ラストダンスⅡ
「おやおや、次郎さん。お疲れのようですね。デスキャラメル食べますか?」
「そんなことより! 泰山さん、何で此処に……」
黒衣率の高いこの場において真っ向から反逆している白衣の少年。
嫌でも目を引くその複眼を見るに人外だろうか? と首を傾げる次郎は――頭の何処かで分かっている。
それでも信じたくないから頭を鈍らせているのだ。
「あ、ひょっとして桔梗より早くに気付いて現場に――あの、そいつは誰っすか?」
「ああ、彼ですか。テオフラストゥス・V・ホーエンハイム。見ての通りキチガイですな」
何時も通り、嫌になるぐらい何時も通りの柔らかな物腰で彼は背信を告げた。
それでもああ、次郎にとっては受け入れるのは酷で……。
「え……それって、どう言う……」
その戦闘能力や土壇場における爆発力は大人のそれにも勝る次郎だ。
しかし、彼とて十代の少年。
尊敬や好意を抱く人間を殺さなければいけないなどと言う現実をそう簡単に受け入れられるはずがないのだ。
「頭の巡りが悪いわね」
だがこの場に居る大人はキチガイを除けば誰も彼も非情のリアリスト。
この状況で子供に対して優しさを見せる程に甘くはない。
「――――コイツが敵よ」
「ッッ」
どうしてそう簡単に割り切れてしまうんだ!
あっさりと告げてのけた桔梗に対しての抗議の言葉が喉元までせり上がった。
それでも口にしなかったのは彼女が正しいと分かっていたから。
だが、頭で理解していても心がそう簡単に認められるはずもなく次郎は言葉を失う。
「”何で”なんてくだらぬ問答を重ねないで頂戴ね? やることは決まってるんだから」
「あなたらしい物言いだ」
苦笑を浮かべていた泰山の顔が、
「――――何十年経っても気に喰わねえぜ!!!」
闘志を剥き出しにし悪鬼のそれに変ずる。
だが、泰山が動くよりも早くに桔梗がアクションを起こした。
ガン! と踵で強く地面を叩くと尋常ではない熱風が地面から巻き起こったのだ。
呼吸をすれば喉が焼かれる程の熱を秘めた熱風に巻かれてこの場に居る全員が打ち上げられ一気に火口から弾き出された。
「(何十年も組んで来た相棒じゃねえのかよ……)」
入り口を塞がれた火口の表層で対峙する現状が酷く苦々しい。
カマイタチらの言で桔梗がそう言う人間であると分かってはいたけれど……。
「さて、と。付き合って貰うぜ糞アマ。
女の癖に昔から……ああ、むかっ腹が立つんだよ。もう二度と俺を無視出来ないようにしてやらァ!!」
次郎の心境など知らぬとばかりに事態は進んで行く。
剥き出しの敵意を乗せた啖呵を叩き付ける泰山に、桔梗はあくまで冷静だった。
「知らないわよ。あなたみたいな小物よりも優先して始末しなきゃいけないのが居るんだもの」
桔梗の視線が泰山の後ろでヒゲダンスを踊っているホーエンハイムに向けられる。
空気を読んで口は挟まなかったが、空気を読まずに踊ることはセーフラインだと判断したようだ。
「次郎、その爺さんにはあなたが引導をくれてやりなさい」
桔梗はきっと泰山が何を考えているのか微塵も興味が無いのだろう。
微に入り細を穿って説明されたとしても同じだ。
その心が波立つことはなく、理解も共感も示さず淡々と殺すだけ。殺した後に引き摺ると言うこともない。
こんな状況だからこそ際立つ桔梗の冷徹さに次郎は、
「(……アンタは、今までどんな風に生きて来たんだ?)」
場違いにもそんな疑問を抱いてしまう。
「…………まあ、そう言うと思ってたさ。ああ、お前はそんな奴だからな」
苦虫を噛み潰したような、変わらぬ桔梗に安堵しているような、そんな顔だった。
「良いさ、どうせこの小僧を殺せばお前も俺は無視出来なくなるだろうしな」
鋭い視線が次郎を射抜く。
瞳に籠められた殺意はこれから始まる戦いが避けられぬものであることを雄弁に語っていた。
「……何も、何もこんな方法じゃなくても良いだろうがよ」
泰山の内面に触れる機会があった次郎だから先程の言葉の意味が理解出来た。
もう二度と無視出来ないように、あの日語った感情のままに泰山と言う男は一切合財を放り捨てたのだ。
当事者ではないがゆえの発言と言われればそれまでだが、もっと他に方法はなかったのか。どうしてもそう思ってしまう。
「ハ」
泰山はそんな次郎を嗤い、
「ガッ……!?」
目にも留まらぬ拳を以ってその顔面を打ち抜いた。
首が取れたかのような衝撃が通り抜け身体が後方に流れたかと思えば、
「!?」
次の瞬間にはもう泰山が次郎の横に居てその顔を鷲掴み地面に叩き付けていた。
後頭部に走る衝撃で意識が遠退く。
揺れる視界の中で次郎が捉えたのは己の顔面を砕かんと迫る右拳。
「(つ、つええ……! 何が思うように身体が動かないだ!? 十分過ぎるだろ……!)」
回避は不可能。
ゆえに悪食によるカウンターを狙ったのだがそれは不発に終わる。
顔面への一撃は注意を引き付けるための完全なフェイク。
フリーの左拳を以って緩み切った腹筋を貫いたのだ。
「~~~~!!!!?!?」
内臓が破裂したかのような、いや破裂まではいかずとも実際に損傷したのだろう。
噴水のように次郎の口から血が噴き出した。
「(年季が違う。悪いな小ぞ――――!?)」
ぞくり、と悪寒が背筋を走る。
トドメの一撃を繰り出そうとしていた泰山は自身の直感に従い大きく後ろへ飛び退いた。
今のは一体、と困惑する彼を他所に次郎はゆらりと立ち上がる。
「っそたれがぁ……こんだけやられて大人しくしてる程、俺ぁ人間出来てねえぞ糞爺ィ!!!!」
思うところは色々あったが一切合財吹き飛んでしまった。
元々考えごとが得意な性質でもない。
悩むのなら後で好きなだけやれば良い。
今は兎に角泰山をぶっ飛ばすで満場一致。
頭が完全にヤンキー状態へと切り替わった次郎は只管柄が悪かった。
「吼えるな糞ガキ!!」
「黙れや老害!!」
互いに白刃を抜き、火花散る剣戟が始まる。
泰山としてはルーキー相手に武器なぞ使うまでもないと思っていたのだが今は違う。
火が点いた次郎を確実に殺るためには必要だと判断し即座に方針を転換したのだ。
妙なプライドで取るべき選択を誤らない辺り、流石は歴戦のエージェントである。
いやまあ、大前提としてこの戦いそのものがエージェントとして盛大に選択肢を間違った結果だが。
「(あの女に見出されただけはあるが……まだまだ若い!!)」
刀に加えて拳足も用いた近接戦闘は一見互角に見えたが、直ぐに状況は変化する。
一所に留まらず目まぐるしく動き始めた辺りで次郎の攻撃が掠りもしなくなったのだ。
対して泰山は違う。最初は薄く肌を切る程度だった斬撃が深く肉に食い込むまでになっている。
「(動きが見えないわけでもない、身体が対応出来ないわけでもない。でも何で当たらない? 何で当たる?)」
◆
「ふひゃぁあああああああああああ! あまりのおっかなさに吾が輩しめやかに失禁!!!」
尿を撒き散らしながら空中をちょろちょろ飛び回る馬鹿が一人。
視点変わって桔梗VSホーエンハイムだが、此方は戦況が拮抗していた。
「……」
「あびゃびゃびゃびゃ! ねえねえ、何か喋ろう!?
アタシ馬鹿みたい! アタシ馬鹿みたいじゃないのよ!!
まあそれはともかくカバって居るよねカバ。アイツって画面越しでも臭そうじゃない?
何かウンコの臭いとか超しそう! でもこれはきっと偏見。
だから俺、この戦いが終わったらサバンナにカバを見に行くんだ……」
ホーエンハイムの周囲に展開された魔方陣は都合三つ。
黄、銀、白のそれらはそれぞれ硫黄、水銀、塩、三つの元素を意味している。
彼はこの三つから四大元素が生まれ万物が生じると言う『三原質説』を唱えた。
この術式は正にその通りで、三つの魔方陣からは絶え間なく各種属性を孕んだビームが吐き出され続けていた。
「チッ、面倒な」
一方の桔梗が展開している魔方陣の数はホーエンハイムの比ではない。
彼が撃ち出す総ての属性に対応すべく術式を展開しているからだ。
どちらの燃費が良いかなど語るまでもないだろう。
じゃあ真似をすれば? どっこい、天才ホーエンハイムの術式を簡単に模倣出来るわけがない。
研究が進んでいて、学ぶ土壌があったのなら話は別だがこの術式、実は本邦初公開だったりする。
それゆえ桔梗も不本意極まるが後手に回らされているのだ。
「(被弾覚悟で突っ込むにしても……後の回復が問題)」
悪食を使おうとすれば回復を阻害どころか悪食の機能を逆手に取って更なるダメージを与えて来るだろう。
それぐらいのことはする男だと桔梗は冷静に状況を分析していた。
「(死ぬ前に殺れるならそれも良いけど……)」
無理矢理押し切れる程甘い相手ではない。
どうしたものかと考えていると、
「ところで桔梗氏。オタクの相棒、超苦戦しているみたいだけど大丈夫?
桔梗氏なら種も見抜けるだろうし助言とかしちゃっても良いんじゃない? まあ小生が防音結界を張るけどネ!」
無論、桔梗も次郎が苦戦していることは把握していた。
ホーエンハイムと戦いながらも時折観察していたからだ。
そして彼が言うように泰山が使っている技術の種も看破している。
泰山が使っているのは一言で言ってしまえば風水における方位の概念。
森羅万象総てに存在している吉凶の方位。
四吉四狂、目まぐるしく変化し続けるそれを把握し常に自身を吉の方位へ、相手を凶の方位へ追いやっている。
それゆえに泰山は攻撃を当て続けられるし、次郎は攻撃を外し続けている。
そこまで理解した上で、
「必要無いわ」
そう断言した。
「どうして?」
現実的な問題として理屈を説いたところで一朝一夕で対応出来ないし、理解出来ても付け焼刃では泰山には及ばない。
同じ土俵で戦っても経験の差がものを言い結局は無駄。
同じ土俵に上がるなら上がり方を選ばなければいけない。
そして、その選び方は桔梗の助言でどうこうなるものではないのだ。
とまあこれが現実的な理屈だが、こんなものは後付けである。
根底にあるのは、
「だって――――あの子、強いしカッコ良いもの」
次郎に対する揺るぎ無き信だ。
「ら・ら・ら――――」
「?」
「ラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアブ! おやおやおやおやぁあああああああああああ!?
タっくんから聞いてた人物評から外れる態度だゾゥ!? え、何それマジで!?
大丈夫? おたく実年齢ヤバクない? 淫行条例に引っ掛からない!? 権力でもみ消しちゃう!?
でもまあ見た目で言えばあっちがロリコン扱いされるよね? 人間なんて所詮見た目の生き物だもん」
天を掻き抱くような謎ポーズと共に弾幕が止む。
特別何かを考えているわけではない。単純に面白さゆえに制御を手放しただけだ。
そんな好機を逃す桔梗ではなく即座に距離を詰め頭部と心臓を破壊しトドメとばかりに極炎を以って塵一つ残さず肉体を消滅させる。
だが、
「……やっぱり死なないか」
「はいそうです! 僕はぁ……死にま――あ、ごめん死ぬわ。今も死んだしね私!」
少し離れた場所には無傷のホーエンハイムが立っていた。
「だって単純に残機があるだけだもン! いやホント、クローン技術って便利。ZAPZAPな社会は何時やって来るのかにゃ?」
残機、ゲーム染みた表現だが間違っていない。
魂と肉体は不可分である。
魂が破壊されれば連座で肉体も崩壊し死を迎える。
肉体が破壊されれば連座で魂も崩壊し死を迎える。
だが後者の場合、少しばかりのタイムラグが存在している。ホーエンハイムはそれを利用しているのだ。
具体的には肉体が死を迎えた瞬間、死んだ肉体から魂だけで脱出。
そして魂が死を迎えるよりも早く魂に刻まれた召喚陣を用いて新たな肉体を召喚すると同時に合体し復活。
当然、これも高等なんて言葉では括り切れない程に常軌を逸した技術である。
「知ってるわ」
神祇省側でも過去の事件からホーエンハイムが死なないカラクリは研究していた。
研究し桔梗も一応の対応策を備えているのだが、
「(隙が無いわね)」
それに尽きる。
幾つかの手順を踏んで完全に無防備な状態を作り出してようやく……と言ったところか。
「(でもまあ……)」
ちらりと次郎を見やる。
相も変わらず苦戦しているように見えるが、
「(流れは変わる。あの子が変える。良いわ、それまでこの馬鹿に付き合ってあげましょう)」
◆
「?」
未だ自分の優位は変わっていないが、何かがおかしい。
そろそろ死んでいなければおかしいのに――――何故次郎は今も生きている?
悪食による回復か? 否。回復量を上回る勢いでダメージを与え続けていたはずだ。
では、
「(寸でのところで致命を避け始めて……いた? この俺にも気付かぬように!?)」
真相に思い至り、背筋が震える。
「(馬鹿な、一体どうやって!?)」
などと混乱している泰山だが何のことはない。
「――――」
何 も 考 え て い な い だ け だ。
当然のことながら、吉凶方位のカラクリなぞ次郎に分かるわけがない。
必死で自分が追い詰められていく理由を考えてはいたが、どれだけ頭を捻ったところで答えは出なかった。
だから止めた。一切の考察を止めた。
考えてもドツボに嵌まるのは目に見えていて、それならいっそ何も考えない方が良いと思考を放棄したのだ。
素人であれば何考えてんだこの馬鹿は? と思うだろうが。
「(……何たる、センス……!!)」
専門家の目から見ればまた違って見える。
桔梗であれば泰山の方位を利用したバトルスタイルにそもそも引っ掛からない。
むしろ逆手に取って逆に彼を凶位へ追いやり自身は吉位を選び続けるぐらいはしてのける。
だがそれは正答の一つであって、対策は他にも存在している。
次郎はそんな無数にある正解の中から自身に可能な手段を無意識の内に選び取ったのだ。
「(この小僧、何処までッッ)」
命は思考能力が高度になるにつれて危機から遠ざかっていく。
考える頭があるからこそ危険に近付かない。或いは危機に巻かれた際も適切な行動を選ぶことが出来るからだ。
では獣は? 高度な知性を有する人間に狩られているのだから下等と断ずるだろうか? それは早計である。
彼らは時折、確変染みた異常な生命力を発揮し窮地を脱し命を繋ぐことがある。
人間ですらどれだけ智慧を絞ったところで死を免れぬ事態であろうとも獣ならばワンチャン。
それは何故か、高度な知性と引き換えに人が捨て去ってしまったものを持っているからだ。
命と言うのは極論、生きるために生まれ生きるために生きていく。
だが人間は知性を獲得した代償としてその本能に根ざした生存欲求をトコトンまで薄れさせてしまった。
死地に居れば喚起されるが、常日頃から身近に在る獣とは比べるべくもない。
総合的な値で言えば人間の勝ちかもしれないが、その総合値をも上回る可能性を極小であろうとも秘めているのが獣と言ったところか。
次郎がやっているのは獣の模倣だ。
思考能力と言う武器を一切合切削ぎ落とすことで生存欲求を最大限まで喚起し、本能がままに生き残ろうとしている。
それで戦闘になるのか? と思うかもしれないが、どっこい成立するのである。
泰山は必ず次郎を殺す気で逃げることは先ず出来ないだろう。
つまりは完全な死地。そこから生き残るためには敵を殺すしかない。
殺すことが生きることに繋がっているからこそ本能のままに戦うことが出来るのだ。
「ぐ、ぬぅ……!」
追いやられている場所が危険ならば近寄らない。
敵が向かおうとしている場所が此方の危険に繋がるのならば近寄らせない。
泰山の方位戦術はものの見事に封殺されていた。
「――――」
是非もなし。
英傑と謳われるRをして生命力に満ち満ちた男と言わしめたのが次郎だ。
獣のやり方がガチリと嵌まるのは当然である。
まあそれも時と場合によりけりで、どんな時も本能のままに戦えば良いと言うわけではないが。
「がぁ……!?」
すれ違い様に喰い千切られた肩から鮮血が噴き出す。
戦況は徐々に泰山不利へと傾き始めていた。
「(糞……負けられるか、俺は、こんなところで……!!)」
距離を取って次郎が使えぬ術を用いたやり方でチクチク削って殺すか? いや無理だ。
とても距離を取らせてくれそうにはない。
「(俺の穢れが悪食のようなものであればやりようもあったが……)」
泰山の穢れは偵察に特化したものだ。
戦闘に応用出来ないこともないが、今やっても意味は無い。
「(俺が、馬鹿だった! コイツはあの女が選んだ男だぞ!?)」
後の桔梗戦を見据えて余力を残すなどと考えるべきではなかった。
最初から全霊を注ぎ込む勢いで圧殺すべきだった。
「嫌だ……負けたくない、誰に負けても、コイツにだけはァ!!!!」
振り上げられていく陸奥守吉行の刀身が死神の刃にも似た輝きを放つ。
このまま脳天に振り落とされれば泰山は真っ二つになるだろう。
だが回避は出来ない。出来ないように次郎が立ち回ったから。
しかし、
「う……ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
泰山は諦めない。
その不屈は無理矢理に身体を突き動かした。
完全なる回避は無理でも致命を避けられれば良いと後方へ逃れようとするが、
「ぎぃ!?」
足を踏み付けられ阻害されてしまう。
震脚もかくやと言わんばかりの勢いで踏み付けられたものだから骨は粉々。
痛みに歪む視界の中で泰山は確かに見た。
「(何……?)」
次郎の瞳に理性の光が戻っていく様を。
陸奥守吉行の切っ先が頂点に達すると同時にくるりと逆手に持ち替え、
「~~~~!?」
そのまま真下に突き下ろし泰山の足を踏み付けている自分の足ごと刃を以って貫いた。
杭の如くに深々と食い込んだそれは足を犠牲にせねば抜け出すことは出来ないだろう。
「……チッ、俺もつくづく馬鹿だな。何やってたかよく覚えてねえが、あのままアンタを殺ることも出来たってのに」
苦笑と共にそう吐き捨てるが不思議と後悔はなかった。
「……何を、考えてやがる」
「気持ち良く負かしてやるってこと――さ!!」
抉り込むような右フックが泰山の頬を殴り飛ばす。
「お、お前……」
困惑している。しているが、次郎の意図が分からないわけではない。
分かっているからこそ戸惑っているのだ。
何故、こんな形での決着を――――
「(負けたくない、誰に負けても俺だけにゃあ……か)」
一方の次郎からすれば当然の帰結であった。
分かってしまったのだ。泰山と言う男が秘めている熱い熱い想いを。
「(あーあ、よう考えれば公平関連での怨みもあるってのになぁ)」
直接殺したのは首無しライダーだが、元を辿れば泰山とホーエンハイムに辿り着く。
カマイタチらの時は、
”クスリを買うのも使うのも、当人の責任だろ。無論売った側も悪いし、その裁きは受けるべきだ。
だけど、殺人の咎までは混同すべきじゃない。実際に殺ったのはあの糞ったれなんだからな”
と言えたし今もそう思っている。
実際、泰山らに対しても殺人の咎まで負わせるつもりは無い。
無いが相応の報いとしてぶち殺してやらねば気が済まないと思っているのも事実。
事実だが、
「(こんな糞馬鹿純情爺相手に怒りを持続出来ねえや)」
泰山の犯した咎が露呈すれば彼を憎み糾弾する者は数多く出て来るだろう。
ならば、単純な悪感情をぶつけるのはそいつらに任せてしまえば良い。
そう結論付けると次郎は彼の魅力でもある快活な眩い笑みを浮かべ叫ぶ。
「さあ、殴ったぜ! 殴り返せよ!! それとも何か?
アンタは殴られっぱなしの玉無し腰抜け野郎なのか!? そんなんじゃ女一人振り向かせられねえぞ!!」
「こんの……言わせておけば!!」
下から内臓を突き上げるような強烈なボディブローが繰り出された。
蓄積されたダメージもあり、ボバっと吐血してしまうが次郎は笑みを崩さない。
「温い温い! こんなんであのおっかねえ女が見向きするもんか!!」
捻りを加えたスクリューブローで顔面を打つ。
鼻を砕いた感触が手に伝わったが、泰山は間髪入れずに殴り返して来た。
「六十年も生きちゃいねえガキがナマ言ってんじゃねえぞ!?」
「歳食ってりゃ偉いってわけでもねえだろうが!!」
火花が散るような殴り合いはどれ程続いただろうか?
瞬きする程短かった気もするし、うんざりする程長かった気もする。
一つ分かるのは、次で勝負が決すると言うこと。
「くっ……ッたばれぇえええええええええええええええええ!!!」
正真正銘、精も根も注ぎ尽くした全霊の一撃だった。
それでも、次郎は倒れない。
「なあ泰山、アンタさ」
ギュっと拳を握り締め真っ直ぐ泰山を見据えたままその心臓目掛けて拳を放つ。
言葉は何処までも穏やかで、
「――――桔梗に惚れてんだろ?」
拳は何処までも凄烈だった。
「…………何を、馬鹿な」
バキン、と殴り合いの余波に耐え切れなくなった陸奥守吉行が砕け散った。
次郎はゆっくりと拳を引き抜き、凪いだ瞳で崩れ落ちていく泰山を見やる。
「”私”は、既婚者ですよ?」
胸元に開いた拳大の大穴が嘘のように思える穏やかな顔だ。
「関係ねえよ。既婚者になったら人を好きにならなくなる機能なんてないんだからな」
そんなもんがあるなら浮気なんて概念は生まれちゃいないと次郎は笑う。
「……」
「俺も途中までは、額面通りに受け取ってたが……」
それにしては自分に対する泰山の言葉が引っ掛かった。
だが、桔梗に惚れているのだとすればそれにも納得がいく。
「何十年経っても惚れた女は自分のことなんかまるで見ちゃくれねえ」
だと言うのにポっと出の小僧に対しては自分とまるで扱いが違う。
次郎自身に特別視されていると言う自覚はあまり無いけれど事実かどうかはこの際関係ない。
こう言うのは当人の受け取り方だ。泰山がそう受け取ったのなら彼にとってはそれが真実。
「そりゃ嫉妬するし、そりゃあ負けたくないって思うわな」
長年連れ添った自分がポっと出の小僧に負けるなんて認められるものか。
「ふ……ふふ、妄想逞しいことだ」
「いいや? 強ち間違ってないと思うぜ?」
何せ、
「俺がアンタの立場だったらきっと同じようにメラメラ嫉妬してただろうからな」
同じ女に惚れた者同士だ。共感出来ないわけがない。
「だがよ、何がアホらしいって……アンタ、全然気付いてねえんだもん。
そりゃあ俺だって今になって初恋経験したようなケツの青いルーキーだがよ。
それでも好きかどうかぐらいは分かるし認められる。良い歳こいて惚れた腫れたの自覚がねえ爺さんよりゃあマシだ」
その感情が何かも分からぬまま、こんな大馬鹿をやらかした。
怒りを通り越して呆れてしまう。
「何一つとして正しくはないさ。アンタは間違いだらけだ。長年連れ添った奥さんまでほっぽり出して何やってんだ」
奥さんに対しての情が無い、わけではないのだろう。
あったが妻よりも自身の熱情の方が重かっただけの話だ。
「が、正しさだけで世の中回るなら世界は今頃もっと平和だろう」
徹頭徹尾間違っている泰山だが、たった一つの想いがために此処までやれる大馬鹿は……嫌いになれない。憎み切れない。
呆れと感心、そして少しのシンパシー。
それが次郎の泰山に対する偽らざる感情だった。
「……」
黙って話を聞いていた泰山はフッと笑い、
「――――やはり、あなたの勘違いですよ」
「……頑固な爺さんだ。まあ良い。それよか、言い残すことはあるか?」
穢れを得た超人ゆえの生命力で永らえていたが心臓を潰されたのだ、死は避けられない。
次郎には他者を回復する手段なんてなくて、唯一可能性がある桔梗はバトルの真っ最中。
本当は生かして捕らえて色々と聞きだすべきだったのだろうが、
「(手加減出来るような状況じゃなかったし……まあ、しゃーねーわな)」
殺るか殺られるか、ギリギリの戦いの中で生かして捕らえるなどと考えていれば十中八九負けていただろう。
「何を、勝った気になっているのですかな?」
「あ?」
確かに単純な一対一の戦いには負けた。
だが、そもそもからして一連の謀の目的は何だ?
どんな形であれ一度でも良い、桔梗に自分を刻み付けるのが目的だ。
無論、理想を言うのなら次郎に勝った上で桔梗と戦いたかったが泰山は知っている。
桔梗と戦っても勝てはしないと、そしてどれだけ善戦しても意味は無いことを。
だからこそ”最悪”を以ってほんの一瞬であろうとも自分を見て貰うことを企んだのだ。
「一体何を……」
訝しんでいると、ドォン! と次郎らの近くに何かが落ちて来た。
「あららら、負けちゃったかぁ。タっくん負けちゃったかぁ」
「……」
これまで空中で戦いを繰り広げていたホーエンハイム達だ。
見たところどちらも無傷で、戦況が完全に拮抗していたことが窺える。
加勢するべきか? と考えたところで次郎は気付く。
「あ」
そう、そうだ。
年始から続く大きな謀の裏に潜む泰山自身の目的は分かった。
では――――ホ ー エ ン ハ イ ム の 目 的 は ?
その行動の根底にある好奇心は何だ?
「(糞! 此処に来る直前にも話題にしてたってのに何で俺は忘れてたんだ!?)」
己を罵る次郎だが、しょうがないと言えばしょうがない。
ようやっと黒幕の下に辿り着いたと思えばその片割れは尊敬していた先輩で殺し合う羽目になった。
ちょっとした疑問が押し流されてしまうには十分過ぎるイベントの連続だ。
「まだ、耐えられるかい?
何て聞いちゃう小生だけどまあぶっちゃけ途中からこうなることは分かってたからもう手配してるんだけどネ!
だからまあ、後ちょっと頑張っテ! そのために、君は此処まで戦ったのだろう?」
凍て付くような悪寒が次郎の総身を駆け巡った。