涙と笑顔の再会(2)
「私たちが国外に出る前に馬車が壊れて近くの宿で一泊することになったんですよね。その夜ひっそりと男性が訪ねてきて時計を手渡して言ったのです。自分はオースティン伯爵の使いですと。オースティン伯爵は前オルガン公爵の弟でオースティン家に婿養子になった方でしたよね。私も母も会ったことはなかったので不思議に思ったのですがその男性はオースティン伯爵が前公爵夫人のご実家に目をつけられると動きづらくなるとおっしゃいました。オルガン公爵家の次男だったとしても今は格下のオースティン伯爵だから権力に押し潰されかねないと。私たちの前に何人も使用人たちが辞めさせられたのを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろん。名前も顔も覚えてるわ。彼女たちも助けられなかった」
「彼女たちは屋敷を追い出されてオースティン伯爵に匿われたそうです」
「まあ!!そうなの?」
「はい。私たちも彼女たちを心配していたので安心しました。オースティン伯爵は匿っている彼女たちのことが見つかるようなことにはしたくないとせめて高く売れる時計を授けてくださったのです。助けられなくて申し訳なく思っているとおっしゃってるというオースティン伯爵に私たち親子は図太い性格をしているのでどこでもやっていけますと答えました。ちなみにここに来る前にオースティン伯爵領に寄ってきました。もう前オースティン伯爵になっていたその方にあの時の感謝を伝えたのですがどんな気の良い方なのかと思ったらただの策略家でした。けど私たちに申し訳なく思っていたのは本当だとおっしゃってくださいました」
「そうなのね。……叔父様には感謝してもしきれないわ」
「それからその時計を持って国外に放り出された私たちはできるだけ高値で時計を買ってくれる場所を探して売りそれを元手にお金を増やし別の国に渡り働いてまた別の国に行ってと、しておりましたら母に惹かれたという商人に出会いまして。いつものナンパかと最初は相手にしていなかった母でしたが次第に絆され結婚しました。やがて母と義父の間に子供が生まれそこで根差して生活をするようになりました。そして私も良い年で知り合いだった男に結婚を申し込まれ結婚しこの子を生みました。夫は家族がいなかったのでうちでそのままわいわいと暮らし、母は風邪を拗らせて亡くなり夫も3年前に事故で亡くなり義父と義弟と4人で暮らしておりましたところ働いていた職場に今のオルガン公爵がいらっしゃって話を聞きました。よく考えてほしいと言われたのですが帰って義父と義弟に話したのはロゼットどうしようってことでした。義父も義弟もそれなら連れていったら良いと言って本人もついてくると言ったので返事を聞くために残った公爵の使いの方に娘と一緒に住み込んで良いですかねって聞いて良いですって言ってもらえたんで来ちゃいました」
「そう、苦労をかけたわね。アレットと旦那さんのことは……」
「大丈夫です。旦那のことも普通に好きでしたし悲しかったですけどいつまでも悲しんでても仕方ないと思って」
「でも家族と離ればなれになって良かったの?」
「それも大丈夫です。家族は大切ですけど二度と会えないと思っていたマイア様にまたお仕えできる方が重要です。義父も義弟もさらっと送り出してくれました」
「まあ……そうなの。でも娘さんは?大人しいしお母様と一緒とはいえ本当は住み慣れた土地と家族と離れたくなかったのでは」
「ああ、これは違うんです」
そう言ってシュゼットは娘のロゼットの頭をポンポンと叩く。
「ちゃんと使用人のことを付け焼き刃ですけど教えてきたんです。貴族たちは目上の人に目下の人が先に話しかけちゃ駄目だとか女主人のことをあの女とか言ったら本当は駄目だとか。私も母も前公爵夫人のこと滅茶苦茶言いすぎちゃって。だってもうこの国に来ることもマイア様にもお会いできるとも思ってなかったんですもん」
「あらあら……母のことはなんと言われても仕方ないと思うから良いのよ。私が声をかけるのを待っていたくれたということなのかしら。ごめんなさいね。私はマイア・オルガンよ。故郷を離れさせてしまってごめんなさいね。なにか不自由なことがあったら何でも言ってちょうだい」
「初めまして奥様。ロゼットと申します。よろしくお願いいたします」
「よろしくね。そしてこの子は私の娘のミレイアよ」
マイアがロゼットに向かってそう言うとミレイアもいつもの無表情で挨拶をするかと思えば立ち上がって床で丸まっていたカミニャン持ってきて頭に乗せた。
いったい何が起きているのかと3人が呆然とする。
ミレイアが奇行に走ったのは同世代の子供と初めて話すからだった。これまで大人としか話したことがなかったミレイアは少し緊張していた。
「どうしたのミレイア。カミニャンを紹介したいの?」
とりあえずとばかりにマイアが聞く。
「わかりません。小説で子供はか弱くすぐ泣くものだと書いてあったからかもしれません。以前カミニャ……私の話し方は人を萎縮させると聞いたことがあるので」
普段周りなんて気にしないミレイアだったが小説で子供はか弱くすぐ泣いてしまうという描写があったのとヴィクトルと話す時にカミニャンから指摘されたことを思い出したため、らしくなく緊張していたようだとミレイアは推測した。
「それは赤ちゃんではないかしら。この子はほら、貴方と同い年よ」
「なるほど。確かにそうかもしれません」
ミレイアは気を取り直した。
「ミレイア・オルガンよ。よろしく」
恐らく子供じゃなくても表情が動かず抑揚なく喋る7才を見れば不気味だと思われかねなかったが頭に猫を乗せたことによって可愛らしさで帳消しになるだろう。もっともシュゼットとロゼット親子は最強メンタルを持つ変わり者親子だったため猫が乗ってようが乗っていまいが気にしなかっただろうが。
とにかくシュゼットとロゼットはミレイアの可愛らしさに骨抜きになっていた。
「え、え、可愛い!!」
「可愛いね母さん!!なにこの生き物!!激かわ!!」
「この生き物は猫よ。見ての通り」
「えええ!?なにその返し可愛い!!マイア様、お嬢様可愛すぎます!!」
ミレイアはなぜこの人たちは自分に興奮しているのだろうかとカミニャンを頭に乗せたまま首をかしげる。
その3人の様子を見てマイアは声を出して笑った。ミレイアと話して小さく笑うことはあってもこのように笑うことはシュゼットとアレットがまだこの屋敷にいた頃ぶりのことだった。
「お嬢様、その猫ちゃんカミニャンっていうのですか?」
「ええそうよ」
「えー!!変な名前!!」
「母さんそれはさすがに失礼じゃない?」
「変な名前かしら?カミニャンというのは」
「変わってるけど私は好きですそのセンス!!」
「そう」
「ええ!?貴族って不敬なことするとすぐ怒るから気を付けてって言ってた母さんが一番失礼!!」
「私は特に気にしないわ。私はここで限られた人としか話さないから普通の貴族とは違うのかもしれない」
「ええ!!そういうものなんですか!?ってかそれでもそれで良いの母さん!!」
「シュゼットは昔からこうだったわね。アレットも。だから私もいつも楽しかったわ」
「ほら、マイア様とお嬢様がこう言ってるんだから良いのよ」
「そういうもの!?私なんのために使用人心得覚えたの!?」
「だって御三家のオルガン公爵家よ?私たちのせいでマイア様が恥をかいたら申し訳ないと思って。それにさっきお嬢様を可愛いって笑うのだって失礼でしょ」
「え!?そうなの!?貴族って面倒!!気難しいじじばばは向こうにもいたけど」
「それもなぜ興奮してるのかと不思議だったけどそれを咎めようとは思わないわ」
「良かったー。お嬢様が優しくて。私なにやっても不敬不敬不敬のオンパレードになるところでしたよ!!」
「仕事は侍女たちに聞けば良いわ。私はめったに外に出ないから不敬な使用人を咎められることもないし。もうしばらくしたら魔法局に行くけど危険な場所だから普通の使用人は連れていかないわ」
「「え?」」
「母さん、魔法局ってあれだよね。魔法の研究してるとこ」
聞かされていなかったマイアとこの国生まれのシュゼットは呆然とする。ロゼットが生まれ育った国では魔物は教会が支部ごとに管理しており魔法局はあくまで魔法の研究と子供の魔法測定をする場所だった。
一方この国での教会は平民が魔法のことと一般教養を学ぶことができる場所であった。ただ、地方では教会に魔法局の局員がいて測定する。
「国それぞれで役割が異なってることもあるの。この国では魔物の管理もしてるとこですごく危険な場所よ」
「そうなの?知らなかった。お嬢様そんな危険なとこに行くんですか?私向こうで魔物見たことあるけど私でも足がすくんじゃって助けが来なかったら危なかったですよ」
「ミレイア、それは本当なの?レアンドロ様が許可を?まさかミレイアに才能があるから無理矢理入れることにしたとか?」
「お母様に話していなかったのは私の婚約に関わることだからです。お母様がお父様や私とテオドール殿下との婚約のお話を落ち着いて聞けるまで話すのはやめておこうと思っていました」
「そ、そうだったの。気を使わせてしまったのね。ごめんなさい」
「いえ、ついでなので今お話しすると魔法局への入局は私が望んでお父様に頼んだことです。魔法の研究と調査をするためです。お父様はテオドール殿下と婚約し近衛騎士を私の護衛につけることができるまで屋敷から出ることも許可できなかったそうですから仕方なくテオドール殿下が8才になったら婚約することになりました。ただ私が出歩くのは危険なことに代わりないので公にはテオドール殿下が9才になってから婚約することになっています。私は裏口からこっそり出掛けて魔法局で研究をしてこっそり帰ってくるそうです」
マイアは今にも倒れそうなほど顔色が悪くなったがシュゼットに支えられる。
「お母様、平気ですか?」
「へ、平気よ。魔法が暴走しそうな感じもないわ。けれどやっぱり本当に魔法局に行かなければいけないの?移動も危険、行き先も危険なのよ?ミレイアが魔法の訓練に熱心なのはわかっていたからそれは頑張ったら良いと思っていたけれどそんなに研究がしたいの?」
「研究しなければならないのです」
「そうなの?ミレイアは指示するだけで研究は魔法局の専門家たちにやってもらうのはどうなの?」
「お父様にも言われました。それだと意味がないのです。それでもう話はついてますし陛下にまで話は通っています」
「そんな……。そうよね、レアンドロ様たちが決めたことを私がとやかく言う資格はないわね」
「お母様、これは私の我が儘です。そのように思う必要はありません」
「ミレイア……ありがとう。ごめんなさいこんな母親で」
「まあまあお二人とも!!考えを方向転換です!!魔法局は確かに危険なところですけどだからこそ優秀な人材が豊富な場所です!!そんなところにお嬢様が入れるなんてすごいじゃないですか!!ここは母親として褒めたり応援するところですよマイア様!!」
「そ、そうね、シュゼットの言う通りだわ。ミレイア、すごいわね」
「入局試験はこれから受けるのですが」
「ミレイアが受からないわけないわ。頑張るのよ」
「はい、ありがとうございます」
「お嬢様ってこの屋敷から出たことないんですか?」
ロゼットが聞く。
「ええ、そうよ」
「ええ……。窮屈ですねえ」
「そんなことないわ。魔法を使うのに庭には出ていたしそもそも外に出たいとも思ったことがないもの」
「そういうものですか。でも家にいるだけじゃやることも限られません?」
「私がすることといえば家庭教師が来て勉強するかそれ以外の時間に復習をするか本を読むか外商や仕立屋が来て対応するか、最近はお母様とお話ししたり刺繍をしたりもするけど、それくらいよ」
「奥様と過ごす以外真面目な過ごし方!!もっと他にないんですか?」
「ないわね……でもそうね、小説の中の女の子はお洒落が好きだそうだしヘアスタイルを変えるのには少し興味があるわ。今まで結ったこともないけど」
「ええ!?こんなにさらさらで綺麗な髪なのにもったいない!!そしたら私お嬢様をもっと可愛くヘアアレンジしますね!!貴族ってどんなヘアスタイルにするのか知りませんけど!!」
「ナタリーならわかるはずよ。あとで聞いたら良いわ。もうすぐ結婚して辞めるかもしれないけど」
「そうなのですか?」
ミレイアがマイアに話したようにヴィクトルとナタリーの話をするとシュゼットとロゼットはまた笑い出す。
「そんな無茶苦茶な恋のキューピッドある!?」
「お嬢様最高!!」
「そんなに面白いかしら」
「面白いですよー!!」
「そうなの」
ミレイアは2人に圧倒されつつも全く嫌な気持ちにならなかった。
そんな風に話していると再びドアがノックされた。マイアが答えると侍女長が入ってくる。
「お楽しみのところ申し訳ございません。そろそろ夕方になりますので二人に少し仕事の話をしたいと思うのですがいかがですか?」
「そうね。ありがとう」
「では、マイア様、お嬢様、私久しぶりの使用人業をしてきます!!」
「私も初めての使用人業始めます」
「ふふ、ええ、2人ともよろしくね」
「お嬢様、また後でお会いしましょうね」
「ええ」
こうしてシュゼットとロゼットが部屋から出ていくとマイアは退室しようとする侍女長を呼び止める。
「フロランス、私これまでのことを謝りたいの」
「奥様、奥様が使用人に謝るなどいけません」
「そ、そうよね、ごめんなさい」
「ですから」
「そうね、そうね。わかったわ。では、これまでありがとう」
「それも公爵夫人である貴方の言葉ではありませんが」
「その役目がこれまで果たせなかったからこその感謝よ。受け取ってもらえないかしら」
「承知いたしました。それでは感謝のお言葉を頂戴いたします」
侍女長が屋敷に来る前にミレイアの魔力測定がありレアンドロという王族の血を引くことから当然ともいえるがそれに匹敵するような莫大な魔力が測定された。生まれた時まだ不安定で正確な量はわからなかったものの優れた感知魔法の持ち主であるマイアにはとんでもない力だとわかっていた。そして3才で同世代の中で群を抜いていると証明されてその頃既にミレイアから離されていたマイアにも測定結果を説明されたがミレイアがさらに手の届かない遠くにいってしまうような不安から荒れ具合も酷かった。
そんな時にフロランスが侍女長として公爵家に来た。自身も比較的強い水魔法を持つ彼女は初日に炎を暴走させるミレイアに水をぶっかけた。一瞬戸惑ったマイアの側に寄ると自分は伯爵夫人だったが侍女長として雇われたことと使用人たちの管理だけは全て行うがあくまで侍女長として統括するだけで女主人は貴方だと繰り返した。気が動転したマイアはすぐにまた魔力を暴走させたため話はそこまでになった。それ以降は自身の話をすることはなかったがずっと侍女長として根気強くマイアと接し続けた。
「今さらだと思うけれど私にできることがあればさせてもらえないかしら」
「なにをおっしゃっているのやら。ここの女主人は貴方です。私は侍女長としての仕事しかしておりませんよ。貴方が本来の貴方に戻っても自分がいなくても様々なことが回っていくと思ったら戻ったところで意味がないでしょう。必要最低限のことは旦那様とお嬢様が行っており、私はあくまで侍女長です。できることではなくやらねばならないことは山のようにありますができることからやっていきましょう。よろしいですね」
「ええ。フロランス、貴方って一体何者……というのもおかしいけれど、初めから私を恐れず滝のような水を被せてきたし……」
「私は先代国王の遠縁で王太后の侍女をしていた経験のあるただの元伯爵夫人です」
「王太后様の……!?」
「はい。息子のレアンドロ様を心配して結婚して侍女を辞めていたにも関わらず私に度々文を送ってきておりました」
「そ、そうよね。やはり反対しておられたのよね」
「いえ、反対していたのではなく心配していたのです。レアンドロ様のことも貴方のことも」
「私も?」
「貴方の母親は社交場では立派に公爵夫人として振る舞われておりましたが女性たちの間には噂が広まりやすいのです。彼女が使用人に過度な暴力を振るっているというのは噂になっておりました。王太后の指示で私も密かに調べオースティン伯爵家に匿われた使用人たちに接触し話を聞くことができました。貴方のことを話すとみな口を揃えて信じられないと言いました。ですが同時にそれが本当なら一番傷付いているのは貴方だろうと。貴方は傷付けられる使用人たちを見て自分のことのように苦しんでおられたそうですね。そんな貴方が誰かを傷付けて苦しまないはずがないとみな言っていましたよ。それを知った王太后は貴方が本来の貴方に戻るまで見守ることにし、貴方が幼少期から見続けてきた母親と父親の呪縛から解き放たれてレアンドロ様と幸せになれることを信じることにしました。ただ、放っておくわけにはいかないからと私を侍女長として貴方のそばにいさせることにしたのです。とはいえ私が貴方にできることはありませんからただいるだけですが」
「そうだったのね……。ごめんな……いえ、では、まず最初にやりたいことがあるわ」
「なんでしょう」
「レアンドロ様と話したいの。けど帰ってこられないのかしら」
「帰ってきてはおりますよ。深夜に帰って早朝に出ていかれるだけです」
「そうなの。ではお手紙をお渡しすることはできるかしら。やっぱり直接お話したいから手紙にはこれまでの謝罪を書いてお話する時間を少しでも良いから作ってもらえないかって」
「奥様のためなら時間はいくらでも作りそうですがそうしましょうか。レアンドロ様が帰ってこられたらお渡しします」
「そういえば私、お父様にお母様と話せそうになったら話せば良いと言いながらいつ話せますと伝える手段を考えてなかったわ」
これまで空気のように椅子に座って話を聞いていたミレイアが言う。
「意味はないけれど、私も今お母様とお話するチャンスですと手紙を書こうかしら。フロランス、ついでに渡してくれる?」
「はい。お嬢様からのお手紙喜ばれるでしょう」
「手紙というか、その一言しか書くつもりはないけど」
「一言でも宝物にしそうですよ」
「そうなの。ではそうするわ」
そうしてマイアとミレイアからの手紙はその夜侍女長からレアンドロに手渡された。レアンドロはミレイアの手紙は大切にしまい、マイアの手紙を持ったまま寝てると思いつつマイアの部屋を訪れた。
レアンドロが手紙を読んだか、読んでどう思うかが気になり起きていたマイアはレアンドロを部屋に招き入れ、そして2人は話をした。長く尽きない話は朝まで経っても終わらず、明け方様子を見に来た侍女長が見たのは幸せそうに笑い合う2人の姿だった。