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1・クリスアン

『婚約破棄された僕』(婚約破棄テンプレの男女逆転もの)の続編です。

この話単体でも読めるように努めますが、さらっと読めますので、短編を読んで頂いた方がわかりやすいと思います。

 フリーデル王国出身の王女クリスアンは、窓辺の椅子に座り、頬杖をついて外の景色を眺める。テーブルには、冷めかけた紅茶のカップと、美しい小瓶に入った薔薇のエッセンス。香しい匂いが私室にふわりと漂う。祖国から時折取り寄せるそれは、彼女が少女時代からお気に入りのもので、屈託なく、輝く未来を信じていたかつての自分を思い起こさせ、彼女を物憂い気分にさせる。

 それでも、この国は潮風がきつくて、どうしてもそれに馴染めず、気分が優れない日には、この香りに包まれていたいと願うのだった。

 窓の外に遠く見えるのは、賑わった港と市。日差しが強くて、彼女は少し目を細める。この国は豊かで活気がある。力強い王に導かれる、若い国だ。誰もが王を敬愛している。そして王は臣下を大事にする人格者だ。

 クリスアンは王もこの国も嫌いではない。けれど、伝統のある雅な祖国で、次期女王として育てられた彼女は、まずはお妃教育をという理由で、あっさりと祖国を追われ、二年が過ぎた今もまだ、馴染み切れていない。彼女自身はそんな気はないのだが、この国に来た経緯を誰もが知っている為、気分にむらのあるお姫様、と思われて、未だ侍女たちも恐る恐る接してくるばかり、本当に心許せる友人にも恵まれない。


「ローレン……」


 気づけば頬杖をついたまま、嘗ての婚約者の名を呟いていた。

 二年前の愚かな自分が、思い上がり、傷つけて捨てようとしたひとの名を。

 思えば、幼い頃から当たり前のように傍にいて、何くれとなく世話を焼いてくれて、婚約が正式なものになったのちは、完璧な婚約者として、次期女王であった筈の自分に対して一歩下がりつつも、誠実な愛情を示してくれていたのに。


『ローレン・アルシード公爵令息! そなたとの婚約は破棄させて頂きますわ!』

『あなたの悪事、しっかりとこの耳に届いているのよ! あなたが地位を笠に着てこのライオスを苛めていたと!』

『わたくしの夫には、ライオスのような男らしく強い男が相応しい、と言っているのです。勉学ばかりの骨男では駄目です、ローレン』


 ……卒業パーティの席上で、勝ち誇って婚約破棄を宣言したあの日を思い出す度、恥ずかしさに己を呪いたくなる。なのに、かれは突然の言いがかりにも、冷静に紳士的に対応した。

 かれの自分への気持ちが恋であったのかどうかは結局わからない。たぶん、かれ自身にもわかっていなかったのだろうと思う。幼い頃からの同じような日々の繰り返しが、いつの間にか二人の関係を単調なものにしてしまった。クリスアンは、自分にとっては初めてのタイプだった筋肉男に心を奪われて、あの男の何を知っている訳でもなかったのに、思考が停止してしまい、結果、自分から全てを投げ捨てる事になってしまった。

 ローレンが自分の為に強い男になると、昔約束してくれていたこともいつの間にか忘れて。体質から華奢に見えるだけなのに、本当は努力して、女王の夫として国一番の勇者になってくれていたのに、自分は、「もやし」「骨男」と酷い言葉を投げつけた。


 クリスアンは両手で顔を覆う。ローレンはでも、そんな自分に怒りはしなかった。「怪我をしないように」と気遣い、祖国を旅立つ時も見送りに来てくれた。


『従兄として、貴女の幸福を祈っています』


 とまで言ってくれた……。


 粉雪が降っていた。彼の細いブロンドに、粉砂糖のように雪が絡みついても、寒そうな様子も見せずに穏やかに微笑んでいた。

 でも、あの砂糖は本当は自分にとっては苦いのだ、と思った……。


「ローレン……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 明るいこの国に涙は似合わないのに、あの粉雪の日に、彼女の心はふとした弾みに飛んでしまう。

 でももう、貴男はわたくしの事など、忘れてしまったでしょうね、と彼女は自嘲気味に思う事しか出来ない。


 こんこん、と扉が叩かれる。入って来たのは、この国の王、エディスバード。彼はクリスアンの涙を見て、心配そうに近づいてくる。


「どうしたんだね、また故郷の事を思いだしていたのかい。それとも、他になにか辛い事でも?」


 醜男で女好き、その評判は当たっていた。三十前だが、小柄なのに顔が大きく、その中でも鷲鼻と分厚い唇がバランスを悪くしている。ローレンにも筋肉男にもまるで容姿は劣っている。

 だけど、その、なんにでも興味を示してくるくる動く大きな目は、愛嬌がある、とも思った。その目は今、婚儀を控えた未来の妃を愛情をこめて見つめてくる。

 最初は、愛妾が五人もいると聞いて、自分も婚儀の前に興味本位で奪われてしまうのではないか、と恐れた。でも、彼は、正妃になる自分をとても大切にしてくれて、その上で、五人の側妃も皆平等に扱っていると知った。不興をかって捨てられた女性はいないと聞く。


『私は、愛情をたくさん持っているのでね。貴女には不愉快な気持ちにさせてしまうかも知れないが、どの娘も気立てがよく尽くしてくれて、今更遠ざけてしまう事は出来ない。でも、貴女の事は正妃として一番に愛すると誓おう』


 と言ってくれた王を、嫌いにはなれない。


「大丈夫ですわ、エディス……ちょっと物思いに耽ってしまっただけですの」

「婚儀が近いから、気持ちも不安定なのだろう」


 王は傍に来て、クリスアンの額に軽く口づけする。彼のよくする動作だが、未だ慣れずに、彼女はびくっとしてしまう。

 すると王は苦笑して、彼女の差し向かいの椅子にかけ、


「いつか言おうと思っていたんだが……」


 と切り出す。


「どうなさいましたの?」

「きみが嫌だと思う事は、私は決してしないよ。つまり……きみが私を受け入れられないなら、妃の務めは果たさなくてもいい……側妃腹の王子はいるのだし。勿論、きみが王子を産んでくれれば、その子を王太子に立てて、きみの祖国との繋がりも一層深まる、とは思うのだが」


 衝撃的な言葉に、クリスアンに動揺が走る。初夜も、その後も、拒絶したいならしても良い、と言われているのだ。俯き、ドレスの布地を握りしめた腕が震える。


「どうした?」

「エディスは……陛下は……、それでよいのですか」

「私は、きみを愛している。勿論、きみを求めてもいる。だが、きみの嫌がる事はしたくないんだ。悲しい顔をさせたくない。きみの元婚約者は随分美男子だったと聞くし、それに引き換え私のご面相は……」


 クリスアンの握りしめた手に、ぽとりと涙が落ちる。


「わたくしが、陛下を嫌っていると思ってらっしゃいますの?」

「嫌われているかはわからないけど、きみのような美しい王女さまが私を愛する事が出来るとは……。それに、きみが未だに元婚約者を忘れていない事は察しているよ。勿論、責めている訳じゃない。ひとの心、特に男女のことは、自分でどうにも出来ない事もあるし……」

「いいえ。わたくしはもう、自分でどうにか出来ない愚か者である事は止めたいと思います」


 クリスアンは顔を上げる。美しい碧い瞳は涙に濡れているけれど、もう泣いてはいない。


「確かにローレンはわたくしを一番大事にしてくれるひとでした。なのに愚かなわたくしは、ちやほやされて鼻持ちならない娘になってしまい、それを忘れて他の男に恋心を持ってしまったのです」

「うん……噂で聞いたけれども」

「わたくしはもう愚かでありたくない。わたくしを大事にしてくれるひとを、わたくしも大事にしたいのです。ローレンは幼馴染で大事な従兄。手ひどく傷つけたのに、黙って許してくれた人。でも、わたくしとローレンの道は、もう分かれてしまったのです。そして、もう、その事をわたくしはこれ以上悔いない……だって、こんなにわたくしを大事にしてくれる人と、また巡り合えたのですもの」

「クリスアン……では……」


 クリスアンは立ち上がると、ややぎこちない動作で未来の夫に近づき、どこか愛嬌のある驚き顔を両手で挟み、その額に口づけた。


「愛しています、エディス。色んな事に完全に慣れるのには、まだもう少し時間がかかるかも知れないけれど、でも、あなたと本当のめおとになりたいです……」

「ありがとう、クリスアン……」


 エディスバードは立ち上がり、もうすぐ婚儀をあげる相手を抱き寄せ、唇を奪う。ちょっと目を見開いたクリスアンは、すぐに目を閉じて、その初めての感覚を味わった。


―――


 そのひと月後、盛大な婚儀が執り行われ、祖国からも祝いの使者がたくさんの祝儀を持ってやって来た。


「ローレン……殿下は息災でいらっしゃるのでしょうね?」


 今は、元婚約者は王太子の身だ。即位ももうそろそろ、と囁かれている。

 使者は、大変ご立派になさっています、と答える。クリスアンは、そんな使者に、手紙を託した。ずっと、出したかったけれど、怖くて出せなかった手紙……。


『本当にごめんなさい。どうか幸せになって下さい。許されるならば、わたくしもこの王国で良き王妃として生きていきたいと思います』

 

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