首無しライダー
それはまだ桜も散っていない、新学年が始まって一週間後のことであった。
その日は涙雨で、ああ、これでもかと場に合わせた天候で次郎は我知らず苦い顔を作っていた。
「……お悔やみ申し上げます」
普段のそれとは違い、しっかりと学生服を着込んだ次郎は受け付けで香典を渡し葬儀場の中へ。
足取りは重く、正直な話しをすれば凄まじい虚脱感だった。
それでも萎える心と潤みそうになる瞳に活を入れて祭壇の前へ歩み出る。
遺影として使われている写真を見れば、次郎もよく知る粗野な笑みを浮かべた友人が。
だけど、その荒っぽい笑顔はもう二度と現実でお目にかかれるものではなくて……。
「……」
目を瞑り、ほんの数秒立ち尽くしたが此処で泣き崩れてしまうのは忍びない。
家族でも何でもない、友達である自分ですら悲しいのだ。
であれば家族の悲しみは如何程のものか。
今此処で自分が泣いて、遺族の悲しみを助長させることもあるまいと必死に涙を堪え震える手つきで焼香を済ませる。
「さようなら」
そんな言葉で心の整理はつかない、まだまだ時間が必要なのは分かっている。
分かっていてもこれは必要なこと。
整理をつけるための第一歩として別れの言葉が必要なのだ。
少しくぐもったさよならを告げて、次郎は会場の外に出た。
礼儀として最後まで葬儀に参加していくべきなのだろうが、中に入れば泣いてしまいそうだったから。
「……そりゃねえよなぁ」
濡れるのも構わず雨天の下、ぼんやりと立ち尽くす。
哀愁漂うその姿は普段の次郎を知る者からすれば別人のように映ることだろう。
「夏休み入ったらよ、一緒にバイクで日本一周しようぜとか誘っといてよぅ。事故ってんじゃねえよ」
その呟きはすれ違う新たにやって来た参列者の耳にも届かないようなものだ。
雨音に掻き消され虚しく宙に消えていく言葉――だったはずなのに。
「――――事故じゃないよ」
その声に振り向けばそこまで親しいわけではないが見知った顔が立って居た。
「お前……確か、公平とよくつるんでた……ケン、だっけか。おい、事故じゃないってどう言うこった?」
友人の舎弟的存在であったケン。彼の様子は些か変だ。
暗い空の下でも分かる程に悪い顔色、何かに怯えるような瞳。
ただならぬものを感じた次郎は彼の手を取り、人気の無い場所へと連れて行く。
「おい、お前大丈夫か?」
「……」
親しい人間が死んだから、無論それもあるのだろう。
だが先の言葉と次郎の鼻が嗅ぎ取った違和はそれだけではないと告げている。
とは言え、だ。気の毒なぐらい憔悴した様子を前にすれば無理矢理聞きだすことも憚られる。
どうしたものかと悩んでいると、
「誰にも、誰にも信じて貰えないから……誰にも言ってない」
「あ?」
「公平くんは……公平くんは、殺されたんだよ……」
ガチガチと歯を鳴らしながら自分の身を掻き抱くケンを見れば誰でも分かるだろう。
恐怖を覚えている、それも尋常ではない恐怖を。
「こ、ここに来ればジロくんに会えると思って……それで、それで……!」
「まあ待て落ち着け。殺された? 誰に? 何で?」
次郎の知る公平は誰にも怨まれないような聖人君子ではなかった。
いやむしろ恨みなら多く買っていただろう。
いわゆる札付きの不良で、色んな対立があったことは明白だから。
しかし、しかしだ。怨みを買う連中に殺されたのならばその情報が入って来るはずだ。
「公平の母さんからは、事故でアイツが……って聞いたぞ?」
「わからない……わからないよ! でも、何でかそういうことになってたんだ!!」
「あぁ? お前ちっと落ち着けや!!」
このままじゃ話しにならないと次郎は一発、強烈なビンタを見舞った。
先程は色々気を遣っていたが、その必要は無いと判断したのだ。
ケンは話しをしたいから引き止めて、今もこの場に残っている。
ならばその通りにさせるべきだろうと考えたのである。
「い、痛いよジロくん……」
「一から順に話せ」
濡れた髪が煩わしいと髪をかき上げつつ話しを促す。
状態回復ビンタのお陰だろう。
些か冷静さを取り戻したケンはゆっくりと語り始めた。
「俺、ジロくんと一緒に最近熱いらしい××って峠まで行ったんだ」
「おう」
その峠の名は次郎も知っていた。
いわゆる走り屋が集う場所で、公平も気になっているとメールで言っていたから。
加えて母親から聞いた事故が起こった場所とも符号している。
「夜中の……二時ぐらいかな? 行ってみたんだけど……全然がらんとしててさ。
こりゃ今日は外れかなとか言いながら、直ぐに帰るのもアレだしって二人で走ってたんだ」
如何にも”らしい”友人の振る舞いだ。
此処までの段階で、不審な点は一つも無い。
「五分ぐらい走ってたらさ、結構前の方でテールランプが見えてさ。
公平くん、居るじゃねえかってスピード上げてそいつのケツについて煽り始めたんだ。
公平くんもそのライダーも、かなり腕があるからさ。俺は着いてくのがやっとだった」
そこまで話したところで、ケンの顔が一気に曇った。
どうやら此処から良からぬ流れに入るらしいと次郎は覚悟を決める。
「少しばかり競り合ってたけど、結局公平くんがそいつを追い抜いた。
ああ、二人の後ろに居た俺だから気付いたんだ。
公平くんが抜いた瞬間、あのライダーのヘルメットが取れて、そいつ……そいつ……」
「どうした?」
「――――首が、無かったんだ」
「……」
首無しライダー、有名な都市伝説だ。
次郎も詳しいわけではないが名前ぐらいは聞いたことがある。
「お、俺……公平くんに言おうとしたんだけど、怖くて、声出なくて……。
そいつが正体を現してからも、公平くん、ぐんぐんスピード上げて……。
アイツも追いつこうとしてたんだけど、どうしても、ケツにつくぐらいしか出来なくて……俺も、化け物だろうが公平くんにゃ勝てねえんだってちょっと調子乗ってたんだ」
突然、オカルトな存在が目の前に出現した。
だがそいつは人ならざる者でありながら人と競っても人に勝てない。
心の安定を取り戻すのには十分な要素だったのだろう。少なくとも彼にとっては。
だが、
「そしたら、そしたらアイツ! く、首を刎ねたんだ!!」
「首を……刎ねた?」
「ああ!」
真っ当な競り合いでどうしても勝てず焦れてキレたかのように首を刎ねたのだとケンは言う。
「み、右腕から飛び出した黒い靄みたいなのが刀になって……それで、公平くんを……!
お、俺……怖くなって……逃げ出して……部屋に閉じこもって震えてたんだ」
臆病者、薄情とは罵れまい。
常識の外にある化け物が目の前で人を殺したのだ。
恐怖を抱いて逃げ出すのは、むしろ人として当たり前のことだろう。次郎もその点について責める気は毛頭なかった
「公平くんのお母さんから連絡が来て、公平くんが事故で亡くなったって聞いて……だって、おかしいだろ!?」
バイク事故で首が飛ぶ、あり得ないことではない。
あり得ないことではないのだが状況を考えるべきだ。
ケンの知る限りあの場では、事故を起こしても首が飛ぶような要因は何一つとしてなかった。
「外傷はそこまでないけど打ち所が悪かったらしいって言われてそんなバカな思った。
俺、直ぐに公平くんの家に行って確かめてみたら公平くんの首はしっかり繋がってた。
夢なのかって思ったけど、でも、夢じゃなかった。飛んで来たこ、公平くんの首から噴き出た血が俺のバイクに……!」
もう訳が分からなかったと頭を抱えてしゃがみ込むケン。
よく見れば目には深い深い隈が刻まれている。
恐らくは首無しライダーとの遭遇から今日に至るまで一睡もしていないのだろう。
「…………成る程な」
「し、信じてくれるのかい?」
「ああ……そりゃ俺だってお化けなんて存在するとは思っちゃいないさ」
だが、
「お前が嘘を吐く理由が何処にもねえからな」
次郎の知る限りケンはよく公平を慕っていた。
そんな彼が葬儀の場でくだらない与太話をするとは思えない。
それも、公平にとっては親友と言っても過言ではない間柄の自分に。
加えて理由はともかく仮に嘘を吐くとしても、それならそれで少しは”らしい”嘘を吐くはずだ。
首無しライダーに殺されたなんて荒唐無稽な話しを一体誰が信じる?
「あ、ありがとう」
「礼なんざ要らねえよ。しかしお前、何で俺に話した?」
ケン自身も言っていたがこんなの誰に言っても信じてもらえない類の話だ。
「……公平くんが、前言ってたんだ。”次郎はちゃんと話を聞いてくれる奴だ”って」
どんな内容であれ真剣な気持ちで話せば真剣に向き合ってくれる。
だから何かあった時、相談相手としては打ってつけ。
次郎は知らなかったが、そんなやり取りが何時か何処かであったらしい。
「……そうかい」
照れくさくはあるが嬉しい。
しかし、そう言ってくれた友人が今はもう居ない。それは悲しいことだ。
悲しいことだが、今、次郎の胸には沸々と煮え滾るものがあった。
葬礼の場ゆえ、決してこの場で爆ぜさせる気は無いが……。
「おいケン、例の首無しライダー……どんな単車乗ってた? 車種は分かるか?」
「え」
「他にも覚えている限りのことで良い、野郎について思い出せることは全部話せ」
そうして十数分、次郎は微に入り細を穿って首無しライダーについての情報を聞き出した。
聞かれたケンからすればどうしてそんなことを? と思うような質問ばかりだったがその気迫に圧されて真意を問うことは出来なかった。
聞ける限りのことを聞いた次郎はケンに礼を告げ、その場を後にする。
悲しみに打ちひしがれて雨に打たれていた時と違い、その顔には気力が満ち満ちていた。
「ん?」
ふと、出口のところで妙な人物とすれ違う。
葬礼の場だ。学生以外の参列者は皆、一様に黒衣を纏っている。
だが、今すれ違った人物は黒衣は黒衣でも喪服とは些か趣が異なっていた。
「(……まあ良いか)」
が、直ぐにどうでも良くなった。
それよりも何よりもやらねばならないことがあるから。
家路を急ぐ次郎の顔は何時しか獣の如き凶相へと変じていた。
「――――化け物なら殺しても罪になんねえよなぁ……!」
◆
小雨滴る深夜。
次郎は自身の愛車に跨り道路のど真ん中で静かに時を待っていた。
その出で立ちは飾らず表現するなら暴走族。
一応、此処に来るまではメットもしていたが今はしていない。
加えて素肌にサラシ、そして特攻服を着込んでいるのだから暴走族の謗りは避けられまい。
如何にもなこのファッションは、決して次郎の趣味ではない。
趣味ではないのだが、目的に適した”正装”ゆえ纏うことに否はなかった。
「……」
排気筒から漏れ出る白煙が肩に担いだ鉄パイプに絡みつく。
最早語るまでもないかもしれないが、次郎はこれから首無しライダーを相手取るつもりなのだ。
無茶無謀極まるかもしれないが、どっこい、彼とてバカではない。
微塵も勝算が無く、自身の死以外の結末が見えないのであれば数日は悩んでいた。
だが、彼なりに勝ちの目を見出せたからこそ話を聞いた日の夜に迷わず討って出たのだ。
とは言え問題が無いわけでもない。
「……来なかったらどうしような」
公平らが行き会った時間帯に加えて首無しライダーを目撃した地点に陣取ってはいるが会える保証は何処にも無い。
そうなった場合、完全に無駄足なのだが目下、これ以外に手段は無い。
空振った場合はネットの噂話等を調べ上げてみようかとも考えていたが、
「ハ」
どうやら杞憂だったらしい。
雨音のせいで微かにしか聞こえないが、自分の乗るバイク以外のエンジン音が後方から聞こえて来た。
軽く振り返ってみれば確かにそれは存在していた。
「当たりっぽいな」
車種が視認出来る距離まで入ったところで次郎は首を戻した。
これからやることを考えれば緊張でうるさいぐらいに心臓が高鳴っていても不思議ではない。
だと言うのに、不思議と鼓動も頭の穏やかな湖面のように僅かな乱れもなかった。
近付くエンジン音、100m、90m、50m……距離が詰まって行く。
そうして首無しライダーのバイクとすれ違うその瞬間、
「オラァ!!!!」
手に持った鉄パイプを首無しライダーの前輪に力いっぱい突き刺した。
『!?』
前のめりに跳ね上がる車体、宙に放り出された肉体。
声は無かったが、次郎は確かにその驚愕を感じ取った。
予想通りだ。こんな手がオカルトな存在に通用するのか? と思うかもしれないがそこはそれ。
次郎とて何も考えていなかったわけではない。
先ず第一に、ケンから聞いた首無しライダーが駆るマシンの車種。それは先月発売されたばかりの最新モデルだった。
つまるところ、バイク自体は首無しライダーのようなオカルトの産物ではないと言うことだ。
無論、不思議な力でバイクを作り上げた。
或いは首無しライダーが駆るバイクはその影響を受けてオカルトマシンに変化する。
などと言う可能性も考えはしたが、それでは腑に落ちない点がある。
そう、公平に追い抜かれた際、抜き返そうと四苦八苦していたと言う点だ。
オカルトが絡んでいるのであれば速攻でぶち抜けたはず。しかし、そうはならず首無しライダーは実力行使に出た。
ならばマシン自体への攻撃は通用する、そう確信を得たからこそ次郎は攻撃に踏み切ったのだ。
心配だったのは、
「……人違い、じゃなさそうだな」
宙に投げ出されたことで外れたヘルメットの中に何も無いことを確認すると次郎は腹の底から叫んだ。
「――――追悼レースの始まりだ糞ったれが!!!!」
勢い良くアクセルを回しロケットダッシュ。
鉄パイプによる先制攻撃は宣戦布告であると同時に、打算を孕んだものでもあった。
次郎が免許を取ったのは春休みで、愛車が納入されたのは四月の頭。
端的に言って熟練度が足りていないのだ。
ゆえに真っ当なレースでは抜くことさえ出来ない。抜けねば首無しライダーの眼中にも入らないだろう。
だからこそ明確な敵意を示すと同時に、スタートで距離を稼いだのだ。
「……さぁて、どうかね。見た感じ、走れない程じゃあなさそうだったが」
法廷速度なんてものはとうにぶっ千切っている。
濡れた路面をメットもなしにかっ飛ばすのは、中々に危険な行為だ。
それでも次郎の中に恐怖はなかった。
別段、友である公平のように族と言うわけではなく前から無免許でバイクを乗り回していたわけでもない。
ただ単純に、首無しライダーへの憤怒が恐怖その他一切を忘れさせているだけ。
『!』
数分程遅れて、首無しライダーは怒りも露に次郎の追跡を始めた。
此方もフルスロットル。
先の先制攻撃で車体はダメージを負ったものの、走行には支障無し。
今、この怪物の胸を占めているのは次郎に対する怒りのみ。
怒りを向けられている次郎からすれば目論見通りの展開と言うわけだ。
「オラオラオラオラァ! すっとろいぜ! どうした首無しライダー! 俺のケツを眺めるのはそんなに楽しいか!?」
『!!』
煽る煽る。次郎の口撃は決して無駄ではなかった。
その証左に首無しライダーは怒りも露に不思議な湯気を噴き出させている。
「(……イケルか?)」
次郎の狙いは首無しライダーに攻撃を仕掛けさせることだ。
そう、友を殺した時のようなシチュエーションを再現したいのだ。
そのためには絶対に抜けない状態を維持しなければいけない。
自身のドライビングテクニックにそこまで自信があるわけではないが、
「(イケそうだな……!)」
持ち前の運動神経と極限状況で研ぎ澄まされた集中力が次郎を高みへと押し上げていた。
「おいおいおい、拍子抜けだなガッカリだ! 教習所にでも行ったらどうだ? 一からやり直せよバァアアアアアアカ」
彼我の距離は5,6m程で膠着していた。
その距離は次郎が事故らない限りは決して埋められはしないだろう。
「ッ」
ピリリ! と首筋に怖気が走る。
ちらりと肩越しに首無しライダーを見やればケンが言っていた黒い靄が刀の形に変わり始めていた。
普通の日本刀であれば大太刀であっても届かぬ距離だ。
だが、首無しライダーのそれは不思議なパワーで形成されたもの。伸縮もある程度は自在なのだろう。
「(……良いぜ、来いよ。かかって来いよ。テメェの悉くを出し抜いてぶち殺してやる)」
更に一段階、集中力のギアが上がる。
平常時であれば滅多なことでは此処まで来れないだろう。人体が自壊を防ぐ防衛機構を働かせてしまうから。
しかし、今の次郎は箍なんてものを遥か彼方へ放り投げてしまっている。
本人は意識していないのだろうが、今の次郎はある種の超人と化していた。
「(一呼吸、二呼吸、三呼吸……)」
腰を浮かせ、前傾気味の立ち乗りに姿勢を変える。
「(――――此処だ!!)」
瞬間、次郎は飛翔んだ。
両手で思いっきりハンドルを押しつけ斜め上へ飛んだ。
同時にこれまで彼が居た場所を白刃が薙ぎ払った。
丈の長さゆえ特攻服は幾らか裂かれたが次郎本人に怪我は無い。
『!?』
首無しライダーが刀を振るうのに合わせての跳躍。
怪物は次郎の行動に驚愕するが、当人にこの程度で終わらせる気は毛頭無かった。
「おおぉぉぉ……」
スローになる視界、これまで猛スピードで流れていた景色は今や停止寸前。
雨粒の一つ一つさえも数えられそうな程に加速した意識の中、次郎は思いっきり身体を捻り――――
「ッらぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
後ろ回し蹴りを放った。
響く轟音。蹴りの勢いにプラスして首無しライダー自身の推進力もプラスされたその威力は凄烈の一言。
『!?!?!?!!!!』
声無き絶叫と共にバイクから投げ出される首無しライダー。
一度目の転倒と合わせて二度も、お株であるバイクから強制的に降ろされてしまったその屈辱は如何程のものか。
「がっ……!?」
だが、次郎とて無事では済まされない。
蹴りの反動で空中に投げ出され重力に従い路面に叩き付けられた肉体が軋みを上げる。
加えて先程の回し蹴りに用いた足も……。
「(折れ……てねえならまだイケる……!!)」
セルフチェックを行いつつよろよろと立ち上がる。
脳内麻薬がこれでもかと分泌されていることにプラスして次郎自身が持つ痛みへの耐性も相まって痛みによるスペックの低下はそこまででもなさそうだ。
「さあ、こっからは喧嘩の時間だぜぇ……!?」
碧い瞳がギラギラと輝く凶相は正にバーサーカーそのもの。
特攻服の内側に仕込んであった鉄杭を両手に構えて啖呵を切るその様は溜息が出る程に雄雄しい。
『!!!!!』
だが、首無しライダーとて人間風情にやられっぱなしで大人しくしている程甘くは無い。
煮え滾る憤怒と共に立ち上がり、再び刀を形成して次郎へと斬りかかった。
「当たるかボケェ!!」
太刀筋なんて見ちゃいない。
見て躱すなんて真似が出来るかと言う問題もあるし、躱せたとしてもそれでは駄目だ。
回避に意識を裂くなんてワンクッションを挟むぐらいなら攻撃をするべきだろう。
ゆえに、次郎は完全なる勘任せで白刃へと突っ込んだ。
本能の赴くままに身体を動かして致命を割け、攻撃を叩き込む。
それを繰り返して此方が絶命する前に相手を絶命させる――それが次郎の基本方針だった。
後退の螺子なんてハナっから外してある。前進前進全力前進。
息つく間もなく真っ直ぐ走り続けろ、それは何処までも次郎らしいやり方だった。
「テメェが殺った男の名前を知ってるか?」
頬がざっくりと切れたがこの程度は誤差。
左手に持った鉄杭で刀をぶっ叩き次の攻撃を遅らせると同時に右手の鉄杭を力いっぱい首無しライダーの太股に突き刺す。
血ではなく黒い靄が漏れているのが、少しだけおかしかった。
「遠藤公平ってんだ。未成年の癖に飲酒喫煙無免運転、昔っから喧嘩三昧の糞馬鹿野郎だ」
振り下ろされた一撃を前転の要領で掻い潜って今度は脇腹に鉄杭を。
転がりながら再び特攻服の中から鉄杭を補充し、立ち上がる。
「社会的に見りゃどうしようもない糞ったれだろうさ。
将来更正しても、それでようやっと”当たり前”に戻っただけで褒められたもんじゃねえ」
『ッッ……』
この程度で絶命はしない。
しないが、そのダメージは決して軽くは無い。
現代に入ってからは”黒服”以外でこんな人間、ついぞ見たことはなかった。
首無しライダーはハッキリ言ってしまえば小物だ。
殺られる可能性がある”黒服”には決して喧嘩を売って来なかった。
もっともっと時代を遡ってもそう。バイクではなく馬を駆り甲冑を身に纏っていた時代でも同じ。
殴っても殴られる気構えが出来ていない、雑魚専の糞雑魚。それが首無しライダーだった。
…………まあ、その雑魚専であろうとも大概の人間にとっては脅威なのだが。
おかしいのはむしろ次郎の方だ。
初めて相対するオカルトな存在。
重火器で武装しているならばともかく、次郎と同じやり方で首無しライダーとやり合える一般人がどれだけ居る?
訓練を受けた自衛隊員でも、同じシチュエーションで次郎と同じ戦果を上げろと言われれば怪しいだろう。
「だが、そんな糞ったれにも良いところはあった」
『!!!!』
無我夢中で日本刀を振り回す首無しライダー。
回避を主眼に置いているわけではないので当然、手数を増やせば次郎の傷も比例して増えていく。
全身血塗れの幽鬼が如き有様になっても、彼の気炎は衰えることを知らず。次々に鉄杭を叩き込んでいく。
「友達との約束を破ったことがない――それが奴のささやかな自慢だった。
そして他の第三者から見てもそれだけは美点だったろうぜ。
何せどんなくだらねえ約束やキツイ約束でも、野郎、何が何でも守ろうとするんだからよぉ」
鉄杭の残りは一本。
この段に入ったところで、次郎は素手の戦いにシフトした。
首無しライダーの攻撃を致命にならない程度に受けながら殴る蹴るの嵐。
繰り出される一撃一撃は、自身への反動なんて無視した120%のもの。
如何な化け物であろうとそんな打撃を山と喰らえば当然の如くにダメージは蓄積されていく。
「だけど……奴はもう約束を守れない。一個、約束してたのになぁ」
『――――ッ……!』
深々と腹部に突き刺さった肘打ちにもんどりを打つ首無しライダー。
「破る気なんてなかったろうぜ。当然の如くに履行するつもりだったんだろうぜ。
でも、どう足掻いても果たすことは出来ねえ。何でだ? どうしてだ?」
たたらを踏む首無しライダーの心臓に、最後の鉄杭を突き刺す。
そして、
「――――テメェのせいだろうがぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
烈火の如き気合と共に刺さった杭に向けて渾身の拳を見舞った。
とうの昔に砕けていた拳に更に負荷をかけたのだ。
最早見るも無残な状態となっていたが、次郎は微塵も気にしておらず、その瞳は真っ直ぐ首無しライダーを見据えていた。
これまでの怒りは何処へやら。驚く程に凪いだ顔をしている。
それは何故か。本能で理解しているからだ、此処から先はもう無い……と。
『~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!?!?!!!!!!!』
その直感を証明するかのように最後の声無き断末魔を上げ、首無しライダーは崩れ落ちた。
それを見届けると次郎は天を仰ぎ、深い深い溜息を吐いた。
「……悪いな公平。お前の一張羅、ボロボロになっちまった。
だがまあ、落とし前はキッチリつけてやったから……勘弁しろや」
復讐は何も生まない、そんな陳腐な文句があるけれどそんなことはない。
復讐は一つの区切りだ。
次に向かって歩き出すための一区切り。
先を見ていない人間ならばともかく、復讐と共に自身を終わらせるつもりの人間ならばともかく、次郎は違う。
友に殉じるつもりもなければ、復讐を果たして腐るつもりもない。
だからこそ、彼は重い疲労によってすっかり草臥れた顔をしながらも爽やかな笑みを浮かべている。
頬を伝うのは……きっと雨だ。
「あぁ……畜生……」
まだマシな右手を使いポケットからぐしゃぐしゃになった煙草の箱から一本だけ取り出し、ぷるぷる震えながら口元へ。
普段は未成年ゆえ喫煙なんてしないし、これから先もするつもりはないけれど今日ぐらいは……。
そう自分に言い聞かせながら公平が愛用していたジッポで火を灯す。
「……ふぅ」
一度だけ吸って、煙草を放り投げ――――
「クッソ不味い」
足下から崩れ落ちた。
最早意識を保っていることすら限界だったのだ。
当然である。魔法でも何でもないのだから時が来ればこうなるのは自明の理だ。
次郎の記憶は此処で完全に途絶えた。此処から先は彼の知らぬ展開だ。
峠にやって来た当初の小雨は何処へやら、大降りの雨が意識を喪失した次郎の身体を容赦なく打ちつける。
失血に加えて体温低下。このまま放って置けば死は免れないだろう。
だが、救いの神は彼を見捨ててはいなかった。
ハイビームがその身体を照らし、ほんの少し遅れて黒い車が次郎と首無しライダーが倒れている地点へとやって来る。
「おやおや、これはどうしたものですかな」
車から降りて来たのは一人の老紳士と少女。
ともすれば祖父と孫のように見える間柄だが、
「……まさか、一般人の少年が妖怪変化を? 何とも、まあ……」
「前例が無いわけじゃないわよ。私も幾度か見たことあるし」
「それは……桔梗さん程のキャリアがあればそうでしょうが」
「まあ、今よりも人間が逞しかった時代で、年齢も二十よりは上ってのが大概だったけど」
「左様ですか。して、どうなされます?」
「”うち”の救急車を手配しなさい」
「かしこまりました」
上司の指示を受けた老翁が携帯を操作する傍ら、桔梗と呼ばれた少女は静かに次郎に歩み寄った。
「……」
そして膝を突きそっとその頭を抱え、
「んッ」
唇を落とした。
「……」
そんな桔梗を見つめる老翁の瞳に寂寥と焦燥が浮かんでいることを彼女は知らない。
「とりあえずこれで急場は凌げるでしょう」
激しさを増す雨、闇を深める夜――これが、二人にとっての始まりだった。