第一王子殿下が浮気したので、第二王子殿下の婚約者になった筈が……。
何だか時間が掛かりました……。
巷の平民社会では人気の小説ジャンルが有ると言う。それは「真実の愛」ジャンルと言い、大体が意地悪な悪役令嬢との婚約破棄がセットである。
(最も卒業式で婚約破棄を叫ぶなんて実際には有り得ないわね。)
そう、実際にはそんな事は起こらない、否、正確に言えば起こす大バカ王子は居ない、と言う処か。
(愚か者で有る事は否定しないけれど。)
ボンヤリと取り留めの無い事を考えているのは、筆頭公爵家の娘であり、少し前まで第一王子ファーストの婚約者の立場を持っていた令嬢のチェンジである。
彼女は「『真実の愛』を見付けた」と宣うファーストに婚約解消を求められ、それに応じた処だった。
この国の王子は4人居るが、その中でファーストだけが母親違いであった。彼は第一王子で在る故に、順当に行けば王太子であるのだが、彼の母親が亡くなっている為、後ろ盾は確かとは言えない。故にチェンジと婚約が結ばれたのだが、それにも関わらず、彼は彼女との婚約を解消すると言うのである。
(グレイ男爵令嬢の身分では王太子妃、況してや王妃を務められはしないわ。)
そして彼の「真実の愛」のお相手が男爵令嬢である事を彼女は見当付けていた。そんな身分の者では「筆頭公爵家の令嬢」の代わりが務まる相手ではない。
(間違いなく王太子候補筆頭から外れ、もしかすれば廃籍も有り得る……。)
このトゥルラブ王国の現状では、例え王位に着かないとしても、王族の一員であれば、その婚姻相手が男爵家の者等余程の事が無い限り、認められる事は無い。王族廃籍も十分に考えられる話と言う訳だ。
(気付いているかどうか……、どちらでも私に教える義務は無いわね。)
チェンジにとって、ファーストは政略の相手であり、それ以上ではない。婚約を解消した以上は何の情も無い。例え代わりに、王太子妃、そして王妃になる未来を持っていた貴族令嬢の立場から見ても、良い縁談と判断出来る、新たなる婚約を用意して貰えたとしても、だ(そもそもファーストが婚約解消を言い出さなければ、その必要は無かった)。
(セカンド第二王子殿下が評判通りのお方ならば問題は無さそうだけれど。)
第二王子と会った事も話した事も無い、だなんて事は無い。年もそれ程離れていないし、それなりに面識は有る。だがそれだけでは本質までは分からない。評判によれば、非常に優秀であるらしいが(第一王子よりも王に相応しいとか何とか)……。
チェンジは牢獄に居た。それも貴族用の、一般平民の住まいよりも余程広く清潔な部屋ではなく、平民の死刑囚と同じ独房に入れられていた。狭すぎる独房では糞尿を垂れ流すしかなく、立ちっぱなしでいるしかない。看守達によって僅かな隙間から食事が口に押し込められるのだが、それはいっそ食べない方がマシじゃないかと思う様な内容だった。
(どうして、こんな目に……。)
チェンジがこの様な牢に入れられた理由は、端的に言って、「王命を身勝手に破ったから」である。命を下したのは国王であった。
確かにファーストから婚約解消の話をされた時、国王夫妻は公務の為、王都にはおらず、何の許可も無かった。しかしあくまで密談であり、公式な話ではない。則ちファーストと婚約を解消し、代わりにセカンドと婚約を結ぶ、と言う話は非公式の予定だ。当然、国王夫妻が戻ってから王家で話し合いが為される筈で、実際の婚約解消はその結果次第であった。
そしてその日、話の最後に引き合わされたセカンドも了承していたので、政治的な情勢的にはセカンドを立太子させた方が良い現状、ファーストの思惑は知らないが、チェンジとセカンドの婚約は早々成立するだろうと予測していた。
だがしかし。
蓋を開けて見れば、チェンジがファーストに一方的に婚約破棄した事になっており、彼女だけが罰せられた。しかも彼女の身分を考えれば、最悪でも毒杯を賜る事になるだろうに、彼女は平民の死刑囚と同様の扱いを受けている。恐らくは見せしめとして公開処刑されるだろう。チェンジは最初、理不尽に怒るも、その怒りは酷すぎる環境に折れ、嘆きとなり、やがて正気を失った。それは処刑台に立っても変わらなかったと言う………。
酷い火傷痕が残る若い女性が新聞を読んでいる。王都で即日発行されたその新聞は、彼女の手に渡るまで数日の遅れがあり、従ってそのニュースには既に終わりを告げている事を示している。内容はチェンジの処刑日の発表だった。処刑日の通達は実際の処刑の1日前であり、彼女の手に新聞が渡る頃には全てが終わっている。
「……………哀れな……。」
ポツリと呟かれる言葉。しかし本当にそう思っているのかは不明だ。その口元は僅かに微笑みの形を彩っており、先の言葉を合わせると嘲りにも思える。
彼女はそっと自身の火傷痕に触れる。衣類に隠れている部分も有るが、顔、腕、上半身、太腿〜膝に掛けての半身が酷い火傷痕で覆われている。火傷痕の無いもう半身は美しい肌、美しい瞳、美しい口元……、美しい顔立ちの名残を示しており、火傷さえ負わなければ大層な美人であったろう事が分かる。
「診察のお時間です。グレイ王太子妃様。」
部屋がノックされ、要件が告げられる。
「今、行くわ。」
豪華な部屋に豪華な家具、豪華なドレスに囲まれた彼女は男爵令嬢であった事を感じさせない堂々たる態度で声を出した。
ファーストの母親は隣国の王女であった。彼女とファーストの父親との婚姻は間違いなく政略だった。そもそもの発端として挙げられるのは三国。ファーストの父親が治めるトゥルラブ国、その西側に隣接しているフレンド国、そしてトゥルラブ国とフレンド国の双方の北側で隣接しているウォー国だ。
地理的な形こそ違えど、三国の面積はそう変わらない。島と言うか大陸と言うかは於いておき、海に囲まれた土地を三等分した様なものである。
現在、トゥルラブ国を治める王がまだ王子だった時代、立太子さえ済ませて居なかった時代、ウォー国で技術革新が起こり、結果として軍事力が他国よりもずっと強くなった。幸い、時の王は戦争を起こす気は無い様だったが、隣国の軍事力が強くなるのは危機感を煽られる事に繋がる。
そして、トゥルラブ国とフレンド国は結び付きを強めると決定した。それ則ち同盟を結ぶ事であり、両国の王子と王女の政略結婚へと繋がった。
だが此処で問題が起こった。
元々ウォー国の技術革新はちょっとした偶然から起こった事で、そこから軍事力増大には然程時間が掛からなかった。それ則ち、この政略結婚はかなり急ピッチで進めるしかない事を示す。結果として、互いに既に婚約していた相手との別れが必要になったのだ。
フレンド国の王女とその元婚約者は国の為、互いに想いを過去のものにすると決別した。しかしトゥルラブ国の王子は元婚約者に「必ず妃にするから待っていてくれ」と約束して別れた。トゥルラブ国王ならば側室を娶る事も許されていた故に、フレンド国に知られさえしなければ、問題無い約束であった。
そして子ーーファーストーーを産んだ王太子妃ーー王女ーーが死んだ。
子には母親が必要ーー、そう主張した王太子ーー当時の王ーーは喪中であるに関わらず、嘗ての婚約者を妃に据えたのだ。当然だが、その事実に怪しい、と踏んだ者は多かった。その中には国王夫妻、則ち先代夫妻も居たのだが、元婚約者との仲睦まじさを良く知っていた事、元婚約者を娘同様に可愛がっていた事、そして何よりも我が子への愛から再婚の許しを出してしまった。
フレンド国から不興を買った訳だが、同盟を破る事は両国出来ず、結果としてフレンド国も口を噤んだ。噤まざる得なかった、と言う方が正しいかもしれない。
無論、国のメンツも重要な事であり、それを理由に抗議すべき、と言う意見も多かったろう。仮にもし、王女が嫁いで直ぐに亡くなっていたなら、その上で喪に服さず、嘗ての婚約者と再婚したと言うなら、フレンド国は逆に動かざる得なかっただろう。暗殺の疑いを主張しただろう。
だが王女はファーストを産んだ。そして急な再婚の理由に挙げた「子の母親」の通り、新たなる王太子妃はファーストを自らの庇護下に入れた。
フレンド国から王女に付いていった侍女達から見て、王女やファーストが冷遇された事実が無かった。婚約者も良い家柄から選ばれ(同時期に先代が退き、現国王が即位)、更に第一王子足るファーストと争いにならぬ様にと第二王子以下の婚約者は決める事は無かった。故にフレンド国も腕を振り翳す事が出来なかったのである。
此処までが水面上の話。此処からが水面下の話だ。
国王が愛したのは元婚約者の現王妃。彼は急遽挿げ替えられた婚約者の王女を愛する事は無かった。疑われない様に、文句を言わせない様に振る舞っていたが、その実、確かに王女は彼の策謀によって殺されていた。
そう、国王がファーストを後継ぎにしたい訳がない。
彼は愛する王妃が産んだ子を後継ぎにしたかったのだ。だから彼は表立っては問題無いだけの、その中身が問題だらけの娘ーーチェンジーーをファーストの婚約者とした。
ファーストがそのチェンジを嫌がり、王命である婚約の解消を訴える事が狙いだった。それを理由に王位継承権を取り上げる予定だった。その策を成功させる為に、年頃のファーストにハニートラップを幾つも仕掛けていた。
もしファーストがそれに引っ掛からなければ、問題娘と婚姻させ、立太子させた後、王太子妃に問題を起こさせ、連座で罰してやろうと考えていた。暗殺は考えない訳ではなかったが、フレンド国からの干渉を防ぐ為には、それは本当に最後の手段だった。
此処までが皮算用、此処からが実際の事件だ。
チェンジは癇癪が激しく、貴族令嬢としては生きていけない、下手をすれば大きな問題を起こして、一家を破滅させる、と彼女の両親を畏れさせた子供だった。
癇癪が激しい理由は致し方無い事情があったのだが、それを理解する社会ではなく、両親達でさえ最早見捨てるつもりであった。
だが王家は敢えてチェンジの様な問題を抱えた令嬢を探していた為、その策謀に協力する事を願われ、彼女とファーストの婚約が成った。
ファーストの失脚にはチェンジの暴虐の性質が必要だったので、チェンジは性格の矯正とは正反対の助長を促す教育を受けた。そして彼女は大人達の予想を超えるやらかしを仕出かした。
何の落ち度もない令嬢に大火傷をさせたのである。
貴族院に入学した彼女は、余りの美しさで男女関係無く視線を独り占めにしていた令嬢が気に食わず、殺害を企んだのだ。結果的にその令嬢は命を取り留めたが、半身に酷い大火傷を負った。その令嬢がグレイ男爵令嬢であった。
次期王太子妃と何も知らない外部からは見做されていたチェンジが、身分が低い令嬢を殺害しても罰せられる事は無い。しかしそれは実質上の話であり、法の話とは違う。
不敬罪や反逆罪は身分が上の者に下の者が逆らう事が許されない犯罪である為に、身分が高い者が身分が低い者へ横暴な振る舞いをしても罪に問われ難い現実が有るが、身分が高い者が身分の低い者を守るルールが有る以上、謂れなき暴力は許されないものなのだ。
だがチェンジは高貴な身分に在る故の義務は無視し、権利だけを主張する、それが権力者として当然だと教えられてきた為に、彼女からして見れば、グレイ男爵令嬢への殺人教唆は正義であった。故にそれを隠す事もなく、その姿は他の何も知らない貴族の反感を買った。
この様な女は王太子妃に相応しくない。
その様に主張された。そして当然だが、「チェンジを引き摺り落とす為にファーストを王太子候補から下ろせ」等叫ばれる訳もない。
王家が「ファーストよりもセカンドが素晴らしい」と情報を操作していても、ファースト自身が大きな失敗をしていない以上、婚約しているだけの現状、チェンジ諸共引き摺り落とす事が出来ない。
手を拱いている間に、ファーストがグレイ男爵令嬢を守る為に動き、それはファーストの「優秀ではない」と言う評判を上回るくらいの、好感度を生み出した。同時にその様な目に遭いながら、逃げずに貴族院に通い、且つ努力家の秀才であるグレイ男爵令嬢の人気が鰻登りとなった。それに乗じて「是非養女に」と申し出る高位貴族も出てきた。
こうなればファーストが例え「チェンジからグレイに婚約者を挿げ替えろ」と主張しても、ファーストの疵にはならない。
ならばグレイ男爵令嬢を告発する。
次に王家が考えたのはソレだった。何を告発するのか。それはグレイがファーストに色目を使っていた、と言う内容であった。そして実の処、グレイもファーストへのハニートラップ要員の1人であったのも確かな話だった。グレイの家はチェンジの家の寄り子で、命令されていたのである。只、グレイが行動に移す前にハニートラップの件を知らないチェンジから攻撃されただけで………。
しかし王族には公務がある。そればかりに感けている訳には行かない。幸い、まだファーストは婚約者の挿げ替えに付いて、何も言っていない。だから先に公務を済ませてしまおうと国王夫妻が城を出た。
その間に、ファーストはチェンジを呼び出して、冒頭の話をしたのである。
彼はチェンジを一言も責めなかった。只、まだ婚約者が居ないセカンド第二王子との再婚約を示した。ファーストより優秀と評判を広められてはいたが、何も知らないセカンドに、何も知らないが故にチェンジに一目惚れしていたセカンドにスライドされたのである。セカンドは喜び、ファーストの提案を受け入れた。
そう、国王夫妻が城に帰ってきた時には既に遅かったのである。
ファーストの動きは早かった。彼はグレイを王太子妃を、王妃を輩出しても可笑しくない高位貴族に、それもフレンド国との友好を第一に考える派閥の筆頭である辺境伯の養女とした。辺境伯は近い先祖に王族があり、所謂大公の血筋であった。
暗殺された王女の味方とは言い難いが、フレンド国とウォー国との境目に居る彼としては、王家の怪しげな動きにはずっと眉を潜めていたのだ。
そしてだからこそ、ファーストは早く動けたのだ。
辺境伯は独自の諜報組織を持っており、喪に服さず、元婚約者を新たな正室として娶った頃合いから王家を見張らせていたのだ。策謀に懸命過ぎて、脇が甘くなっていたのだ。
国を思えばこそ、大事にしなかっただけで、とうに彼は真相を知っていたのだ。だからこそ、そうと分からない様にファーストを守っていた。そして密やかに派閥を拡げていたのだ。
グレイの家はチェンジの家の寄り子でありながら、既に辺境伯の派閥に入っていた。そして諜報組織から容姿に優れ、王家からハニートラップ要員とされる様な子女を男爵家令嬢として引き取らせた。
幸い、トゥルラブ国の貴族籍は貴族院を卒業してから得られるもので、入学時に親が実子と言ってしまえば、疑われる事が無かったのである。
グレイの役割はハニートラップ要員の振りをして、ファーストに近付き、その陰謀を暴露する事であった。つまりグレイの予定ではチェンジ側がファーストと別れようとしている件を公にし、王家の動きを牽制するだけだったのだ。
だがチェンジは、グレイがまだ何もしていない内に暴発し、故にグレイは予定を大きく変更せざるを得なかった。敢えて大火傷を負い、チェンジの評判を暴落させ、ファーストと面識を持った。そしてファーストを正義側となる様にグレイは立ち回った。
その結果、王太子妃となる将来を掴んだのである。
国王夫妻が帰ってきた時、何も知らないセカンドはにこやかにチェンジとの婚約を願った。セカンドの年齢や立場ならチェンジの件を知らぬと言うのもおかしな話だが、要はその様に国王夫妻が動いていたからだ。策謀を話すにはまだ早いとチェンジの件が伝わらない様にしていたのだ。
何時の間にそんな話になったのかと慌てたが、既に根回しは済んだ後である。チェンジの家も大き過ぎる彼女のやらかしに、これ以上、王家の策謀に付き合えなかった事もあり、王都を出ていた夫妻に全く情報を流さなかったのだ。
そうしてどうにもならず、チェンジ1人に全ての罪を押し付け、その口を完全に封じたのである。王命に逆らった見せしめとして、平民の死刑囚と同じ扱いにするしかなかった。
こうしてセカンドから恨まれ、更にはその下の王子達からも責められる事になった国王夫妻はファーストを王太子にするしかなかったし、グレイを王太子妃にするしかなかった。ファーストの陣営に入れられた異母弟達はファーストの味方として教育され、国王夫妻の派閥貴族から担がれる事も無く、結果として、国王夫妻はその実質の権力を失い、早々に引退し、早々に「病死した」と発表される事となるのだ。
その後、二人三脚で歩むトゥルラブ国とフレンド国では技術革新が起こり、それを切っ掛けにウォー国との関係もまた、変わって行くのだが、その流れを生み出したのは、グレイ王妃による貴族院講義改革により、国民全体の学識が上がった事に端を発していると後世では語られる。
当人の責任ではどうにもならぬ原因を持ち、親の都合で敢えて歪んだ教育を受けさせられた子は犠牲者であり、被害者である。
彼女はこの様な内容を語り、新教育制度をチェンジと名付けたと言う……。
お読み頂きありがとうございます。大感謝です!
前作への評価、ブグマ、イイネ、大変嬉しく思います。重ね重ねありがとうございます。