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「……開けい」
聚義庁の重い沈黙を切り裂いたのは、宋江の言葉ではなかった。
山門の方角から響いてきた、この聖域には似つかわしくない、傲慢な「官」の響きを帯びた声であった。
呉用が、静かに目配せをする。
その視線の先では、山を囲む八百里の湖水に、これまで見たこともないような奇妙な波紋が広がっていた。かつて阮三兄弟が守り、李俊が支配したあの難攻不落の「結界」が、外側から目に見えぬ力で浸食され、崩れ始めている。
現れたのは、南宋の旗を掲げた一団であった。
先頭に立つのは、洪信という名の使者。
彼は龍虎山の封印を解いたあの日から、何かに憑かれたような眼をしていた。彼が手にする勅書が、聚義庁の冷えた空気の中で不気味に震える。
「宋江よ、そして梁山泊の徒党どもよ。貴様たちの『隠れ家』の賞味期限は切れた」
洪信の声は、山全体に響き渡った。
その瞬間、聚義庁にいた百八の星々の間に、殺気という名の火が走る。
李逵が椅子の脚を握りしめ、武松の腰の雪花鑌鉄刀が鞘の中で微かに鳴った。だが、宋江は動かない。ただ、洪信の背後に広がる「空の裂け目」を見つめていた。
「結界が壊れたのではない」
宋江が、ようやく唇を開いた。
その声は、かつてのように皆を導く号令ではなく、深い奈落の底から響くような響きを持っていた。
「私たちが、この山を降りる時が来たのだ。宿命という名の鎖が、今、龍虎山の底から解き放たれた」
洪信が冷笑を浮かべ、勅書を高く掲げる。
「貴様たちがこれまで犯した罪を、ただ一点、国のために血を流すことで贖えという慈悲である。北の金、南の方臘。戦場はいくらでもある。英雄として死ぬか、賊としてここで朽ちるか、選ぶがいい」
魯智深が鼻で笑った。
「英雄として死ぬだと? 笑わせる。俺たちは一度死んだ身だ。これ以上、何を差し出せというのだ」
だが、呉用は宋江の横顔を見て、戦慄した。
宋江の瞳には、怒りも絶望もなかった。そこにあったのは、冷徹なまでの「予感」である。百八人が揃い、石碑が掘り出され、すべてのパズルが完成した瞬間に、この使者が現れた。これは偶然ではない。
「……使者殿。案ずるな」
宋江が、ゆっくりと立ち上がった。
その動きに合わせて、周囲の灯火が一斉に激しく燃え上がる。
「我らは、行く。だが、それは朝廷に従うためではない。この百八星が、この腐りきった大地で何を成すべきか、天に代わって確かめに行くためだ」
結界が完全に霧散した。
これまで梁山泊を包んでいた幻想の霧が晴れ、むき出しになった山肌に、冷たい外の世界の風が吹き抜ける。
「林冲、準備をせよ」
「はっ」
「武松、魯智深、先陣を命ずる」
「承知」
名前を呼ばれた者たちの瞳に、かつての熱が、しかし以前よりも昏く鋭い光を伴って宿る。
それは、勝利を信じる軍隊の瞳ではない。
自分たちの命が、これから始まる巨大な悲劇の歯車の一部であることを受け入れた、覚悟の光であった。
夜が明ける。
雪に覆われた梁山泊の門が開く。
百八人が一列になり、山を降りていくその足跡は、二度と戻らぬ覚悟の深さだけ、深く地面を刻んでいた。
宋江は最後の一歩を踏み出す前に、一度だけ、あの無人の聚義庁を振り返った。
三本の火が、今、消えた。




