第6話 導くもの
あれから1カ月以上の時が過ぎようとしていた。
調停も無事に終わり、明奈も直人も母親も二宮家に縛られることなく過ごせるようになった。
母親の仕事も無事に見つかった。
もう一度3人で笑い合いたいという願いは叶えられた。
この日も、母親の家で仲良く鍋をつつく3人。
「…それでな、その先輩に子どもが生まれてさ、写真見せてもらったんだけど、本当にかわいくて…。赤ちゃんいいな~。」
直人が嬉しそうにしゃべる。
「そう。 でも、直人はまず結婚相手見つけなきゃね。」
「そんなの言われなくてもわかってるよ…。」
母の言葉に、直人がツッコむと3人に笑いが起きた。
「結婚か…。」
明奈がボソっとつぶやく。
「姉ちゃん、やっぱり翔さんのこと…」
直人が神妙な顔つきで尋ねる。
「ううん、そんなこと…。自分勝手に別れようって言って、自分勝手に別れて、自分勝手に連絡も拒絶して、今さら自分勝手にやっぱり付き合おうなんて言っちゃダメでしょう。翔をどこまで振り回すつもりなのって感じじゃない。…っていうか、私はもう一人で生きるって決めたの! 結婚っていうのも直人にとっては悪くはないんじゃない?って言おうとしただけ…。」
調停も終わり、明奈は母親と楽しく過ごしてきた。仕事も充実している。でも、心の奥にぽっかり穴があいているような感覚はいまだに消えていなかった。沙枝や翼ともまだ連絡を取りづらい…。
そんなことを考えていると、母親が口を開いた。
「明奈、お母さんは明奈が本当に幸せに過ごしてくれることが一番嬉しいんだからね。」
「それ、前にも聞いたよ。…ほら、誰も食べないなら私が食べちゃうよ!」
明奈はわざと元気な声を出して、鍋をつついた。
翔と翼と沙枝は、久しぶりにファミレスに集まった。
「翔、もうすぐ誕生日だな! 何かほしいものとかあるか?」
翼がハイテンションでそう聞いてくる。翔は小さな声でこう答えた。
「明奈の笑顔…。」
「いきなり、そうきましたか…。」
翼は困惑する。
翔の心の中にも大きな穴があいていた。普通に楽しく生活してはいるけれど、その穴はなかなか埋まらない。やはり、一度明奈と会って話をしないと納得できない。
「ごめん…。」
「いや、いいよ。沙枝、最近明奈ちゃんと連絡取ってるか?」
「ううん、何か連絡取りづらいって感じで…。」
「だよな…。あっ、別に翔のせいとかそんなんじゃないからな。」
「…ありがとう。そうだ。 僕、明奈と会えるかもしれない方法を思いついた。」
「えっ、本当に?」
沙枝が嬉しそうな声を上げる。
「うん、実はもうやってみたんだ。これでも会える可能性は低いかもしれないけど…これしかないと思って。」
翼と沙枝は顔を見合わせた。
…この年、この地域では珍しく雪が降り積もった。
この雪が解ける頃には翔のことを忘れられるだろうか…そんなことを考えながら毎日を過ごす明奈。
「わあ、翔、雪だよ! きれいだね~。」
翔の頭の中ではそう言って笑顔ではしゃぐ明奈の映像が何度も流れた。
ある日の仕事の帰り道…もう夜もだいぶ遅くなっていたが、明奈はふとある場所に立ち寄った。
「いらっしゃい。あら、久しぶりね。」
そこは大学生の頃、道に迷った時に見つけた小さな喫茶店であった。
木を基調とした品の良いインテリアが並べられていて雰囲気も良く、明奈と翔のお気に入りの場所だった。特にここを経営している仲のいい老夫婦が大好きで、学生時代はときどき足を運んでいた。しかし、就職してからはだいぶ足が遠くなっていたのだった。
「仕事でたまたまこちらの方に来たものですから…」
「そうそう、あなたの恋人から手紙を預かってるわよ。」
お婆さんがそう言って、引出しから手紙を取り出す。
「えっ…!?」
明奈はその手紙を受け取った。
翔の考えた明奈に会う方法とは、2人で行ったことのある場所で、かつお願いできそうな場所にひたすら手紙を預けるという方法だった…。
「それにしても、あなたたち大きなケンカでもしたのかい…。そんなことする風には見えないけど。まあ、若い人は色々あるのかな。」
お婆さんは詳しいことを知らないらしい。明奈はカウンター席に座った。
「お婆さんたち夫婦はいつも仲良しですもんね。」
「そうね…私たちが出会ったのは40過ぎてからだし、ケンカというケンカはしたことないわね。」
「40過ぎてから…」
意外だった。明奈はてっきりこの夫婦はもうすぐ金婚式というところだろうと思っていた。
「ええ、そうよ。私はね、結婚なんてするつもりなかったのよ。父親の浮気癖のせいでいつも泣いている母親を見てきたし…、それに、共働きなのに家事をちっとも手伝わないうえに細かいことまで何かと命令してくる祖父のせいで、休む間もなくずっと動き回っている祖母を見て育ってきてね…。男はお仕事さえすれば後は好き勝手できるのに、女は色んなことを一生懸命やっても、母親なんだから、妻なんだから当然でしょって、さらに鞭を打たれる。そう言うのを目の当たりにするのが本当に嫌だったわ。あの頃はまだまだ男尊女卑の発想が強かったしね。まあ、今はそんなことも大分なくなってきたみたいだけど。」
ウチは思いっきり男尊女卑だったけどな…と明奈は思った。
「…だからね、私はそこから自由になることにしたの。お付き合いもしたことはあるけど、私のこと束縛してきたり、強引に引っ張っていこうしたりする男ばかりで…私はそうされても愛されてるって感じることができないの。だから、恋愛も好きになれなかったわ。でもね、40過ぎてから今の旦那さんに出会ったの。この人は私が愛されてるってわかる形で私を愛してくれる人だって思った。ちゃんと私の気持ちと向き合ってくれる優しい人だって。だから、思い切って彼と一緒になることにしたわ。今は一緒になって良かったって心から思ってる。…あっ、長々としゃべってごめんなさいね。年寄りの長話だと思って許して。」
そう言って、お婆さんは微笑んだ。
「あっ…」
明奈はいつの間にか厨房に立っていたお爺さんに気づいた。お爺さんは顔を赤くして照れくさそうにしている。
「あら、いつの間に…。もう、恥ずかしいわ。」
お婆さんも顔を赤らめる。
「いやいや、僕の方こそ彼女に出会えたことに心から感謝してるんですよ。仕事と父の介護に夢中で婚期を逃した僕のもとにこんな素敵な人が現れるなんて…人生何があるかわからないものですね。」
お爺さんが明奈に向かってほほ笑んだ。
「あなたはまだ若いのにもう素敵な人に出会えたみたいでうらやましいわ…。ほら、手紙読まなくていいの?」
お婆さんが明奈の手紙に視線を移す。
その言葉に促され、明奈は手紙を開いた。
…私が愛されてるってわかる形で私を愛してくれる人。…ちゃんと私の気持ちと向き合ってくれる優しい人。…翔もそうだと明奈は思った。
手紙の内容に目を通す。
明奈へ
僕は明奈に幸せになってほしいです。明奈は明奈の思うように生きれば良いと思います。
ただ…僕の気持ちをどうしても直接伝えたいです。そうしなければ、僕は前へ進むことができません。
あと一度だけ…一度だけでいいから会いたいです。どうか会ってください。会ってくれるなら、連絡ください。
その下には連絡先が載っていた。明奈は携帯の電話帳から翔のページを消せずにいたので、結局、必要なかったのだが…。
「私も会いたい…」
翔からの不器用な手紙を読んで、明奈はそうつぶやいた。そして…
「お爺さん、お婆さん…ありがとう! 本当にありがとう!」
そう言って、明奈は喫茶店を出た。
すぐに翔の携帯電話に電話する。
「・・・おかけになった電話番号は現在電波の届かないところにあるか電源が…」
明奈は電話を切ると、翔のアパートへと向かった。仕事が長引いているのかもしれないので、アパートの前で直接待つことにしたのだ。
…私は直人や翼や沙枝に「一番安全で安心できて自由な人生を選ぶ」と言った。けれど、翔と別れて何が安心だったのだろう。翔と別れて私は何を手に入れようとしていたのだろう。翔から目をそらして、翔の気持ちもちゃんとわからないで、自分勝手に行動して…私は一体何をしたかったのだろう。自分の求めているものはちゃんと翔のもとにあったのに。
明奈は道すがらずっとそんなことを考えていた。
翔のアパート前に到着する。まだ部屋にはいないようだ。そこで翔をじっと待つ…。10時、11時…まだ翔は来ない。仕事がまだ終わらないのだろうか、それともどこか別のところへ行ってしまったのだろうか。
その時、アパートから1組のカップルが出てきた。
「ふたご座流星群楽しみだね。」
「ああ、明日が日曜で本当良かったよ。ずっと見てられるからな。」
そんな会話をして、そのカップルはどこかへ去って行った。
そうか…今日はふたご座流星群が見られる日なのか…。
…!! もしかして…。
明奈はすぐにタクシーを呼んで、ある場所へ急いだ。