第23話 姉の想い
今日の夕餉は海老と菜の花の香り寿司だった為、普段の食事よりも多めではある。
しかし、急な来客が満足する量はない。どうしたものかと思えば、手土産として、姉の牡丹がいなり寿司を、真空が最中を持参してくれていた。
そして、大広間にて奇妙な食事会が始まった。
「牡丹姉様、このいなり寿司、美味しい!」
「そうだろう? 狐次郎のところは最近有名になったからね」
華火の右隣りで優しく微笑む牡丹はそう言って、つぶし豆腐の味噌汁を飲んだ。
狐次郎は妖狐が経営する、いなり寿司専門店。
そして今食べている俵型のいなり寿司からは出汁が滴り、口の中にじゅわりと上品な甘さが広がる。
「牡丹様や華火様に会えた事も相まって、幸せすぎます」
華火の左隣りにいる真空もいなり寿司を食べ、頬に手を当てうっとりと呟く。
「牡丹姉様と真空様は既に顔見知りだったのか?」
「顔見知りというか、真空が統率者に成り立ての頃、挨拶と称して押しかけてきた。そこからだね、交流があるのは」
華火が牡丹に真空の事を問う間も、食事を共にする男狐達は見守るように静かに食べ続けている。
「押しかけ?」
「真空はね、可愛くて綺麗な狐に目がないんだよ」
「あぁ、なるほど。送り狐の皆は、確かに端正な顔立ちだ」
「わたしは華火様に会いに来たんですよ!!」
ばん! と真空が円卓を叩けば、男狐達の肩がびくりと揺れる。そして、怪訝そうな顔を彼女へ向けた。
華火も何事かと思い、真空を見る。
すると、とても綺麗な青い瞳が近付いてきた。
「わたしは男狐なんかどうでもいいのです。ここへ来たのはお噂の華火様が下へ降りてこられたので、お近付きになりたかったんです!」
きらきらと目を輝かせる真空の言葉が理解できず、華火は恐る恐る尋ねる。
「その、噂とは、役立たず、の事では?」
「そんな噂に興味はありません。誰かを傷付けるような噂に、真実など含まれません。わたしが言っているのは、弟君達に守られている手の届かない楚々とした女狐。その華火様の事のみです!!」
鬼気迫る表情の真空の言葉は、やはり理解できない。けれど、役立たずの事を気にも留めていないのは伝わる。だからか、華火は真空の事がもっと知りたくなった。
すると、男狐達が話し出した。
「華火は自分の見た目に頓着しないからな。ま、それが良い所だけどよ」
「何もしなくとも、そのままでいい」
「わかるわ! 化粧で隠すのが勿体無いもの」
「だからだろうね。上の女狐達にやっかまれたのは」
「華火は性格がそのまま顔になってる」
いなり寿司を食べ終えた柘榴がねぎ味噌のつくねを頬張りながら、笑みを向けてきた。それに答える白藍は、最後のいなり寿司を口へ運ぶ。
その白藍に賛同するような紫檀が卵焼きに手を伸ばせば、山吹はきのこと野菜の酢の物を食べ、ため息をついた。
そして玄は、香り寿司を食べる手を休める事なく、妙な事を呟いている。
「皆、女狐を見慣れていないようだ」
華火が思った事を伝えれば、一瞬、時が止まったような静けさが訪れた。
***
「こんな風に姉妹だけで話すのも久々だね」
「牡丹姉様が時間を作ってくれたお陰だ」
夕餉が済めば、牡丹はこのまま泊まると告げてきた。社へ上がった時、廊下に置いた荷物はその為に準備してきたもの。
そして牡丹が泊まるなら真空も残ると、管狐に言伝を頼んだ。
牡丹は事前に伝えていたようで、『今の季節なら問題ない。前から言っていたが、楽しんでこい』と返事が来た。
しかし真空は何も言わずに出てきたようで、『いつもの事だろうとは思ったが、どこに行くのかぐらい書き置け!』と怒られていた。
そして男狐達は気を利かせ、華火を置いて早めに夜のお役目へ。
そして真空も『姉妹でゆっくりして下さい!』と、湯浴みの最中だ。
だから今、大広間には華火と牡丹のみ。縁側から見える満月を眺めながら、真空からの差し入れの最中を堪能しつつ、静かに語らう。
「父様と母様から、連絡が来ただろう?」
「来た。けれども、やはり私はここにいたい」
父と母から、今だけでも上に戻るか問われた。しかし華火は悩む事なく、留まると告げた。
「華火がそう決めたなら、それでいい。だけどね、あたし達は頼りなよ? あたしもだけど、冠と柳も、力になりたいんだ。まぁ、華火を痛めつけた奴を探し出すって躍起になってたけどね」
「ありがとう、牡丹姉様。それにしても兄様達が、そんな事を……」
「当たり前だろう? 華火はあたし達の大切な家族なんだから。だからあたしも出来る限りの事はやるつもりだ」
鋭い光を宿した牡丹の淡い赤の瞳は、煌々と地上を照らす満月へ向けられた。
「でも、牡丹姉様も兄様達も、傷付いてほしくない。蘇芳様だって動いて下さってる。だから、無茶はしないでほしい」
「ははっ。華火に悲しい顔なんてさせたくないから、無茶はしないよ。だけどね、家族が傷付けられて黙っているのは性に合わない。それだけの事だよ」
先程とは違った柔らかい光をたたえた瞳をこちらへ向け、牡丹は穏やかに笑う。
そしてそのまま、別の話題を切り出された。
「冠と柳から聞いたけど、統率者としての力じゃないものが発現したんだって?」
「私にも、ここの皆にも、よくわからないんだ。体が光って、金の雨が降った。でも、いつもの胸の痛みはなかったんだ」
自分の力の正体がわからず、不安をそのまま言葉にする。そんな華火の頭を、牡丹は優しく撫でてくれる。
「今、見せてもらう事はできるかい?」
「それが……。何度か試したんだ。だけど、できない。それがもどかしい」
「そうか。切っ掛けが必要なのかもしれないね。それなら、胸の痛みも戻ってしまった、のだろうか……」
自分の不甲斐なさにうつむけば、牡丹の弱々しい声がして、頭から手が離れた。
それを不思議に思い、華火は顔を上げる。
「いや。あれだけ痛んだ胸が、何をしても痛くない。自分のすべき事をするだけだと、心から思えた時からの嬉しい変化だ。だからといってまだまだ体力はないし、天候の持続も長くはない。でもこれからは、痛みを気にする事なく、今まで以上にやるべき事に専念できる!」
急に悲しげな顔をした姉に対し、華火は元気付けるように微笑んだ。
「やっぱりあたし達は、華火の負担になっていたんだね」
「え? 負担などとは……」
今の話で何一つとしてそんな事は言っていない。なのに、牡丹の瞳が揺れている。
「華火はずっと、家族の誰かのようになろうとしていただろう? それがずっと、苦しかったんだろう。だからこそ、身体に現れたんだ」
牡丹に胸の内が悟られていた事を知り、華火は目を見開く。
「華火は小さな頃から体が弱かったわけじゃない。なのに突然、様子がおかしくなった。あれは、華火が周りの言葉を理解して、他の者になろうとし始めたからだろうと、思っていたんだ」
ぽつりぽつりと、牡丹の口から紡ぎ出される言葉に、華火は聞き入るしかなかった。
「だからこそ、あたし達家族は皆、華火の強さを誇った。あれだけ言われれば、部屋へ引きこもってもいい。でも華火は顔を上げ、出来る事をやり続けた。たとえそれがあたし達の背中を追いかける為のものだったとしても、いつかは並んでいる事に気付いてくれると、そう思って、ずっと声をかけ続けていたんだ」
ふっと、柔らかな笑みを浮かべ、牡丹が囁く。
「ようやく見付けられたんだね。華火は華火だって。さすがはあたしの妹だ」
その言葉で、華火の意思とは関係なく視界がぼやけた。
「とても時間が、かかった。でも、でも、だからこそ、私という存在が愛してもらっているのが、わかった」
「その時間は、華火にとって必要な時間だったんだ。だからこれからは、沢山の愛を受け取るんだよ? あたし達家族からも、自分からも、そして関わる相手、全てから。それが沢山の痛みを感じた心を癒してくれる。胸も、もう痛む事はないだろう」
優しく華火の涙を拭う牡丹の顔が、意地の悪い笑みを浮かべた。
「華火が自分自身に掛けた呪縛を解く切っ掛けとなったのがここの送り狐達だと思うと、若干腹立たしいけどね。だからこそ、婿殿はここの男狐の中から選ぶんだよ?」
「ん? 確かに、皆の為に強くなりたいとは思った。だからといって、婿は関係ない」
どうして姉はこんなおかしな事を言うのだろうかと、華火は牡丹を見つめ、きっぱりと言い切った。




