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王慶討伐の戦塵が収まり、静まり返った湖畔。勝利の証であるはずの「楚」の軍旗は泥にまみれ、梁山泊の陣営には、勝鬨の代わりに低く重い、慟哭の風が吹き抜けていました。
戦場の華々しさではありません。共に死地を潜り抜けてきた「家族」を失った男たちの、剥き出しの悲しみです。
一、 鉄牛(李逵)の迷子:泣けない野獣
いつもは猪突猛進、大声を張り上げて暴れ回る黒旋風・李逵が、この日ばかりは言葉を失っていました。
彼は、水底から引き揚げられた張順の遺品――血と泥に汚れた真っ白な手拭い――を、大きな手で握りしめたまま、陣営の隅でうずくまっていました。
「……おい、張順。起きろよ。お前、水の中じゃ死なねえんじゃなかったのか」
李逵にとって、張順は数少ない「喧嘩のあとの親友」でした。かつて江州で取っ組み合い、水の底に引きずり込まれて完敗したあの日から、二人の間には言葉を超えた絆がありました。
「兄貴(宋江)よ……。俺はよ、遼の兵隊を千人斬るより、こいつとまた一発、水遊びがしたかったんだぜ……」
李逵の大きな目から、大粒の涙が溢れ出しました。それは「鉄牛」と呼ばれた荒くれ者の、最初で最後の、子供のような泣き顔でした。
二、 行者(武松)の静寂:独臂の誓い
一方、行者・武松は、月明かりの下で独り、酒を煽っていました。
彼は水軍の激闘の中で、兄弟のように慕っていた仲間たちの死を次々と見届けました。
武松は、かつて景陽岡で虎を打った時の、あの無敵の力と孤独を思い出していました。しかし、今の孤独はあの時とは違います。
「……義に死ぬ、か。言葉で言うほど美しくはないな、宋江兄貴」
武松の瞳には、かつての鋭い殺気ではなく、悟りにも似た深い虚無が宿っていました。彼は、張順や阮小二が散っていった湖面を見つめ、重い戒刀を強く握り締めました。
「地獄の門まで、あと何人、俺たちの兄弟が並ぶことになる。……だが、俺は止まらん。止まれば、死んだ奴らの道が途絶えてしまう」
三、 魯智深の祈り:花和尚の慈悲
その武松の背中に、大きな影が寄り添いました。花和尚・魯智深です。
彼は一言も発さず、武松の隣に腰を下ろすと、懐から数珠を取り出しました。
「武松よ。……死んだ奴らは、皆、星へ戻ったのだ。梁山泊という名の、天の星にな」
普段は豪放磊落に笑う魯智深の、震えるような低い声。彼は仏門に身を置きながら、誰よりも人の死を悼み、その魂の重さを知っていました。
二人の英雄が、月下の湖畔で並んで座る姿は、消えゆく梁山泊の栄光を象徴するような、あまりにも寂しく、気高い光景でした。
四、 宋江の絶望と呉用の決意
陣屋の奥では、宋江がその光景を幕間から見て、嗚咽を漏らしていました。
「私のせいだ……。私が、彼らを陽の当たる場所へ連れて行こうとしたばかりに、彼らを闇に突き落としてしまった」
呉用は、その宋江の背中を支えることすらできず、冷たく燃える蝋燭を見つめていました。
「宋殿。悲しみを止めてはなりません。しかし、我らは進まねばならぬ。
梁山泊の好漢たちは、心に癒えぬ傷を抱えたまま、次の戦場へと向かう準備を始めました。彼らの背負う「替天行道」の旗は、もはや栄光の象徴ではなく、死者たちの魂を包む経帷子のようになびいていました。
親友の死を乗り越えるのではなく、その重みを背負って歩き出す李逵と武松。




