ラストダンス
「今年のGWも今日で終わりかぁ。結局、仕事ばっかだったな」
助手席に座り頬杖を突き外を眺めていた次郎がポツリと呟く。
「新人がナマ言ってるんじゃないわよ」
「へいへい」
まあ、口で言う程不満があるわけでもないのだ。
何だかんだ言って四六時中ずっと気になる女と一緒に居られたわけだし。
「にしても、混んでるなぁオイ。高速道路なのに全然高速じゃないんですけど」
チラリと窓から先を除けばうんざりとする程に車が連なっていた
ちょっと進んでは止まってを繰り返し一向に解消する気配が見えない渋滞。
GWの最後ぐらいは家で大人しくしてろと思わなくもない次郎であった。
「なあ、この車って変形とかついてねえの?」
「……」
お前は何を言っているんだ? 桔梗の瞳は何よりも雄弁だった。
「いやでもほら、映画だと変形してこうグワー! っと……いや、何でもないっす」
冷たい視線に耐えかねた次郎が先に折れる。
男の子のロマンはやはり女の子には理解され辛いもののようだ。
「ん?」
「あん? どうしたよ桔梗」
呆れたような目付きから途端に、刃の如くに鋭いものへと変わった桔梗の目。
一体何があったのだと思ったその矢先だ。
「!?」
ドォン! と遥か前方で轟音が鳴り響いた。
玉突き事故でも起きたかと窓から身を乗り出してみれば薄っすらとだがもうもうと黒煙が立ち上っているのが見えた。
「事故ったのか……?」
「違う」
「え?」
バン! と蹴破るような勢いでドアを開けて桔梗は外へ飛び出した。
と同時に再び轟音が連続で響き渡る。
流石の次郎もこれはただ事ではないと思い桔梗の後を追う。
「ったく……何が起こってやがる!?」
迷惑だとは思ったが緊急事態。
車の屋根を飛ぶように疾走していくと直ぐに桔梗に追い付いた。
「なあ、まさかとは思うんだがよ……嘘だろ? 白昼堂々?」
「良い? 事件を起こすような奴なんて人様の迷惑を考えられる頭なんて初めから持っていないのよ」
「そりゃ至言だ!」
並走する二人の視界に前方から逃げて来る人々の姿が飛び込んで来る。
彼の顔は皆一様に恐怖で染まっており、強化された次郎らの聴覚は確かにその言葉を聞き取った。
『化け物』
と。
最早疑いようもない。この高速道路では今、人外による事件が起きている。
二人は更に速度を早め前へ前へ。
そうして辿り着いた先では、
『田を……返せぇええええええ……!!!!!』
人型をした泥の塊が群れを成していた破壊活動を行っていた。
全員が全員泥そのものと言うわけではなく中には半身が人間、半身が泥と言ったものも存在しているが彼らは皆共通した種族である。
「泥田坊かよ!?」
妖怪絵師鳥山石燕曰く、
”むかし北国に翁あり
子孫のためにいささかの田地をかひ置て寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに
この翁死してよりその子、酒にふけりて農業を事とせず
はてにはこの田地を他人にうりあたへれば
夜な々々目の一つあるくろきものいでて田をかへせ々々とののしりけり、これを泥田坊といふとぞ”
「おい、何だってコイツらこんなとこで暴れてやがんだ!?」
田を返せ。
その言葉が示す通り、彼らにとって現代社会は赦されざるものだろう。
かつて存在していた田畑を埋め、その上に文明を築いて来たのだから。
人間を怨み、破壊活動を行う理由はある。
あるが現実問題としてそんなことをすればどうなるか。
人外の討ち手である神祇省に討伐されて終わりだろう?
まだ田舎ならば逃げられる目算もあるかもしれないが此処は都心で今は真昼間。次郎が困惑するのも無理はない。
「知らないわよ。でも、やるべきことは分かるでしょう?」
「ッ……ああ、そうだな!」
記憶処理などの後始末は自分の領分ではない。
頭を戦闘状態に移行した次郎は懐から取り出した陸奥守吉行を手に突貫。
手近に居た泥田坊の一人を切り裂くも、
「うぉ!?」
切断面が直ぐに接合され即座に反撃を仕掛けて来る。
上体を逸らし泥の刃を回避しざまに弾丸を叩き込んでみるものの、どぷん、と間抜けな音を立てて飲み込まれてしまう。
「コイツらもしかして物理攻撃効かない!?」
「完全に無効化出来るわけではないけれど効果は薄いわね。だから、こうするの」
手の平に形成した魔方陣が唸りを上げ回転し、マシンガンのように炎弾を吐き出していく。
弾丸もかくやと言う速度で撃ち出されたそれは、怪力や物理耐性はともかく動き自体はそこまででもない泥田坊らの肉体に余すことなく叩き込まれた。
「ああ、泥を乾かして……!」
乾燥し粘性を失った泥田坊らを蹴り砕く桔梗に倣い次郎も拳を叩き込む。
一体一体の強さは大したことはないのだが如何せん数が多い。
それでも十分程で百を超える泥田坊らは総て駆逐された。
被害や後始末を考えなければ桔梗なら一瞬で消し飛ばすことも出来たのだが、そうもいかないのが辛いところである。
「私よ。××高速で泥田坊らが暴れてたんだけど記憶処理班を……何ですって?」
事後処理のための人員を手配すべく連絡を取っていた桔梗の眉が険しいカーブを描く。
「……そう。分かった。道すがら暴れてるのを見かけたらそれを駆除しながら戻るわ」
「どうした?」
「日本中で今みたいな事件が起きているらしいわ」
「はぁ!? な、何でだよ!?」
「さぁ? とりあえず本部へ帰還するわよ」
「……了解!」
こんな状況だ、車に戻っても意味は無い。
二人は高速道路の壁面を飛び越え一般道に合流し都庁を目指して走り始める。
『足りぬ、足りぬ、血が足りぬ。そこな戦士よ、我と一手死合――――』
「うるせえ邪魔だァ!!!」
立ち塞がった血塗れの騎士の顔面に拳を打ち込み頭部を吹き飛ばす。
高速道路から飛び出し街に出て十分も経っていないと言うのにこれで四体目だ。
「……おい桔梗、これって東京だけじゃないんだよな?」
「ええ」
「人手、足りるのか?」
「足りないわね」
「冷静に言ってる場合か!?」
「――――足りないからこそ事態を収束させるために大元を叩くのよ」
「大元……?」
「口は良いから手と足を動かしなさい」
襲い来る人外達を蹴散らしながら進む桔梗はこんな時でも何時も通り。
焦燥などとは無縁で、ただ淡々と成すべきことを成している。
「ッッ……ああ、そうだな。悪い、冷静じゃなかった」
「気にしてないわ。それより、急ぐわよ」
「おう!!」
◆
次郎達が裏都庁に辿り着いたのは高速道路を出てから実に数時間後のことであった。
疾走と闘争を繰り返しながらの強行軍。
桔梗はともかく次郎は疲労困憊で汗だくになっていた。
「……人、少ねえなぁ」
「裏方に回った元戦闘員も駆り出されているからでしょうね。
まあ、最低限の戦闘員も本部の防衛のために幾人かは残っているでしょうけど」
休む暇もなく管制室に向かうと、室内は喧々諤々。
慌しいなんてレベルではない様相を呈していた。
「大阪支部から救援要請!? 何処も手いっぱいに決まってるでしょう!
むしろそっちから京都の方に人員を回してもらいたいぐらいで……私に言われても困ります!!」
「七人ミサキ!? またぞろ面倒な……人気の無い場所に誘導して広範囲殲滅術式を以って――――」
「はぁ!? 地元の政治家に護衛を頼まれた!? そんなもん無視しろ無視! 今は事態の収束が急務だ!!」
「(……出てった方が良いんじゃねえか?)」
管制室に二人が入って来たのにも気付かず指示を飛ばし続けるオペレーター達。
邪魔をしちゃ悪いのでは? と次郎が気後れしてしまうのも無理はない。
「オルガ、ちょっと良いかしら?」
「! 桔梗さん、おかえりなさい! 実は名古屋方面で――――」
「生憎と、私と次郎は救援には向かえない。本命を叩く役割があるもの」
「え……あ、それは……そうでした。すいません、少し気が逸っていて」
「構わないわ。それより、これはやっぱりあの薬物の影響?」
「……そのようですね。複製品を投与した囚人が暴れ出したのとほぼ同じタイミングで各地で事件が起こり始めたようですし」
「ふむ」
「でも、解析じゃそんな作用はなかったはずなのに……」
「現実として起こっているのだから、今は割り切りなさい」
飛び交う指示を余さず耳で拾いつつ桔梗は思考する。
「(どう考えても陽動。じゃあ、何処を狙って来る? 今のところそれらしい報告は上がっていないようだけれど……)」
もしも目に見えてヤバイ事態が起きていたら即座に話が来ていたはずだ。
しかし、本部へ戻る道中でも、戻ってからもそのような話はなかった。
「…………オルガ」
「は、はい!」
「何処も人手が足りていないでしょうし、こっちに救援要請が来ているわよね?」
「え、ええ……それはもうあちこちから……」
「救援要請が出ていない支部をリストアップしてくれる?」
「?」
「良いから早く」
「も、申し訳ありません!」
素早くコンソールを操作すると要望通りのリストが空間投影される。
「(富士、恐山、那須高原……)」
リストアップされた支部の数は十一。
そしてその半数は、神祇省にとって無視出来ないものを監視する役目を担っている。
異変があれば即座に連絡が来るものの、現在ところそれは無し。
とは言え事態が事態だ。本部からも確認は取っているだろう。
そして今も定期的に異常が無いかを報告させているはずだ。
「(怪しい場所は幾つかある。でも、何の報告も来ていない)」
秘密裏に敵が動いているから気付けない?
いいや、そんなことはない。
何処も解き放たれれば列島沈没どころか世界に影響を及ぼすものを封じ込めた所ばかりだ。
どんな些細な――それこそ蟻一匹たりともバレずに関与出来るわけがない。
「(ならば、まだ仕掛けておらず感知出来ていない?)」
それは楽観だろう。
であれば今成すべきことは何か。考えるまでもない、行動を起こすことだ。
「オルガ、これから私が指定する支部に通信を送ってくれる? ああ、会話は私がするから繋ぐだけで良いわ」
「了解です」
各支部との通信を始めた桔梗だが、その会話の内容は実に当たり障りのないものだ。
現状に即した普通の会話で桔梗の目論見がまるで分からない。
「(……?)」
ああでもないこうでもないと考えている内に桔梗は指定した総ての支部との通信を終えていた。
「行くわよ、次郎」
「は? 何処へ?」
「富士山」
「富士山って……何で?」
「そこに黒幕が居るからに決まってるじゃない」
瞬間、管制室に居た全員の視線が桔梗に注がれた。
「き、桔梗さん……? ですが、富士を監視する支部からは何も……」
「直接的な力で陥落させられたわけじゃないわね。多分、操られているのだと思うわ」
「(おいおい、それをあんな当たり障りのない会話から見抜いたってのか?)」
「それよりくっちゃべっている暇は無いの。今直ぐ富士に行かなきゃいけない――オルガ、アレの用意を」
「うえ!?」
ギョッと目を剥くオルガに次郎は不安を抑えきれない。
「つ、使うんですか? あんな冗談みたいな装置を?」
「緊急事態よ。物資輸送用の転移術式でも良いけど、アレは下手をすると四肢の一本か二本は異次元に呑まれてしまうもの」
悪食持ちが二人でも四肢が完全に欠損してしまえばその場で生やすことは出来ない。
それでは戦闘行動に支障が出るからと理詰めで語る桔梗だが、オルガの顔色は優れない。
「で、でも……」
「良いから早く」
「わ、分かりました! では、準備致しますので御二人は十三格納庫へ向かってください!」
「(十三……ふ、不吉な数字だ……)」
十中八九ロクでもないことになるのは目に見えている。
それでも足を止めるわけにはいかないのがエージェントの辛いところだ。
不安を押し殺しながら向かった十三格納庫。
一見すれば何も無いだだっ広い倉庫のように見えるが……さて。
「お、お、何だ何だ!?」
格納庫の天井が開かれ相も変わらず奇妙な色彩の空が現れる。
だが、変化はそれだけではない。
ごごごご、と地鳴りのような低い音が鳴り響いたと思えば床から巨大な銃身が生えて来たではないか。
「…………まさか、まさかとは思うけどさ」
「さあ、さっさと銃口に入りなさい」
「やっぱり撃ち出すのかよ!? 嘘だろマジかよ正気か!? 何考えてこんなもん作ってんだ神祇省は! 馬鹿なのか!?」
「予算が余ったとかで作ったらしいわよ」
「無理して予算使い切らなくて良いから!!」
「ごちゃごちゃ言ってないで早く。それとも何? 世界がどうなっても良いと?」
「う……あー、分かった! 分かったよ! やってやらぁ!!」
次郎は意を決して銃口の中に飛び込んだ。
閉塞感に加えてこれから起こる確実な未来を想像し顔を青くする次郎とは対照的に桔梗は嫌になるぐらい何時も通りだ。
『エネルギー充填完了! 座標良し、射角良し!』
鳴り響くアナウンス。
銃口の直線上にある空には孔が穿たれ正しい次元の空が見える。
『カウント十秒前。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……グッドラック!!』
グッドラックじゃねえ! と叫ぶ暇すらなく、
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!?!?!?」
次郎は星になった。
強化されているはずの肉体ですら軋む程の速度域。
叩き付けられるように殺到する空気が呼吸を奪い、叫び声など直ぐに出せなくなってしまった。
「(や、やべえ……走馬灯が……)」
などと考えているとカクン、とフォークボールの如くに軌道が変わり急降下。
したかと思えば次の瞬間には甚大な衝撃が全身を駆け巡る。走馬灯なぞ一瞬で消えてしまった。
「あ、あばば……」
痛む身体に鞭を打ち、瓦礫を押し退け状況の把握に努める。
何やら何処かの建物の天井をぶち破って侵入してしまったようだが……。
『『『『『『…………』』』』』』
見てる、めっちゃ見てる。
黒スーツに黒ネクタイの怪しい集団がすっごい此方を見ている。
彼らの顔は一様に能面の如き無表情でどう見ても友好的には思えない。
「(操られてるって言ってたが……!)」
武器を構えて襲い掛かる職員らを迎え撃つべく構えを取るも、
「へ?」
一瞬静止したかと思えばどさりと音を立てて倒れてしまった。
「やれやれ、ノってる時のタフさは何処に行ったのかしら?」
じゃらじゃらと片手で何かを弄びながら嘆息する桔梗。
「殺したのか?」
と言う問いにまさか、と答えそれを差し出した。
「何だこりゃ釘……?」
「これが彼ら脳の……この辺りに刺し込まれていたわ。どうやらこれで操ってるみたいね。
ちゃんと復帰するには治療が必要だから戦力にはならないけど、後のことを考えるならなるべく殺したくないわ」
重要な場所に配置されるだけあって彼らは皆、優秀な職員なのだ。
中々替えが利かない人材ゆえ、なるたけ生かしておきたいと言うのが本音だった。
「これからどうするんだ?」
「こっちの管制室に向かうわ。早く回復を済ませなさい」
「あ、ああ」
靴の裏に口を形成し踏みつけるように瓦礫を喰らうと痛みと疲労が引いていく。
実に便利な能力で、成る程酷使されるのも当然だと改めて実感する次郎であった。
それはさておき行動は迅速に。
次郎が回復したと見るや桔梗は天井や壁をぶち抜き最短距離で管制室に侵入。
操られているがゆえに即座に迎撃体勢に移行した職員らを一瞬で無力化し管制室を掌握。
今は何やらコンソールを弄っているようだが、やはりこの女尋常ではない。
「(半端ねえな……ちょくちょく鍛錬はやってたが全然違う)どうよ?」
「……ビンゴだったわ。賊は既に富士の火口で封印を解こうとしている。
鍵も持ち出されたようだし……でも、こっち側と並行して作業を進めなければいけないから一先ずは安心」
そう言って桔梗は滅茶苦茶に施設の設備を破壊し始めた。
自分たちが此処を出た後で潜んでいた傀儡が作業を進めるのを阻害するためだろう。
「これで十分は稼げるわね。その間に火口に行って敵を潰せば最悪は避けられそうだわ」
「……一応聞くけどさ、火口までどうやって行くよ?」
「足を使ってに決まってるでしょうが」
「お、おま……おま……富士山の山頂までダッシュで十分以内とか正気か!?」
ちなみに霊峰富士を監視するこの支部の所在地は裾野に広がる樹海の中にある。
つまり一番下から一番上を目指すと言うわけだ。
「知ってる? 富士の高さは3776メートルなのよ?」
「アンタそれ高さであって登山距離じゃねえからな!?」
「ほら、十分休憩出来たでしょう? 無駄話をしている間にも時間は消費されてしまうのだから急ぐわよ」
「糞! マクレーンでもこんなハードなことしねえぞ……!!」
わざわざ入り口から出る時間も惜しい。
施設を破壊し樹海に侵入した二人は真っ直ぐ富士山目掛けて走り出した。
何の障害もなければ良いのだが、生憎とそこまで甘くはない。
二人の疾走を阻むように現れる人外達。
都内で暴れていた雑魚の比ではなく一匹一匹が闘技場で次郎が相手取った鬼程の強さをしている。
「私が相手をするから体力を温存なさい」
と桔梗が言うものだから対処は総て桔梗に任せていたが流石は神祇省最強の女。
素手オンリーで攻撃を回避しないと言う制限付きではあったものの、次郎をあれ程苦しめたレベルの敵を何なく瞬殺していく。
「な、なあ……桔梗、富士の火口にはい、一体……何があるんだ……?」
靴底に悪食を使い大地を喰らいながら走っているが回復が追いつかない。
消費するエネルギーと回復するエネルギーが釣り合っていないのだ。
「具体的に何を、って言うのは難しいわね。数が多過ぎるし。
零落し限りなく現象に近くなった荒ぶる神々や、空を亡くしてしまう天魔……って言ってもピンと来ないわよね?」
「あ、ああ。具体的に頼む」
「阪神淡路大震災、南海東南海大地震、関東大震災――パッと思いつく大災害を起こせるような奴らがごまんと封印されてるわ」
と言うか、中には実際にそれらの災害を引き起こした元凶も居る。
しかも、全力で暴れてそうなったわけではない。
全力で暴れ出す前に封印が成ったからこそ、その程度で済んでいるのだ。
「封印すんなよそんなもん! 何で殺しとかねえんだ!?」
「殺すまでやれば列島が何度沈むことになるやら」
「マジでやべえじゃん!」
そう、マジでやべえのである。
どれか一柱でも自由にさせてしまうと他に封じられている者達も連鎖的に解き放たれ比喩でも何でもなしに世界が終わってしまう。
「ついでだからレクチャーしておいてあげる。良い? 日本と言う島国は”世界の相”を持っているの」
「世界の、相?」
「そう。相だけに」
「要らんジョーク挟むなや!!」
「緊張を解してあげたのに酷い言い草ね」
「時と場合を考えろよ!?」
「まあ、それはそれとして。日本雛形論って知ってる?」
「え、えーっと……何だっけ……聞いたことはある。テレビか何かで……確か日本列島が世界地図の縮図だとかどうとかで……」
落ち着いた場所であればもっと詳しく思い出せたのかもしれないが状況が状況だ。
思い出せたのは本当に概要だけだった。
「その認識で十分よ。そこまで知ってるなら話は早いわ。
ざっくり言うと日本で起きた災いは世界にも伝播するの。
普段は龍脈の操作でたかだか大地震程度では表面的な影響が出ないようにはしているけれど……」
流石に神話クラスの人外が大暴れしてしまえば地脈も糞もない。
日本列島が沈んだ瞬間に、終末のラッパが高らかに鳴り響くだろう。
「合点がいった! それで国連所属なのか!?」
「ええ、とは言え……戦争終結後にそれを知った列強はこぞって日本を支配しようとしたのだけどね」
ただ、そうはいかない事情があった。
「何で実際にはそうならなかったんだ?」
「簡単なこと。日本人と言う民族そのものが列島の一部になっていたから。
日本人を何処ぞに追いやり別の民族が取って代わろうものなら間違いなく世界レベルの災厄が起こる。
想像してみなさいな、全身から血液を抜き取られて違う血液型の血を代わりに入れられたらどうなるかしら?」
かと言って植民地化も出来ない。
植民地となれば、当然支配国の民は植民地に住まう民に自分達以下の生活を望むはずだ。
戦争と言う背景もあり、憎しみが蔓延しているだろうし勝者の権利でもあるから当然である。
だが此処で再び血液を例に挙げてみよう。
不摂生で濁り切った血液が何の影響も及ぼさないと?
日本があれだけ早く敗戦から復興出来たのもそれが一因だ。
何時までも不健康なままで居られると迷惑が及ぶから各国が協力し、自然な形で立ち直りをサポートしたのだ。
まあその手段が戦争なのは実に皮肉なことだが。
「とは言えそう簡単に諦められるものでもない。
何せ上手く使えば比喩でも何でもなしに世界の支配者になれるのだもの。
だから色々手を尽くしていたのだけど全部無駄に終わったわ。
ええ、表の世界でこそそこまで大きな変事は……まあ幾つかあったけど、最小限に抑えられていた。
それでも裏の世界は最悪。自国のオカルト組織を総動員してもどうにもならない、終焉レベルの異変が頻発したの」
日刊世界の危機ね、と皮肉げに笑う桔梗だがとても笑える話ではない。
何せ一歩間違えば今日の人類は存在していなかったのかもしれないのだから。
「そこで動いたのがあの男、Rよ。
こうなることを予期していたRは自国や他国の神魔を引き込んで事態の収拾に乗り出したの。
その功やらを盾にして各国とあれこれ交渉し、復興や独立の手筈を整えたわけ」
「おぉ……流石は坂本りょ――――」
「一応、相手を立てる形で国連所属だし、各国から人材を引き入れてもいるわ。
それでも日本の地脈を利用出来る力と知識を持った神祇省の主権は何処の国家にも無い。
そう、例えこの日本と言う国であろうともね。独立独歩は変わらない」
仮にそれを違えようとすればその国はとんでもないしっぺ返しを喰らうだろう。
何せ強い力を持つ神仏達の立会いの下、”国”そのものと契約を結んだのだから。
署名をした大統領や首相に累が及ぶのではない、国家そのものに災禍が注ぐのだから破れるはずがない。
「成る程な。でも何でアンタら頑なに認めないの? どう見てもあのぜよぜよ言ってるオッサン龍――――」
「ところで、あなたは現状についてどう考えている?」
何かおかしな不文律でもあるのだろうか?
「あ? 現状? 現状って……現状?」
「頭の悪い確認のし方をしないで。今私達神祇省が置かれている状況についてよ」
「あ、あのなぁ……アンタ、富士山を全力疾走しながら登ってるんだから勘弁しろや……」
「それよりどうなの? 思うところを聞かせなさい」
その問いを受けた次郎は疲労に汗を滲ませつつも、言葉を吟味し答えた。
「……どーにもしっくり来ねえ」
「と言うと?」
「いやさ、状況だけ見れば薬中どもを囮に使ってヤバイ奴らの封印を解こうとしてるように見えるけどよ」
でも、
「じゃあそれが目的かっつったら何か違うくね?
そもそもこんな手練手管で神祇省を常にケツに追いやり続けて来た相手だぞ?
こうやって俺達が阻止に向かっている時点で何かおかしいだろ」
気付いた時には総て手遅れ、それぐらいでないと不自然だと次郎は指摘する。
当初は混乱していたが、ある程度頭が冷えた今だからこそ疑問に思うのだ。
「そもそもからして、この事件の根底にあるホーエンハイムの好奇心ってのは何だ?」
世界を滅ぼすのが目的ではないはずだ。
それに起因しているのならば既に世界は滅んでいるはずだから。
とは言えこのまま放置しても世界は問題無いのかと言えばそれも違うだろう。
どちらにしろ世界がヤバイことに変わりはないが根っこの部分が異なっているのだ。
「……ふふ」
「あ? ンだよ。そこまで変なことを言ったつもりはねえぞ」
「いいえ、上等。これからも変に頭を固くせず何時如何なる時も柔軟に物事を俯瞰なさい。
いけないことだ、気を付けようと分かっていても……人間、気を抜くとどうしたって固定観念に呑まれてしまう」
何をせずとも呑まれない者をこそ天才と言うのだが、生憎と天才なんてものは一握りの存在だ。
そんな存在になれない以上は、常に己を戒め続けるしかない。
「単純な戦闘能力……についてはまあ、及第点だわね。
術やら何やらは修める気が学んでも良いけれど、誰かに補って貰うと言う手もある。
使えるものは何でも使いなさい。所詮人間、一人では手が届かないことが山程あるんだもの」
「……何だよ、急に」
桔梗は自分の指導役だ。
だから教えを口にするのは不思議なことではない――普段なら。
しかし今は違うだろう。
こんな状況で授業をしても頭に入って来ない可能性の方が高い。
全部終わって一息吐いたら忘れてしまう可能性が大だ。
徹頭徹尾効率を優先する桔梗らしからぬ言動に訝しみを覚えるのは当然の帰結だった。
「別に。深い意味は無いわよ。ただ思いついたから口にしただけ。それよりほら、前を見なさい」
「っと……もう頂上か。だが、怪しい奴らなんて――――」
そう言い切るよりも早くに桔梗は火口の中へ飛び込んで行ってしまった。
「え……ちょ……えぇえ!?」
その行動自体は問題無い。
一応、火口に降りれないこともないと知っていたから。
問題は桔梗の姿が掻き消えたことだ。
飛び降りたはずなのに何処にも居ない。どう言うことだと慌てるも、
「……そんな場合じゃねえやな。ええい、ままよ!!」
桔梗に倣い次郎も勢い良く大地を蹴って火口へ飛び降りた瞬間、
「な、何だこりゃ!?」
風景が一変したのだ。
自由落下し続ける肉体を蝕む熱気。
視界に映るのはあちこちに設置された足場やよく分からない機械。
「……偽装されてたのか。すげえな」
冷静になった次郎は急がなければと思い直し、頭が下になるよう体を入れ替え手近にあった足場を蹴り付けた。
加速した次郎は十秒と経たずに底を視界に収めるのだが、
「――――泰山さん?」
そこでは桔梗と泰山が睨み合っていた。