神祇省
「あっ……づぅ……!!」
全身を奔る尋常ではない痛みに目を覚ます。
目に飛び込んで来たのは真っ白な天井、鼻が嗅ぎ取ったのは病院特有の綺麗だが何となく馴染まない清浄な空気。
「あー……救急車呼ぶ前に気絶したんだが……そうか、助かったのか」
首無しライダーを討伐した時は達成感やら何やらでロクに頭が働いていなかった。
だから救急車を呼ぶことを忘れて一服なんぞかましていたのだが、
「結果オーライだな」
麻酔か何かが残っているのだろう。
痛みは感じるが、何処か遠く、加えて頭もぼんやりする。
もう一眠りするかと目を閉じようとしたその時だ。
「――――三日も寝ていたのにまだ寝るつもり?」
「!」
平坦な、そして聞き覚えの無い女の声が耳朶を擽った。
上体を起こして視線を彷徨わせると部屋の隅で丸椅子に腰掛けた少女が此方を見ている。
次郎は何を言うべきか考えあぐねていたが、それよりも先に少女が口を開いた。
「私は桔梗」
「え? ああ、えーっと……俺は……」
「戎次郎でしょ? 調べはついてるわ」
黒いスーツに黒いネクタイ、黒い革靴。
ガイアに囁かれたわけでもないのに全身を黒に染め上げた少女はハッキリ言って怪し過ぎる。
「本当なら霊薬でちゃちゃっと治してあげても良かったのだけど……ええ、その必要性は無いみたいだし?
”穢れ”によって獲得した能力を使えば薬なんて使わずとも快復は可能だもの。霊薬だってタダじゃないものね」
訳の分からない言葉を矢継ぎ早に放つ桔梗に次郎は何も言えずに居た。
普段ならもう少し違うのだが、生憎と今は寝起きだ。
薬も残っているような状況ゆえ、イマイチ反応が鈍い。
それを知ってか知らずか桔梗は傍らに置いてあった旅行用のキャリーケースを引いてベッド際まで近寄る。
「ちょっと失礼」
「え? へ……いぎぃ!?」
左手に嵌められたギプスが桔梗の一撃によって粉々に砕け散る。
その瞬間の衝撃が全身を奔り痛みが加速。意識は一気に覚醒した。
「な、何しやがんだテメェ!?」
「失血、筋肉の断裂、大小問わずあちこちの骨が逝ってて……特に酷いのは左腕と右足。でも大丈夫、そう、これさえ食べればね」
そう言ってキャリーケースを開けると、
「!?」
匣の中にはみっしりと死体が詰められていた。
その死体が何の死体であるかなど次郎には直ぐに理解出来た。
何せそれは自分が殺した相手の骸なのだから。
「お、おおおおお、おま……お前……!」
ぱくぱくと溺れる金魚のように口を開閉する次郎だが桔梗はお構いなしに腕を取った。
「いだだだだ!!! お、おい……やめ、止めろ!!」
「直ぐに終わるから」
もう何が何だか分からない。
力で振り解こうにも桔梗の腕力が強過ぎて振り解けない。
無論、怪我と言うバッドステータスもあるのだろうが次郎の見立てでは平時であっても不可能。
つまるところ、異常なのだ。単なる少女にしか見えない桔梗の力は。
「!?」
驚愕はまだまだ終わらない。
自身の左手の平にいきなり”口”が浮かび上がったのだ。
それは次郎の意に反してガチガチと歯を鳴らし――――首無しライダーの死体へと喰らい付いた。
「ッ……」
むしゃむしゃと、ぐちゃぐちゃと、育ちの悪い子供のように一心不乱に骸を喰らう”口”。
次郎が思わず顔を顰めてしまうのも無理はないだろう。
「あら、グロテスクな光景には耐性が無いの? あれだけ凄惨な暴力を振るったのに」
「……それとこれとはまた話が別だろうが」
その”口”は自身の身体の一部から浮かび上がっている。
味や感触が自分にも伝わるのかと思っていた次郎だが、幸いなことにそれはなかった。
なかったが、変わりに別の変化が表れていた。
「(痛みが、引いていく……?)」
先程まではじっとしているだけでも鈍い痛みが熱と一緒に身体を陵辱していた。
だと言うのに、その痛みと熱が嘘であるかのように消え去っていくのだ。
変化はそれだけではない。ぐちゃぐちゃに曲がりくねっていた指が正しい位置に戻り、傷口もじゅうじゅうと音を立てながら塞がっていくではないか。
「……おい、一体何がどうなってやがる?」
「知りたい?」
「当たり前だろ!!」
「そう。なら、何処から話そうかしら? 何処から聞きたい?」
「何処からって……」
少しだけ言葉に詰まるものの、直ぐに聞きたいことを頭にまとめてそれを切り出した。
「アンタらは、あの手の化け物を相手取る組織って認識で間違いは?」
「あら、組織じゃなくて個人かもよ?」
「そりゃねえだろ。あの状態の俺を病院に運べば、事件性を疑われて然るべきだ」
ただの交通事故では説明がつかない傷が幾つもついていたから。
まだ骨折や打撲は良いかもしれないが、明らかに刃物でつけられた傷が複数あったのだ。
ガラスに突っ込んだのならばまだしも、医者が調べれば直ぐに分かる。
鋭利な刃物で切り刻まれたのだと。
「そうなれば当然、警察も出張って来るはずだろ? じゃあアンタは警察か? いや違うね。
だってのに、事情を聞かなきゃいけない人間の病室に医者でもねえのに陣取ってんだ。組織って線が一番しっくり来る」
病院そのものに息がかかっているのか、警察組織にも影響力を持っているのか。或いはその両方か。
どれにせよ一個人と言う線は限りなく薄いだろう。
「加えて、俺はアンタらのような人間を見た覚えがある。
ああ、どうせ俺のことも調べ上げてるだろうから説明は省くが公平の葬式に来てただろ? おたくの人間」
その指摘に桔梗はほんの少し口の端を釣り上げ、ぱちぱちと小さく拍手をした。
「御名答。気付いていたのね」
「いや、ついさっき思い出したのさ。ああ、何か似た雰囲気の奴を見た覚えがあるってな」
次郎は鼻が利く人間だ。
将来的には探偵や刑事のような職業が似合いだろう。
「そう。でもまあ、若いのが行ったせいで手違いが起きたようだけど」
「俺だな?」
「ええ。あなたの友人が殺された一件よりも以前からゴタゴタしていてね、被害者以外にも目撃者が居ると発覚するのも遅れてしまったの。
一応、出向く前に目撃者があれやこれやと吹聴していないか調べてから向かったんだけど……すれ違いだったわね」
目撃者、と言うのはケンのことだろう。
「葬儀会場に行き記憶を消した段で、後始末は終わったと勘違いしていたようでね。
あなたのことを発見出来たのも偶然。首無しライダーの始末に乗り出し、現場に向かってようやくよ。
ビックリしたわ。三徹目最後の仕事を済ませようと思ったら既に終わっていたんだもの」
「(……記憶を消す、か)」
セオリーに倣えばそんなところだろうと思ってはいた。
思わず苦いものが滲み出してしまうが、当然だろう。
この流れから考えれば、当然自分の記憶も消されてしまうのだから。
桔梗はそんな次郎の思いを察したのか、皮肉げな笑みを浮かべて問いを投げる。
「記憶を消されるのは嫌?」
「ああ、嫌だね。誰も、家族ですらもが公平がどんな風にその生涯を終えたのか知らないんだ。
知ってるのは縁も所縁もないアンタらのような人間だけ。それじゃ、あんまりにも寂しいだろう」
だからせめて友人である自分ぐらいは覚えていたいと素直な気持ちを吐露する。
「存外……いえ、わざわざ化け物相手に敵討ちを敢行するんだもの。情が厚くて当然か」
「……で、どうするんだ?」
「せっかちね、でも良いわ。私も暇じゃないもの。戎次郎。あなたには二つの選択肢があるわ」
ぴっ、とピースサインを作るように指を立てる桔梗。
「一つ、語るまでもないでしょうけど記憶と芽生えてしまった”穢れ”を洗浄し日常生活に帰る」
「穢れ?」
「さっき左手に出来た口のことよ。まあ、今はその詳細については置いておきましょう。
一つ目の選択肢を選ぶなら気持ち悪い口が万が一にも出てしまうようなことが無いとだけ認識していれば良いわ」
「”今は”、ねえ」
「頭の巡りが悪いようではなさそうだから察していると思うけど一応二つ目についても説明させてもらうわ」
「ああ」
「二つ目、私達の組織に所属してあなたがぶち殺した首無しライダーのような化け物をこれからも相手取っていくか」
勿論それには命の危機がついてまわる。
自衛隊や警察、消防なんかよりもよっぽど死ぬ可能性は高い。
そんなことは説明されるまでもなく分かっている。
分かっているからこそ、答えは一つだ。
「二つ目でよろしく」
「即答ね。ちょっとは考えなくて良いのかしら?」
「考えるまでもない」
自殺志願者でも何でもないし、復讐によって区切りはつけた。
だから進んで命を危険に晒す必要は無いのだろう。
だが、それでは納得が出来ない。公平の死を覚えていてやれないのは承服しかねる。
命の危機と納得を秤にかければどちらに傾くかなど明白だった。少なくとも次郎の中では。
「そう、なら支度をなさい。あなたの家から着替えは持って来てあるから」
「話が早いじゃないか。まるで俺がこうすることが分かっていたみたいだ」
放り投げられた紙袋の中には部屋着用の黒いジャージ一式が詰まっていた。
次郎は女性の目の前だと言うのに気にすることなく服を脱ぎ、包帯を剥ぎ取りジャージに袖を通す。
「ところで、俺が着ていた特攻服なんだが……」
「安心なさい。ボロボロだったけど処分はしていないわ。そのままあなたの家に置いてある」
「OK、憂いはなくなった。それで、これからどうするんで?」
「私達の根城に案内するわ。着いて来なさい」
手続きのようなもの一切せずそのまま病院を後にした二人。
桔梗が運転する車に揺られてしばし、次郎がやって来たのは新宿。
もっと詳しく言うのであれば東京都新宿区西新宿二丁目8番1号――つまりは東京都庁だった。
駐車場に車を停めて真正面から都庁に入るも、
「(……すんげえ浮いてる)」
ジャージにサンダル姿の高校生が都庁を闊歩すると言うのはそれだけで目立つ。
目立ちはするがしかし、呼び止められるようなことはなかった。
「ってトイレ?」
やって来たのは三十二回にある清掃中の札がかかった女子トイレだった。
「此処が今日の入り口。ああでも毎回変わるから次も同じってわけじゃないわよ」
「まあ……都庁の中にそのまま本部的なのがあるとは思ってなかったが……ってか入り口変わるの?」
「変わるわ。まあ、端末が支給されれば一人でも来られるようになるから安心なさい」
「なーる」
毎回毎回女子トイレに入るのはキツイのでそれはありがたかった。
とは言え今回は入らなければいけないのだが。
桔梗と共に女子トイレ内にある個室に入る次郎だったが、当然の如くトイレは一人用だ。
ぶっちゃけ狭い。女子トイレの個室で女の子と二人――猥褻の臭いがぷんぷんしやがる。
「まかり間違って一般人が入っても迷い込まないように、特殊な手順が必要なの。
それも端末が支給されれば毎日場所と一緒にメールが来るから覚えておきなさい」
「あいよ」
ウォシュレットなどを起動するボタンをゲームの隠しコマンドの如く押していく桔梗。
すると、
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
個室が回転し始めたではないか。
ぐるぐると回る視界、溢れる光、眩しさに目を閉じた次郎が次に目を開くとそこは――――
「お、おぉう……」
敢えて近しいものを挙げるのであれば空港か。
トイレに居たはずなのに、気付けば何時の間にか空港のロビーに迷い込んでしまった。
ただ、真っ当な場所でないことは誰の目にも明らかだ。
黒スーツ黒ネクタイの人間が忙しなく動き回っているのなんて序の口。
明らかに人間ではない者らが跋扈し、ガラスの向こうに見える外の風景は黄昏。
挙げていけばキリが無い異常なものばかり。
「こりゃ、すげえな。どうなってんだ?」
圧倒されているのだろう。あんぐりと大口を開けてきょろきょろと辺りを見渡す次郎はまるで上京したばかりのおのぼりさんのようだ。
「私達が普段暮らしている現実とは一つ二つ位相がズレた空間に裏都庁はあるの」
「へ、へえ」
まるで意味が分からないがとりあえず頷いておいた。
「――――幻想跋扈す神祇省へようこそ、歓迎するわ」
歓迎の言葉は短かったが、そこに嘘はないように思った。
「じん、ぎしょう……」
「組織の名前よ。さあ、こんなとこで突っ立ってないで行くわよ」
「あ、待ってくれよ!」
カツカツと革靴を鳴らし、颯爽と歩き出した桔梗の背を慌てて追う。
「おはよう桔梗さん」
「ええ、おはよう」
「その子は?」
「ルーキーよ」
「若くない?」
「そうね、羨ましいわ」
「ちくわ大明神」
「おい馬鹿! 撃たれるぞ……ってああ! もう撃たれた!?」
人間、人外問わずすれ違う者らに声をかけられる桔梗を見ていて一つ気付いたことがある。
「(……やっぱ見た目通りの年齢じゃないんだな)」
桔梗に語り掛ける者らには年長者を敬う視線が散見された。
そしてその中にはどう見ても二十三十どころか、四十や六十を越えている者も居た。
尚、発砲についてはスルーした。撃たれた人間が脳天に大穴を開けたままハァハァ興奮しているから。
その後もちょいちょい似たような事例に出くわしつつ連れて来られたのは講習室。
「それじゃあオルガ、彼に軽く神祇省についてレクチャーしてあげて頂戴」
「はーい、御任せください。それじゃ戎さん、お座りくださいな」
桔梗は中に居た妙齢の外人女性にそれだけ告げて部屋を後にした。
何だかハシゴを外された気がしないでもなかったが、次郎は促されるままに着席する。
「それでは此方を」
「……」
渡されたのは真っ黒な表紙の薄い本だった。
何だろうかと中身を検めてみたがまるで読めない。
「読めないんですけど」
「え? あ、ああごめんなさい! それはブリヤート語のガイドでしたね。ちゃんと日本語を用意したはずなんですが」
「(……ブリヤート語?)」
「えーっと……ありましたありました。では、此方を」
軽く中身を改める今度のはちゃんとした日本語だった。
「それでは改めて、神祇省について御説明させて頂きますね」
「……よろしく」
そうして、組織の理念やら待遇等についての説明が始まった。
とは言え、次郎の頭には殆ど入って来なかったが。
いや、真面目に聞くつもりはあったのだ。あったのだが、外からとても無視出来ない雑音がドンドコ飛び込んで来たせいでまるで集中出来なかったのである。
「基本はツーマンセルで行動するわけですが、高位の人外を相手取る任務においては小隊中隊大隊規模にも……」
「(……日常茶飯事なのか?)」
教師役のオルガが平気の平左でレクチャーを続けていることに若干引く次郎であった。
「基本的なことは以上になります。質問等はおありですか?」
「え? あー……」
「ふふ、直ぐに思い浮かばなければ後程パートナーの方――まあ、桔梗さんですね。
桔梗さんに伺ってくださいな。本当はもうしばらくお付き合いしたいのですが……申し訳ありません。少々仕事が立て込んでいまして」
「ああいえ、御気になさらず」
「ありがとうございます。では、桔梗さんが戻って来られるまでこの部屋で御待ちください。お茶やお菓子は自由に食べて頂いても結構ですので」
それでは、とオルガは足早に去って行く。
どうにもこうにも慌しいが、
「(桔梗も三徹目とか言ってたしな……)」
時期が悪かったのだろうと思い直し少し冷めた茶を啜る次郎だったが、
「邪魔するぜよ」
「――――」
その衝撃を何に例えようか。
言葉は失われ、思考は止まり、ただただ唖然呆然とすることしか出来ない。
少なくとも、病室で自分の手から口が生えて来た時よりも衝撃的だったのは間違いない。
「ちゃちゃちゃ、しょうまっことこがな若いのが来おるとはのう」
男は次郎に近付き興味深そうにその顔を眺めている。
黒いスーツ、黒いネクタイ、ああ、それ自体は普通だ。
いや、次郎的には思うところもあるけれど少なくともこの神祇省と言う組織内では普通のこと。
組織に属する人間の制服であろうことは余程の馬鹿でもない限り察しはつく。
だが、だが……。
「おんしゃー幾つじゃ?」
「じゅ、じゅうなな……」
「十七! ややや、昔ならともかく今じゃ成人にも満たん年齢やか」
問題はその容姿にあった。
「明治大正の頃でも、いや、あん頃でもスカウトするんは二十を超えたもんばっかじゃったな。
十代の子供となると……何時以来じゃ? わしが所属する前にはあったんじゃろうが……」
見たことある、この顔すっごく見たことある。
「少なくともわしが入ってからは初めてじゃきぃ」
教科書で見たことある。
「あ、あの……あ、アンタは……」
「ん? わしか? おお、わしとしたことが名乗るのが遅れてしもうたぜよ」
大河にもなってる。
「神祇省の長を務めちょう――――Rっちゅーもんじゃ」
「龍馬だよな? 龍馬だよなアンタ?」
「知らんのう」
「いやだって、あんたどう見ても……」
「ほがな、福山雅治臭漂うイケメンの名は知らん知らん」
「うるせえ! 雑コラみてえな見た目しやがって! 龍馬だろ!? 龍馬なんだろ!?」
「ははは、元気じゃのう。若いゆうんはそれだけで羨ましいもんじゃ」
うんうんと頷くりょ……Rを見て次郎はいよいよ頭痛を堪えきれなくなって来た。
「これから同じ釜の飯を食う仲間じゃき。よろしく頼むぜよ」
「え? あ、ああ」
差し出された手を握り――悟った。
喧嘩慣れしている次郎のヤンキーセンサーは鋭敏だ。
手を握るだけで、どれ程のものか大体のところが分かってしまう。
「(……コイツ、つええ)」
真正面からやり合っても十中八九勝てないと言うのが次郎の見立てだった。
「(まあ、剣術の達人だったみたいだし……いやそもそも、時代が時代だ。
剣術云々がなくても、現代のパンピーである俺より色々な面で逞しくて当然だわな)」
感心している次郎だが、何もそれは彼だけではない。
「(こりゃあ……強いのう。我流の喧嘩殺法じゃろうが、見るべきは、真価はそこじゃあない)」
生きる力。生き抜く力。
命の優劣を競う上で絶対条件となる生命力に満ち満ちている。
こう言う輩は強い。窮地に陥ろうと土壇場で逆転し勝利と生存を引っ掴むことをRは経験則で知っていた。
「(成る程。桔梗さんが目をつけるだけはある。こりゃあ単なる有望株じゃのうて……)」
「?」
一瞬、寂寥を滲ませた顔をしたRに疑問符が浮かぶが、彼は直ぐに人好きのする笑みに表情を変えてしまった。
「さて、有望なルーキーに目をかけぬは大将の器が疑われるっちゅーもんじゃ。ええもんくれちゃる」
「え? いや別に……」
「ちゃちゃちゃ、遠慮しな!」
カラカラ笑ってRが懐から取り出したのは拳銃、そして刀の柄だった。
拳銃はともかく、刀の柄を貰ってどうしろと? そんな次郎の疑問を感じ取ったのだろう。
「こりゃあ、持ち運びに便利なようにしとるだけで……ほれ」
柄を軽く振るうとキィン、と言う清涼な音と共に鍔と刃が形成される。
「おお!」
次郎も男の子。
この手の少年ハートを擽る一品を前にして胸を高鳴らせると言う方が無茶だろう。
「標準装備の数打とは違う、名刀よ。名は陸奥守吉行MkⅡ、拳銃の方はS&WモデルZじゃ」
「隠す気ねえだろアンタ!? つか、現代被れし過ぎだバーカ!!」
「ハッハッハ! ほいじゃあわしはこれで。気張れよ若人!!」
バンバンと背中を叩きRは去って行った。
一体何をしに来たのかと思ったが、まあ深く考えても無駄だろう。
「(年季が違う。考えてることなんて分かりゃしない)」
諸々の材料から推察すれば異例の若さで入省した自分の顔を見に来たと言うのが一番あり得そうだが……さてどうなのか。
受け取った二つの武器を眺めていると、またしても扉が開かれた。
「待たせたわね……ってあら、それって……」
「え? ああこれ? Rとか言うオッサンに貰ったんだよ」
「へえ、彼に? ふぅん、気に入られたみたいね」
「そうなのか? ところでアイツって坂本りょ――――」
「武装も持って来たけどそれがあるなら要らないわね。ものはそっちの方が断然良いし」
「そうなのか。ところでアイツって坂も――――」
「はいこれ。制服と端末、それとIDカードね。ただ、カードの方は当座のもので正式なやつはまた後日ってことになるわ」
「(何でコイツら頑なに認めねえんだよ……)」
若干もにょる次郎であった。
「ああ、そういやさ。結局、俺の手から出た口って何なんだ?」
渡されたスーツに袖を通しながら気になっていたことを口にする。
だが聞かれた桔梗は呆れた表情になってしまった。
「オルガに聞かなかったの? と言うか説明してくれなかったの?」
「え? あー……どうだろ? 外が色々喧し過ぎて、その……」
「聞いてなかったのね。案外肝が小さいこと」
「るせえ! 普通の人間がこんなとこ連れて来られて徹頭徹尾冷静でいられるもんかよ!」
「普通……?」
「何だよその顔は!」
普通の人間は親友を殺されても化け物相手にお礼参りになんていかないだろう。
お礼参りにもいかないし、あんな手段でボコるわけがない。
「まあ良いわ。仕事に集中出来なくなっても困るし説明してあげる」
「ん、頼むわ」
「分かり易く、と言うか見たまんま告げるなら超能力ね。私達はそれを”穢れ”と呼んでいるわ」
空想を空想のままに、その理念がゆえに”穢れ”。
同時に穢れと言う名称には毒を以って毒を制す。大義がためならば泥を被ることも厭わずと言う決意も秘められている。
「大体は、入省した後に付与されるものなんだけど……」
「え? 何? ひょっとして俺生まれながらの超能力者? 選ばれし者?」
「……」
「わ、悪かったよ。ちょっとした冗談だよ」
「あなたの冗談はつまらないわね」
桔梗をよく知る者がこの場に居れば発砲しなかったことにさぞや驚いたことだろう。
「穢れを得るためには今の世界において空想とされる者を自らの手で殺し、死ぬ際に発露する陰気を摂取する必要があるの。
だから通常は入省した後で、殺しても良いような連中を瀕死にしてルーキーにトドメを刺させることで穢れを獲得させているわ」
能力の獲得方法が割りとえげつなかった。
若干頬を引き攣らせる次郎だが、説明お姉さんこと桔梗は平然としている。
神祇省の職員として働く以上、彼女のような冷徹さが必須なのだろう。
「発現する能力は千差万別。とは言っても、同じものがまったく出ないわけでもないわ」
「へえ、ちなみに俺のは?」
「残念ながらそこまで珍しいものではないわ。私も同じの持ってるし」
「つーとお前も口を?」
桔梗は無言で右手の平に口を形成して見せた。
ただ、熟達しているお陰か次郎のように好き勝手な動きは見せていない。
「名は”悪食”。呼んで字の如く何でも喰らうことが出来るわ。
喰らったものを糧として生命活動を維持したり怪我や病気を回復させることも出来る”当たり”の能力ね。
これがあるのと無いのでは生存確率がぐっと変わって来るもの。
まあその分、孤立無援になりかねないハードな任務も回って来るのだけど」
「……」
当たり、と口にした時の桔梗の表情。
皮肉げな、それでいて悲しげなものに見えたのは気のせいだろうか?
次郎はほんの少しだけ言葉を失った。
「そして同じ力を持つ者同士なら、干渉も出来るわ」
「干渉……ああ、病室でやったあれか」
「そう。外部から力を操って無理矢理使用させたの。これからもちょいちょいしていくから覚悟なさい」
「何で?」
「そうやって力を使う感覚を覚えさせるのよ。その方が熟達が早いもの。
そう言う面でも当たりなの。SSRじゃなくて良いとこSR、もしくはR程度のレアリティだからこそ出来る練習法よ」
「???」
「呆れた。今時の学生なのにソシャゲもしないの?」
「逆に聞くけど今時の学生が皆ソシャゲやってるとでも思ってんの?」
だとすればとんだ偏見である。
「親のカードで皆ガチャしてると思ったのだけど……まあ良いわ。他に質問は?」
「あー……じゃあ一つ。こう言う秘密組織に入る場合さ、これまでの生活はどうなるんだ?」
そこも聞かずに入省を選んだのは軽率ではないか?
と思うかもしれないがそこはそれ。無論、次郎も考えていた。こう言う場合の最悪を。
それでも構わないと思ったからこそ、彼は選んだのだ。
とは言え好んで最悪を拾う趣味があるわけではない。それゆえの確認だ。
「社会人なら転職……公務員や私達の息がかかった企業に属しているのなら転属と言う形になるわね」
「そう言う質問じゃないのは分かってるだろ?」
「ちょっとした冗談よ」
「(人にはあれこれ言う癖に……)」
「”そのまま”で構わないわ。ええ、戸籍上は死ぬとか何処にも居ない人間になれなんて言わない」
「……それって大丈夫なのか?」
神祇省に敵対する者らが職員の身内を人質に、なんてのは馬鹿でも想定出来る事態だ。
無論のこと桔梗――ひいては神祇省の者らがそこを理解していないわけがない。
理解していて、その上で良しとしているのだ。
「何か問題があって? ――――そんなことをする連中は世を乱す不穏分子以外の何者でもないのだから」
「……餌ってわけか」
分かり易く敵対している者らはともかく表面上、そうではない者達。
腹の中では、或いは秘密裏に神祇省、ひいては今の世界に叛いている者らが居る。
そんな連中が職員の身内を利用しようとすれば格好の名分になると言うわけだ。
「ま、そう言うことね。大概は雇われ、或いはロクに上のことも知らない末端が実行犯だけど……」
「それならそれで人外全体への締め付けに利用出来る、か」
「理解が早いようで何よりだわ」
大人しく暮らしている人外に対して神祇省は友好的だ。
そして神祇省と友好的な人外は締め付けが起きても不都合はそこまで大きくない。
皆無ではないが、人間との協調を選んだ時点で彼らはそれを承知している。
不都合が起きるのは敵対者と、どちらにも良い顔をする灰色に属する者達だけだ。
「他にも職員の身内を護衛する人員をってことで人外の雇用にも利用しているけれど……まあそれは余談ね」
「此処に居る連中は皆、そう言う覚悟をしてるってわけか」
「一応は、ね。いざその時になれば……さて、全員が全員と言うわけにはいかないでしょうけど」
その場合は解雇するだけ、そして人質に取られたとしても人質ごと踏み潰すだけ。
如何なる理由があれ敵対者には決して阿らない鉄の組織、それが神祇省なのだと桔梗は嗤う。
「ただ、要望があるなら入省の際に総てを白紙にすることも出来るけどね。でも、あなたは要らないでしょ?」
「まあ、孤独な身の上だしな。強いて言うなら友達ぐらいだが……」
その友達も多いわけではなく、先だって一番の親友が死んだばかりだ。
戎次郎と言う人間は、悲しいことに身軽な男だった。
「結構。それじゃあ、仕事に向かいましょうか」