第1話『最底辺のフリーター、ヒエラルキー社会に絶望する』
朝焼けがビルの谷間を染め上げる頃、駅前の広場にはすでに人の波が押し寄せていた。西暦2042年――この国は見た目こそ現代と変わらぬ都市機能を保っていたが、根幹は違っていた。
人々は“階級”で管理される。
生まれた瞬間にその価値が数値化され、A〜Eに分類される。A以上は上級階層、Eは最下層。すべては〈ヒエラルキー評価システム〉と呼ばれる国の管理アルゴリズムによって判定され、教育、就職、住居、果ては恋愛や結婚に至るまで、そのランクが影を落とした。
――俺、真嶋蓮は、その最底辺。Eランク。
「おい、そこの雑魚。どけ。視界に入るな」
スーツ姿の若い男に肩を小突かれる。思わず足元がぐらついた。だが、文句の一つも言えなかった。胸元につけられたIDカードには『A-ランク認証』と明記されている。逆らえば、それだけで“社会的死”が確定する世界だ。
「チッ……」
吐き捨てられた唾が、靴先にかかる。誰も見ていない。いや、正確には“誰も助けてくれない”。それが〈最下層のルール〉だ。
「……行こう」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いて歩き出す。目指すのは、今日の“バイト先”だ。
地元のコンビニ、時給680円。
まともな企業には履歴書すら通らない。中学の頃の偏差値、家庭環境、保有スキル、容姿、健康状態……すべてがスキャンされ、アルゴリズムが自動的にランクを決める。努力なんて関係ない。“生まれ”と“数字”で、人生は最初から仕分けられていた。
「おはようございます……」
コンビニのバックヤード。タイムカードを押すと、パートの主任があからさまに鼻で笑った。
「あんた、また遅刻ギリギリ。Eのくせに時間も守れないんじゃ、もう終わってるね」
「……すみません」
反論しようとすれば、即クビ。こうして下を向くしかできない。情けない? そんなの、とうに慣れた。
それでも、生きるしかなかった。
蓮の父は10年前、Cランクだったにもかかわらず、Bランクの同僚に逆らったことで「反逆因子」として拘束され、帰ってこなかった。母はパートを掛け持ちして蓮を育ててくれたが、ある日ぽっきりと折れて、家を出ていった。たぶん、どこかで壊れたのだろう。今どこにいるのかも知らない。
気がつけば、蓮はひとりになっていた。
社会の“はじっこ”で、居場所もなく、希望もなく。ただ、呼吸をするように、毎日を流していた。
――それが、この国の正しさだった。
だが、その“正しさ”に、ある日突然、亀裂が走る。
午後七時。蓮が帰路につく途中、地下鉄出口付近の交差点で、妙な人だかりができていた。
「なに……?」
立ち止まった瞬間、爆音とともに黒煙が上がった。建物の一角が爆発し、火の手が舞う。人々の悲鳴。警報のサイレン。赤く染まる夜の街。
「暴動……? まさか、また……!」
Eランク地区では、月に一度はこうした“事件”が起きる。抑圧に耐えかねた人々が、火を放ち、叫び、何かを壊す。だがすぐに鎮圧部隊が現れ、徹底的に“無力化”される。ニュースにもならない。ただ、“消された”という記録だけが残る。
蓮は、その場から離れようと背を向けた――だが。
「きゃああああっ!」
耳をつんざく悲鳴と、飛来する鉄骨。
とっさに目を向けたその瞬間、目の前にいた女子高生らしき子が、崩れた建材の下敷きになろうとしていた。
蓮の脚が、勝手に動いていた。
「危ないっ――!」
気がつけば、彼女をかばうように飛び込んでいた。
衝撃。鼓膜が破れるかと思う爆音。全身が鉄に叩きつけられたような痛み。そして、真っ赤に染まる視界――
……意識が、途切れた。
◆ ◆ ◆
――だが次の瞬間、蓮は目を見開いた。
身体が焼けるように熱い。肺の奥から何かが噴き出してくるような圧迫感。そして、脳裏に流れ込む“記憶”の奔流。
(……あれは、誰の記録だ?)
自分ではない。だが、確かに“存在したはず”の人生。彼の経歴、才能、能力――全ての情報が、蓮の脳内に転写されていく感覚。
「っ……ぐああああっ……!」
叫びとともに、手を突く。その瞬間、倒れていた建材が砕け散った。
何が起こっているのかわからない。ただ、確かなことが一つ。
――俺は、“誰かの記録”を自分のものにした。
その瞬間から、蓮の階級は変わった。正確には、“書き換えられた”。
Eランクのはずの彼のIDが、瞬時に〈Cランク〉へと昇格していたのだ。何もしていない、ただ“記録が変わった”だけで。
(……これが、俺の力?)
息を呑む。手のひらを見つめながら、蓮はゆっくりと立ち上がる。
「だったら――」
今まで、Eだからと踏みにじられてきた。
努力なんて意味がなかった。数字だけがすべてだった。
でも、それを“書き換えられる力”があるなら。
「俺が、全部ひっくり返してやる」
その夜、真嶋蓮は、最底辺のフリーターをやめた。
そして、社会という巨大な階級構造への“反逆者”となった。
――この不条理な世界に、革命の火が灯った瞬間だった。