陰鬱なガラス
ぼんやりと揺れながら、扉へと寄りかかる。
急行電車は揺れる。見知らぬ誰かにパーソナルスペースを侵されながら、それでも吊り革にも掴まれずにバランスをとるより今日のポジションはずいぶんとマシだった。
それにこちらの扉はとうぶん開かない。
あ。
涙が頬を伝う。
あーあ。手のひらでメイクをあまりにじませないよう気を使いながら拭う。湿った手を握りしめて隠した。ハンカチ忘れた。
今日はあまり良くない日だった。頭の中でずっと上司のダメだしがこだまする。
「いちいちそんな事を報告するな」
「余計な仕事はしなくていい」
どちらももっともな指摘だった。
そう、それだけ。
それだけなのに、なぜこんなにも落ち込むのだろう。疑心暗鬼になる。みんなが私のことを、仕事のできない惨めな女と思っているのだろうかと、猜疑心が首をもたげる。
誰からも嫌われないなんて不可能だ。
ただ、私は嫌われてはいないのは知っている。もっと価値のないものだ。あー、あの人そういうところあるよね。ちょっとね。いつまでも気配りもできないよね。悪口未満の感想、気にもとめない、関わりもない。雑多のなかにある、価値のないもの。すぐに忘れる。笑顔で一緒にランチを食べる。
そこそこに混みあった帰宅ラッシュの電車は、電灯が明るすぎてくらくらする。誰も私を見ていない。みんなイヤホンをして耳を塞ぎ、スマホの画面を見るか疲れきって寝ている。
暗い窓ガラスに自分の顔が映る。不細工だ。容姿がすごく悪いわけではないが、醜い、ブサイクな顔。
目を逸らして遠くを見ると、今夜は月が大きく見えた。
「余計な仕事はするな」
「そんな報告はいらない」
なんどもリフレインする。私はなんと答えただろうか。きっとなんでもない顔をしている。こういう時の私は自動運転に切り替わるのだ。震える手は後ろで組むか、前で組む。
一人時間が欲しい、そんなことを言うワーママの同僚の話を笑顔で聞く。
私は、一人の時間は自動的にやってくるんだ。羨ましい?羨ましくないでしょう?そんなこと絶対に言わないけのど。ニコニコしながら共感するだけ、自動運転。設定は気の利いた事を言え。
今も誰もいないアパートへ向かっている。私の帰る場所は狭いワンルームだ。散らかっている。
今日はあまり良くない日だったね。
だけど泣くのは真っ暗な家に着くまで我慢しよう。そうだ、スーパーでちょっと良い肉を買ってもいいかもしれない。ほら急行電車だから、すぐ着くよ。
そうだね。
「ただいま」
電気をつける。
ああ、失敗したな。
人生に失敗した。
でもそんなことは口に出さない。心配されると惨めになる。年老いた両親を悲しませたくない。全部わたしの責任。この現状は、わたしが選んできた道だ。悲しい。すべて私のせい。受け入れ難いけど、それは事実。
だけどそれがどうだっていうんだろう。
褒められたらハイになる。注意されただけで窒息してしまうほど落ち込む。
ああ、失敗した。
「作るの、面倒だな。」
高い肉は冷蔵庫へしまう。お金もないのに。私のストレス解消法。でも今日はもう動けないな。
「あー、失敗した。」
横になるとこめかみに涙が落ちて耳にはいる。
明日は明日で生きていく。
ワーママの幸せそうな話は嫌いじゃない。みんなが私に無関心でも、わたしはみんなの事が好き。羨ましい、輝く生活を魅せてくれる。ショーウインドーに飾ってある、美しくて手の届かない、私のほしいもの。
ガラスに手をついて、眺めるのは嫌いじゃない。
ああ、なんて陰鬱なガラスなんだろう。