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第2話:退魔師の少女は異界を駆ける。




◇2◆


 ネックレスをつけた瞬間、世界にノイズは走り、ザザザ、という耳鳴りがして今までいた世界から喧騒が消え、耳に痛いほどの静寂が訪れる。


 私は中庭に立ち、空を見上げればマジックで染め上げたような黒い空に子供がクレヨンでグルグルと塗りつぶしたような赤く大きな太陽が浮かんでいる。昼も夜もない世界。


 私からすれば変わらない、見慣れてしまった、下手くそな絵本のような立体感のない空だった。


 実際、【現世】ではまだ昼間で学校には生徒が残っているはずだけれど、人の気配はまったくない。


 さっきまで目の前で座っていた辰上の姿もベンチだけ残して消えている。


 けれど景色――ベンチや校舎はそのままで、ソメイヨシノは変わらず桃色の花弁を散らしている。


 異界。それは現実世界にぴったりとくっついたもうひとつの世界であり、現世と幽世との狭間に存在する世界でもある。


 そしてなにより、現世であふれた人間の悪意や害意がこの世界に蓄積されて、あやかしが生まれる。だからこの世界を【あやかしの巣】と呼ぶ者も少なくない。


「おいで、イザナミ」


 私は呪魂石に左手を当ててから、右手を宙にかざす。


 すると(うるし)()りの鞘に収まった刀が浮かんで、その柄を握り込む。柄の先には鎖がついていて――私はその鎖を自分の手首――その中にある神経へと接続した。


 始祖の記憶の保持者においては、刀の柄についた鎖を『神血(こうけつ)回路(かいろ)』という器官につなげることで、常人から逸脱した身体能力と超速治癒を得ることが出来る。


 柄についたその鎖は伸縮自在で、百メートル以上、伸ばすことも出来る。


 しかしあまり伸ばしすぎると体力が大幅に削られ、操作が難しくなる。熟達した保持者はそれらを上手く使うらしいが、私はまだ使いこなせていない。


 こればかりは始祖の記憶を持たない退魔師には持ち合わせない能力であるから、それを恩恵と呼ぶ人間もいるけれど、私からすれば忌まわしいものでしかない。


 なぜなら姫咲は保持者でもない、ただの人間として『最強』の名を手にしたのだから。


 保持者以外の一般の退魔師は祓具(ふつぐ)――神代(じんだい)文字(もじ)の刻まれた、呪魂石で出来た武器を使う。


 おもに刀が多いけれど、中には腕や脚に呪魂石の粉末を液状にして神代文字のタトゥーを入れる武闘派もいたらしい。


 前時代的な、今では命知らずの代名詞にもなりえる無謀さである。


「……見つけた」


 私の視線の先――中庭の奥にあるプレハブの物置小屋の上に、それはいた。


 遠目に見ても三メートルはある巨体で、人間のような形をしているが全身を覆う真っ黒な毛に、その毛の隙間から覗く眼は黒目だけでなく白目までが黒く染まり、瞳孔の輪郭が赤く灯っていた。


 猛禽的な色を含んでいて、ひたいからは二本のねじれた巨大な角が生えている。


 当然、人間ではない。そして犬のように突き出した口を開いて真っ赤な舌と、黄ばんで唾液で濡れた牙を見せて咆哮を上げた。


 その咆哮はその場の空気をビリビリと揺らして吹きすさぶ風となり、桃色のソメイヨシノが、まるで逆再生のように地上から空へと舞いあがる。


 鞘から白刃を抜き放ち、私は駆ける。


 吠えるあやかしまでの距離を一気に詰めて、地面を蹴り上げて物置小屋の上に跳んで斬りかかるけれど、あやかしは跳躍してそれを躱し、中庭へと着地する。


「……ッ」


 こめかみから血が垂れた。


 躱したその瞬間に、一撃を入れられたと知り、眉間にしわが寄る。プレハブから飛び降りて、刀を構えなおすが――後ろに気配を感じて思わず舌打ちが出た。


 肩越しに見ると、そこには二メートルほどの黒い影がいた。


 両腕が異様に長く、腰下まである。その長く細い腕の先には鋭い爪。目は同様に黒く、動向の輪郭だけが赤く爛々と輝いていた。


 二体もいたのか、と考えると同時に違和感を覚える。


 どうして他の(・・)退魔師が(・・・・)いない(・・・)のか。普段ならあやかしの気配を察知して我先にとこの異界へ来るはずだ。


 あやかしの核――呪魂石は、大小あれ金になる。それを生業にしている退魔師がほとんどだというのに、この異界に他の退魔師の気配がない。いや――気配を探れば、ふたり。


 ふたり(・・・)分の(・・)気配が(・・・)ある(・・)


 しかし動く様子はない。どうやら私が一番乗りできてしまったらしい。


 組合で定められた規則――第六条 第一項【横奪(おうだつ)禁止】――最初にあやかしと対峙した退魔師から横取りをすることを禁じる項目。それに準じているのか。


 もしもここにいるのが組合員ならば、当然その項目を順守するだろう。


 私は息をつくと目の前にいる犬のようなあやかしへ向かって、躍り出た。


 高く跳んで腰をひねり両手で握り込んだ刀を振り下ろす。三メートルの巨体を袈裟切りにしようとしたけれど、振り上げたその太い腕に刀が食い込み、思い切り振り回される。


 そして投げ飛ばされて芝生を二転し、ベンチに背を打って思わず苦悶の声が漏れた。


 だがその目には長い腕が迫っていて、その爪から逃げるように這ってその場から飛び退ったけれど、腕に赤い線が走る。


「……つっ」


 鋭い痛みが熱を持って、顔をしかめて二体のあやかしを睨む。


 紫紺色の光が腕から湧いて出て、すぐに超速治癒が始まる。だけど――この超速治癒には、デメリットがある。治癒が始まれば、身体能力が著しく落ちてしまう。


 私は這い出して地面すれすれを駆け、長い腕が振り回されたときに、刀を振るう。


 黒い血が飛び、あやかしが甲高い声で鳴いた。耳に痛いそれに眉根を寄せつつ、振り返りざまに胴体へ向けて一閃を入れようしたとき、犬のようなあやかしの蹴りが私の腹に入る。


「うぁッ!」


 背中から落ちて、刀が手から離れる。校舎の壁にぶつかり、二度目の舌打ちをする。しくった――。


「ギャギャギャギャッ!」


「ヴォオオオオオオオ!」


 そんな私を嘲るかのように、二体のあやかしが吠える。


 それに対し、歯ぎしりをした。


 もしも、もしもあの最強の退魔師なら――こんな二体に手こずることもないだろう。すぐさま(ほふ)ってしまうに違いない。


「くそ……」


 ふたり、退魔師がどこかで見ているはずだ。なのに、出てくる気配はない。


 ひとりはあの辰上 結人だろうか。どこかで私を見て、このあやかし共と同じように嘲笑しているのだろうか。


 怒りが沸々と湧き出して、叫びだしそうになったそのとき、二体のあやかしが動いた。


 長い腕を振りかざし、その爪が私の首へ向けて振り下ろされる。私は腰を屈めて走り、刀を拾うと、今度は犬のようなあやかしの拳が狙いを定めてくる。


 刀を握ったものの、その速度に間に合わない。


「――ッ!」


 目を閉じそうになったその瞬間、影が私の前に現れた。


 その巨大な拳を、自分の拳で受け止め――その衝撃で突風が走り、辰上の小さな背中――そのブレザーがバタバタとはためくのを見た。


 依然としてふたり分の気配はそのままだ。つまりこの状況で辰上が異界へと急遽入り込んできたということか。順守すべき規則を無視してまで。




「目を閉じるなよ。夢が見えなくなるぜ」




「辰上……?」


 その女子のような見た目の少年は力強くそう言った。背中だけで表情は見えないけれど、その声色からは無邪気に笑っているように感じた。そして――


「ぶべらぼッ!?」


 ――逆側から振り下ろされたあやかしの拳がダイレクトに辰上のわき腹に当たり、バキバキという音がして、奇妙な悲鳴とともに吹き飛ばされた。


 しかも校舎の窓ガラスを割り、一瞬でその姿が消えた。


「ウソでしょ!?」


 私は目を剥いてその方向を見たけれど、割れた窓ガラスの破片に血がついていて、辰上の足だけが見えていた。


 軽く痙攣(けいれん)しているのが分かる。心配でもあるし悪いとは思うけれど、おかげで隙が出来た。


 追撃できた拳を刃で受け止め、跳ね返す。


 超速治癒が終わったのか、身体が軽くなっている。私は目を見開いてその胴体に向けて突きを繰り出す。刃を落とした刀の切っ先があやかしを貫き――


「消えろおおおおおおおおッ!」


 そのまま横薙ぎに切り裂いた。呪魂石が芝生に落ちて、あやかしが霧散する。だが、まだ油断が出来ない。腕の長いあやかしが甲高い声で鳴いている。私は目を見張った。


 目の前に岩のような黒い影がいた。いくつもの岩をくっつけたような、ひび割れた肌に五メートルはある巨大な影――まるで本で読んだゴーレムみたいなあやかし。


「――このスパンで生まれたっていうの……!?」


 私は膝が笑っていることに気付いた。こんな短時間でこれほどのあやかしが生まれるなんて、聞いたことがない。


 どしん、と一歩踏み出すたびに地響きがして私の心が折れそうになる。それでも握り込んだ刀に力を入れて、目の前の敵を睨みつける。


「最強の退魔師に、なるんだ」



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