名門御三家
「お父様が?」
ヴィクトルの授業がない日のミレイアの1日は授業がある日とそれほど変わらない。
基本的に自室で本を読んだり授業の復習をして、たまにレアンドロと連絡を取っている外商や仕立て屋が来てミレイアの服や小物や本を買ったりするくらいだ。本は自分で選ぶものの当然服や小物の好みなどミレイアにはない。仕立て屋や外商が薦めるものに頷くだけだ。
それが今日は違うようだ。
「はい。旦那様の都合がついたそうで今日は早くにお戻りになるそうです」
「そうなの。わかったわ」
ミレイアが会いたがっていると聞いたレアンドロが詰め込んでいたスケジュールを逆に開けて早く家に帰れるようにしたのだ。規則正しい生活をしているミレイアに対して深夜に帰って早朝に出ていくレアンドロがミレイアに会うのは実に3ヶ月ぶりだった。
「お嬢様が会いたがっていると聞いて喜んでおられましたよ」
レアンドロはどう接したら良いのかわからない娘に会いたいと言われて傍目にもわかるほど浮かれながらスケジュールを調整していた。
もっともミレイアは話があると言ったのであって会いたいとは言ってないのだが。案の定。
「私会いたいとは言っていないのだけど」
「はい?」
『言ったということで良いでしょうに。喜んでいるのですから』
すかさずカミニャンが指摘する。
「なんでもないわ。今日も朝食を食べたら図書室に行くから」
「かしこまりました」
今日もカミニャンと朝食を食べる。ミレイアはご飯の味を感じるように味わって食べるようにした。ミレイアは味覚を感じていないわけではないがそれを美味しいと思ったり好きな味だと思うことがなかった。
だが改めて意識しながら食事をしていると今まで考えてなかったが自分が好んでいたと思われるものは確かにあり、それをカミニャンに話すつもりが言葉に出して美味しいと言うのを聞いた侍女たちが驚いたりあとから聞いたシェフが驚きと感動を味わったりした。
今日の朝食も終わり図書室に行こうとする時にミレイアはふと思いカミニャンに聞く。
『そういえば食事は初めの流れから貴方を連れていくのが当たり前になっているけれど一度自室に戻って待ってる?』
『いえ、魅了対策のヒントを探しに行くのでしょう。私もついていきます』
『文字は読めるの?』
『当然です』
『そうなの。それから今日はお父様と話ができることになったけど貴方もついてくるの?』
『そうですね。そうした方が良いでしょう。私は神の使いですが全てを把握できているわけではありません。天上から神が知った出来事を神と意識を繋げて知ることはできますけど近くで起きることなら自分で見聞きした方が早いですし。実際あの家庭教師の話のような現在の状況などは私も知らないことばかりです。しかも貴方はコミュニケーションのコの字もありません。そんな貴方が父親と母親の仲を取り持つことができるとは到底思えません』
『私もそんなような気はしていたわ』
『ですよね』
『けど問題が1つあって』
『何でしょう』
『貴方をずっと持っていると腕が痺れてくることに気付いたの。それに両手が塞がるのは不便よね』
『なるほど。それもそうですね。ではこれではどうでしょう』
カミニャンはミレイアの腕から体を上って頭に乗る。
『ええ。それなら大丈夫そう』
『ではこれは?』
続いて肩に乗るカミニャン。
『どちらでも構わないわ』
そんなことをしている様子を見る侍女たちは癒されてふわふわした気持ちになるのだった。ミレイアは髪の色と目の色は母親にそっくりであり、目の形は父親似で丸くて大きく可愛い印象の美少女だった。そんな美少女が猫と戯れている姿は可愛らしいものだった。その美少女が無表情であっても。
ミレイアが図書室に向かっていると悲鳴が聞こえた。上の階のマイアの部屋からだ。ミレイアが見上げると部屋から炎が吹き出していた。
『話には聞いていましたがこれはすごいですね。日常的に火事になるでしょう』
『お母様の身の回りの物には吸収魔法を纏わせてるの。魔力を込められるのは宝石類、貴金属だけだし特殊魔法を込められる人なんてほとんどいないものね』
『日常的にあそこまで強力な魔法を暴走させるのなら部屋を鉄の壁にして無効化魔法を込めた方が強力では?』
『お母様は感知魔法も持っているの。昔、お祖父様がご存命だった頃にそうした部屋を作っていたのだけど、常に魔法で閉じ込められてる感覚がすると言って余計に荒れてしまったそうで定期的に補強しているのですって。でも考えてみるとここは生まれた時からお母様の家だしその家で自分が閉じ込められてると思ったら余計に荒れるというのも当然な気もするわね。お祖父様は本当に権力を欲する人だったそうだし』
『この国を建国した時から残っている3人の忠臣の家の1つですからね。そんな人もいるでしょう』
この国は数百年も古くからある国だ。建国した時から王家に忠誠を誓って仕えてきた家がいくつかあった。内乱が多く王族同士で殺し合いも絶えなかったこの国では王族を支持する貴族の存在が大きかった。そんな中で今も残っているのがオルガン公爵家、ハーレイン公爵家、スネイガン公爵家の名門といわれる御三家だ。それぞれの家の中でも本家がいざこざを起こして分家筋が家督を継いだりといったことを長い年月の中で繰り返してきた。
──今より数年前のこと
先代国王は真っ当なことを考え付いたと言って国王が自分に代替わりしたのと同時に代替わりした当時の御三家当主を呼び出して提案した。
「名案を思い付いたのだ。これまでより強い魔力を持つ者を生むため側室を設けてきたが権力を巡って争いを生んできた。よってこの側室を取り止め国外から姫を娶るというのはどうだ」
御三家はそれに賛成しすぐに動いた。そうして嫁いできた穏やかで心優しい妃との間に生まれたのが数百年ぶりの巨大な力を持つ王子。妃に似た弟も生まれたことで国王の考えは良い結果に繋がったのだった。
しかし王子たちの婚約者に国王は頭を悩ませた。第一王子の妃になりうる令嬢は光魔法を持つハーレイン公爵家の娘だったからだ。彼ら3人の先祖は代替わりを繰り返しても未来永劫臣下として仕えることを誓い、3つの家から王家に嫁ぐことを禁じていた。
それでも類い稀なる魔力量を持つ王子だ。通常であれば夫婦の魔力の量は政略的考慮をしなければ誰でも良いものだが、だからこそ知られていないことがあった。魔力が強すぎる者の子を魔力に差がある者が生むとお腹の子の魔力に母体が耐えきれないというものだ。チョーカーを使わざるをえないほどの魔力量を持つ王子の妻を並みの者が務められるはずがなかった。
国王はそれを3人に説明し、「もはや数百年前の誓いや制約など気にせずとも良い、むしろ慣例を撤廃したからこそ平和の世が生まれ始めたのだ」と話した。だがそれに待ったをかけたのがオルガン公爵だ。彼は思慮深く冷静な忠臣であったが権力に固執する面もあった。
御三家の中で1家だけが王家に縁付くと聞いて「それでは不公平だと思います、自身の娘も強い魔力を持っている」と妃に望んだ。国王も当然といえば当然かと納得した。確かにハーレイン公爵の娘には劣るがオルガン公爵の娘も優れた魔力を持っていたからだ。だがハーレイン家の娘の持つ光魔法は稀少なもの、第一王子の妃に相応しいと思いつつ2人ともを王子に会わせることにした。第一王子9才、第二王子と令嬢2人が7才の時だ。
いざ会ってみると安定していたはずの第一王子が雷と基本魔法の水で雷雨を生み出す大惨事になるところハーレイン公爵令嬢の光魔法で瞬時に消し去ってしまったのだ。光魔法とはそんなそんな力だったかと周りの大人たちは困惑したが当の2人は違った。
第一王子としてはこの日に向けて大人たちが煩く言い過ぎて苛立っていたためご挨拶のようなものだった。ハーレイン公爵令嬢は反射的に魔法を使ったものの彼女の性格はのんびりしたものでびっくりしちゃったと笑うだけだった。恐ろしい思いをしたものの周りの大人たちはこの2人での婚約を即決した。そしてオルガン公爵に第二王子を婿入りさせるということになった。
国王はオルガン公爵に言った。「第一王子は特例だが第二王子も強い魔力を持つ。第二王子とオルガン公爵令嬢の子も強力な魔力を持つだろう、その子が娘ならまず王子の婚約者候補に上がる」と。オルガン公爵は国王の話を聞いて納得した。
そうなるとスネイガン公爵家が不公平かと考えた国王だったがスネイガン公爵家はここ数年本家も分家も変わり者が多く、「魔法を研究させてもらえれば権力なんていらないしむしろ国王に直接仕えなくても良いし公爵やめても良い」と飄々と言って国王を驚かせた。
「慣例をなくすとは言ったがお前たち御三家を蔑ろにしたいわけじゃなくこの機会にこれまでの働きに褒美を与えたいだけだ」と食い下がるとスネイガン公爵は「じゃあ魔法局に籠って研究する権利をください」と言った。
有能な忠臣をただの研究者にするのはと思った国王は魔法局の局長の座はどうかと提案した。するとスネイガン公爵は「そんな忙しい役職じゃ研究ができないのでお断りです」と答えた。幼馴染みであるオルガン公爵が我を通すのを見てオルガン公爵とは別の方向へ振りきっていた。ここにきて長年王家に仕えてきた有能な忠臣を失うのは困ると考えた国王は国一の光魔法の使い手だった彼に数年間王妃となるハーレイン公爵家の令嬢の魔法の師になることを条件に魔法局に引きこもることを許可した。
そうすると王子を婿入りさせその先も王家に嫁ぐ可能性のできたオルガン公爵家を贔屓にしすぎたかと思った国王はハーレイン公爵に他に願うことはないかと尋ねた。
ハーレイン公爵は有能であるが仕事のとき以外は若干のんびりしたところがあり、たっぷり間を開けたあと、「娘が無事に嫁いだら田舎でのんびりしようかな、陛下も一緒にどうですか」と逆に提案した。そうして国王はハーレイン公爵令嬢が嫁いだらすぐ王位を第一王子に譲り王妃と共に隠居することに決めたのだった。
想定外だったのがオルガン公爵令嬢マイアの気性が荒すぎたこととオルガン公爵がさらに権力に固執するようになったことだった。仕事では変わらず有能だが暴走する娘を止めるために家にいる娘を防御壁で無理やり閉じ込めたり酒と女に溺れたりしながらマイアが結婚した数ヶ月後に病気で亡くなった。
妻の公爵夫人は御三家ほどではないが名高い侯爵家の出身だった。外では上品と評判だったがプライドの高い性格で政略結婚だった公爵のことは何とも思っていなかった。
しかし公爵が愛人の元に通ったり住み込みで働いている使用人にも数人手を出していたことに腹を立てていた。夫人は子供のマイアには関心を向けず腹いせに関係ない使用人も含めて暴力を振るったり公爵に手を出された使用人を辞めさせることに神経を注いでいた。
辞めさせた者の中には手を出されてはいなかったが公爵が気に入っていた者がいた。夫と死別してマイアと年の近い子供と住み込みで働いていた彼女は公爵より年上で美しい女性だった。公爵夫人は彼女には特に腹を立てて実家の力を乱用し子供と一緒に国外へ追い出したりもした。そんな夫人はマイアが14才の頃、夜会で会った男性に恋をして二度と帰ってこなかった。
さすがにこのような家では第二王子を婿入りさせるのにどうなのかという話は公爵が存命の時からあり、国王も幼少期から死線を潜り抜けてきた仲間とはいえ見過ごすことはできないとオルガン公爵の弟に当主を代われないか尋ねた。
だが彼は「この国で罪になるようなことをしでかしたら昔からそうであるように当主を引きずりおろして分家が家督を継ぎますがせっかく第二王子が婿入りするんですから次代のオルガン公爵に期待します。マイアと第二王子の婚姻を取り止めて私の息子をマイアと結婚させるより第二王子の方がずっと良いと思いますよ」と答えた。マイアとの婚姻を取り止めることも考えていた国王だったがそう言われてしまってはこのままにする他なかった。
実際のところはオルガン公爵以外の分家の者たちはやる時はやるがここ数年は農業開拓に力を入れていて本人たちは貴族というより農民な気持ちを持っていたため今さら政治のど真ん中に行きたくないと思っていたのだ。と言っても彼はこの国をよくわかっていた。
この国は数年前まで荒れた国だった。オルガン公爵の屋敷で起きてることは娘の魔力暴走を除いてこの国のあちらこちらで起きていることだ。平和な世の中にしようというのならこの国の縮図であるオルガン公爵家を上手く立て直すぐらいのことをしてみせて欲しいものだ、と公爵夫人によって追い出された元公爵家の使用人たちと畑で汗を流しながら思うのだった。
──────そして現在
ミレイアはカミニャンと話しながら歩き図書室につくと侍女と護衛に高い所にある本を取りたい時だけ声をかけると言って部屋の外で待たせた。
「なにか魅了についてわかる本があると良いのだけどないわよね」
「直接的なものはないでしょうね。たださすが歴史のある屋敷です。古い文献もたくさんありますね」
「大したことは書いてないと思うけれどアンダシア帝国に関する本がこの辺りにあるわ」
ミレイアは整頓された本棚の中から1冊の本を抜き出してパラパラと捲る。
「やっぱり魅了のことは書いてなさそうね。けど200年前のことが書かれてるわ。何かの為になりそう」
ミレイアは机の上にその本を置くと次の本を探す。
「魅了のことを調べるのは難しそうだけれどそれでも何かの対応策は練らないといけないものね。シールドが闇魔法にも有効だというのは良い話を聞いたわ。魅了にも有効かはわからないままだけど」
「そうですね。貴方は魔力をどの程度コントロールできるのですか?とりあえず基本魔法の方で」
「基本魔法も特殊魔法も人の形に纏わせることができるくらいね」
「7才でそこまでできるとはさすがですね。防御としてはただ魔力を放出して相殺する、壁を作る、球体にして体を覆う、体に纏わせる、物に纏わせるの順に繊細なコントロールが必要になりますから」
「けど魔法を使われた瞬間にシールドを使わないといけないのよね。ずっと使い続けるなんて難しいし。物に込めるのなら攻撃を受けた時に使うことができるわよね。特殊魔法を物に込めるのって具体的にどれくらい難しいことなの?」
「そうですね……。貴族が50人としてその内特殊魔法を持つ人は20人、特殊魔法を持つということは魔力量も少なくありませんがそれでも物に込めるのに必要なほど強い魔力を持つ人が20人の内半分の10人。これは込める対象の物が大人の小指の爪程に小さい物だと仮定してます。そしてその特殊な魔力をコントロールして物に纏わせることができる人が7人、その内魔力を込めることができるのが1人です。単純計算ですけどね」
「私にもできるかしら」
「素質はありますからまず問題ないでしょう」
「だけどそんなに単純な話ではなさそうよね。そういえば貴方、神の使いなのに魅了の防ぎ方を知らないの?」
「神の使いだからってなんでも知ってるわけではありませんよ。件の滅びた国も防ぐ方法を見つけることができていたならともかくできなかったために滅びたのですから」
「それもそうね。魔法大全集も念のため復習してみようかしら」
「これもどうですか?火は水で打ち消す、闇は光で対抗するなど相反関係が載ってます」
「そうね、じゃあそれも」
新たに取った2冊も机に乗せる。
「王族の腕輪のことは知ってた?」
「ええ」
「あれは吸収魔法と無効化魔法が使われていると言ってたわよね。2つの特殊魔力を込めるなんてできるの?」
「大昔は出来る人がいたのです。ただ1人だけ。その人が王家に寄贈したものを今でも使用しているのです。しかもあれは2つではなく3つの魔法がかけられているのです」
「3つ?そうなの?魅了に対抗できる魔法がはっきりしないなら複数の魔法を込めたら良いかと思ったけれど出来るわけないわよね」
「そうですね。ただ気になるのはテオドールが強化魔法を付与できたということです」
「纏わせて強化したのではないの?先生もそんな感じの言い方だったし」
「あの腕輪は細工がされないように固定魔法をかけていました。纏わせるのも込めるのも不可能のはずなのです」
「固定魔法?そんな魔法あったかしら」
「あれを作った人物は特殊なんです。彼は基本魔法特殊魔法といった概念はなく想像したものをその通り魔法で再現できました」
「そんな人がいたの?御三家じゃないわよね。そんな人がいた家が今なくなっているの?知られていないのもおかしいわね」
「彼はいわゆるチートというものでした。異世界転移した人間です」
「転移……じゃあ悪い人だったの?」
「転生者がみんな悪い人ではありません。それに転生ではなく転移です。転生が一度死んだ人が別の世界に行くことで転移は生きたまま別の世界に行くことです。彼は初代国王と今の御三家の先祖を含めた者たちとこの国を建国しました。初代国王の妃が生む子供にと置き土産に腕輪を7本1セットを3つとチョーカー1つを作ってから元の世界に帰ったのです。彼が去ってから彼の記憶は人々から消えて腕輪とチョーカーだけが残ったのですよ」
「なるほど。詳しいのね」
「彼をこの世界に転移させたのも戻したのも神で私は彼を補佐する役目をしていましたから」
「そういうことなの。神以外は誰も覚えてない人が作った道具……。良くそんなものを使い続けてるわね」
「彼はメモを残していきました。友へ、良い親父になれよと。初代国王に彼の記憶はなくとも腕輪とチョーカーは友からの大切な贈り物だったんですよ」
「そう。ならテオドール殿下が強化魔法をかけられたのはなぜなのかしらね」
「それがわからないのですよ」
「固定魔法の効果が解けたとか?」
「考えられないですね。一度腕輪を調べてみたいものですが」
「私が会うのは腕輪とチョーカーを外した後だものね」
「国宝扱いですから難しいでしょうね」
「盗めないかしら」
「ですから国宝扱いです。そんなことを考えてはいけません」
「でもそこにヒントがあるのなら調べたいわよね。だけどそのチートというので複数魔法を込められたなら普通の人間はどちらにしても無理かしら。テオドール殿下ならできるのかしらね」
「どうなのでしょう」
考えたところで憶測の域を出ないということでとりあえず3冊だけ持って自室に帰ることにしたのだった。