スイカ大福
もちはだ大福、というのが若い女の子の間で流行っているらしい。
名の通り、食べると餅のように柔らかくきめ細やかな肌になる。その上、しばらくは日にも焼けず、にきびもできなくなるというのだ。
「なんかすげえ貴重な水と粉を使ってるらしくてさ。どこそこ神社とか、なんとか大社でしか売ってないんだって。みんな並んで買ってるよ」
近所に住む男子高校生、風太は言った。
りん子は流行に疎いので、そんな話は聞いたことがなかった。
「それ、おいしいの?」
「さあ。俺は食ってないからなあ」
「食べた人は何て言ってる?」
「そりゃもう、顔がもっちもちのつるつるになって、足も長くなってウエストも細くなって老若男女問わずモテモテだって言ってるよ。俺には違いがわからないけど」
プラシーボ効果というやつだろうか。そんなことを考えているうちに、どんどん大福が食べたくなってくる。
「うわっ、もうこんな時間。兄ちゃんに殺される!」
風太はパンの袋を片手にぶら下げ、大急ぎで横断歩道を渡っていってしまった。
りん子はしばらくその場に立ち尽くした。結局おいしいのか、どこに売っているのか、そもそも自分に手が出る値段なのか、何もわからずじまいだった。
スーパーへ行くと、夕方のセールをやっていて、人でいっぱいだった。生鮮食品や総菜に半額シールが貼られ、煽るような店内放送が響き渡る。
『もちはだ大福も大特価! 買うなら今です!』
りん子は足を止めた。ちょうど菓子パンの棚を通り過ぎ、和菓子のコーナーに来たところだった。茶饅頭、カステラ、三本で百円の串団子、その隣に大福があった。いかにも安そうなビニールのパッケージに、ピンクの文字で「もちはだ大福」と書いてある。
「コンビニの和菓子と変わらないみたいだけど」
とりあえず買い物かごに放り込み、レジへ向かった。並んでいる客のかごを何気なくのぞいてみたが、大福を買っている人はいない。本当に人気なのか疑わしくなってくる。
会計を済ませると、りん子は飛ぶように家へ帰った。緑茶を入れて、買ってきたもちはだ大福を小皿に乗せた。パッケージの裏を見ると、もち粉や水あめなど、よく見かける原材料名が書いてある。製造元は普通の会社だ。
「なんか、風太くんが言ってたのと違うわね」
ビニールを破って開けると、わずかに香ばしく甘いにおいがした。粉が飛び散り、小皿を白く染める。思ったよりも重く、柔らかい。黒っぽい豆がごろごろと入っている。
一口食べてみる。表面はほの甘く、粉の舌ざわりもよい。唇で食むと、もっちりと伸びる。餡はさっぱりとして、上品な味わいだ。小豆のしなやかさと、皮に練り込まれた豆の固さが混ざり合う。後味はあまり残らず、緑茶との相性もよかった。
まるでここが自分の家ではなく、老舗の旅館でくつろいでいるような気分になる。安らぎとよそ行きが混じった味だ。
「ああ、おいしかったわ。思いのほか」
最後の一口を食べてしまうと、りん子はゆっくり立ち上がり、茶碗と小皿を流しへ持っていった。洗いながら、キッチンの壁に吊した鏡に目をやる。
「えっ……?」
そこに映っていたのは、生まれ変わったような自分の顔だった。
「嘘……まさか、まさかこんな」
りん子は目をこすり、何度も鏡を見た。間違いない。大福のような肌になっている。比喩ではない、正真正銘の大福だ。
紙のように白く滑らか、うっすらと粉に覆われている。甘いにおいが漂い、頬も鼻も額も驚くほど柔らかい。引っ張ってみると、餅のようにどこまでも伸びた。元に戻らないのではないかと心配になったが、手を離すと縮んでいった。
「困ったわ」
こんなに白くては、どの服を着ても色映りが悪い。頬杖をつくと手がめり込んでしまうのも不便だ。
どうしたものかと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。こんな顔で出るのはためらわれたが、仕方ない。りん子はドアを開けた。
「久しぶり。相変わらず暇してる?」
髪の長い、ほっそりとした少女が立っていた。赤いブラウスに濃い緑のスカートを合わせた姿は、まさに夏の置き土産だ。何かと無遠慮な物言いをするこの少女を、りん子は「スイカの姫君」と呼んでいた。
「どうしたのその顔。白瓜みたいじゃない」
スイカの姫君はりん子の顔をじろじろと眺め、指で触った。ぷに、と爪が頬に食い込む。
「あは、やわらかーい」
「やめて、跡がついちゃう」
「いいなあ。私もこんな肌になりたいわ」
嫌味ではなく、本当に羨ましそうに姫君は言う。
「いいないいな。リア充爆発しろ」
「何よそれ。自慢じゃないけど、私がリア充だったことなんて一度もないわよ」
「去年の夏に、ストーカー風の男と追いかけっこしてたじゃない」
そんな覚えはないし、あったとしてもリア充からは程遠い出来事だ。
スイカの姫君は一年中スイカでいることに飽きたので、たまには白瓜になりたいのだという。どこで買えるのか、まだ売っているのかと詰め寄られ、瓜じゃなくて大福だけど、と言い添えて、りん子はスーパーの名前を教えてあげた。
「ありがとう。私っていつも海や畑にいるから、どうしても日焼けしちゃうのよね。美白効果がある大福なんて最高だわ」
本当にいいのかしら、と思いながら、りん子は姫君を見送った。
それからしばらく、姫君の姿を見なかった。ひょっとしたら、大福のおかげでモテモテになり、どこぞの農家に間引かれて浅漬けにされてしまったのだろうか。心配していたが、日が経つにつれて忘れた。真っ白になったりん子の顔も、何度か洗ううちに元通りになった。
ある日、買い物に行こうとドアを開けると、玄関の前に大きな白いボールが置いてあった。直径五十センチ以上はありそうで、触ってみるとみっしり固い。
「誰が置いたのかしら。邪魔ね」
邪魔とは何よ、と聞き覚えのある声がした。廊下を見回したが、誰もいない。
「ここよ、ここ。あなたの目の前」
声はボールの中から聞こえていた。叩いてみると、ポンポンと良い音がした。よく見ると、白い表面にうっすらと緑の縞模様がある。
「まさか、スイカの姫君?」
「ええ。めでたく白いスイカになれたから、あなたの家で冬眠させてくれる?」
「と、冬眠って……あっ、ちょっと」
巨大スイカはごろごろと転がり、部屋の中に入っていった。台所の隅の、日の当たらない場所に落ち着くと、ただのスイカのように押し黙ってしまった。
「冗談じゃないわ、邪魔よ邪魔。大人しく外で日焼けしてきなさい!」
りん子はスイカを持ち上げようとしたが、重くてびくともしなかった。きっと中身は大福餅と餡に違いない。
「あの大福を買い占めて食べたのね。まったくもう」
どこそこ神社かなんとか大社、とにかく然るべきところへ献上するか。
それとも真っ二つに切って食べてしまおうか。
考えているとお腹が空いてきた。そういえば、しばらく大福を食べていない。りん子はスイカをそのままにし、買い物へ行くことにした。
私の分も忘れないでね、と姫君の声が頭に響いた。