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紫黒の乙女 -転生のおと外典-  作者: 津多 時ロウ
第4章 別れと出会いと
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第16話 曇天

 それは空の重い7月の或る日の出来事だった。


「注進! 注進! 注進!」


 馬にまたがった兵士が一人、イヌイの領主屋敷に転がるようになだれ込む。口にするは火急の凶事を告げる言葉のみ。鉄兜はなく、その右腕は皮籠手の代わりに、いくつもの刃の痕と血で覆われており、一見して尋常ではないと分かった。

 やがて前庭の中ほどで大きな音を立てて馬ごと倒れ込んだ兵士に、作業中の使用人たちが次々と駆け付ければ、倒れたままの姿勢で「ランプレヒト様を、ランプレヒト様にお伝えしなければ」とうわ言のように呟くばかり。

 これは大事(おおごと)とすぐさま使用人の一人が屋敷の中に駆け込もうとするが、自ら気付いたのか、はたまた衛兵から報告があったのか、呼びに行くまでもなく、まさに玄関から出ようとするランプレヒトの姿があった。


「ラ、ランプレヒト様……」


 ランプレヒトが近寄ると使用人に支えられたその兵士の瞳は俄かに力を取り戻した。さながら燃え尽きる前の蠟燭の如く。


「このような格好で申し訳ありま……」


「よい。何がったか手短に話せ」


 非礼を詫びようとする兵士の言葉を遮り、早く話すよう促した。


「はぁ…はぁ…、んぐ……。私ゲオルクは護衛としてこの度の閣下の王都行きに、……お供しておりましたが、帰りのこと、帰りに、帰りに……奴らめ」


 やっとのことで声を出しているゲオルクはそこまで話すと涙ぐみ、言葉に詰まっている。


「どうした! 何があった!」


「ええ、ええ、襲撃を受け、ダミアン隊長、ヴィンシェンツ様、それから……、それから……、閣下が、閣下、お討ち死に。無念、無念、無念にござ……」


 そこまで告げるとゲオルクはぐったりと気を失ってしまった。


「ランプレ……」


 傍にいた使用人が、目を大きく見開きしばし言葉を失ったランプレヒトに声を掛けようとするも、これも言い終わる前に発せられたランプレヒトの指示によってかき消された。


「すぐにこの者を治療せよ。それからギュンターを探して私の執務室に来るように伝えよ。執事のギュンター・ノルデンだ」


 するとその場にいた使用人達は相談するでもなく、それぞれの役割のために辺りに散っていった。


 領主グスタフ死す。


 その情報は日を跨がず、すぐにドロテの耳に、そしてアルマにも届いた。

 突然の凶報に力なく崩れ落ちた主をアルマはどうにか椅子に座らせ、そして左手で震える手を握り、右手を小さな背中に沿える。


『悲しいときっていうのはさ、どれだけ声をかけても届かないものなんだよ。だから、そんなときは温もりだけ分けてあげればいいんだ。温もりがあれば悲しみで冷たくなった心もいつかは(ほど)けるもんだ』


 子供の頃にジルケから聞いた話。自分ではまだそれを理解できていないが、ドロテのその小さな体を飲み込まんばかりに膨れ上がった黒靄(こくあい)が徐々に、とてもゆっくりと(しぼ)んでいくのを目の当たりにして、少なくとも効果があることをアルマは実感していた。それと同時に心が何かに支配されると黒靄(こくあい)が大きくなるというジルケの仮説もまた、あながち間違っていなかったのだなと感じていた。


 アルマの献身により幾ばくかの落ち着きを取り戻したドロテではあるが、時間を置けば何かを思い出して(むせ)び泣く。やがて、また落ち着き、それを何度か繰り返した後、ドロテが完全に泣き止む事態が起こった。


「アルマさん、ちょっと」


 重々しいドアのノックに続き、執事のギュンターが顔を覗かせ手招きした。何事かと近寄り廊下で耳打ちされた事実にアルマは、まず(おの)が耳を疑い、確認しても変わらぬ答えに言葉を失う。


「ドロテ様にはあなたから伝えて下さい」


 事務的なギュンターの口調で心が泡立つのを抑えられたが、実に、実にお伝えしたくない内容であった。しかしながら、これも明日になれば否が応でもドロテの耳には入るのだ。先にお伝えするより他、タイミングが無い。

 静かにドロテの部屋に戻った彼女は、未だ(すす)り泣く小さな主と目を合わせ、事実を伝える。極めて事務的に。


「ドロテ様。従兄(いとこ)のシュテファン様が、本日、ツチダの代官屋敷にて襲撃に()い、逝去されました」


 一瞬、泣くことを忘れ、目を丸くして驚いたドロテがアルマに問う。


「……本当?」


 どう返事をして良いものか悩んだアルマは、少しの間を置き、無言で頷く。

 やがてドロテの黒靄(こくあい)は極限まで大きくなり、そして小さな主は柔らかく小さな音を立てて床に崩れた。


 それから数日後、ランプレヒトは(おも)だった者たちを集めて動き続けている。シュテファンに付いていたオスヴァルトも1日だけイヌイに戻ってきていたが、形ばかりの笑顔にその心中が容易に想像できた。

 その間にも、ドロテの心はもうすっかり悲しみで閉ざされてしまっていた。日常は送れているが、それだけである。話せば応答はするが二言(ふたこと)もない。瞳は()せ、誰構わず向けていた満開の花のような笑顔もあれからすっかり見ていない。

 アルマはそんなドロテに懸命に声を掛け、或いは手を握っているが、このまま表情の無い人形になってしまうのではないかと思うほどに、効果は(かんば)しくない。


 そして身体を覆うは巨大な黒い(もや)である。気のせいか、数日前よりもその密度が濃くなっているようにも()え、アルマもまた言い知れぬ不安に(さいな)まれていた。


 そんな状態が3日も続いたある夜のこと、不安と心配が入り混じったアルマは、ドロテの部屋で控えることにした。根拠があるわけではないが、野の黒靄(こくあい)がケモノに変化するのであれば、人の中にあるそれも同様なのではないかと、そう予感したのである。


 果たしてアルマの予感は現実のものとなる。


 夜中の1時を少し回ったところだろうか。ドロテが(うな)されたかと思えば、その体から水の如く湧き出た黒靄(こくあい)が3(すじ)に分かれて床に流れ、むくむくと天井に向けて伸びていく。星灯りだけが照らす室内で、それはやがて150センチほどの高さになるや、ヒトの如き頭と四肢を形成するが、あるべきヒトの眼は存在しなかった。それが2体と、残る一つの(すじ)は、180センチほどの高さになり、実に異形としか形容できない姿で奥に(たたず)んでいる。

 山羊の頭に山羊の下半身、ヒトの胴、ヒトの腕、そして黒い翼。それはいつか見た絵物語の悪魔。唯一の相違点と言えば、その眼は山羊のそれではなく、ヒトのものであったことくらいか。


「響け。ドナ・フルーゲ」


 黒靄(こくあい)の中に際立つヒトの眼。そうとなればあれは間違いなくケモノである。ここがドロテの部屋であろうと関係ない。躊躇なく還魄器(シクロ)を具現化した。


「一つ……」


 先ずは手前の得体が知れないヒト(まが)い、その首を音も立てずに切断する。


「二つ……」


 次いで、その斜め奥にいたヒトの紛い物(まがいもの)も瞬時に斬り伏せる。2体がさらさらと砂の如く流れて消えると、残るは悪魔と慎重に距離を詰めていく。


 だが――


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