2 人はそれぞれ、俺は見なかったことにした
最終確認で小笠原さんに本当に契約したのかと尋ねたら、
「ここ見た時即決したからその時ちゃんと正式な書面で賃貸契約を交わしたよ」
と俺にその書類の写真を見せてくれた。
世間一般の賃貸契約書がどういうものなのか知らないが、書類には乙とか甲とか書かれており、途中何カ所もチェック項目にレ点がされていた。一番下には日付と小笠原さんと祖父ちゃんの署名と捺印が押されていたのでまず本物に間違いなさそうだ。
「では今日から宜しくね。ああそれと小笠原だと呼びづらいだろうから光男でいいよ。僕も君のことは律樹君と呼ぶがいいかな?」
「え? はい構いません」
名前呼びなんて正直どうでもよかった。これから悠々自適に一人暮らしを堪能するはずだったのにどうしてこうなってしまった?
答えは簡単、祖父ちゃんのせいだ。
今からもう一度電話をして抗議しようとも思ったが、したところで状況は変わらないと思い至り止めた。
「それで僕は二階の左奥の六畳を使わせてもらうけどいいかな?」
「あの部屋ですか? 別にいいですけど南向きの部屋とか八畳の部屋じゃなくていいんですか? 値段は変わらないと書いてありましたし」
この家にはキッチンとリビング以外に部屋が五つある。一つは一階の洋室で八畳ある部屋だ。そこは俺が使うつもりで荷物も運んである。残りは全て二階で八畳が一つで残りは六畳になっており、すべて洋室の造りになっている。
「暑がりでね、あまり日が当たるのは好きじゃないんだよ」
まあ人それぞれだし別にいいのか。でもそこはかつて俺が使っていた部屋なので少しだけ思うところはあった。
「分かりました。ところで今日の夕食はどうしますか? 今から作るとなると八時頃になってしまいますけど、それでも良ければ何か適当に作りますよ」
「いいのかい? 君も今日引っ越してきたばかりと聞いていたけど」
「もともと作るつもりでいましたから。それに学校は一週間後からだし作業は明日以降ゆっくりやりますよ。でも時間的に凝ったものは作れないのであまり期待されると困るというか・・・・」
「ははは、そこまで無理を言うつもりはないさ。簡単なもので構わないよ。僕は荷物を整理してくるからゆっくりでいい。ああそれとお風呂は入れそうかい? 何なら今日はシャワーで済ませるけど」
「お風呂は一応洗ってあるので大丈夫ですよ。シャンプーとかも今日買ってきたので良ければ使ってください」
「まさに至りに尽くせりだね。だったらこうしよう、二人とも入ったあとお風呂掃除は僕がやるよ。明日は早く帰ってこれなさそうだし今日のうちにやっておきたいから。それとそれ以外の家事も後で決めようか。と言っても律樹君が料理してくれっるなら僕はそれ以外をやっても構わないよ」
「ありがとうございます。でも流石に料理だけというのは申し訳ないのでご飯の時にでも話し合いましょう。それに早ければ来週からもう一人入るみたいなので取り敢えずって感じでいいんじゃないですかね」
その後も少しだけ話をし、光男さんはキャリーケースを持って二階へと上がっていった。
予定通り八時ごろに夕食の準備が整ったので光男さんに知らせた。
「うん美味い。流石源六さんが自慢するだけはある」
「大したものじゃなくて申し訳ないです」
「いやいや、高校生でここまで作れるなら大したものだよ。僕も結構作る方だしそれなりに自信はあるけどさ、なんというか安心できる味っていうのかな? それが凄くいい、いやー本当に懐かしい味だなあ」
安心できる味ねえ・・・・・ってなんか光男さん涙ぐんでいないか?
まさかこんなに感動するくらい喜んでもらえるとは思いもよらなかった。
だが言わんとすることは何となく分かる気もする。俺の料理の師匠は祖母ちゃんだ。だからどちらかというと和食っぽいものを多く作る傾向があるし、味付けも全体的に薄味に近いものが多い。青森県は割と濃い目の味付けの料理が多いのだが、祖母ちゃんはここ神奈川の生まれなので染まっていない。俺的にはあの濃い味付けも嫌いではないが、やはり慣れ親しんだものの方が落ち着く。
「ありがとうございます。それで今後のことなんですが、思ったんですけど家事の中身についても結構決めなくちゃいけないこと多いんですよね。それと他のことについても」
「へー、例えば?」
「朝夕の食事は家賃に含まれているけどそれ以外にも個人的に食べるものがあるじゃないですか。昼飯もそうだし、冷蔵庫で保存するお菓子とか飲み物とか」
「そういうのは名前を書いとけばいいんじゃないかな。僕もシェアハウスに住むの初めてだしよく知らないけど、普通に考えればそうするのが手っ取り早いよね」
俺もそう思う。だけどまだまだ問題はある。
「洗濯とかどうするのかなって。募集にも書いてあったけど男限定だからあまり気にする必要はないのかもしれませんが、下着とかあまり人に触られたくない人もいるんじゃないかなって。そうなると今はいいけど人が多くなった時洗濯機と乾燥機は一つずつしかないから順番とか決めるのめんどくさそうじゃないですか。それに掃除も人によって程度があるし、本人は綺麗にしたつもりでも他の人からしたら汚いとか。まだありますね・・・・・・」
思い当たる不安というか起こりそうなことを次々と上げていく。俺って結構面倒くさい人間?
光男さんはそれを時折頷きながらニコニコ顔で頷いて聞いている。
「とまあこんな感じのことが考えられるんですけどどう思います?」
話し終えると光男さんが口を開く。
「うんうん、律樹君の懸念は全くもってその通りだね」
「ですよねー。考え過ぎかなって思ったけど分かってくれて嬉しいです」
同調してくれたことが嬉しくてついテンションが一段上がってしまった。だが光男さんの次の一言で上がったテンションが急降下した。
「でもそれがどうした? それってただの思い込みでしょ? って感じかな」
「え?」
「ああゴメンゴメン。別に律樹君のことを否定してるわけじゃないんだ。実はこれある人の受け売りでさ、僕も昔君みたいな考えをしていた時期があってね、その時同じことを言ってくれたんだ。つまり僕が言いたいのは、あるかどうかも分からない未来の不安を考えること自体が無駄だっていうことさ」
「でもそれっておかしくないですか? 起こり得るリスクを回避するために事前に予測し行動するのが普通じゃないですか」
「やっぱり君って・・・・いや何でもない。確かにその通りだけど律樹君の話の殆どはその時になって考えれば良いことが大半なんだよ。そこに時間を消費するにはあまりにも非効率だし、もっと別なことを考えた方が有効的だと思わないかい?」
・・・・・・言われてみれば確かにその通りだ。なんで光男さんの言う通りあるかどうかも分からない未来の不安を考えていたのだろう。しかも客観的に見てどうでもいいことばかりだ。
それでも俺にだって言い分はある。
全く知らない他人と同じ屋根の下でいきなり暮らせと言われたら不安になるのは当たり前じゃないか。しかもあの募集要項を見た限り今後人が増えていく可能性はかなり高いと思う。そして何も言われていないが、祖父ちゃんはあくまでもこの家のオーナーで、事実上の管理人は俺ということになる。当然料理人も兼任しなくてはならない。それを一介の高校生、ましてや入学すらまだしていない俺にどこまで出来るのか不安しかない。
「だからさ、もう少し気楽にいこう。源六さんが面接するんだしそうそう変な人は来ないと思うよ」
そういえばこの人、随分と祖父ちゃんのことを信頼している感じがするな。一回しか会ってないのにどうしてそこまで言えるのだろうか? それになんか妙に親し気な節もあるし。まああの祖父ちゃんだし分からなくもない気がしないでもない。
「そうですね、俺もなんか変なところに拘ってしまったというか、昔からこんな感じなんですよ。だから知り合いからもたまに『めんどくさい奴』とか言われちゃうし」
「その思考はいつか無くなると思うよ、僕が保証してあげる」
その根拠は一体どこからくるのか聞きたいが、おそらく光男さんは俺を励ますために言っているだけなのだろう。なので素直に受け入れることにした。
「でも少しでもいいから未来のこと分かれば余計なこと考えずに済むんだけどなあ」
「はは、それはそれで大変になると思うけどね。でも少し前向きになれたんじゃないかな」
「ありがとうございます。じゃあ問題が起きそうになったら考えるということにして、取り敢えず必要なことだけ簡単に決めちゃいましょうか」
「ならさっき言った通り僕がお風呂と・・・・・」
食事を勧めながら今後のことについて話し合っていった。
気づくと最初の時より気持ちが楽になっていた自分がいる。どうやら思った以上に光男さんの言葉が心の中に響いているようだな。客観的に見て大した言葉ではなかったが、それでも心の引っ掛かりが一つ外れたことは間違いない。
そして四日が経過し・・・・・・・・・・・
「おはようございます。今日はいつもより遅いですけど出勤はゆっくりなんですか?」
「ち、違うから。単純に寝坊しただけ。ゴメン、せっかく作ってくれたのに時間がない」
「だったらこれを持って行ってください」
俺は紙袋を光男さんに手渡す。
「これは?」
「お弁当です。中身はおにぎりをラップで包んであるだけですが、もし可能なら移動しながらでも食べてください。もしかしたら寝坊したのかなって思って念のため作っておいたんです。もし違ったら俺の昼飯にしようと思っていたので気にしないでください」
「相変わらず律樹君はおかんみたいだなあ。もしかして彼女に尽くすタイプなのかい? ってまだ早いか、ははは・・・」
彼女かあ・・・青森に住んでいた時に二か月くらい付き合った女の子がいたけど、大して進展もしないまま別れたし、あまり尽くした記憶もない。
「居るにはいましたが、ほんの少しの間だけでしたからね。自分が尽くすタイプなのかよくわからないです」
「え?」
「え?」
あれ、俺今変なこと言った? 光男さんが驚くから俺も思わず反応してしまったけど、もしかして意外だったってこと?
「そんなにおかしいですか? 中学生で彼女が出来るのってそんなに珍しくないと思うんですけど、もしかして俺ってそんなにモテなさそうに見えます?」
だとしたら少しショックだな。別に自分がカッコイイとかは全く思っていないけど、少なくとも異性に好意を持たれるための努力は人並みにはしているつもりだ。身だしなみだってかなり気を使ってるし。
「い、いや。でもその子とは別れたんだよね? ああすまない、今の発言は無し。プライベートに首を突っ込むのはシェアハウスの住人としてよくないな」
「別にいいですよ。ていうか時間大丈夫ですか?」
「え? あああーーーー やばい電車に乗り遅れる!!」
光男さんは慌てて家を出ていった。どうやら今日はキャリーケースを持っていかないようで、荷物は今流行りのリュックと俺が渡した紙袋だけだ。
光男さんはここ三日間キャリーケースを持って仕事に向かっていた。そのことを俺は聞くつもりはなかったが、向こうが勝手に教えてくれた。どうやらまだ以前の部屋はまだ解約していないようで、荷物も残っているらしい。それを仕事帰りに寄って詰めれるだけ詰めて運んでいると言っていた。
まあ今日は寝坊して単純に持っていくのを忘れているだけかもしれないな。
そんな少しだけ慌ただしい朝だったが、ここから先はここ数日と同じように過ごそう。と言ってもまだ学校は始まっていないし、やることと言えば家事くらいなものだ。
勉強? そんなのその時になって考えればいい!
朝食を終えここ最近の日課である家全体の空気の入れ替えをする。本当は毎日する必要もなさそうだが、やはり新鮮な空気が入ってくるのは気持ちがいいので継続している。
いつも通り一回から窓を開けてゆき二階へと上がる。流石に持ち主がいる部屋には入らないがそれ以外は空室なので喚起していくつもりだ。
ん? 光男さん部屋少し空いてるぞ。でもあの人は確かに出ていったはずだし、多分寝坊して慌てていたからちゃんと閉めなかったんだな。でも困るなあ、今は俺だけだけど、これから別な人が入居したらトラブルの原因になりかねないぞ。
昔住んでいた頃とは違い、現在この家の五つの部屋は全て施錠出来るようドアが交換されていた。どのタイミングでそうなったのかは聞いていないが、明らかにシェアハウスとして使う前提で取り付けられたことは間違いなさそうだ。
このままにしておくのも嫌だし閉めておくか。
そう考え始めに光男さん部屋の前まで進む。そしてドアノブに手を掛けそのまま閉めようとした瞬間、視界に異様な光景が飛び込んできた。
否。それは本来異様な様相でもなんでもなく、極めてありふれた普通のものだった。しかしそれはあくまで住人と部屋の様相が一致していればの話であって、俺が今目にしているものは完全なる不一致としか言いようがなかった。
光男さんには申し訳ないと思いつつ閉めかけたドアを部屋全体を見えるくらいまで開いた。もちろん立ち入りつもりはなく、あくまで見るだけだ。
当然罪悪感を感じるわけだが、それ以上に好奇心の方が勝ってしまったこともまた事実だった。
ピンク色に統一されたベットの寝具。その周りには可愛らしい動物の人形やらが置かれており、本棚には漫画やラノベらしきものが見えた。ここからでは何とも言えないが少女漫画っぽいデザインなような気がする。カーテンもいつの間にかピンクのものに変えられているし、机も少女趣味的なものに支配されていた。
今時こんな部屋にする女子っているの? って思うくらい部屋は少女趣味満載だった。
そして俺は・・・・・・・・・
手に掛けていたノブをゆっくり押しそっとドアを閉めた。
うん、俺は何も見なかった、見なかったことにしよう。
人それぞれ色々あるよな。




