母親
翌日ミレイアは早速マイアの元に行くことにした。
最近のミレイアの様子に侍女たちはすっかりミレイアに怯えなくなり、カミニャンを頭に乗せるミレイアをひたすら可愛いと思っていた。
そんなミレイアが朝食のあとマイアの部屋に行くと言い出し侍女たちは慌てる。
「お嬢様、それは止めた方が……危ないですし」
「大丈夫」
「最近さらに荒れて手がつけられなく……」
「魔物を相手にするわけではないのだから平気よ。私にはシールドもあるし」
「そんな……」
止めようとする侍女たちを気にせずスタスタとマイアの部屋に向かうミレイア。
マイアの部屋に行くと侍女や護衛たちが叫んだりマイアを宥めようとしたりしていた。
「奥様、お食事を……キャッ」
「奥様、落ち着いてください……あ、熱っ」
ミレイアは食事前だったかと後でまた来ようと思った。
「奥様、昨日も何も召し上がっておりませんし、熱……あの、少しだけでも」
引き返そうとしたミレイアはそのままマイアの部屋に入ろうと部屋の前にいた侍女たちの間を進む。部屋の中は真っ赤に燃え、炎の中にマイアがいた。突然ミレイアが入ってきたことに侍女たちは狼狽した。
「お、お嬢様?あ、危ないです」
「危ないのはあなたたちよ。下がっていて」
ミレイアは頭に乗るカミニャンと自分を囲うように球体のシールドを展開させながらマイアに近付く。
「お嬢様」
「お嬢様、お止めください」
護衛たちも声をかけることしかできない。
マイアは泣きそうな表情だったが近付いてくるミレイアに気付いて目を見開く。
「お母様、ミレイアです」
「ミレ……イア?」
「はい。お母様の娘です」
暴れているマイアを見ることはあっても対面することは初めてだった。ミレイアは鏡で見る自分と似た赤い髪に赤い目をして自分よりもつり目風のマイアに自分は将来この人のように狂うのだろうかと冷静に考えた。
「ミレイア……」
「ミレイアです」
「どうして……いえ、来ては駄目よ、早く向こうに」
「大丈夫です。シールドを張っているので」
昨日レアンドロが言ってたように炎の中のマイアは悲しそうで傷付けたくて荒れているとはまったく思えなかった。むしろ制御できない炎で誰かが傷付くのを悲しんでいるように見えた。ミレイアはそのままマイアの目の前までいくとマイアの右手を握る。
「大丈夫です。私は傷付きません」
「あ……」
炎が消えマイアが膝から崩れ落ちる。ミレイアはとっさのことにどうすることもできなかったが握っていた手をくいくいと引いてみる。
「大丈夫ですか?立ち上がれますか?」
呆然としていた侍女と護衛たちだったが慌てて駆け寄ってきた。
「お、奥様、大丈夫ですか?」
護衛の1人がマイアを立ち上がらせベッドに座らせる。
「誰か回復魔法は?」
「わ、私が」
ミレイアに聞かれもう1人の護衛がマイアに回復魔法をかける。びくびくしているその護衛にミレイアは聞く。
「貴方、大丈夫?」
「は、はい。すみません。いつも魔力を使いすぎて気を失ってからでないと近付けなくて回復魔法を使えず……起きてる時にいつ暴走するかと」
「そうなの」
当のマイアはミレイアを見たまま依然呆然としていた。
「回復魔法かけ終わりました」
「ありがとう。下がって良いわよ」
「は、はい」
この家の護衛たちはレアンドロが婿入りした時に騎士団から引き抜いてオルガン公爵家に雇われた者たちだ。王族の婚約者になった際つけることができる騎士は一線を画す者たちだがこの者たちだって引き抜いたほどであるくらいに強い。
騎士団の中には近衛騎士という王族を直接守る者たちがいる。その中で特殊魔法を持ち優れた魔法の使い手であり剣士であり知性もあるそのどれもが人より遥かに優れた限られた者が特級近衛騎士、特級近衛騎士ほどではない、もしくは特殊魔法を持たなくても優れた騎士を上級近衛騎士と呼ぶ。この上級近衛騎士が婚約者につけられる護衛だ。
彼らは王族の婚約者を誰からも傷付けさせず守ることが使命であると同時に騎士団全体的に女性に手荒な真似をしてはいけないという決まりがあった。というのも国が荒れていた時代婚約者の家を失脚させようと婚約者の女性を傷物にしようと企む者が護衛についてるはずの騎士をけしかけてしまったことがあったからだ。ちなみに今では仕事はきっちりしてるもののプライベートは酷いというものはいるが王族の婚約者に無体を働くような者は騎士団にはいないが今でも違う意味で残っている決まりだ。
というわけで荒れ狂うマイアを押さえつけたり魔法をぶつけたりして止めることに抵抗があったのだ。結果優秀であるはずの騎士たちが機能しないという状況だった。この家に引き抜かれた元騎士たちも彼らから話を聞いておりただ強大な魔法に怯える使用人たちに被害がいかないようにするくらいしかできてなかった。無能でも弱いというわけでもない。ということを理解しているミレイアは侍女たちと護衛たちに言う。
「みんな、私は大丈夫だから楽にしてちょうだい。お母様と話したいだけだから。あ、その食事はもらうわ」
ミレイアが侍女の持っていた食事を受け取ろうとドア付近に歩き出す前にその侍女はすばやく動きテーブルに支度を済ませた。
「ありがとう」
「いえ!!」
彼女はお茶を2人分入れると部屋の外にすばやく戻った。なぜカップがもう1つあったのかというとミレイアについてきていた侍女がこの騒動の中準備してきたからだ。
「お母様、まずはお茶を」
ミレイアがマイアに渡そうとベッドに座るマイアの隣に立ち紅茶に手を伸ばそうとするとマイアに抱き締められる。
「お母様?」
「ミレイア。本当にミレイアなのね。私の愛しいミレイア」
ミレイアは突然のことに呆然としながら昨日のレアンドロよりも力が強い気がすると感じた。頭の上にいたカミニャンはストンと床に飛び降りていた。
「お母様」
「どうしてここに?レアンドロ様が許可を?」
「えっと、お父様にはお母様のところに行くことは伝えていますよ。昨日お父さ……わわ」
急にマイアから火の粉が噴出してシールドを解いていたミレイアはそれほど驚いている風には見えなくても動揺してマイアから離れる。
「お母様、どうなさったのです?」
「あ、ああ、ごめんなさい、ミレイア、ごめんなさい」
「いえ、私は平気です」
ミレイアはマイアと同じ火の魔法持ちだ。同じ属性を持つため炎のような強力な魔力を使う魔法を使われない限りは簡単に相殺できる。
だが怯えるように震えてしまうマイアにミレイアの膝の上にカミニャンを乗せてみた。
「ね、猫?」
「はい。カミニャンです」
「カミニャン」
「そうです。最近飼い始めました」
「そうだったの。可愛いわね」
「はい」
カミニャンを撫でて少しだけ落ち着いた様子のマイアの隣にミレイアも座る。
「なぜ先程のタイミングでまた魔力が暴走したのでしょう」
「ごめんなさい」
「いえ、単なる疑問です。ですがまあ良いでしょう。昨日お父様とお話をして」
その瞬間再びマイアから火の粉が飛び出す。
『どうやら貴方のお父上の話を聞くと魔力が制御できなくなるようですね』
「お母様、お父様のお話を聞くのが嫌なのですか?」
「ごめんなさい、うまく制御できなくて」
「お父様が許可を出したのかと聞かれたので答えようとしているだけなのですが」
「そうよね、ごめんなさい」
『別に貴方に聞くつもりで口にしたわけではないのでしょう。それに矛盾したことをするのが人間です』
『そうなの』
「お母様、今日お母様に会いに来たのはお父様の話をするためです。なのでどうにか頑張ってください」
「そ、そうなのね。ええ、わかったわ」
カミニャンはマイアのお腹に頭をスリスリさせる。マイアはその様子にほっとしたような笑みを浮かべてからミレイアを見る。
「レアンドロ様がどうなさったの?」
「はい。お母様は国王陛下のことが好きなのですか?」
「え?陛下……リュシアン殿下のこと、あ、そうよね、陛下。ええと、陛下のことが好き?私が?」
「はい」
「陛下のことは別に……」
「好きではないのですね。ではお父様のことは好きですか?」
「え、ええ、好きよ。でもレアンドロ様はディアナ様のことが……」
「どうしてお父様が王妃様のことを好きだと思うのですか?」
「それは……いつもレアンドロ様はディアナ様とばかりお話をしていて」
「陛下も一緒でしたよね」
「そ、そうだったかしら?」
『これはあれですね。好きな人しか見えてなかったようです』
「お父様は会う時は毎回4人だったと言っていました」
「そうなのね……」
「はい。お母様はきちんとお父様とお話しするべきです」
「でも嫌われていて」
「大丈夫ですから。なぜそんなに嫌われていると思うのですか」
「子供の時からレアンドロ様と親しいディアナ様にいろいろしてしまって。ディアナ様が王妃になるために努力されているのはわかっていたけれどレアンドロ様に想われているディアナ様が憎くなって自分でもどうしてかわからないくらいイライラして止まらなくなって。だけどディアナ様を傷付けたいと思ってるわけじゃなくて、なのにディアナ様の前に立って私から守ろうとしているレアンドロ様に悲しくなってもっと魔法が制御できなくて……」
『カミニャン、こういう時はなんと言えばいいのかしら』
『そうですね。とりあえず先程のように手を握って差し上げたらどうです?』
『わかったわ』
カミニャンの言う通りマイアの左手を両手でそっと握る。
「こんなに大きくなったのね、ミレイア。もうディアナ様のお子様のテオドール殿下と婚約したのかしら」
「まだです」
「そう。では9才の時になったのね」
「あ、それはまた違うのですが」
「それならもうすぐなのね。やっと会えたのに遠くなってしまうわね」
「やっと?遠く?」
「貴方は王家に嫁ぐ尊い子。私にとって尊い子だけどお父様にとっては王家と縁付くための存在なの」
「お父様というのはお祖父様のことですね」
「ええ、そうよ。私の妊娠がわかってから病床でいつも言っていたわ。結婚する前から言われていたけれど。私は魔力量が多い女の赤ちゃんを生まなければいけないって。だけど結婚するまで私は赤ちゃんよりレアンドロ様に振り向いてほしくてそればかりだった。でも……貴方の魔力を自分の中から感じて貴方の存在が何より大切になって貴方のことを愛しく思って。生まれて改めて貴方の魔力の多さに怖くなったの。この子はすぐに私の元から離れて王家に取られてしまうって。そう思ったらまた魔力が制御できなくなって、そしてレアンドロ様は私から貴方を取り上げたの。お父様が言っていたように王家にとって大事な存在を私という脅威から守るためだとわかっていたけれど悲しかった。辛くて頭がおかしくなりそうだったの」
「お父様がそうおっしゃったのですか?」
「侍女の子たちがこれはレアンドロ様の指示ですって。お母様が昔言ってたの。貴族の子供は親の道具だって」
『困ったわカミニャン。私は何を言えば良いの?』
『そうですね。とりあえず貴方のお父上に丸投げしましょう』
『わかったわ』
「お母様、私は王家に嫁いでもお母様の子です。えっと、あとはその、お父様とお話ししてください」
「そうよね……でも自信が……」
「今すぐでなくて良いですから。私も毎日カミニャンを連れてお母様に会いに来ます。だから少しずつ魔力を制御できるようにしましょう」
「ええ、ありがとう。嬉しいわ」
ミレイアはほっと息をついて紅茶を一口飲む。
「あら、冷めてしまいましたね」
ミレイアがそう言うと部屋の外で様子を伺っていた侍女たちが慌て出す。初めて聞くマイアの話に呆然としていたのだ。
「申し訳ございません奥様お嬢様!!すぐ新しいものを用意します!!」
「お食事もすぐに!!」
「私は平気よ。猫舌なの。これくらいがちょうど良いわ」
そう笑ってマイアが紅茶を飲むと再び侍女たちが慌て出す。こんな奥様見たことないと。
実際今いる使用人の中にマイアが7才で婚約する前から働いている者はいない。あの頃のマイアは使用人を怒鳴りつけたり暴力を振るう母親から使用人を庇っていたほど心優しい少女だったのだ。
だからといってこのままというわけにはいかないと侍女たちは新しい食事とお茶を用意し始めた。
「ミレイアは魔力を球体に変化させるところまでもうできるようになったのね」
「いえ、体に纏わせることまでできます」
「そうなの。素晴らしいわ」
ミレイアはなぜかわからないがヴィクトルに褒められた時より何倍も嬉しい気がした。嬉しくてはにかむミレイアをマイアは優しい目で見つめる。
「さすが私の子ね」
「お母様はいつどのくらいまでできるようになりましたか?」
「そうね、6才になる前に物に魔力を纏わせることはできたわね」
「え」
「3才の時魔力測定に来てくださった方が指導してくださったの。訓練すれば自分より優れた使い手になるかもしれないって大袈裟なことをおっしゃっていたわ。先生は若かったのに既に優れた感知魔法の使い手でね。精神に作用する闇魔法まで感知することができる素晴らしい人で忙しい合間を縫って私に教えを授けてくださっていたわ。そのおかげでこうやって集中して魔力を込めると……あら?」
目を閉じて魔力を込めていたマイアはその状態のまま首をかしげる。
「見たことのない魔力があるわ」
「え」
まさか魅了魔法かとミレイアとカミニャンはマイアを凝視する。
「黄色……オレンジ……変化してる?わけないわよね。あ、ごめんなさい、久しぶりにやって調子がおかしいみたい。気にしないでね」
「そ、そうですか」
魅了魔法を感知できたのかそうでないのかわからなかった。
『念のため方向を聞いてください。あとどのくらいの範囲を感知できるのかも』
「お母様、今の魔力はどちらの方角から見えたのですか?」
「え?えっと、向こうからよ」
そう言ってマイアが正面を指差す。
「お母様はどの辺りまで感知できるのですか?」
「子供の時は集中したらこの国全て可能だったけどそれは訓練を積んでいた時だから今は無理だと思うわ。今感知したのはここから3000ヘイルくらい離れた距離までよ」
3000ヘイルは王都から馬車で30日ほどかかる距離だ。
『サラが住んでる場所が入ってますね』
『じゃあやっぱり魅了魔法……』
『可能性が高いです。黄色、オレンジ、色が変化する。有力な情報と言えるでしょう』
ミレイアがカミニャンと話しているとマイアはカミニャンをミレイアの膝の上に乗せてベッドから立ち上がる。
「あ、お母様?」
マイアは引き出しから布をいくつか取り出すと戻ってきて再びベッドに座る。
「はい、7才の誕生日おめでとう」
そう言ってミレイアに渡したハンカチには花とミレイアと綴った刺繍がされていた。
「お母様、これは」
「それからこれは6才の誕生日、そして5才の誕生日、4才の誕生日、これは3才の、2才の、1才」
1枚ずつミレイアに渡していくハンカチにはそれぞれ違った刺繍と名前が刺されていた。
「何度も自分で燃やしてしまって作るのに時間がかかってしまったけれどどうにかいつも貴方の誕生日には用意していたのよ」
「ありがとうございます」
ミレイアは嬉しかった。こんな母親にはならないと思っていた母親はとても優しい母親で、自分はこんなに愛されていたのかと思った。
「ミレイアは刺繍をする?普段何をして過ごすのかしら」
「えっと、刺繍はしたことがありません。普段は家庭教師の先生が来て勉強を教わる以外は本を読むか授業の復習をするかで」
「そう。勉強熱心なのね。偉いわ」
「いえ……」
お母様というのはこういうものなのかとミレイアは心がポカポカ温かくなる気がした。
「ミレイア、刺繍をやってみない?一緒に」
「一緒に……はい、やります」
「ええ、そしたら明日からやってみましょう」
その時侍女たちが新しい食事とお茶を持ってきててきぱきと準備をした。
「あ、それでは私はそろそろ」
食事をするなら出ていこうと思って立ち上がろうとしたミレイアにマイアは紅茶を飲んでからにしたらと勧めた。
「あ、はい」
「ミレイアの話を聞かせてもらえないかしら」
「私の?」
「ええ」
「何の話をしたらいいのか」
「どんな本を読むのかとかどんな勉強をしてるのかとか何でも良いの」
「本」
『お父上に話した本のことは話してはいけませんよ』
『わかったわ』
「それでは勉強の話をします」
ミレイアはヴィクトルから教わった勉強の話をして結局マイアが食事を終えるまでゆっくり過ごした。