番外編2 家庭教師と侍女の恋
ヴィクトルとナタリーの話です。
オルガン公爵家の屋敷では侍女の1人が黙々と仕事をしていた。
「ナタリー、もう上がって良いですよ」
「侍女長?でもまだ仕事が残っておりますが……」
「はいはいー。私が代わりますよー!!」
「エマ?どうしたの」
「何言ってるんです!!今日はヴィクトル様とデートじゃないですか!!」
「な、デートなんて、違うわ」
「まあまあ良いじゃないですか!!報告待ってますから!!」
「ま、まさか侍女長もご存じで?」
「エマが言いふらしておりますよ」
「エマ……」
「だってあのヴィクトル様ですよ!!良かったですね!!」
「良くないわよ」
「ナタリーさんかっこいいって言ってたじゃないですか!!」
「そ、それはそうだけどそれは憧れるなーという感じというか、とにかく見てるだけで良いのよ」
「まあ良いじゃないですか!!せっかくお嬢様がくださった機会なんですし!!」
「そうよ!!せっかくの機会なのだから楽しんできたら良いのよ」
「アマリアさん……やっぱり一緒に行きません?」
「いやよそんな!!無理無理!!」
ナタリーは同じく子爵家で学園時代の先輩であり使用人の先輩であるアマリアには相談を兼ねて一緒に行かないかと誘ってみていたのだ。
「でもヴィクトル様は結婚相手をお探しのようですし」
「そんなこと言って最初からナタリー狙ってるのよ」
「ねら……そのようなことはないですわ。お嬢様が偶然私を呼び出しただけですもの」
「ナタリーさんじゃなかったらいくらお嬢様に言われたって誘いませんよ!!」
「そ、そうかしら……」
「そうよ。どこにただの使用人に髪型が違うだの顔色が優れないだの気を使う家庭教師がいるのよ」
「ヴィクトル様は優しいのでみなさんに気を使っているのでは?」
「使ってないわ。私一度も言われたことないもの」
「え、そうでしたの?」
「みーんな思ってますよ!!ヴィクトル様ってナタリーさんのことが好きなんじゃないかって!!」
「え!?まさかそんなわけないわよ!!」
「ほら、2人とも、ナタリーの仕事を代わりに来たのでしょう。上がるのを邪魔してどうするのです?」
「そうでした!!」
「ナタリー、あとは私たちに任せて早く行って、ね?」
「え、そんな、よろしいのでしょうか」
「良いです良いです!!ないと思いますけどこれっきりかもしれないんですから楽しんできてください!!」
「そうよね、これっきりかも……。でも粗相をしたらどうしましょう。侍女長ー」
「まったく……。この屋敷で行儀見習いをしていて情けないことを言うものではありません。私は厳しく指導しているつもりですよ。あなたはそそっかしいところもありますがどちらの家の方と結婚しても問題ない淑女だと思います。エマの言うように楽しんでらっしゃい」
「侍女長ー……ありがとうございます。行ってまいります」
ナタリーはアマリアとエマにも挨拶して部屋に戻って支度を始める。アマリアも後輩のエマも学園時代からの仲で年齢はバラバラでも仲が良かった。
ナタリーの実家はここから遠く、住み込みで働いていた。もっともほとんど住み込みで働く使用人ばかりなのだが。その部屋でしばらく前にアマリアと休暇が一緒になった時に買っていたワンピースに着替える。
「これを着る日がくるとは思わなかったわ」
ナタリーは流行の服装などこれ以外持っていなかった。使用人の制服とほぼ変わらないようなエマ曰く地味な服ばかりだ。
ナタリーの実家は子爵家ではあるもののその暮らしは平民とさほど変わらない。大きくも小さくもない屋敷に使用人はおらず家事は母親と妹たちと分担していた。貧乏ではなかったが不要なものは買わない主義だったナタリーは学園の生徒だった時パーティーに伯爵家出身の母のお古を今風にアレンジして着ていていき、今も流行りものを見ること自体は好きだが自分が買うことはなかったのだ。
なんだか良いところのお嬢様みたいだと姿見の前でくるりと回ってふと時計を見る。
「やだ!!もう行かなくちゃ!!」
約束の時間にはまだ時間はあるがヴィクトルを待たせてはいけないとバタバタと部屋を出た。
待ち合わせ場所に向かう途中ナタリーは思った。自分はなぜヴィクトル様と食事をすることになったのだろう。そもそもなぜ田舎の名ばかり子爵令嬢の自分が御三家オルガン公爵家の侍女をやっているのだろうと何度目かわからない疑問を考える。そして改めて自分の人生を振り返り始めた。
順風満帆とはいえないが平凡な生活していたナタリーに激震が走ったのは学園で2学年の終わりだ。1つ年上の婚約者が同級生と卒業式当日に駆け落ちしてしまったのだ。
ナタリーは婚約者に捨てられたことが悲しかったのではなかった。幼い時に決められた身分の釣り合う子爵家の次男であることくらいしか、そんな基本的なことしか知らないほど何も知らなかったのだ。会ったことも数える程しかなかったし駆け落ちなんてするような人だというのも知らなかった。
ナタリーの頭を悩ませたのは家族や領民に会わせる顔がないからだった。ナタリーの頭には、有能でも無能でもない人のいいだけの父親とうっかり屋でおおらかな母と器量良しの次女、甘えたの三女、いつでも父や母を慕ってくれる優しい領民たちの姿が浮かんできた。
学園を卒業して結婚して子爵家を継ぐ旦那さんを支えて子供を産んで、とそんな未来を当たり前に待ってくれていたであろうみんなになんと言えば良いのか。ナタリーはおっちょこちょいがすぎることもあったが長女としてしっかりしなくてはというしっかり者ぶる娘だったのだ。おっちょこちょいすぎて周りからは頑張ってるようにしか見えないしっかり者だったが。
ナタリーは婿を迎えられない、長女としての役目が果たせない、どうしようと困り果てながらも春休みに帰省しみんなに気にしないで元気だしてと逆に励まされた。
新学期が始まってからしばらくは元婚約者の駆け落ち話で後ろ指を指されたもののすぐ別の話題で持ちきりになった。同級生の侯爵令息が他の侯爵夫人と関係を持ち、侯爵の逆鱗に触れたのだ。侯爵は後妻の幼妻を溺愛しており大きな騒ぎになった。
令息の家は昔は上位貴族として活躍していたが今では借金まみれの家だった。そして、その令息の婚約者がエマだったのだ。エマの伯爵家は資産家であり完全に持参金目当ての婚約だった。令息は傲慢な女好きでエマもエマのことを大切にしていた家族も彼を嫌っていた。しかし彼の家は贅沢を尽くしながらも未だに過去の栄光で議会での発言権も持っていたため彼らに従うしかなかった。それがこの騒ぎ。
相手の侯爵の方が遥かに権力が強かったため、エマの父親はチャンスだとばかりにお金を渡しエマとの婚約解消に力添えをしてもらい見事婚約解消することができたのだ。
ナタリーとエマは揃って男運がないと愚痴を言い合った。そしてナタリーはこれからのことを悩んだ。卒業して家に帰っても家族や領民は帰省した時と同じように温かく接してくれるだろうがそれでは申し訳ない。気まずい。できれば帰りたくない。でもそんなわけにはいかない。
エマも困った。侯爵令息との婚約は解消できたが父や母は結婚を望んでいる。だが自分は元婚約者のようなろくでなしの男と結婚するくらいなら一生独身でいたい。結婚せずにいるいい口実はないだろうか。
2人が悩んでいると目の前に侍女長が現れた。フロランス・コーネル前伯爵夫人がオルガン公爵家の使用人をスカウティングしているという話は噂になっていた。実際アマリアが前の年に声をかけられオルガン公爵家で働いていた。
オルガン公爵といえば御三家といえど夫人のことは有名で進んで働きたいと思う者はいなかった。オルガン公爵家でもフロランスが認めた者しか雇わないようだった。どんな厳しい審査基準があるのかは2人には想像もできなかったが万が一自分たちも認めてもらえれば悩みが解消できるのにと思っていた。
フロランスは先代国王の遠縁で王太后からの信頼も厚く社交界での人望もありこの人に逆らってはいけないみたいなものがあるらしかった。そんな人が足音もなく突然現れナタリーもエマも驚いた。驚く2人に構わずフロランスは契約書を差し出して3つのことを話した。
1つは仕事内容のこと。オルガン公爵家では少人数の使用人しかおらず侍女という立場でも掃除も洗濯もなんでもするという。2つめは差別をしないこと。オルガン公爵家には平民のメイドもいるが身分による仕事の違いもないため協力して仕事をすること。3つめは公爵夫人のこと。恐れるなとは言わないが働く家の主人に敬意を払い仕事を疎かにせずしっかりお仕えすること。その3つを理解して約束できるなら働きにいらっしゃいと言った。
2人はすぐに返事をした。ナタリーは特に実家で掃除も洗濯もしていてなんの抵抗もない上に2人とも貴族にありがちな身分が下の者、平民を嘲るようなことがなかった。エマなど伯爵令嬢だが身分に関わらず友達がたくさんいた。そして3つめは実際に見たことはないが噂に聞くほど狂暴な悪魔のような女性なわけはないだろうとお約束しますと答えた。
ナタリーは意気揚々と実家に、御三家の1つで行儀見習いすることになったので帰らないと報告し、エマは社交界の大物のお眼鏡にかなったので御三家の1つで一生働きますと報告した。といってもエマは卒業してからのため1年先の話にはなるが。
そうしてナタリーは卒業後オルガン公爵家で侍女になった。だが自分の考えが甘かったことに早々気付いた。侍女長はとんでもなく厳しかったのだ。埃1つ見逃さない、良く見ないと気付かないほどの汚れも見逃さない、シーツのシワが伸びてない、云々かんぬん毎日毎日怒られた。それにナタリーの同世代に王族や魔力量の多い者はおらずマイアの炎を初めて見た時は腰が抜けた。死んでしまうと本気で思った。だがそれでも先に働いていたアマリアを始めとして他の侍女や平民の使用人たちとも仲良く仕事をしてきた。
そんなこれまでのことを思い返し、そういえばとヴィクトルと初めて会った時のことを思い出した。
毎日侍女長から怒られながら必死に働いていたある日のこと。
『え?私が来客対応を?』
『そうです。お嬢様の家庭教師が来ますのでお嬢様のお部屋までご案内してください』
『か、かしこまりました!!』
侍女長から初めて来客対応を指示されて緊張するナタリー。
『ナタリー』
『アマリアさん!!』
そこにアマリアが声をかけてきた。
『やったわね、ナタリー』
『え?なんのことでしょうか』
『お嬢様の家庭教師の先生よ。すっごくかっこいいの』
『そうなのですか?』
『そう。しかもあのスハーデン侯爵家の方だそうよ』
『え?スハーデン侯爵家?スネイガン公爵家に連なるお家ですよね?』
『そうよ!!すごいでしょ』
『すごいというか……なぜそのような方が家庭教師を?』
『それは知らないけどかっこいいのよ。なんだかいつも疲れてぐったりされているんだけど憂いを帯びた感じがまた良いのよ』
『そうなのですか?』
『そうよ、ナタリーも見たら絶対かっこいいってなるわよ』
『そうでしょうか』
男の人の美醜をこれまで気にしたことがなかったナタリーにはあまりピンとこなかった。もちろん顔の整った人だなとか愛嬌のある顔だなとか印象を持つことはあったがかっこいいと思ったことはなかった。
ナタリーはその後洗濯や掃除をしていた。また侍女長に洗濯中に叱られてため息をつきながら窓を拭いていると後ろからアマリアに声をかけられる。
『あら?ナタリーそろそろヴィクトル様がいらっしゃる時間じゃない?』
『え?あ!!いけない!!忘れてた!!』
ナタリーはハッとして急いで玄関に向かった。そこにはオルガン公爵家の護衛が若い男性を家に入れているところだった。
ナタリーはぎりぎり間に合ったと内心ガッツポーズをしながらカーテシーをしようとした。
『ごきげんよ……ええ!?なんで雑巾!?』
スカートの裾を摘まもうとした右手には窓を拭いていた雑巾が握られていたのだ。
ナタリーも驚いたがヴィクトルも驚いた。だがヴィクトルは笑顔で応える。
『ごきげんよう。忙しい時にすみませんね』
『え、え、そ、その、すみません!!』
ナタリーが青い顔で焦っているとアマリアが来た。
『ヴィクトル様ごきげんよう。入ったばかりの使用人が失礼いたしました』
『いえ、構いませんよ。少し時間より早く来てしまったかもしれません』
もちろんヴィクトルはいつも通りの時間に来ていた。アマリアが頭を下げてナタリーから雑巾を受け取り下がった。
『入ったばかりでは慣れないことばかりで大変でしょう』
『え!?あ、は、はい、あの、スハーデン様、大変失礼いたしました』
『気にしないでください。それから私のことはヴィクトルと。スハーデン家としてではなくただの家庭教師として来ているのでそう呼んでもらっているのです』
『そ、そうでしたか!!存じ上げませんで失礼いたしました!!』
『いえいえ。貴方のお名前を伺っても?』
『は、はい!!アロン子爵が娘、ナタリー・アロンと申します』
『アロンさん、誰でも初めは慣れないことばかりで上手くいかないことも多いでしょうが続けていけば必ずできるようになります。頑張ってください』
『は、はい……』
ヴィクトルの言葉はスッとナタリーの心に入った。そしてナタリーの心臓がドクンと高鳴った。
『あ、あの、お部屋へ』
『ええ。ありがとうございます』
そのあとミレイアの部屋までヴィクトルを送るとそのまま掃除に戻った。侍女長にこっぴどく怒られながらも思い浮かぶのは憂いを帯びた笑顔とほっと落ち着く優しい声だった。
「はあ……改めて思い出してもありえない……」
あの日からヴィクトルに侍女長に怒られているところを何度も目撃されたり逆にエマを口うるさく指導しているところを見られたりした。ナタリーはしっかり者のお姉さん風を吹かして後輩を指導するのだ。お前が言うなとか思われてたら恥ずかしいと思うと同時に成長してない自分に情けない気持ちがしたナタリー。
「でもさすがにあの日のことを覚えてるわけないわよね」
今まであの時のことを言われたことはないから覚えてないはずと思いながら待ち合わせ場所につくと既にヴィクトルが来ていた。ナタリーは慌てて駆け寄る。
「ヴィクトル様!!すみません遅れてしまって!!」
「私も今着いたところですので気にしないでください。お仕事が忙しいのに来てくださってありがとうございます」
「いえいえいえいえ!!ヴィクトル様こそお忙しいのに!!お仕事大丈夫でした?」
ナタリーはヴィクトルがどれ程忙しいのかは知らなかったがいろいろな仕事を任されているからいつもあんなに疲れてるのだろうと思っていた。今は早い時間ではないが夜遅いというほどではない。ヴィクトルにとっては帰宅時間の新記録だ。
「いつもはもっと遅くなります。今日は大切な約束があるので絶対早く帰ると同僚に伝えていたのでこの時間に間に合いました」
「そうでしたか。大変ですね」
「お互い様ですね。では、お店に行きましょうか」
「はい」
ナタリーはヴィクトルが大切な約束と言ってくれたことがすごく嬉しかった。
ヴィクトルの後ろを歩きここですと言われた店は庶民の大衆食堂のようで、もちろんナタリーは入ったことのない店だった。いくら名ばかりとはいえお嬢様だったナタリーは自分より遥かにこのような店と縁遠そうなヴィクトルがなんの迷いなく入っていくことに驚いた。
「おやヴィーじゃないか。なんだい?女の子なんて連れてまさかデートじゃないだろうね」
「デ、デートじゃないよ」
「でもお貴族様じゃないか。そんな可愛いお嬢様をこんな店に連れてきちゃ駄目だよ」
「え、そうだった?そうでした?」
前半は女将さんに、後半はナタリーに問いかける。
「あ、いえ、驚きはしましたが大丈夫です。ヴィクトル様はよくこちらのお店に?」
「仕事が遅くに終わると開いてるお店が限られてるのでだいたいここに来るんです」
「お屋敷でコックが作った料理を召し上がらないのですか?」
「私は王宮の近くのアパートに1人で住んでますから」
「え!?そうなのですか!?」
当然スハーデン侯爵家の屋敷に住んでいると思っていたナタリーは驚く。
「はい。そんなに驚くことですか?」
「驚きました。ヴィクトル様がアパートに……」
あくまで家庭教師と教えにくる屋敷の使用人だったナタリーはヴィクトルのことをほとんど知らなかった。ミレイアの部屋まで案内する時くらいしか話したことがなかったのだから当然だ。しかもその際も本当に些細なことしか話していなかった。
「基本的には王宮で働いているので出来るだけ近くに住みたいと思いまして。早く帰って休みたいので」
「なるほど。私たちは住み込みなので帰宅時間といったことは考えませんがそうではありませんものね」
「そうですね」
「ちょっとヴィー。お嬢様を立たせたままにするんじゃないよ。こんな騒がしい店に連れてきちまって、奥開けたから座んな。まったく、今まで彼女の1人もいなかったからって普通デートにこんな店選ばないだろうに」
「そ、そう……。あの、すみません。配慮にかけていました。騒がしいですが味は美味しいですから」
「あ、はい」
ヴィクトルとナタリーが店内を奥へと進む。店内は賑わっていて何を話しているのかわからない程だった。ナタリーは慣れない光景にドキドキしながら席に座ってヴィクトルがお勧めというメニューを頼む。
「ヴィクトル様は女将さんと親しくしてらっしゃるのですね」
ナタリーはいつもより大きめの声を出して話す。
「そうですね。この店自体には子供の時から友人とよく来ていたので」
「そうでしたか」
「ヴィーもシルも貴族に見えなくてね。ここに入り浸るようになって随分してから有力貴族だって知ったんだよ」
酒をテーブルに置きながら女将が言う。
「シルというのは私の友人です。あの頃から苦労していてよく息抜きに来ていたんですよ」
「苦労?」
「はい。私たちは陛下と同級生なんです。陛下にはテオドール殿下のように友人と呼ぶような方はおられなかったのですが私とシルヴィオは陛下の使いっぱしりをしていました。陛下は学生時代から仕事をしていてその手伝いをさせられていたんです。シルヴィオはわかるんですよ。家のことがあるので。いや、本当に良かったのかわからないけど……。でも私はなぜ巻き込まれていたのか意味がわかりません」
ヴィクトルは酒を飲みながら愚痴を溢す。酒を飲まないナタリーはヴィクトルの話を興味深く聞く。
「陛下は私たちのことを都合の良い雑用係だと思ってるんです。昨日も妃殿下がご自分で作られたクッキーに合う紅茶を探してるというから探してこいなんて家庭教師も文官も関係ないことで呼び出してきてその日の内に用意したら冗談だったのに本当に用意したのかって言われて。こっちは暇潰しに付き合ってる暇はないんですけど」
「まあ……大変なのですね」
「私の周りには厄介な人しかいないんです」
「そうなのですね」
話している内に食事が出てきて串焼きを食べるヴィクトルを真似てナタリーも食べてみる。
「ん、美味しいです!!」
「でしょう。これもお勧めです」
「はい」
ナタリーは普段オルガン公爵家で出てくる美味しい料理とも実家で自分で作っていた料理とも違う料理に舌鼓を打った。
「私こんな美味しい料理食べたことがありません。自分で再現できそうにもないです」
「アロンさんは料理をされるのですか?」
「あ!!い、いえ、あ、はい、あ、いえ」
ナタリーは慌てる。この国の女性で料理をするのは平民だけだ。あとは使用人を雇えないような貴族の女性。だから料理をするというのは自分の家が貧乏だと言っているようなものなのだ。
ナタリーの家はそこまで貧窮していたわけではないとはいえ上位貴族にとっては嘲る対象だったためナタリーはアマリアとエマ以外に話したことがなかった。
「アロンさんの手作り料理食べてみたいです」
「え!?」
「え?あ、強要するわけではないですが」
「あ、いえ!!変だかとそういうことを思われるかと……」
「確かにご令嬢が料理をするのは憚られますね。私は妃殿下の手作りお菓子を味見していたので特に何とも思いませんよ」
「え!?あ、そういえば先ほど妃殿下が……でもそんなわけないですよね、妃殿下はハーレイン公爵家のお方ですし」
「いえ、妃殿下は料理が趣味なのですよ」
「そうなのですか!?」
「といってもおおっぴらにしたりはしませんけどね。身内に作ってるくらいです」
「ほ、本当に……?妃殿下が?」
おっとりして穏やかで優しそうで憧れの王妃を思い浮かべてナタリーは驚愕する。
「陛下は妃殿下が学園に入学する際こっそり寮の部屋に調理場を設置させたんですよ。私とシルヴィオが命じられましてね。妃殿下は妃殿下で王族に手作り料理を食べさせるのはと躊躇されるので届けられるお菓子を私とシルヴィオが陛下が口にする前に毒味と称して頂いておりました」
「そうなのですか……驚きました。今日は驚いてばかりです。ヴィクトル様は奥様や旦那様とも交流があったのですか?」
「いえ、レアンドロ様と夫人とは子供時代はほとんど話したことがなかったです。陛下はご自分が自由に使える雑用係をご所望だったようで私たちをレアンドロ様と接触させようとはしませんでした。今はレアンドロ様にも振り回されて困っているのですけど。まあでも今なら他の理由もあったとわかります。私は分家ですがスネイガン家が代々仕えてきた者が国王になっていたため私がレアンドロ様とも親しくしているとレアンドロ様が王位を狙っていると臣下たちに反逆の隙を与えてしまう恐れがあったからでしょう」
「そうなのですね。ヴィクトル様は陛下や妃殿下や旦那様にとても信頼されているのですね」
「都合良く使われてるだけだと思いますけどね」
「そのようなことはないですよ。きっとヴィクトル様がお優しいからですわね」
「それなら休ませてほしいです」
ヴィクトルはため息をつきながら酒を飲みほして女将に追加で注文した。
「すみません、私の話ばかり聞いてもつまらなかったですよね」
「そんな!!とても楽しいです」
「本当ですか?」
「はい。私ヴィクトル様のことほとんどなにも知りませんでしたから。あの、もっとヴィクトル様のことを知りたいです」
そう言ってナタリーは恥ずかしくて俯く。自分が飲んでいたのはただの水だったはずなのにと思う。
「そうですか」
対するヴィクトルも酒のせいだけでなく顔を赤くする。
「あ、あの、ヴィクトル様はどうして家庭教師をされているのか伺っても?」
ナタリーも顔を赤くしながら話題を振る。
「たいした理由はないですよ。うちは変わり者が多くて子供も自由で一般教養を教えにくる家庭教師を困らせていました。困ったあげく辞めていってしまうので親族たちは魔法に執着しない変わり者の私に子供たちを押し付けてきたのです。なので私は親族たちに勉強を教えていました。教えている内にそれぞれ教え方を変えないと覚えられないと知ったり教えることの奥深さみたいなことを知って教師になりたいと思ったんです」
「そうなのですか。私は勉強が得意ではありませんでしたがヴィクトル様が先生でしたらもう少し良く出来たかもしれません。ヴィクトル様はお声も優しくてお話しになることがスッと心に入ってくる気がしますし、ヴィクトル様に教わる方たちはとても理解しやすいと思ってらっしゃるのでしょうね」
「そうですかね。お嬢様はとても良い生徒をしてくださいますが他はどうでしょう」
「きっと思ってらっしゃいますよ。ヴィクトル様のお言葉は不思議な力があります。私は使用人の仕事を始めたばかりの時慣れないことばかりで失敗ばかりでしたけどヴィクトル様に続けていけば必ずできるようになりますっておっしゃっていただけて頑張ろうって思いましたもの」
「ああ、雑巾を持っていらした時ですね」
「え」
「ん?」
「お、覚えていらっしゃいました?」
「もちろんです。雑巾を持ちながら挨拶されたのは初めてでした」
「も、申し訳ございませんでした!!」
まさか覚えられているとは思ってなかったナタリーは穴があったら入りたい気持ちになった。
「いえ、謝らないでください。一生懸命な子だなと思っただけですから」
「そ、そうですか?」
「はい。私も頑張らないといけないと思いました」
そう言ったヴィクトルは口を押さえて辺りを見渡す。
「ヴィクトル様?具合が悪いのですか?」
「ち、違います」
ヴィクトルの様子に首をかしげるナタリー。
「あの、お食事はもう大丈夫ですか?」
「あ、はい。美味しかったです」
「それではそろそろ出ましょうか」
「そうですね、はい」
ナタリーはもう帰る時間かと寂しい気持ちになった。もっとヴィクトルと話していたかったと思うとこれっきりになるのがとても悲しくなった。初めて会った時のことを覚えられていたことは恥ずかしかったがあの時ヴィクトルの言葉がスッと心に入ったと同時に胸が高鳴ったことを思い出していた。
身分が違いすぎると気付かないふりをしていたが自分はあの時からヴィクトルに恋していたのだと気付いた。本当に身分違いな恋だと頭を振っているうちにヴィクトルがお金を払っていた。
「あ、すみません私お金を……」
「え?いえいえ、私が払いますよ。払わせてください」
「あ、ありがとうございます」
ナタリーはペコペコと頭を下げ2人は店を出た。
「本当にすみません。次からは落ち着いたお店を選びます」
「え、あ、はい……」
次?次って言った?ナタリーは聞き間違えかもしれないと思いながらもドキドキした。恋心を自覚してよりいっそうヴィクトルがかっこよく見えていた。
そういえば店に入った時女将さんがこれまでヴィクトルに彼女がいなかったと言っていたような気がすると改めて思い返す。こんなにかっこいいのに彼女がいなかったなんて本当だろうか。女将さんが知らなかっただけだろうか。でもあんなに親しかったのなら彼女ができたなら話すかもしれない。
「あ、あの、アロンさん」
「え、はい」
「あの、もう少しだけ時間良いですか?」
「はい」
「あの、ではこちらに」
ヴィクトルはそう言って待ち合わせした噴水まで何も言わず歩きナタリーも静かについていった。
「気付いていると思いますが私は女性が好む場所がわかっていないのですがここはどうでしょうか?」
「はい?ここですか?」
ナタリーは噴水を見る。
「私は好きですが」
「そうですか。それなら良かったです」
「ヴィクトル様?」
そわそわと落ち着かないヴィクトルにナタリーは首をかしげる。
「先程の話なのですが」
「え?先程の話ですか?」
「はい。初めてアロンさんにお会いした時の」
「あ、はい」
「あの頃毎日周りに振り回されて断ろうにも断りきれずいろんなことを押し付けられ自分はこのまま忙殺されるんじゃないかと思っていました。このまま一生彼女もできずに死ぬのかと密かに自暴自棄になりかけて。そんな時に貴方の一生懸命で純粋な瞳を見て頑張ろうと思いました。オルガン公爵家は侍女でも掃除や洗濯まですると聞いていましたので文句も言わずフロランスさんに叱られてもひた向きに頑張る貴方をオルガン公爵家に行くたびに探していました。お嬢様に勉強を教えに行っているので良くないとは思っていても貴方を見かけると嬉しくなりましたし出迎えてくれる時は仕事から帰って毎日に貴方に出迎えてもらえたら幸せだろうなと思っていました」
ナタリーは卒倒しそうなほど恥ずかしくなりながら話を聞いていた。
「つまり、あの、初めて会った時から貴方に惹かれていました」
「ええ!?」
思わず声を出してしまってからナタリーは慌てて両手で口を押さえる。聞き間違えか幻聴かと思うナタリー。
「なので、あの、良かったら結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」
「……ほ、本当に、ですか?」
「え?あ、はい」
「聞き間違えでも幻聴でもなく?」
「ち、違います。良ければお返事を聞かせていただきたいです」
「あ、あの、私……」
「今すぐでなくとも大丈夫ですけど」
「あ、いえ、私も好きです……」
「え、本当ですか?」
こんなことがあるなんてと思いながらナタリーは顔を赤くしてコクンと頷く。
「良かったです。断られると思ってました」
「そ、そんな……お断りするなんてありえません」
「いえいえ、スハーデン家やスネイガン家は変わり者で有名ですし会ったら絶対困惑すると思いますし私自身忙しすぎてぐったりした姿しかお見せできていないですしそうでなくとも女性に好まれるような顔ではないですしこれまで忙しすぎて彼女もいたことがなく女性が喜びそうなこともわからないですし」
「あ、あの!!ヴィクトル様にはとってもかっこいいです」
「本当ですか?」
「はい、ご家族のことはお会いしてみないとわかりませんが、でもヴィクトル様がとても素敵な方なのできっと素敵な方だと思います。お忙しくされているのは心配ですが私でお支えできるのであればお側でお支えしたいと思います。それからヴィクトル様がしてくださることなら何でも嬉しいと思います。あの、なので、よろしくお願いします」
「ありがとうございます。嬉しいです」
こうして正式に付き合うことになったナタリーとヴィクトル。このあとミレイアに詰め寄られたり身内やレアンドロや国王に囲い込まれたり世話を焼かれたり怒濤の日々の中でもお互いを想い合った。
そしてナタリーの実家に挨拶に行った。有力貴族を恋人として連れてきたことに興奮したませているナタリーの妹たちの、姉のどういうところが好きなのかという問いかけに、そそっかしいけど頑張り屋なところが好きだと答えたヴィクトル。しっかり者ぶって要らぬ気を回しがちなナタリーのことをわかってくれるヴィクトルはナタリーの家族にも領民たちにも大歓迎された。