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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

〇〇へ

作者: ただのん
掲載日:2026/02/04

【1.残熱のミートソース】


「ジェシー……異状はない?」


「オールグリーンだよ」


 この瞬間はいつも緊張する。張りの良い肌にぽっかりと穴が開き、その中から伸びる無機質なケーブルを慎重に抜く。


「ふう……うまくいったみたいだ。メンテナンス終わったよ」


「ん、いつも悪いね!」


 服の背部ジッパーを器用に閉めて立ち上がると、彼女はニコリと笑った。

 アンドロイドJCN-8000型。小回りの利く小型の女性タイプ。僕の同僚であり、部下。それがジェシーだ。


「さ、早くお掃除しないと!」


「んん……そうだね」


 ずっと座っていて痛くなった腰をさすっていると、ジェシーが手を伸ばしてきた。つかむと、予想以上の力強さで起こされる。

 掃除道具を手に、二人で大きな屋敷を念入りに回る。僕も掃除は得意な方だが、彼女にはかなわない。僕の倍くらいのスピードで持ち分を片づけていく。


「今日の料理は何にしようかな~?」


 掃除が終わると、食事の準備だ。僕は料理はできないから、休憩がてら椅子に座って見学している。

 いや、これも仕事なんだ。アンドロイドには管理者として人間がついていることが義務付けられている。僕は下級市民だけど、機械いじりが得意なんで、この屋敷の掃除夫兼アンドロイド管理者として雇われている。食事はこの家の主人と同じものが食べられるから、他の下級市民よりは大分良い待遇と言える。


「でっきあがり~」


 いい匂いがしてきたかと思うと、あわただしくジェシーが料理を運んで行った。僕は綺麗なお仕着せを着ているジェシーと違ってみすぼらしい格好なので、食事を運ぶことはない。しばらく待っていると、ジェシーが微妙な表情で戻ってきた。料理を僕の前にも持ってきてくれる。


「……どうしたの?」


「へへ、怒られちゃった」


「え、なんで?」


「ついこの前も同じの食べたって」


 皿の上には、おいしそうに湯気の立つミートソースパスタが盛り付けられている。そういえば、割と最近食べた気がする。


「……僕は好きだけど」


「そう? ありがと」



【2.静電気の境界線】


 一日の始まり。今日もジェシーにメンテナンスを施すことから始まる。有線ケーブルを接続すると、アップデート、エネルギー供給、データクレンジング等、様々な処理が施される。


「はあ……今日もうまくいったよ」


「ありがと。ねえ、いつもなんでそんなに緊張してるの?」


「有線でエネルギー供給って、結構危ないんだぞ。車とかは静電気で点火して爆発することもあるんだ」


「私はオイル駆動じゃないよ?」


「ケーブルがつながってるすぐ先は、ストレージがあるだろ。静電気で記録が飛んだらどうする?」


「うーん、ストレージの前には胸郭機構があって、ちょっとやそっとじゃ壊れないようになってると思うよ」


「万が一のことがあったら、管理者の僕が困るんだよ」


 ジェシーに起こしてもらい、日課を始める。毎日変わることのない退屈な仕事だけど、考え込まなくて済むので、嫌いじゃない。ジェシーは……今日もニコニコしながら窓を拭いている。大体いつも笑ってるから、好きなのか嫌いなのかよくわからない。

 ふと、ある部屋の中から話し声が聞こえた。なんとなく気になって、掃除をしながら近づいてみる。この館の主人の声だ。


(……では、そちらのモデルで。追加料金を払ってもいいので、最速でお願いしたい)


 心拍数が上がった気がした。


(なにしてるの?)


 僕が聞き耳を立てているのに気付いたからか、小声でジェシーが話しかけてきた。僕は静かに唇に指をあてる。


(現行モデルは引き取ってもらいたいんだが。メモリの消去サービスも頼む。最速だと割引が効かない? それでいいから、受け取りと同時で頼む)


 冷汗が背中を伝う。同時にハッとする。

 ジェシーの聴覚は僕よりいい。彼女を見ると、何事もないように微笑んでいた。

 部屋を離れ、仕事を再開する。僕がのろのろしていたからか、ジェシーはいつもの三倍くらいの速度で仕事をこなしていた。


 一日が終わり、ジェシーを安置場所へと連れていく。彼女の業務完了を確認するのも管理者の仕事だ。この後、僕は自分の住み込みの部屋へと帰る。


「お疲れさまでした。じゃあね」


 彼女は気安く手を振った。ただ、いつもは「またね」というところが違っていた。


「ジェシー、その……」


 僕が言い淀んでいると、彼女が口を開いた。


「……これまでお世話してくれて、ありがとうございました。新しい子とも頑張ってね」


「……あ、ああ」


「私のこと、気にしてる? でも大丈夫だよ。リファービッシュされるだけで、私自身が壊されるわけじゃないから。別のところで元気に働いてると思うよ?」


「そ、そうだよね」


「うん」


 彼女はいつものようにニコニコと笑っている。どうやら、本当に気にしていないらしい。だったら、僕も気にすることはない。


 安置場所に鍵をかける際、少し迷った。だが、僕はその日の仕事をしっかりと完了した。



【3.放電の逃避行】


 翌日。安置場所に彼女はいなかった。もう引き取られてしまったのか?

 いや、使用人の朝は早い。僕が来たのは、夜が明ける前だ。

 扉が破壊されていた。それも、内側から。


「ジ、ジェシーが……!? でも、そんな素振りはなかったのに……!!」


 あれは嘘だったのか?

 いや、そんなことは今はどうでもいい。これは管理者責任だ。今すぐ探さないと。いや、その前に主人に連絡か……!?


「……い、いや」


 主人に通信しようとして、やめた。

 今ならまだ、取り返しがつくかもしれない。

 僕は屋敷の外に駆け出した。


「ハァッ、ハァッ……!!」


 雲が出ていて、いつも以上に暗い空だった。逃げるとしても、どこなのか。屋敷は広いが、おそらくその外。雑多な街の、さらに先か。


「くそっ、僕が行けるところなんて、下級市民街くらいしか……!!」


 汚れて入り組んだ街を走る。複雑すぎて、下級市民の僕でも迷いそうだ。住民が勝手に増改築することもあるこの街は、統制局も正確なマップを持っていなかったりする。彼女は、この街のデータを持っているんだろうか……


(そういえば、一度だけここの話をした気がする)


 ジェシーの料理中、手持ち無沙汰な僕に、彼女が話しかけてきた。昔、家族と下級市民街に住んでたこと。親がいなくなり、今の主人に拾ってもらったこと。この先の道。トンネルをくぐって、開けた道の向こう側に――


「……ジェシー!!」


 いた。下級市民街に似つかわしくない綺麗なお仕着せは、思いのほか目立った。道路を挟んで向こう側。彼女の表情は、息が乱れてうまく視認できない。


「……良かった」


 いつの間にか、空が白んでいた。静かだった街に、少しずつ喧騒が混じる。息が整い、顔を上げると、ようやく彼女の表情が見えた。ジェシーは、いつものように微笑んだように見えて――


「――え?」


 次の瞬間、激しい衝突音が耳に届いた。巨大な貨物車両が、僕の視界を横切っていく。その質量を全身で受け、小柄な体躯が宙に舞う。僕が予想したよりもはるか先に、ジェシーの体は落下した。


「キャ――――ッッ!!」


「ひ、人が轢かれたぞ!!」


 周囲の喧騒が聞こえる。僕が呆然と立っていると、どこからか現れた車が彼女を回収し、去っていった。僕は先ほどみた光景から、動けなくなっていた。


 僕には、彼女が自分から車に飛び込んだように見えたのだ。



【4.残留磁気の沈黙】


 屋敷に戻ると、先ほどジェシーを回収した車が停まっていた。あれは、屋敷の主人が手配したものだったのか? では、ジェシーの体もここに……?

 中に入ると、主人が忙しく何かをしていた。隣には、見慣れないアンドロイドもいる。


「ご主人様。回収手配の準備、これでいかがでしょうか」


「ああ、それでいい」


 アンドロイドから書類を受け取り、一読して返す。アンドロイドはすぐにどこかに行ってしまった。主人は僕を見つけると、無言でついてくるように促した。

 あまり使われることのない、古い一室。掃除を命じられたこともないので、入るのは初めてだった。主人は無言で、一点を見つめている。


「……も、申し訳ありませんでした! ぼ、僕が彼女の部屋の鍵をかけなかったんです」


 沈黙に耐えられなくなり、そんな言い訳を口走った。すぐに馬鹿だったと気付く。扉は破壊されているのだ。こんなかばい方をしてどうなる。いや、どちらにしろ僕は解雇だ……


「君の責任ではない」


 予想外の言葉に、僕は顔をあげた。


「……えっ!? そ、それはどういう……!?」


「彼女に欠陥があることはわかっていたんだ」


 ……欠陥? 彼女はいつもまじめに仕事をしていた。料理だって上手だった。ミスらしいミスはしていない。僕の方がヘマが多かったくらいだ。

 今日の逃亡だって、何の謂れもなく解雇を告げられれば――


「お、お言葉ですが……彼女は良く働いていました。それが突然解雇されると知れば、逃げても無理はないと思います……!!」


 非難を込めて主人を見ると、ようやく彼は僕を見た。

 手には、いつの間にか古い写真立てが握られている。


「君は、ジェシーが解雇や回収を嫌って、逃げたと思っているのか?」


「ち、違うというんですか……!?」


 主人は写真立てを机に置き、懐から書類を取り出した。

 それを僕にも見えるように机に広げる。


「こ、これは……?」


「彼女の思考ログだ。君は物理層のメンテナンスは得意だが、上位レイヤーは見慣れていないだろう……彼女の意思決定のタイミングに注目するといい」


 主人は僕にもわかるよう、ログの特定部分を指さしてくれた。

 そこには、僕にも見覚えのある文字列が頻出していた。


「ぼ、僕の名前……!?」


「そうだ。彼女は逃げたいと思ったわけじゃない。”君の反応を見て、最適と判断した行動”を選択していただけだ」


 昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。鍵をかけるときの逡巡。彼女は、それを見ていた?


 もしかして、食事も? 僕の好きなミートソースパスタ。主人は不満を持っていた。


 そ、それはつまり、彼女が逃げたのは、僕の……


「……やはりアンドロイドは、機械然とした方がいい」


 そういうと主人は、書類を片付け始める。脇に置いた写真立ても、元の場所に戻す。そこに写っているのは、若い主人と家族だろうか。


「君はこれまで通り雇い続ける。彼女の残骸が安置場所においてあるから、管理者として後始末を頼む」


 彼は部屋を後にし、仕事に戻っていった。

 僕は力ない足取りで安置場所へと向かう。いつもより空気が乾いている気がする。そこには、想像以上に激しく破壊されたジェシーが横たえられていた。


「ジェシー……」


 僕は破片をよけながら、とりあえず汚れた彼女の体をふいた。

 不思議な態勢をしている。体の中心に向かって、小さく丸くなっているようだ。


 僕はゆっくりと体を解いていく。静電気に気を付けながら、ジェシーのメンテナンスをしていたことを思い出す。以前の力強さは全くなかった。


「……ん?」


 体の中心には、何かを握りしめた彼女の手があった。破壊された胸郭から、ストレージらしき部品が飛び出して握られている。彼女の手のひらには、文字が書かれていた。僕はその言葉を言いかけて、飲み込んだ。


「〇〇へ」

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