから窓に体を張りつかせて通せんぼするのだー」
「わ、分かった!」
急いで教室側の窓ガラスに体を寄せ腕を上げガラス渡りが通れる隙間を潰す。
「今度こぞー!」
トウラはその場で体を俺の方に向けてからカエル式クラウチングポーズで溜を作り始める。またさっきの弾丸ジャンプをするつもりだ。
お願いだから俺にぶつかってくるなよ。
『あと一メートルよ!』
「ゲコッ、捕まえてやるー!』
「えっ? あれって・・」
トウラミサイルが発射される直前、ガラスの中にペットボトルくらいの大きさの何かが見えた。
あれが・・・いやそんなことよりこのままでは!
「ゲコー!」
トウラが飛ぶのと同時に俺は真横に飛ぶ。
「ゲッ?」
そしてすぐに、ダン! とまた鈍い音が教室側から響くが、それを確認している余裕はない。
どっちだ、どっちの窓だ? いや迷っている暇はない。とにかく近い方を!
ガラン バン!
バランスを崩しながらもなんとか教室とは反対にある外側の窓を開けることに成功した・・・・・・・・のだが、開けることに成功したというだけで目的を果たせたかどうかは不明だ。
・・・・・・・・・・・・どうなったんだ?
一瞬だけ見えたアレは今はもうどこにも見えない。しかし状況からしてさっき見えたのはガラス渡りのはず。
アイツはトウラがこちに向かって今まさに発射しようとしたタイミングで外の窓の方に飛び移ろうとしていた。それを阻止するべく移動先である窓を開けそのまま外に放り出してやろうと考えたのだが、問題は二枚組になっているその窓のどちらを開ければいいのかだった。結局速さと開けやすさ優先で右側を選択した訳なのだが・・・・・・
ガラガラ!
五組のドアが開くと中から夏鈴さんが出てくる。そしてそのままダッシュで俺の前までやってくるとキュッと音を立て止まる。
「よくやったわ律樹、あとはワタシに任せな さい!」
「えっ?」
ヒョイッと俺が開けた窓をサッシに手をかけることもなく軽々とジャンプして飛び越えていき、一瞬でその姿が見えなくなってしまった。
「ちょっ夏鈴さんここ二階なんですけどー?」
慌てて窓から顔を出し下をのぞき込む。
「ねえちょっと夏鈴さん大丈夫なの!?」
河島さんが隣にやってきて心配そうに窓から顔を出した。
「見ての通り無事みたいだな」
夏鈴さんが飛び降りた先は中庭になっており、校舎と校舎のちょうど中間くらいのところからこちらに向かって手を振っていた。それを見て「ほっ」と胸を撫でおろす河島さん。
「いきなり飛び降りたから何事かと思ったけど全然平気みたいで安心したよ」
「あの人にとってこれくらいの高さは何でもなかったようだな。でも誰かに見られでもしたらどうするつもりだったんだか・・・・」
「ねえ振っている方の手、何か掴んでいる感じしない?」
手を振る時普通は手をパーにするものだが、夏鈴さんの右手は確かに何かを掴んでいるように見えた。
「そう言われてみるとそんな気がするな。夏鈴さーん、捕まえるの成功したんですかー?」
「当然よ。今そっちに戻るから少しそこから離れてなさい」
建物を回り込んで戻ってくるのかと思いきや夏鈴さんは一直線にこちらへ向かって走り出す。
いやいやそれは不味いだろ。
「ちょっとたんま! 誰かに見られたらヤバイから普通に階段から上ってきてくださいよ」
だが時すでに遅し、夏鈴さんは一階の窓の僅かしかないでっぱりを踏み台にして一気に二階へと跳躍。
危ない!
隣で唖然としていた河島さんの腕を反射的に掴み自分の方へと寄せる。そしてその空いた窓枠のスペースに夏鈴さんがヒョイッと着地した。
「何か言ったかしら?」
そのまま床に降り涼しい顔でそう言い放つ夏鈴さんに対し俺は呆れながら抗議する。
「せめて俺達が離れたのを確認してからにしてくださいよ・・・・・じゃなくてこんなところ誰かに見られたらどうするんですか?」
今いる場所はともかくとして、下の階や向かい側の校舎には人がそれなりにいる。その中の一人二人に見られていたとしても不思議ではない。
「大丈夫よ。ちゃんと気配消しておいたし念のため周囲も確認済みよ」
「・・・・・まあいいです。それで今その右手にはガラス渡りが?」
目を凝らして夏鈴さんの右手を見てみるが、ぼんやりどころか気配の様なものも感じられなかった。
「ええ。さっき機転を利かせたのは見えていたからだと思ったけど、やっぱり律樹には見えていないようね」
「実はさっき一瞬だけ見えてこっちの窓に飛ぼうとしてたのが分かったんですが、なんであの時見えたのか自分でも理解できてないんですよ」
「高遠君見えてたの?」
「見間違えかもだけど通り一瞬だけな」
「もしかしたらその原因ってあの池の時と同じなんじゃないかなあ」
「妖の体の一部に触れていると見えるってやつか。でも直接触ったわけではないしその可能性はないんじゃないか」
「そう結論付けるには早いわ。案外すみれの言った通りかもしれない」
「どういうことですか?」
「その説明は後回し。コイツに聞きたいことがあるんでしょ?」
右手をこちら側に差し出し左右に振る夏鈴さん。なんか「やめてくれー」とかガラス渡りが半べそになりながら言ってそうな気がする。
「そうでした。じゃあ予定通りあの教室に移動ですね」
「ええ、幸いまだ三階には誰もいないし今のうちに現場を見ておきましょ。ああそれから私が待機してた教室に眠らせた生徒がいるからワタシはその子を起こしてから行くから先に行ってて」
「その人大丈夫なんですよね?」
「顔は見られてないし問題ないわ」
「いやそうじゃなくて人体に影響がないかってことです!」
実は記憶に影響が出てしまうとか、もしそんな後遺症があったとしたらその生徒に申し訳なさすぎる。
「初心者じゃあるまいしワタシがそんなヘマをするわけないでしょ」
ということは可能性はゼロではないってことだよな? その生徒に何もないことを願おう。
「分かりました信じますよ。ところでトウラがどこに行ったか知ってます?」
さっきから辺りを見渡して探しているのだが姿が見えない。
「そうだった! トウラちゃんさっき勢い余って一番端っこまで飛んで行っちゃったんだよ。夏鈴さんのことがあってつい忘れてしまってたけど大丈夫かなあ?」
そんな遠くまで? ああいたいた、本当に端っこまで飛んでるし。
「カエルならあれくらいどうってことないわ。上に行くついでに回収しておいて、ワタシも例の生徒を起こしたらすぐ行くから」
真が聞いたら悲しむからあんま物みたいに言わないであげてくれ。
床の上で仰向けになっていたトウラを回収・・・保護してそのまま三階にある目的の教室まで向かう。俺たちが着いたころからトウラの意識はハッキリしており、「もう動きたくないー」とか「ビール飲ませろー」とか言っているくらいだし、外傷も見当たらないので大丈夫だろう。手に持っていると邪魔になるのでここに来るときに入っていたカバンの中に入れておいた。
「ここだな。今は三年三組ってなってるけど二年前は二年三組だった教室で間違いない」
「ここであの事件が起きたんだね・・・・」
「真相は神ではなく妖のみぞ知るってところかな」
「どういうこと?」
「これはあくまで可能性の話だけど、アシボはガラス渡りが誰かに放り出されたって言ってただろ。それってつまりガラス渡りのことが見えて故意にやったのか、それとも結果として偶然放り出されてしまったのか、そのどちらかだと思うんだよ」
「それってつまり夏鈴さんみたいに妖が見える人間がこの学校にいたかもしれないってことだよね?」
「故意にやった場合はな。だが俺はただの偶然じゃないかと考えてる」
「そう思う理由が高遠君にはあるんだね」
「一応な。まずトウラを含めた俺達三人と一匹でやっと捕まえられた奴をそう簡単にどうにか出来るとは考えにくい。見える人間が複数いた場合も考えられるけどその可能性は極めて低い。なら偶発的に起きてしまったと考えるのが妥当ではないかという結論になるんだが、その偶然と言うのが・・・」
「例の事件ってことだね」
「そう言うこと。この教室の窓が割られた時たまたまそこにガラス渡りがいて巻き込まれたって感じだと思う。それにアシボの言っていた時期とも一致するしな」
「それでガラス渡りさんから話を聞こうと思ってたんだね」
「ああ。人間に対して怒っているというのはつまりその時のことが原因なんじゃないかな。だとしたら窓を割った真犯人を目撃している可能性が高い」
少し都合が良すぎる推理かもしれないが、調べてみる価値は十分あるはず。
「お待たせ、ここが例の教室ね・・・・・・なるほどそういうこと、理解したわ」
教室に入ってきた夏鈴さんは何かを一人で勝手に納得している様子だった。
「教室に入っただけで何か分かったんですか?」
「この教室に変わったことはないわ。だけどコイツがビビってるから何かあるのは間違いない」
「ほら」と右手を突き出してくるが当然何も見えない。
「なんか言ってます?」
「ここには来たくないとか、また飛ばされる―とかあの化け物が―とか騒いでるわ。どうやら相当トラウマになっているみたいね」
どうやら俺の推測は間違っていなかったようだ。ガラス渡りが飛ばされたのはこの教室で間違いない。
しかし人間に対して怒っていると聞いていたけどそれ以上にその相手のことを怖がっているんだな。しかし化け物ってことは犯人は人間ではない可能性が出てきたな。そうなると一哉の冤罪を晴らすのが一層難しくなるぞ。
「化け物って・・・・あの事件は他の妖の仕業ってこと?」
どうやら河島さんも俺と同じことを考えているようだ。
「そこのところどうなの?」
夏鈴さんが自分の右手に向かって話しかける。
「・・・・・・いいから早く答えなさい!」
「そんなこと聞いてないわ」
「どうしても答えないというならこのまま消すわよ」
なんか恐ろしいこと言っている・・・・
「ガラス渡りは事件のこと話したくない感じなんですか?」
「というより何かに怯えているって感じで話にならないのよ。ねえ律樹からも何か言ってくれないかしら」
「そんなこと言われても見えないことにはどうしようもないんだよなあ」
「なら出来るか分からないけどガラス渡りさんの体に触れてみるって言うのはどう? もしかしたらさっきみたいに見えるかもしれないし」
「やっぱそれしかないか・・・・そいつ噛みついたりしないですよね?」
「心配なら足の方を触ればいいわ。この位置よ」
夏鈴さんが左手で指示したのは右手から三十センチほど下のところだ。ここにガラス渡りの足があるのだろう。
「それじゃあ・・・」
おそるおそる右手を伸ばす。正確な位置が分からないので文字通り手探りで示された辺りを弄る。
「えーとこの辺で間違いないですよね?」
「さっきから何度も触っているけど、どうやらダメそうみたいね」
そう上手くはいかないか。
諦めて手を引っ込める。すると河島さんが「だったら」と言って続けた。
「ガラスの中にいる状態でそのガラスに触ってみたらどうかな? ちょっと気になってたのだけど、高遠君があの時一瞬だけ見えたのってガラス渡りさんがいる窓に触れてたからなんじゃないかな?」
「なるほど・・・・すみれは本当に良くみてるわ。それにセンスもいい。視認できないから触れられないとすみれは言いたいのね?」
「はい。ガラスの中に入った状態と言うのが私にはよく理解できていないのですけど、一体化したと仮定したら一時的にガラスは体の一部になるのではないかと思いまして」
目から鱗とはまさにこのことだ。スゲーぞ河島さん、そんな発想俺には絶対に無理。
「OK、では早速試してみましょ。都合よくそこの机に下敷きがあるから取ってきて」
教壇前の机の上に赤く透明な下敷きが無造作に置かれてあった。ちょっと借りるねと心の中で呟きながらそれを手に取り夏鈴さんの元へ戻る。
「それをこの机の上に置いて。ああワタシが掴んでいれば逃げられる心配はないから」
俺の不安を先読みしてくれたのか夏鈴さんがそんなことを言った。言われた通り机の上に下敷を置く。その真上に夏鈴さんが右手を近づけ三十センチくらいのところで手を止めた。
「二人とも下敷きに触れてみて」
河島さんと顔を見合わせ互いに頷きあう。そして下敷きに触れると・・・・
「えーと見えませんね」
「ああ見えないな」
残念ながらガラス渡りのその姿を確認することが出来なかった。夏鈴さんも褒めていたし妖のことに対して使うのも変な話だが理論的にも良い線いっていたと思う。しかし結果は真摯に受け止めなくてはならない。
「・・・・変に期待させちゃってゴメン」
「いや俺もいい案だと思ったし河島さんが謝ることじゃないさ」
そんな諦めムードが漂い始めていた中、夏鈴さんだけは違った。
「ねえそんな態度のままならこのまま握り潰してもいいのだけど?」
その物騒なセリフは当然俺達に向けられたものではなく右手に収まっているガラス渡りにだろう。問題は夏鈴さんは原則として嘘を吐かないということ。つまり握りつぶすと言ったら本当に容赦なく握りつぶす気でいるはずだ。
「な、何かあったんですか?」
「コイツこの中に入ろうとしないのよ。触れてはいるのだけどどうやら自分の意志で決められるようね。まあ実際は透明な物にくっついたり通り抜けたりするだけで実際に中に入る訳ではないみたい。それ以外の所では極端に行動が遅くなるみたいだし、さっきも捕まえるのが簡単だったわ」
「なるほど。つまりガラス渡りは俺達に姿を見せるのが嫌で拒否してるってことか」
でもこのままだと逆にガラス渡りの方が心配になってくるな。こっちの都合で捕まえたわけだし出来ればなるべく穏便に進めたい。
「聞こえているか分からんけど一応言っておくぞ。やると言ったら本気でやる人だから言う通りにした方が良いと思うぞ。それと俺達はただ話をしたいだけだし、それが終わったらすぐに開放することを約束する」
ガラス渡りに俺の声が届いて尚且つ話が通じてくれればいいのだが・・・・・
「絶対に逃がしてくれると約束してくれるズラ?」
すると弱々しい声が下の方から聞こえてくる。そしてさっきまで何もなかった下敷きの上に何かが現れ始める。アシボの時のようにいきなりパッと現れるのではなく、最初はぼんやりとした何かがそこにはあって、徐々にその存在が強くなっていく。
思わず見入ってしまい息をすることを忘れたことをようやく思いだしたところで、その存在の姿かたちが明確なものになった。
「お前がガラス渡りか・・・・」
そこには人型をした小さな妖がいた。




