2・春の日に
色とりどりの花咲きほころぶ季節に、元婚約者からの手紙を受け取った。
使者の話では、彼女は幸せそうに笑っていたとのこと。
僕らは幼い頃には、生涯同じ道を歩むのだと信じていたのに、いつの間にかそれぞれ別の道へ迷い込んでしまったようだ。でも、ひとの運命なんてそんなものかも知れない。確かなものは何もない。だけど、誤ってしまっても、それで終わりではない。生きている限り、前へと道は進んでいく。
クリスアンは、統治者としての器量は示せなかったけれど、王妃として夫を支えていくのだろう。それで彼女が幸せになるならば、幼馴染である僕は嬉しい。
僕があの頃、恋人として彼女をみていたのか、今となってはわからない。突然王太子に任命されて、自分の感情を整理する暇なんてなかった。ただ、護るべき女性と思っていたのは確かだ。だから、いま、彼女が幸せになったと聞いて、素直に喜べるのだろう。
「ローレンおにいさま~、おちゃはいかがですか~?」
こんこんと扉が叩かれ、返事をする前に、待ち切れないように栗色の頭が開いた扉の間から覗き込む。
「まあ、マリーアンさま、お行儀の悪い。お返事も待たずに……またお母さまにお叱りを受けますよ」
「リリーが言いつけなければばれやしないもん。おにいさまは怒らないし?」
ふうと息をついて、僕はクリスアンの手紙を机の引き出しにしまって立ち上がる。
「いいよ、リリー。丁度休憩しようと思っていたところだし」
と、僕はマリーアンの陰にいる侍女のリリーに言う。
「殿下はマリーアンさまに甘すぎるのですわ」
マリーアンは、クリスアンの年の離れた異母妹、つまり側妃から生まれた王女。
クリスアンから公衆の面前で婚約を破棄されて、僕はもう婚約なんてほとほと面倒だと思ったものだけど、王太子に指名されたのに誰とも結婚しないなんて選択肢はない。
でも、勉強しか取り柄のない冴えない将来の王配と思われていた僕が、王女からの婚約破棄によって、国王陛下のたった一人の甥で第二王位継承権者だったのだと周知されて以来、手のひらを返して「以前から憧れていました」と言い寄ってくる貴族令嬢たちにはうんざりだ。
幸い陛下は、時間はまだあるからゆっくり考えなさいと言って下さる。ご自分の娘の仕出かした事を、それを止められなかった事を、ずっと悔いておられる陛下だけど、そのお言葉に甘えて僕はこの問題を二年も放ったらかしたまま、王太子として陛下を支えるほうにばかり力を注いでいた。
それに、安易に僕の意見だけで決められる問題では勿論ない。
陛下は、後ろ盾が少なく、歳もいかないマリーアンの将来を心配して、マリーアンとの婚約を密かに期待されているようだけれど、何しろ彼女はまだ余りにも幼くて、妹以上の感情を持つなんて出来ない。
七歳になったマリーアンは無邪気に笑って僕の腕にぶら下がる。同年齢の女の子より、どちらかというと幼いように僕には見える。昔から僕に懐いていたし、僕も、義妹になるのだと思うと可愛くて、妹としてずっと可愛がってきた。それを急に、事情が変わったから妻に、なんて求められても、気持ちがとても追いつかない。
―――
侍女と三人で僕の執務室からテラスへ移動しようとしていた時、別の人影が廊下の曲がり角から姿を現した。
「ローレン殿下、いつもご政務お疲れさまでございます。あちらにお茶を用意させてありますわ。さあどうぞ」
流行の最先端のドレスを纏い、常に完璧な礼儀作法を示す、美しき貴族令嬢の鑑……そう囁かれている、セレイラ公爵令嬢だ。
セレイラは王妃陛下――クリスアンの母君の姪であり、僕の妃候補の一番手と目されている。
王妃陛下は、一人娘の廃嫡を突然決められてよその国に嫁がされてしまった事にとても立腹しておいでで、あの事件以来、国王陛下夫妻の仲は冷え切っていると言う。まあ、母親としては当然な感情だとは思うけど、僕のせいではないのに、僕の事も逆恨みしているみたいで、折につけ、
「あなたが婚約者としてあの娘を惹きつけておかなかったからこんな事になった」
というような嫌味を言われる。おまけに、面と向かって言われるのはそうした嫌味くらいだけど、裏では、
「ローレンは自分が王になりたいから、あの娘が浮気するように唆したに違いないわ」
なんて言ってるらしい。冗談じゃない、僕は別に王になりたいなんて一瞬すら思った事もなかったのに。それに、国王陛下のお計らいでこうなっただけであって、単に僕が捨てられていただけ、という結果もあり得たというのに。
王配と言うのは窮屈な立場だけど、僕はそれでも女王になるクリスアンの力になりたいとばかり思って、勉学も武術も頑張ってきたというのに、酷い話だと思う。
クリスアンはあの後すごくしょげて反省している様子だったので、僕は彼女には怒っていないけれど、王妃陛下ともあろう方がこんな事を仰るのは困りものだ。国が乱れる元になってしまう。国王陛下もこの事については、頭を悩ませておられるのだけれど、王妃陛下がご自分の取り巻きに僕の悪口を言ったくらいの事では流石に処罰は出来ない。
けれど、王妃陛下の取り巻き――主に王妃陛下のご実家のウィルバート公爵一派は、既に他国へ行ってしまったクリスアンは諦め、代わりにセレイラを王妃にして権力を……という目論見を持っているらしい。
しかし、このセレイラがまた、王妃陛下にそっくりな思考回路で、「自分や家族さえ良ければ、国や王の事なんてどうでもいいわ」というのが、話しているとすかすかと見えてくるので、うんざりしてしまう。クリスアンの方がまだ、国の事を考えていたとは思う。彼女は自分が女王になるつもりだったから、自分さえしっかりしていれば、王配の負担は大きくないと思っていたみたいだし。まあ結局、女王の器では無かった訳だけどね。
それにしても、セレイラはまったくもって自己中心的なので、最近は話しているだけで苛々してしまう。なのに彼女はちっともそれに気づかず、自分の美貌に落ちない男なんていない、ローレン殿下は女性慣れされてないだけだから、そのうちわたくしの魅力の虜になるわ、なんて言ってるらしい。僕を若干女性不信気味にさせたのは、きみの従姉なんだけれどね。
―――
それはともかくとして、今、マリーアンが侍女と一緒にテラスに僕の為にお茶を用意している事を、恐らく彼女は知っていながら、被せるようにお茶に誘って来た。
王妃陛下から可愛がられているセレイラは、王女であるマリーアンを、側妃の娘と見下している節がある。
「悪いけど、先約があるんだ」
「子守でしょう? そこの侍女に任せておかれたらよろしいわ。珍しい茶葉が手に入りましたの。是非殿下に味わって頂きたくて」
「別に子守じゃないし、王女殿下のお誘いが先だったから、その茶葉は後で届けさせてくれると嬉しいな」
「まあ、義理堅くてらっしゃるのね。でも、わたくしの気持ちを喜んで頂けたのは有り難く存じます。茶葉は届けさせますわね」
……僕が嬉しいと言ったのは、『後で届けさせてくれると』=『今はご一緒しない』の部分で、贈り物をしてくれるのが嬉しい、と言ったつもりではないんだけれど、彼女との会話はこうして殆どすれ違ってしまう。それは、彼女が絶対的に自分に自信があって、マリーアンなんかライバルですらない子どもだとしか思っていないからだ。執務の合間に子守をする優しい殿下にそっと気配りをする出来たわたくし、に酔っているからだ。……疲れる。
マリーアンは、セレイラが大嫌い。しとやかに僕に礼をして去ってゆく後ろ姿を睨み付けている。
「行こうか、マリーアン。お茶が冷めてしまうよ」
僕が彼女を宥めると、途端に顰め面はぱあっと開いた花のような笑顔になって、
「うん、おにいさま、ありがとう!」
と答える。
「ありがとうも何も、マリーアンが先に僕をお茶に誘ってくれたんでしょ」
「でもぉ、ほんとは、セレイラみたいな歳の近い相手のほうが、たのしいんじゃなくって?」
「そんなことないよ。マリーアンといると、疲れが癒されるよ」
「ほんと? えへへ」
「マリーアンさま、笑い方がはしたのうございます」
「だってうれしいんだもーん」
笑いながらマリーアンはスキップしてくるりと回る。お転婆だと思ったら、
「あたらしく覚えたダンスのステップ!」
なんて言っている。思わず、疲れた顔が愛らしさに緩む。
テラスには、柔らかな陽光が差していた。




