第1話 旅立ち
「不憫ねぇ」
「とうとうお払い箱なのね」
「そんな事はないでしょう? ようやくお役目に就かれたのに」
うるさい。
お前達と一緒で、私も耳が良い。
聞こえるように話すな。
「お役目って、お天気占い?」
「くすくす。それも立派なお役目でしたわね」
「天候が操れるなんて、素晴らしい白狐様よね」
それが私の特技だ。
何の問題がある。
「これからお天気がわからなくなるのねぇ」
「うふふ。雨季には呼んで、晴れにしてもらう?」
「あんな一瞬じゃ、何の意味もないでしょうに!」
一瞬ではない。
一分は持つようになった。
女の園といえば聞こえはいいが、暇を持て余す女狐達の格好の餌食は、いつでも格下の者だ。
巫女装束を着込む飢えた獣の視線を受けながら、同様の白衣緋袴に身を包む華火は前だけを向き、長い廊下を歩き続ける。
「あぁ、華火様がいなくなるなんて。とぉっても寂しいわぁ」
「そうよねぇ。華火様がいなくなったら、誰のお話をすれば良いのかしら」
「あら。いなくなってもご活躍はここまで聞こえてくるはずよ。だって華火様、ようやく送り狐の統率者になられたのですから。まぁ、お相手も華火様に相応しい噂の問題児だらけの送り狐、ですけどね」
私は統率者の血筋だ。
ただ、それだけの事だ。
それに問題児と言っても、噂に尾ひれがついただけだろう。
「ぷっ。もう我慢できない! 統率者があのようなお天気占いだけしか出来ないって!」
「失礼ですわよ。きっとお天気占いで送り狐達を、ふふふ、鼓舞されるのよ」
「くくっ。ぽかぽか陽気でうたた寝させるのかしら」
統率者は送り狐の力を十二分に発揮させる存在で、自身も武芸に秀でる者である。
しかし華火は体が弱く、鍛錬を積めていない。
それでも、私達の娘なのだから胸を張れと、父も母も言う。
「雅様と咲耶様の御息女ですから、これからのご活躍が楽しみですわね」
「でもほら、送り狐って凄いのを相手になさっているのよね? それって――」
いつも悪意に満ちた言葉を浴び続けていたが、今回はさらに酷いものが吐き出されるのを予測し、華火は奥歯を噛み締める。
「その送り狐のお役目に紛れるようにして、何の役にも立たない華火様を送らせようとしているのでしょう?」
長い廊下が終わりを迎え、だん! と足で床を打ち鳴らし、白く長い髪を翻しながら振り返る。
そんな華火を、袖口で顔の下半分を隠した女狐達が一斉に見た。
「今までお世話になりました。皆様どうぞ、お元気で」
一瞬の静寂ののち、ひそひそと囁く声が増え続ける。
それを無視し、赤い鼻緒の雪駄を履き、今まで過ごした朱塗りの社を出る。
すると、見送りの為に時間を作ってくれたであろう、父と母の姿が見えた。
「華火、無理をしてはいけないよ」
「はい」
「いつでも、私達のいる場所が華火の帰る場所ですからね」
「はい」
父も母も、雪のように白い髪をなびかせ、愛おしむように話しかけてくれる。
「本来ならば、あの予言の時期に送り出したくはなかった。けれども、若い統率者が下へ降りるのが安全な時期でもある。華火を任せる送り狐達の実力は確かなもの。しかし万が一にも何かあれば、すぐにここへ戻るか、下で暮らす兄姉を頼りなさい」
「予言は白狐を指し示しましたが、他の大社を含め、統率者はこの時期に降りるのが決まりだと聞いております。ですから、何かあったとしても、すぐには戻りません」
驚く両親を見つめ、華火は笑顔を向ける。
「それに、姉様も兄様達も、立派にお役目を務めております。ですから華火も、それに続くまでです」
華火の言葉に、両親が笑い出す。
「さすがは私達の娘だ!」
「そうですね。ですからこれを」
「これ、母様の……」
手渡されたのは、母の愛用している紅の紐が編み込まれた銀色の鉄扇。広げれば、華火の顔を覆ってしまえる程の大きさのもの。しかし、人間界には存在しない鉱物で造られており、軽くも頑丈なものでもある。
「私の霊力を込めてありますので、御守りに。戦えなくとも身を守る事に使いなさい」
「でも母様もここを護るお役目が――」
「大丈夫です。私にも同様のものがありますから」
くすくすと笑う母へ礼を言い、緋袴の帯に差し込む。
そして顔を上げれば、両親が印を結んだ。
「それでは、行きなさい。これからは、統率者としても胸を張るといい」
「無事を祈ります。たまには顔を見せて下さいね」
父の緑色の炎と母の桃色の炎が、華火の周りをくるくると回る。温かな想いを込められた祓を受け、華火は頭を下げた。
「お清め、ありがとうございます。それでは、行って参ります!」
両親に対して名残惜しさはあるが、ようやく陰険な女狐達から離れられるのは喜ばしい。だから華火は、清々しい気持ちで下山した。