家庭教師の事情
ミレイアは午前中マイアの食事が終わってからの時間マイアの部屋で過ごすようになった。
ミレイアの刺繍の腕はさほどなかったがマイアにとってはミレイアと過ごしていることが安らぎになっていた。自分のペースを崩さないミレイアが勉強するからと自分の部屋に帰ってから1人になるとふとした瞬間に魔力が暴走してしまうこともあったが使用人や護衛たちはもうマイアを恐れることはなかった。
アニマルセラピーというよりミレイアセラピーだった。
そしてヴィクトルの授業の日になった。
「お嬢様、魔法局入局の許可がおりたそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。もうお父様からお話が?」
「はい。もう殿下のチョーカーを外すことも決定しました」
「そうなの?それでは婚約のことは?」
「大丈夫です。公には殿下は8才でチョーカーを外しますが念のため婚約は9才の時にするということになりました。私を含めわずかな者にのみ事実は伝えられています。というわけですので殿下の誕生日今から9ヶ月後に内々に婚約となります。妃教育は公になってからなので私の授業は変わらず続きますよ」
「外に出られるのですよね?」
「はい。レアンドロ様がお嬢様を護衛をつけずに外出させたくなかっただけで決まり事ではありませんから。ただお嬢様が魔法局に出入りしているとわかれば誰かに狙われてしまう恐れがあるので裏口から出て公爵家の馬車とは別の装飾のない馬車を用意して出掛けることにするそうです」
「そうなの」
ヴィクトルは夢のお告げの話は聞かされていなかったがレアンドロは至極全うな理由をつけてミレイアの約束を守ることにした。もちろんそれがあろうとなかろうとレアンドロからしたからミレイアを危険から遠ざけるのは当然のことだった。
「殿下とお会いになるのも極秘だそうです。婚約者となる際にご歓談に行きますが一部の者にのみ知らされて護衛も少数精鋭です」
「それは必要なのですか?」
「護衛は必要ですよ。国王陛下と妃殿下が同席するのですから」
「そうではなくそのご歓談は必要なのですか?極秘にするくらいならやらなければいいではないですか」
「婚約は儀式などがあるわけでなく書面で交わされるだけです。せめてその直前に対面するというのは正式な行事です」
「そうなのですか。仕方ないですね」
「そう言わずに。テオドール殿下も楽しみにされていますから」
「別に私は婚約したくてお父様にお願いしたのではなく魔法局に入ることをお願いしたのです」
「それはわかっていますが……。まあ、良いです。とにかく今日からは魔法局への入局試験の勉強をしましょう。本来学園を卒業した者が試験を受けるのでレベルは高いですがつい最近の前例がありますからお嬢様も問題なく大丈夫でしょうね」
「前例?」
「以前お話ししました魔法局局長の息子ですよ。彼はお嬢様の1つ下ですが既に魔法局に入っています」
「そうなのですか?私よりずっと優れてる人はたくさんいるのですね。お母様も私より小さい時に物に魔力を纏わせることができていたそうですし」
「お嬢様が人並外れて優れていることには変わりありませんよ。シャルル様、シャルル・アーティス様は可愛い顔の皮を被った悪魔ですから比べてもしょうがないです。ああ、シャルル様は闇魔法を善に使いこなしているのであくまでも例えですが」
「シャルル様……面倒そうなので関わらないようにします」
ミレイアはこの通り人とまともに話したことが少ない。レアンドロとマイアと話せたものの自分より小さい、しかも面倒そうな性格の人とはあまり関わりたくないと思った。それに無表情な自分の顔が怖くて泣かれてしまうかもしれない。
「お嬢様は結局あまり表情に変化がありませんね。アニマルセラピーでなんとかなると思ったのですが」
「いえ、効果はあります。お父様とお母様とお話しして嬉しかったです」
「へえ、そうですか。楽しかったですか?」
「だと思います。お父様もお母様も私に会いたがってくれていたと」
ミレイアは大事にしまっている2人からの誕生日プレゼントを持ってきてヴィクトルに見せる。
「お母様は毎年作ってくれていたそうです。ここ数日はお母様と一緒に刺繍をしています」
「そうですか」
ヴィクトルは表情は変わってないが嬉しそうなミレイアを見て安心した。数日ぶりに屋敷に来ていつものような叫び声や火の粉が飛んでくるというようなことがなかったがミレイアの様子を見て納得した。ヴィクトルはこれまでマイアを恐れていたがこの様子では自分は彼女のことをよく知らないまま恐れていたのだなと思った。
「ああ、そういえば魔法局のお偉方にも話が通って伯父から連絡がきましたよ」
「伯父様?」
「以前話した光魔法の権威です」
「ああ、はい、以前聞きましたね。親戚とおっしゃっていた」
「そうです」
「どのような方なのです?」
「どんな……んー、前スネイガン公爵です」
「はい?」
「お嬢様と同じく御三家の1つですよ」
「先生はスネイガン公爵家の方だったのですか?」
「分家の1人なだけですよ。数百年前初代国王と共に国を創った初代オルガン公爵、ハーレイン公爵、スネイガン公爵の息子たちがそれぞれ爵位を持って代々継がれてきました。私はスハーデン侯爵の次男なのですが前スハーデン侯爵に男の子供が生まれなかったのでスネイガン公爵家の次男だった私の父がスハーデンの婿養子になりました。なので光魔法の権威である前公爵は私の伯父にあたりますね」
「そうだったのですか」
ヴィクトルは昔から貴族らしいことをしたことがあまりなかった。ただ社交嫌い魔法大好き研究大好きな親戚たちともまた違っていた。
「私の親戚たちはみんな魔法や研究が好きで研究のためなら権力なんていらない変わり者たちでしてね。お嬢様のお祖父様世代の御三家は先代国王になんでも言うことを聞こうって言われたんだそうで、伯父が研究させてほしいと頼んだら許可する代わりに今の妃殿下に魔法を教えるように言われたそうです。まあ本当に何でも言うことを聞くだなんて陛下の台詞ではないのでそんなようなことをおっしゃられただけだと思いますけど。伯父は好きなこと以外いい加減な人なので。それで妃殿下が嫁がれるまで教えたあと早々に息子に跡を継がせて魔法局に籠るようになりました。さらに伯父から跡を継ぐよりずっと前に私の従兄は自然の中での研究に勤しむため領地に引っ込むと宣言しました。そうやって第一線を退こうとする彼らを引き止め先代国王はこう言ったのです。数百年王家の直属として側で支え続けたスネイガン家が第一線からいなくなるのは困る、本家でも分家でも既に婿入りした者でも誰でも良いから王家に仕えてほしいと。みんな困りました。せっかく好きな研究に没頭できると思ったのにと。そこで目をつけられたのが私です。私はそこまで研究好きというわけではなく教師になりたいと思っていて学園を卒業して学院で2年間勉強して資格を取りました。学園の教師でもどこかの貴族の家に雇ってもらうのでもなんでも良かったので就職先を探そうと思っているところに父にとっておきの就職先があると言われて連れていかれた先が王宮でした。そこでテオドール殿下の家庭教師だと言われた時は即刻お断りしました。ですが私の親族たちはこの時を狙っていたそうです。通りで親族みんなやけに教師になろうとする私に差し入れしたり大袈裟に応援してきたわけだとその時初めて知りました。伯父が妃殿下を優秀な光魔法の使い手にしたことと私が教師を目指すのを知った先代国王が王族の教師という役目を思い付いたそうです。結局数年掛かりの囲い込みに逃げることができず、といっても4才になるまで殿下に教えることもないので王宮で文官をしながら学園で非常勤講師をしたりわりと自由に働いていました。忙しくなったのは殿下が4才になって教え始めてからです。宰相や騎士団長や魔法局の局長から立て続けに自分たちの息子を押し付けられたのです。宰相の息子はダミアン・アビンソン様、騎士団長の息子はジョセフ・カルセル様というのですがどちらも殿下の学友になる子供たちだから優秀になるように教育してほしいと。でも本音はいつも断りきれない私に厄介なことを押し付けようと思ったからでしょう。殿下を教え始めれば文官の仕事もなくなるだろうと思ったのですが上司に引き止められお断りしたもののなし崩しに仕事を押し付けられていました。シャルル様たちは一見無害に見えて悪知恵の働く悪ガキでしたから困っていたのだと思います。さらにレアンドロ様まで王家とは関係なく公爵家でも雇われてくれないかって便乗してきましたし。王族の教師は副業問題ないからって。それはもう十分すぎるほど知っていたので断る気力も出ませんでした」
「先生は苦労されていたのですね。そんなにお忙しかったなんて知りませんでした」
「レアンドロ様が回復魔法かけてくるので体はすぐ疲労回復してしまいますから。精神的にはぼろぼろです」
「先生もアニマルセラピーしますか?」
ミレイアは床で丸まっていたカミニャンを抱き上げるとヴィクトルに渡す。
「そうですね。ありがとうございます」
ヴィクトルはカミニャンを膝の上に乗せて撫でる。
「ああ、動物を飼おうかと考えてしまいますね。忙しすぎて中々構えないのがわかってるので飼えませんけど。でも癒しがほしいです」
「癒し」
「可愛い彼女もいいですね」
「可愛い彼女」
「お嬢様に言う話じゃないですね」
「先生は結婚しないのですか?」
「そろそろしたいですね。28なので30才になる前には。兄が爵位まで押し付けてこようとしますけどそれはさすがに本気で断ってますし婿入りできる家の女性でもいれば良いんですけど」
「婿入り」
「できれば男爵とか子爵くらいが良いですね。って女性に失礼ですね」
「男爵、子爵」
ミレイアは思い付いて授業中開けているドアから部屋の外に出てちょうど荷物を持って歩いていたエマという侍女を呼び止める。
「エマ、あなたは伯爵家の生まれよね」
「はい、さようでございます」
「ナタリーは子爵家だったわよね」
「え?あ、はい」
ナタリーというのはミレイアの誕生日に初めてカミニャンに相対した侍女。このエマという侍女はナタリーの後輩だ。
「ちなみにあなたは伯爵家だけど結婚に興味ある?」
「え、伯爵家だけどとはどう意味です?私は結婚しませんが」
「そうなの?」
「はい!!働く女性を目指すのです!!侍女長みたいなかっこいい侍女に!!」
「彼女は結婚してるわ」
「良いのです、私は結婚しないで働くと決めてるのですわ!!」
「そうなの。まあ良いわ。それならナタリーを呼んできてちょうだい」
「かしこまりました!!」
エマがナタリーを呼びに行くのを見届けてから部屋の中に戻ったミレイア。
ヴィクトルはわけがわからずミレイアにどうしたのかと聞くがミレイアは後で話すとしか言わない。
そうしてしばらく部屋で待っていた。
「お嬢様、ナタリーです。お呼びと聞いて参りました」
「待ってたわ。来てちょうだい」
「はい」
ミレイアの授業中はミレイアから離れて色々な仕事をしているナタリーがやってくるとミレイアはナタリーを側に呼ぶ。
わけがわかっていないヴィクトルとナタリーは困惑する。
「ナタリー、あなた子爵家よね」
「え?あ、はい。名ばかりですけれど」
「結婚は?」
「結婚……しないといけないのですが」
「婚約者は?」
「それが年上の婚約者がいたのですが他の方と駆け落ちしてしまって。私は3姉妹の長女なので婿をとらなくてはいけないのですがなかなか」
「あら……。でもそれは良いわ」
「お、お嬢様まさか」
ヴィクトルはミレイアの考えに気付いて狼狽える。
「ナタリー、あなたヴィクトル先生を婿にしたらどう?」
「え!?」
一方さっぱり話が見えなかったナタリーは驚いて固まる。
「お嬢様、無茶苦茶にもほどがありますよ」
「なぜですか?先生は癒される可愛い彼女を作って結婚したい。ナタリーは家を継ぐ婿がほしい。完璧ではないですか。ナタリーは可愛くないですか?」
「いえ、可愛らしい女性だと思いますけど」
「何も強制してるわけではないですけど。ナタリーはどう?」
「え?はい?何がなんだか」
「だからヴィクトル先生は癒される可愛い彼女を作って結婚したい。ナタリーは家を継ぐ婿がほしい。それなら2人がくっついたら良いのではないかと思っただけよ。別に政略結婚じゃないのだから恋人になって結婚を考えたらいいじゃない」
「ええ!?お、お嬢様、ヴィクトル様はスネイガン公爵家に連なるお方ですわよ!?」
「知ってるわ」
「そ、そのようなお方がうちになんて婿にきてくださるわけないではありませんか!!」
「あ、いえ、私は実家を継がされなければ何だって良いので」
「先生は男爵家か子爵家が良いそうよ。この家にはナタリーの他にもいるけれどナタリー以外今誰が屋敷内にいるかわからなかったの」
オルガン公爵家では御三家としては多くない数の使用人が働いている。その中でミレイア付きなどとは決まっていないがナタリーはミレイアのそばに仕えることが多く、ミレイアは子爵家と男爵家の令嬢の他の者が出勤日なのか休みなのかわからなかったのだ。
「ナタリーは先生は好みではないのかしら。小説には面食いという人がいると書いてあったし貴方もそう?」
「え、私は殿方のお顔の好みなどは特に……婚約者と結婚するものだと思っていましたし。それにお嬢様はご存じないと思いますけれどヴィクトル様はいつもぐったりしておりますがその憂いを帯びた表情がまたかっこいいですしお家柄も素晴らしくお仕事でもご活躍されていてみんなかっこいいと言って大人気なのです」
「あらそうなの。じゃあ良いじゃない」
「えー!?何も良くないですけど!?あ、こほんこほん……」
「こういう時は今度お食事でもと言うのではなかったかしら。先生おっしゃってください」
「ええ……えっと、私で良ければ今度食事でも」
「なっ!?……わ、私こそ私で良ければ喜んで」
「なるほど。こうして政略結婚じゃない恋愛というのが始まるのね」
ミレイアは恋愛小説も読む。これが現実の恋愛かと思うミレイアだったが、ヴィクトルの膝の上から降りていたカミニャンは全然違うと思うのだった。