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紫黒の乙女 -転生のおと外典-  作者: 津多 時ロウ
第4章 別れと出会いと
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第18話 兄と妹

「私、シェスト教の聖職者になって、毎日神様にお祈りするわ。国も、人も、争いのない世界を」


 1575年の早々、15歳のドロテは真剣な眼差(まなざ)しでそう言った。

 昨年あった神聖リヒトからの大規模侵攻。王国はその脅威を払い()けたが、友軍の死傷者数は甚大であり、勝利に湧きかえる町の裏ではまた、悲しみに打ち(ひし)がれる民も多かった。オダ家の領都イヌイにあっても、それは例外ではない。

 屋敷を包む漠然とした重く暗い雰囲気を幼少より敏感に感じ取り、努めて明るく振舞ってきた彼女にとっては、それは当然の帰結だったかもしれない。


 鈴の鳴るような声の先は兄のランプレヒトである。王国宰相であった父グスタフが反乱を企てているとの濡れ衣を着せられ、突如として王軍に殺害された2年前より、オダ家の統領を務めている。家督を継ぐや、王弟を始めとした有力者と秘密裡に接近し、お家の取り潰しを免れたその手腕は領の内外から評価が高い。

 だが、家督を継いだ時点から苦難の連続で、顔色は日増しに悪くなっていった。


「……駄目だ」


 ふぅ、とため息の後に続いた優秀な兄の返事は鰾膠(にべ)も無い。


「どうして?」


 7歳まで一緒に暮らしていた母のディートリンデ。今はもう記憶でしか存在しない母と瓜二つの顔にランプレヒトの心と視線は揺れ動くが、彼が考えるのは父から引き継いだ領地の維持と、領民の安寧。それは自身の犠牲も(いと)わないほどに。そして、その犠牲には自身の身内も含まれていた。


「お前はいずれ他の貴族に嫁いでもらう。有耶無耶(うやむや)になっているが、王国内から婚姻の申し込みが格の大小を問わず山のように来ているのだ。父上の急死で弱体化したオダ家を守るためにも、これを利用しない手はない」


「お兄様、私の目を見て言って下さいな」


「私から言うことは何もない」


 ドロテが母譲りの端正な顔でランプレヒトに詰め寄るも、彼はその琥珀色の瞳を一瞥(いちべつ)しただけで、書類仕事に戻ってしまった。それを察したドロテは咎めることもなく、頬を膨らませながら足早に執務室から去って行く。脇に控えていたアルマも、当然に後を追おうとするが、そこでランプレヒトに呼び止められた。


「少し待て、アルマ」


「はい」


 何事かと思いその場に留まるも、呼び止めた当の本人はと言えば、目の前の紙に小気味いい音を立てて何やら書き込んでいる最中である。


「これでよし。……アルマ、先ほどの私とドロテの話をどう思った?」


「仕える(あるじ)の将来を決めるようなことについては、返答いたしかねます」


インターナート(寄宿学校)以来の付き合いであってもか?」


「左様です」


「そうか。父上も良い侍女を雇ったものだ」


「ただし、一つだけお答え申し上げることがあるとすれば、兄というものは(すべか)らく妹の要求に甘いものだと承知しておりましたので、ランプレヒト様の反応は意外でした」


「私が領主でなければ、それはその通り。オスヴァルトのように妹に甘くしていただろうね。ところでハインツのところは子供が何人いたか覚えてるか?」


「ハインツ様でございますか。男子がお二人にございます」


「そうだったか。うん、そうだな。うん。では、アルマよ。貴族が教会に入る際のことを調べてドロテに伝えてやってくれ」


「それは、ドロテ様の教会入りを許可する、ということでよろしいでしょうか?」


「ああ、そのように伝えてもらって構わないよ」


「承知しました。この短い時間に心変わりを?」


「……そうだな。兄は妹に甘いものなのだろう?」


「そういうものですか?」


「そういうことだ」


 このとき、ランプレヒトが心変わりをした理由については、最後まで明らかにならなかった。なぜなら彼はこの会話の1年後に亡くなってしまったのだから。だが、家の存続のために捧げた残り少ない自分の命から、ドロテには家のために命を削って欲しくないと思ったことは想像に難くない。妹に甘い兄であろうとしたのだ。



 さて、ランプレヒトの許可が出てからというもの、アルマは、貴族がシェスト教の聖職者になるにはどうすればいいか、どのような手順を踏めばいいのか調べて回った。と言いたいところだったが、イヌイのシェスト教会に相談しただけで全て事足りた。教会は、その行なう全てと言っても過言ではない数の記録を保管していたためだ。


 オダ家から教会に入った者も、当然の如く記録されている。残念ながら資料そのものはアルマに開示されなかったが、近いところではエレオノーラ・レーデ・オダなる人物が記録されているとのことだ。その者は港湾都市カネウラの教会にて召命の儀式を受けたとあるが、有力貴族の縁者ということもあり、イヌイの教会から司祭が1名同行。そして、エレオノーラはカネウラを治めるモウリ家の屋敷に1泊し、儀式当日の午前中にはイヌイの司祭を先頭に屋敷から教会までお披露目をしたという。

 随分と大仰(おおぎょう)なことだとアルマは思ったが、モウリ家も、そして教会もオダ家という有力貴族との繋がりをアピールしたいのであろう。貴族の生き方というのはつくづく回りくどいものだなとも思う。


 そうしてイヌイの教会、ランプレヒト、主役のドロテとの調整が一段落したところで、アルマは久々にオスヴァルトと顔を合わせることが出来た。別件だが、彼もランプレヒトの(もと)でギュンターと共に(せわ)しく動いており、ゆっくりと話す時間はこれまでなかった。


「兄様は関係各所との調整役として(いそが)しくしてらっしゃるそうですね」


「ああ。いくら私が優秀とはいえ、ランプレヒト様も人使いが荒いものだよ。ところでドロテ様がシェスト教会に入るんだってね?」


「ええ」


「どちらの教会に?」


「ドロテ様はカネウラをご希望で、ランプレヒト様も支持されていますね」


「カネウラなら神聖リヒトから遠くていいだろうね。実は先日、その件で孤児院に行ってきたんだ」


「まあ。兄様が別で動くとなるとランプレヒト様の秘密のお使いですね。差し当たって、クリスタ様にドロテ様をよろしく頼む、とお伝えするお役目でしょうか」


「その通りだよ。我が妹ながら実に察しが良い事だ。それでね、クリスタ様から面白い話を聞いたんだ」


「護衛の話ではないですか?」


「なんだ、知ってたのか。そう、護衛の話だ。教会からもクリスタ様の護衛の名目で1名派遣されることになっているが、それが私の知り合いなんだよ」


「兄様の知り合い。と、言うと貴族の方でしょうか?」


「いいや。平民の傭兵だよ。私がたまにお使いで傭兵組合に行くことはアルマも知ってるだろう? そこで何故だかグスタフ閣下に気に入られていた男がいてね。ツチダで衛兵が足りないときに手を貸してもらっていたんだ」


「それは不思議なご縁ですね。その方のお名前は?」


「ああ、スヴァンヌというんだ」


「スヴァンヌ? 女性の方でしょうか?」


「いいや。さっきも話した通り、そいつは男だよ。きっとアルマも気に入るだろうから、話してみるといい。クリスタ様と一緒にいるはずさ」


「ええ、分かりました。失礼のないようにいたします」


 そして4月半ば。ドロテがカネウラに()つ日。ドロテが生まれ育ったイヌイとお別れする日の朝、アルマは兄から聞いた男をクリスタの隣に発見する。それは恵まれた体格と見るからに凡庸そうな顔、そしてその内に揺らめく白い炎。

 そう、発見した。間違いない。以前の倍ほどに強くなってはいるが、いつか()た、あの弱々しい白炎(びゃくえん)だとアルマは直感した。


 ツチダで先に相対したジルケは言っていた。なかなか呑気で凡庸そうな男だったよ、と。確かにアルマにもそう見える。オスヴァルトの言ったことが嘘でなければこの男は傭兵である。それにも関わらず、お人好しが顔から滲み出ているではないか。だが、()にも(かく)にも話さなければ為人(ひととなり)など分からないものだ。


 ()くしてアルマは不自然な動きにならないように、その男に近寄り声を掛けた。


「いつも兄がお世話になっております。あの、兄が迷惑をかけていないでしょうか。スヴァンヌさん」


 瞬間、男は困惑の表情を浮かべるも、作り笑いを浮かべて挨拶を返した。


「こちらこそあなたのお兄さんにはお世話になっています。迷惑を掛けられたことなんてないですよ。それから、スヴァンヌじゃなくてスヴァンです」


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