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RIB(仮)  作者: 曖昧
14/15

ラストダンスⅢ

「流石は日本の要――その一つだけあって。霊峰富士の霊的防御能力は堅牢の一言。

古今東西如何なる術式を用いたとて破壊するのは不可能だ。

いや、理論的には破壊出来なくもないが相応の時間を費やしている間に君らは元凶を潰してしまうだろう」


 上空から注ぐ悪寒を感じるや否や、桔梗は体感時間を加速させる術式を最大出力で発動。

 同時に視力を限界まで強化し空を見やる。

 遥か天空より飛来するそれは常人の視力では点にしか見えないだろう。

 そして形を認識する頃には総てが終わっている。

 その災厄の名は、


「ならば――――物理的に富士山消しちゃお☆」


 I C B M。

 だが、ただの大陸間弾道ミサイルではない。

 純度100%の科学技術を用いながら、その威力は現行兵器のどれと比べても桁違い。

 比喩でも何でもなしに富士山が物理的に消し飛んでしまう。

 無論、富士山にも物理的な攻撃を防ぐ結界は張られている――が、それは気休めだ。

 その性質上、霊的防御に重点を置かねばならずそれは物理的な防御能力と両立しない類のもの。

 オカルトに対しては殆ど無敵でも、物理であれば破壊出来ないこともない。

 そして富士山そのものが消し飛んでしまえば封印も糞もなく、


「ッッ!!」


 桔梗は躊躇うことなく残るエネルギーの総てを注いで異次元への扉を開こうとした。

 物理的に何処かへやってしまうことで富士の破壊を防ごうとしたのだ。

 と言うか、それ以外に今打てる手はない。

 そして打てる手がそれしかないことぐらい、


「ああ気になる、気になるなぁ」


 この天才は承知の上だ。

 バキィン! と甲高い音が鳴り響くと共に開きかけた異次元への扉は砕け散った。


「知りたい、知りたいぞ」


 江戸の時代より今に至るまで、確認されている終末クラスの災いは百以上存在している。

 そして、その半数以上を食い止めて来たのが桔梗と言う女だ。

 何処までも冷静に、冷徹に、世界の終わりを阻み続けて来た。

 取り乱すことを知らず、ともすれば心と言うものが無いのでは? と疑ってしまうような冷静さ。

 それは確実に食い止められると言う算段があったからではないか?


「――――神すら殺し数多の終わりを拒み続けて来た女は逃れ得ぬ終わりを前にした時どんな顔をするのだろう?」


 それがホーエンハイムの好奇心。それが泰山の歪んだラブコール。

 総てを尽くしてでもどうにもならない状況にまで追い込んでやれば、


「(もう、無視は出来ないだろう!?)」


 怒りでも憎しみでも絶望でも……何だって構わない。

 人間ならばこうまでされて感情が沸き立たないはずがないだろう。

 しかし、


「……あぁ、君はそんな顔をするんだねえ」


 酷くつまらなさそうにホーエンハイムが呟く。


「……」


 怒りでもなし。

 憎しみでもなし。

 絶望でもなし。

 悲しみでもなし。

 後悔でもなし。

 諦観でもなし。

 ただ、これで終わりかと無感情に受け止めているだけ。


「(お前は、何処まで……!)」


 当然のことながら泰山など見ていない。

 路傍の石であるかの如くに意識を向けておらず、それがまた彼の神経を逆撫でた。


「君さ、よっぽど中身の無い人生を送って来たんだな」


 あーあ、ガッカリだーなどと嘯くホーエンハイムだがミサイルを止めることはない。

 と言うか止める術なんて用意していない。

 たった一つの好奇心に目が眩んでいたので土壇場で不発にする仕掛けを組み込み忘れていたのだ。

 無論、反省も後悔もしていない。


「つまらない人生、ね。まあ、否定は出来――――」

「?」


 視界の端で桔梗は決して無視出来ないものを捉えた。

 ホーエンハイムでも泰山でもミサイルでもなく、


「…………次郎?」


 怒りでもなし。

 憎しみでもなし。

 絶望でもなし。

 悲しみでもなし。

 後悔でもなし。

 諦観でもなし。

 額に汗を浮かべ空を睨むその顔には不敵な笑みが張り付いていた。

 あるのはただ一つ、こんなところで終わるものかと言う生への渇望。

 荒々と運命に叛き絶望の彼方に座する希望を引き摺り出さんとするその姿に桔梗は目を奪われていた。


「”喰らう”じゃ足りない」


 それでは結局爆発してしまう。

 当たり前だ。ミサイルを噛み砕けばどうなるかだなんて猿でも分かる。

 だから、


「――――”丸呑み”だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 蛇の如くにまるっと呑み込んでやれば良い。

 次郎の意思に呼応するかのように天に突き上げた左腕が形を変える。

 数千里にも及ぶと言う大鳳もかくやの巨体をうねらせ天へと昇っていく様は圧巻の一言。

 蛇と言うよりも龍のような左腕は大口を開け、


「ぁ」


 落下するミサイルを凄まじい勢いで飲み尽くしていく。

 そうして末端まで呑み込んだところでバクン、と口を閉じた。

 瞬間、内部で爆発したミサイルによって巨龍の肉体がボン、ボン、と爆ぜていく。

 血の豪雨を降らせ、甚大な衝撃を撒き散らすものの富士の山体に致命的な影響を与えることはなかった。


「は、ははは……どんなもんだい?」


 完全に破壊が終わった後、役目を終えた左腕は人のそれに戻り消え果てた。

 悪食の影響で熱量を回復に当てているが過剰回復により次郎の身体はずたぼろ。

 それでも彼はグっと拳を握り締め自身の勝利を宣言してのけた。

 あり得ざる奇跡の逆転ホームランをまざまざと魅せ付けられた者らは、


「(……あの女が振り向くことは一度もなく、挙句に男としての格の違いまで……)」


 一人は完全なる敗北を受け入れ息絶え、


「エンダァアアアアアアアアアアアア! イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

何それ何それ何それぇえええええええええええ!? ねえ今の何!? ねえ皆見たアレェ!!

いやね、例え小物であろうとも人外を殺して得た際の陰気……そう、君らが言うところのケガレ!

アレは得たものの精神力如何で大化けするって事例は知ってたが何これアリなの!?

どんだけいきり立ってんだお兄ちゃん! いやさほにいちゃん!!

漲る生命力で末は一姫二太郎どころか野球チームも軽々なのですか!?」


 一人は狂態しキャッキャッキャッキャとはしゃぎ跳ね回り、


「(好機)」


 一人は狂喜する馬鹿に絶好の隙を見出し封印術式を叩き込んでいた。

 そして当事者たる次郎は、


「(あ、これもうアカンわ)」


 冷静に自身の状態を把握していた。

 昇天するラオウの如き仁王立ちをしていたのだが全身から一気に力が抜けていく。

 高速道路から今に至るまでに蓄積された疲労プラス最後の無茶。

 急速に遠退く意識、このまま目を閉じてしまえば二度と目覚めないだろうなとぼんやり考えていると――――


「(ほえ?)」


 唇に、柔らかい何かが当たる。

 と同時に流れ込む熱い熱い純粋な力の奔流。

 それは死を待つだけの肉体を優しく抱き締め、ギリギリのところで命を繋ぎ止めた。


「(え……あれ……ききょ、う?)」


 吐息を感じられるぐらい近くにある桔梗の顔。

 イマイチ状況が分からない。

 分かるのは、ゆっくりと離れていく桔梗を見ていると凄く惜しい気持ちになると言うことだけ。


「っと」


 自身の胸に倒れ込むように崩れ落ちた次郎の身体を抱き留める。


「やべぇ……ちから、はいんねえ……」

「当たり前よ」


 なるべく震動が伝わらないようにゆっくりと地面に腰を下ろし、次郎の頭を太股に乗せる。


「眠る前に、少しだけ話しをしましょうか」

「はな、し……?」

「まあ、あなたは黙って聞いているだけで良いわ」


 そうね、何から話しましょうか?

 と見たこともないくらい穏やかな顔をして語りかけて来る桔梗に次郎はどうしてか胸騒ぎを覚えてしまう。


「私は元亀元年……四百四十六、七年前ね。

その年の夏に私は因幡国――今で言うところの鳥取の東辺り、にある小さな村で生を受けたの。

裕福ではない――ぶっちゃけると貧しい家庭だったわ。とは言え何処も似たような暮らしだったし、平均と言えば平均か。

まあでも、貧しいながらも優しい父母や気の良い村人達に囲まれていたし……総合するとそう悪い生活ではなかったように思うわ」


 何処か他人事のように聞こえるが無理もない。

 彼女はそれ程遠くへ来てしまったから。


「朝早くに起きて父母を手伝い田畑を耕し、日が真上まで昇ると皆でお昼ご飯。

ご飯を食べ終えたらまた田畑の世話に戻るか、もしくは友達と遊びに行くか。

当時の私は疑いもなく、そんな日々がずっと続くと思っていたわ。

勿論、大人になれば何処かに嫁いで子供を生むんだろうなとかは考えてたけど……」


 それでも大まかなライフスタイルは変わらないと思っていた。

 いや、正確には小さなその世界以外を知らないから想像出来なかったのだ。


「天正九年、私の世界は音を立てて崩れ落ちた。

羽柴秀吉――ビッグネームだから説明は要らないわよね?

あのエテ公の軍が私達の村を含めた多くの村落を襲い村人達をある場所へと追い立てたの」

「(ある、場所……まさか……!)」

「恐怖に駆られながら母に手を引かれて私が向かった先は鳥取城」


 よく分からないまま連れて来られ、よく分からないまま閉じ込められてしまった。


「一体何がどうなっているのかなんてまるで分からない。

当たり前よね、たかだか村娘に説明してやる義理なんてないもの。

数えで十二を迎えていた私だけど、学が無いから周りを観察して状況を把握するなんてことも出来なかった」


 そうして何も分からぬままに地獄の釜が開く瞬間に立ち会ってしまった。


「その顔を見るに、知っているようね? 勉強熱心じゃない」

「鳥取の……渇え、殺し……」


 徐々に頭も冴えて来たので思い出すことが出来た。

 鳥取の渇え殺し、文字で読むだけでも嫌な気分になるような戦だ。


「そう。私は秀吉三大城攻めにも数えられる凄惨な戦に巻き込まれた名も無き民草の一人だった」


 秀吉は鳥取城を包囲し、補給路を完全に断ち兵糧攻めを行った。

 当時の鳥取城内には兵糧の備蓄があまり存在せず、避難して来た村人が加わったことで兵糧はたちまち底をついた。


「まだ兵はマシだわ。お荷物である私達とは違って最初の内は優先的に食事を回されていたもの」


 食べられる草木、軍馬などで飢えを凌いでいたがそんなもの気休めにもならない。


”餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず”


 信長公記に記されたこの一文を見ればどれだけ悲惨だったか想像出来るだろう。


「柵をよじのぼって逃げようとした人達は兵民問わず撃ち殺されたわ。でもまだまだ序の口。

飢えのあまり死体を掘り起こしてその肉を食べ始めた辺りで本当の地獄が始まった。

生きながらに”餓鬼”へと変生する者らが現れ始めたの。父はそんな化け物から私と母を庇って殺されたわ。

私と母は怯えながら必死に逃げ回り、城内の片隅で息を潜め何時終わるとも知れぬ恐怖に苛まれ続けた」


 気が狂いそうだったと述懐する桔梗に次郎は何と言えば良いのか分からなかった。


「それでも母が居たから何とか持ち堪えられた。でも、現実と言うやつは何時だって厳しいもの。

城内に満ちた陰気のせいで母までもが餓鬼に成り果ててしまった。

泣きじゃくる私の肩に母が喰らい付いた時、怖かったけど同時に少しの安堵も感じていた」


 ああ、これで苦しみから解き放たれるのだ……と。

 だが桔梗が言うように現実は厳しい。

 彼女には更なる過酷な仕打ちが待ち受けていたのだ。


「……でも、母は正気を取り戻した。取り戻してしまった。

ほんの僅かにだけど、強い心を持っていたせいで恐怖に涙する娘を見て親としての在り方を思い出してしまった。

母は私から離れるや自分の両腕を喰い千切り、私に向かってこう叫んだわ」


”おっかあを殺しなさい! あんたは生きるの、こんなところで死んじゃ駄目!!”


 それは今でも色褪せぬ記憶。

 だけど、あの時のように涙を流すことはもうない。涙なんてとうに枯れ果ててしまったから。


「嫌嫌と首を振る私に母は尚も言い募る。

いっぱいいっぱいになっていた私はもう訳も分からず護身用にと母から渡されていた短刀でその心臓を貫いてしまった」

「まさか……」


 神祇省の人間が穢れを得る手段を思い出し次郎の顔がさぁっと青褪めていく。

 そんな彼を見て桔梗は皮肉げに口の端を吊り上げた。


「そう。私の悪食は母を殺して得たものよ」

「ッッ……!」

「生きて城を出られたのも、そのお陰ね。母が生き残るために必要な力を託してくれたのかもしれないわ」

「(桔梗……泣け、ないのかよ……こんだけ辛い話をしてても……)」

「私が城を出たのは城主が正式に降伏する数日前。

羽柴軍にも餓鬼の出現は当然のことながら知れ渡っていて、神祇省のご先祖様にあたる信長直轄の忍軍が派遣されて来てね。

その時、他にも似たような理由で”穢れ”を得ていた者らと一緒に保護されたのよ」


 保護され隠れ里に連れて来られてからは日々を泣いて過ごした。

 悲しくて悲しくて、うらめしくてうらめしくて。

 止まぬ涙が澄んだものから緋色に変わる頃、その憎悪はどうしようもないレベルにまで育ち切っていた。


「当時、忍軍を束ねていた頭領は中途半端な善人でね?

保護した連中の記憶を改竄して駒に使おうと思いながらも、直ぐには手をつけなかった。

それは何故か。あんなことがあったのだからせめて気が済むまで悲しませてからにしてやろうなんて考えてたから」


 頃合を見て桔梗も記憶操作を受けたのだがその頃にはもう手遅れだった。

 記憶操作すら効かぬ程に憎悪が肥大化していたのだ。

 だが桔梗は敢えて憎悪を押し殺し記憶操作にかかった振りをして忍軍の一員となった。


「私は馬鹿だったけど自分が馬鹿だと自覚している馬鹿だった。

だから、学ぼうと考えたのよ。この憎悪の切っ先を向けべきなのは誰か。そしてそのために必要なことは何か」


 武士の家に生まれていたのならともかく桔梗は純度100%の芋い村娘。

 織田信長や羽柴秀吉なぞ知るはずもない。

 城の中でも二人の名は憎悪と共に飛び交っていたが桔梗は殆ど覚えていなかった。

 だがそれも当然かな。空腹と恐怖に苛まれた苦痛の記憶が強過ぎたのだ。


「それでまあ、知識と力を蓄えながら日々を過ごしていたのだけど……天正十年」

「本能寺の変、か」

「ええ。怨敵の一人である信長はあっさりと明智光秀によって討たれてしまった」


 それは正に青天の霹靂だった。

 雌伏を始めて間もない頃とは言え、貪欲に知識を吸収していたからこそ何かの間違いではないかと簡単に信じられなかった。

 織田の天下は揺ぎ無しと誰もが思っていた矢先の謀反。


「焦ったわ。正直、かなり焦った。仇の一人を失ったこともそうだけど……」


 まだ信長は間接的な仇だし何とか心を落ち着けることは出来た。

 問題は、


「都合の良い場所であった忍軍がどうなるか。

それが私の心配の種だった。だってあそこが無くなってしまえば私の敵討ちは随分と遠退いてしまうもの」


 当時、組織は揺れに揺れた。

 嫡男の信忠まで自害し四分五裂の織田。

 何処に着けば良いのか、上層部も意見はバラバラで酷い有様だった。


「それでも、頭領は選択を誤らず何とか次の権力者に擦り寄ることが出来た」

「……豊臣、秀吉」

「ええ。正直、面白くないなんてレベルじゃなかったけどこれはある意味好機でもあった」


 その膝元で牙を磨きながら首を獲るチャンスを窺えるのだから悪い話ではない。


「とは言え我慢し続けるのは並大抵の努力じゃなかったわ」


 何でもないように振舞えれば楽なのだがこの世で一番憎く、何を犠牲にしてでも殺したい男が直ぐ傍に居るのだ。

 滾る憎悪を必死で押し殺しているうちに、気付けばその顔から表情は消えていた。


「お陰で今じゃこの有様」

「……」

「今のは笑うところよ?」

「いや、笑えねえよ」


 不謹慎ネタを自らぶっこんで行くスタイルに頬が引き攣る。

 次郎としてはそう言う反応に困るジョークは自重して欲しかった。

 桔梗はまあ良いわ、とつまらなそうに鼻を鳴らし続きを語り始めた。


「組織の中でも上位に入る実力を手にした時、私は行動を起こしたわ。

準備に準備を重ねて確実に殺れる算段を以って秀吉の寝所に忍び込んだのだけど……正直、舐めてたわ。

その用心深さを私は過小評価していた。殺意を滾らせながら寝所に入った瞬間、千鳥の香炉が鳴いた。

秀吉さえ殺れれば死んだって、と構わず殺そうとしたけれど結界に阻まれ壊そうとしている内に同僚がやって来た」


 最早秀吉殺害は成らず。

 次の機会に備えるべく桔梗はやって来た同僚を返り討ちにして逃走した。


「とは言え、捨て身で幾らか傷を負ってね。遠方に逃げることは不可能だった。

一先ずの休息をと逃げ込んだ屋敷は徳川のもので、運の悪いことに私の存在を察知出来る者が偶然屋敷に滞在していたの」


 その名は服部半蔵。

 創作ものでもよく見かけるビッグネームの忍だ。


「私は即座に捕らえられたわ。だけど、半蔵の主……ああ、家康じゃないわよ?

正式な主君はそうだけれどその時は、とある女の護衛をしていてね。

その女――茶阿局はあろうことか事情を聞かせてくれと言って来たの……まあ、話さなかったけどね」

「え」

「ただ、私が説明せずとも半蔵はピンと来たらしくプライバシーなんぞ知らぬとばかりにベラベラ喋ってくれたわ」


 微かに残る御国訛り、秀吉への憎悪、かつてその場所で多くの駒が調達されたこと。

 点と点を結び合わせ半蔵は見事に桔梗の正体を看破してのけたのだ。


「そしたら何を思ったのか、彼女は私を匿うと言って来たのよ」

「(茶阿局って言えば確か……)」


 境遇は異なるが茶阿局もまた桔梗と同じ復讐者だった。

 ただ、彼女は自身の手で成せぬと家康を頼った。

 だが桔梗は自らの手で恩讐を成さんとした。

 桔梗を匿ったのは共感と敬意を抱いたがゆえの決断だったのかもしれない。


「私としては渡りに船だったからありがたくその好意を受け取ったわ。

それからは恩返しも兼ねて彼女の侍女となり間接的に徳川に仕えながら二度目の機会を待っていたのだけど……」

「無理、だったんだな?」

「ええ、ある時徳川に仇成す怪異を討ったのだけどその時の怪我が下でしばらく意識不明のまま眠り続けていた」


 そして目覚めた時には秀吉は死んでいて、


「私は拳を振り落とす場所を見失った」

「……」


 その瞬間の感情を何と例えよう。

 憎悪が消えたわけではない、当たり前だ。仇を討ったわけではないのだから。

 どろりとしたマグマが冷えて固まったかのように胸の裡にこびり付く憎悪と虚無。

 感情の振れ幅が一番大きく、穢れの性能が跳ね上がったのはその時だ。

 ただ、次郎のように悪食そのものが出鱈目に変化したわけではない。

 身体能力や陰陽術や呪術を使うためのリソースが強化されただけ。


「思うに悪食そのものが強化されなかったのはアレが生きる、生き抜くための力だからでしょうね」


 生きるとは食べること。食わねば生きられない。

 生命力に満ち満ちた次郎ならばまだしも、桔梗には決して芽生えない力だ。


「だって私、死んでいないだけだったもの」


 母の最期の言葉があるからこそ後を追うようなことはしなかった。

 だが、虚無に支配された桔梗には生きようと言う意思など微塵も残っていなかった。


「生きてないのに生きている振り――滑稽極まるでしょう?」


 生きる理由は無いけれど死ぬことは出来ない。

 だからとりあえず、生をなぞってみたけれど胸の裡にある虚無が消えることはなかった。


「やることがなかった私は新たな天下人となった家康の下で再編された半蔵を頭領とする新たな組織の一員となり人外を討ち続けて来た」


 それから今に至るまで桔梗は影の世界で戦い続けて来た。

 だって、他にやるべきこともやりたいこともなかったから。


「でもね、二十年ぐらい前からどうしようもなく虚しくなって来たの。

もういっそ、総てを忘れてしまおうと思ったわ。

偽りの記憶を刷り込まれたとしても今の私よりはよっぽどマシだもの」


 ある意味自殺だ。

 しかし、生きている振りを続けるよりはずっと良い。


「アンタ、まさか……」

「ただ、その前に一つだけ。本当の私として、最後に何かを遺しておきたかった」


 最強と謳われ神祇省の最高戦力と目される自分の後を継げる者。

 そう簡単に見つかるとは思っていないけれど、人生最後の仕事として何か一つだけでも生きた証を。

 その日から桔梗にとって最後の時間が始まった。


「あなたは私よりも強い人。歩き続けていれば何時かきっと素敵な花を咲かせるでしょう」


 未熟で至らぬところばかり。

 けどそれは他人の手で補えるものだし自身の努力で身に着けられるものでもある。

 それに、つい先程、一瞬だけだが自分にすら不可能なことをやってのけたのだ。

 であればもう、心残りは無い。

 自分が見出した、世界でたった一人の素敵なあなた。あなたこそが――――私の生きた証。


「ま、待て……ッッ!?」


 瞬間、抗い難い眠気が次郎を襲った。

 必死で意識を繋ぎ止めるが言葉を発する余裕すらない。


「それと、最後だから言っておくわ」


 優しく次郎の頬を撫ぜる桔梗の顔は柔らかいものだけど、それが避けられぬ別れを示しているようでどうしようもなく悲しい。


「――――あなた滅茶苦茶好みの顔してるわ」

「………………は?」

「いやもう、多少性格が糞でも全然気にならないくらい私の好きな顔」


 四百年以上生きて来て初めて見たと笑う桔梗に身体の力が抜けていく。


「あ、アンタなぁ……」


 こんな時に、こんな時に、と苦い顔をする次郎だが……。


「そして、一緒に居る内にあなたの素敵な内面を知ってもっともっと好きになった」


 思うにあれは一目惚れだったのだろう。

 顔もそうだけど、それ以上に何も言わずとも伝わって来るその魅力に心を絡め取られていたのだ。

 でなくば唇を赦そうとするものか。


「ありがとう、人生の最後に素敵な初恋を経験させてくれて」

「(ばか、やろ……それを言うなら、俺、だ……って……)」


 もう抗い切れない。瞼がゆっくりと閉じていく。

 最後にその瞳に映ったのは、


「――――次郎、大好きよ」


 惚れた女が見せた最初で最後の心からの笑顔だった。

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