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 水路に向かって並んで座り、つんとして黙っている紅珊の横顔を盗み見た。

 明かりは降ってくる月の光だけ。風が柳の枝を揺らす音と寄せるさざ波の音。

 うまい冗談のひとつも口にして紅珊の表情を和らげたかったが、何も浮かばない。単刀直入に、結論から言った。

「事件の犯人は仙狸の子じゃあない、って思うんだ」

 そっぽを向いていた紅珊が、驚いたように六飛を見る。

「六飛、うどん屋で私がした話、ちゃんと聞いて……」

「うどん屋のおばさんにも話を聞いたんだけど、娘が殺されたのは仙狸の子の復讐だってうわさの根拠、殺された娘が肝をとられているから、だけなんだよね。でも、殺されたふたりのほかに、行方不明の娘が六人。数のつり合いがおかしくないか?」

「どういうこと? 行方不明の娘さんたちはご遺体が見つかってないだけで、たとえば──すごい山奥で殺されているんじゃないの?」

「肝をとられて見つかったふたりは、これ見よがしに通りの真ん中に転がされていたのに?」

「それは……」

 言いかけて、紅珊は口をつぐむ。考える表情になった。

 よし、がんばれ俺──と、六飛は続ける。

「殺された娘さんより、行方不明の娘さんの方が数が多い。単純に考えて、殺すんじゃなくて、さらうのが本当の目的なんじゃないの? 昨夜、紅珊をさらった男たちだって、娘さんたちを仙狸の子のところに連れていくんじゃなくて自分たちが、その……そうやって絶望させて言うことを聞かせるのが連中のやり口なんだろう?」

 紅珊が六飛を見つめ、ゆっくりと言った。

「つまり……仙狸の子の復讐に見せかけて、悪いやつらが娘たちをさらっている。昨夜の男たちがすべての事件の犯人──六飛、そう言いたいの?」

「仙狸の子は人を操る、ってうわさもそいつらが自分で流した。捕まってもそう言い訳すれば罪が軽くなるかもしれない。──そう考えた方がすっきりしねえ?」

 六飛を見る紅珊の目に意外そうな色が浮かんだ。

「六飛って、頭を使う人だったんだ」

 使ったよ、一生懸命。

「この城市(まち)で起きている事件は、仙狸の子の復讐じゃない……と、思う」

 本人が言うから間違いはないんだけど、それじゃあ納得してもらえないだろうから。

 紅珊が表情を引き締めた。

「でも、そう考えるんだったら、殺されたのは仙狸の子の復讐で、さらわれたのはそれを隠れ蓑にしようとした悪者の仕業、っていうのも、アリ、なんじゃない?」

 言われて考えた。ああ、アリだ──って、こっちが納得しちゃあダメだろう。

 どう反論するか、思いつく前に畳みかけられた。

「それにね、私たちが捕まっていてあの小屋で、先生が妙な気配を感じていらっしゃるのよ」

 ぎくっ、とした。あの小屋で。先生が。

「だから、人間以外の何かが事件に関わっているのは確かだと思うの。紅珊たちを助けてくれたのはヒトだった? ──なんて聞かれて。六飛が助けてくれたのにね。あ、まさか、実は六飛が仙狸の子だったり……」

 六飛の体が凍りつく。けれど、紅珊はくすくすっと表情をくずした。

「……なあんちゃって。そんなこと、あるわけないわよね。仙狸って、絶世の美女だったって言われているもの。その子どもなんだから、当然、すっごい美形よね」

 なあんだ、冗談か。六飛はほっとして──あれ? ほっとしていいのか? ひどいことを言われた気がするんだが。

 となりで紅珊がうっとりと夜空を見上げていた。

「仙狸は白い山猫の精だったそうだから、子どもの髪はきっと白か銀ね。目の色は、海みたいな青。きれいだけれど、少し寂しげな……。顔立ちは優雅で、怜悧で、もちろん、すらっと背が高くて……」

 肩に、ずん、と重たいものが乗せられた気分になった。誰? その絵に描いたような美青年。

 膝に乗せた白風子がふるふると体を震わせている。

「……そんなに期待しない方がいいんじゃねえかなあ……」

 力なく言ってみた。

「いいじゃない、空想するくらい。──私の説得で仙狸の子は復讐をやめて、でもって、彼が私の使役になることを望むとか、方士と半妖の禁断の恋とか……」

 それ空想じゃなくて妄想。しかもおまえ、今まさに厳しい現実に直面しているんだが。だいたい──。

「そんな妄……空想しなくても、紅珊はあの方士のことが好きなんじゃないの?」

 紅珊の頬が桃色に染まるのがわかった。

「先生のこと? それは、好きよ。命の、恩人だもの」

「命の恩人?」

 すい、と水路に向けた紅珊の目から表情が消えた。黙っている。気にはなったが、無理に聞くことでもないので、とりあえず自分も黙っていると、唐突に紅珊の唇が動いた。

「私、見鬼なの」

 見鬼。霊魂や、魑魅魍魎などの、人ではないモノを見るチカラ。もしくは、そのチカラを持つ者。

 とっさに身を引いていた。片方の耳で水晶の飾りが揺れる。いや、大丈夫、バレない──はずだ。そのための耳飾りなのだから。

 紅珊は左の腕をまっすぐ前に伸ばし、長い袖を上げた。

 手首に金属の腕輪。月明かりを鈍く弾く。

「見鬼のチカラを抑える封じの腕輪」

 六飛は目を細めた。腕輪には細かな文字が彫られている。読めない。だが、見たことはある。この文字は……。

 膝の上で白風子が立ち上がっていた。腕輪に向かって首を伸ばす。

 紅珊が袖を戻して、腕輪が隠れた。

「小さな頃から、ほかの人には見えないものが見えていたの。亡くなった人だってことは、あとで知ったわ。その人たちを見ていると、生きていたときや死ぬ瞬間の気持ちが自分の心に入ってくることがあって、急に泣いたり笑ったりして、家族にも近所の人にも気味の悪い子だと思われていて……。そのうち、私が見ていると向こうも私を見るようになって……」

 ぞくっ、とした。それ、やばいだろう。

「そのときは、川の中に立っている人が見えたの。水面に立っていて、不思議だなあ、って見ていたら、その人の首がくるっと回って私を見て、目が合ったと思ったら、次の瞬間にはその人が目の前にいて、手をつかまれて」

 やばい。ひきずられる。連れていかれる。

「体も動かなくて、周りが真っ暗になって……だけど、強い力で背中を押されたような感じがしてハッとしたの。気持ちをしっかりとしてもう一度見ると、先生がその人の手を押さえて私から引き離していたの。先生が呪文を唱えると、その人すうっと消えていって」

 六飛は安堵の息を吐く。連れていかれる寸前までいったところを、あの方士が通りかかって助けてくれたのか。うん、命の恩人だ。

 紅珊は袖の上から腕輪に触れた。

「それで、先生、この腕輪をくださったの。引きずられないように、って。そのときにいろいろなお話を聞いて、修行をして見鬼のチカラを自在に使えるようになれば、人を苦しめる悪い霊を祓ったりも、あの世に行けなくてさまよっている魂を救ってあげたりもできる、ってわかったから、私、先生の弟子にしていただいたんだ。……どうせ、村にいても、みんなに爪はじきにされていたし」

 最後の言葉は小さな声で早口につけたされた。そして、口の中でつぶやくように、仙狸の子はどうだったのかな、と。

 六飛の耳には、はっきりと聞こえてしまったけれど。

 なあんだ、と思った。見鬼であるために周りから異端視されて、それで、同じ異端者の半妖である仙狸の子に気持ちを寄せていた──ってことか。

 どうだったかなあ、と仙狸の子として考えた。あの日までは特に何ということもなくみんなと同じように暮らしていた。大きくなったら父のあとを継いで薬屋になるのだと思っていた。薬草の名前と効能を覚えて、調合の書きつけが読めるように文字も覚えて、暇を見つけては近所の子どもたちと楽しく遊んで、たまにケンカして、また遊んで。

 だけど、倒れた父と駆け寄った自分を遠巻きにしたみんなの目は、心に痛く刻まれている。戸惑いと、恐怖。それが自分たちを助けて李源の目に留まることを恐れたものだったのか、実はあやかしだった母とその子どもである自分に対する怯えだったのか、六飛にはわからない。両方かもしれない。山を降りてみんなに会えばわかるかもしれない、と思っていた。自分をみるその目の色で。でも、もう決してわからない。みんな、いなくなってしまったから。

 胸が切なくなった。みんなの気持ちを確かめる術はなくなった。それでも。

 逃げな、と言ってくれた(チャン)おばさん。俺に駆け寄ろうとした福平(フーピン)。誰も助けてくれなかったけれど、みんな黙って逃がしてくれた。国のあちこちで戦があって、県令は民を虫けらのように殺して平気な男で、みんな無事に一生を過ごせたのだろうか。俺を逃がして大丈夫だったのだろうか。少しは幸せなときもあっただろうか。困ったとき、今の俺なら助けられることもあったかもしれないのに、もう何もできない。

 ……師匠が言っていた、憎しみに囚われていると大切なものを失うって、こういうことだったのかな……と、ひとりでしんみりしてしまったが。

「いつかねっ」

 隣で大きな声が上がって、びくっ、と我に返る。紅珊が拳を握って夜空を見上げていた。

「見鬼のチカラを思い通りに使えるようになって、先生みたいな立派な方士になるの。迷っている霊や、霊的なことで苦しんでいる人を助けて、幸せになってもらえるような立派な方士……」

 と、まで勢いよく言ったあと、

「どうせお嫁さんにはなれないし」

 ふたたびぼそぼそっとつけたされた。

 それはそうかもしれないなあ、と六飛は紅珊の横顔を眺める。方士って、敬われはしても、結局は異端だ。

 あー、それで半妖との恋なんて妄想に走るのか? でも……。

 ふっと浮かんだことが言葉になって口から出ていた。

「別に、見鬼だって、結婚できるんじゃねえの? だって、俺の母さん、仙狸だけど人間と結婚して俺を生んでるし。父さん、母さんが仙狸だって知っていたし。あやかしと夫婦になる人間がいるんだから、見鬼ぐらい無問題だよ」

 自分も、何の疑問もなく、人間の娘とくっつくつもりでいた。通りでいちばん可愛い春喜(チュンシー)だって『おっきくなったら六飛のお嫁さんになる』と宣言してくれたものだし……。

 いや、待て。春喜がそう言ってくれたのは、まさか、俺が仙狸の子だと知らなかったから、だったり? 今後、『え、半妖? 気味悪いからそばに来ないで』ってフラれる場面があったりするのか?

 ……おおう、ちょっと想像しただけで、かなりへこんだ。これは辛いな……。

 ふと、自分に向けられた視線に気づいた。紅珊が驚いたような目で見ている。

「……六飛、今、何て?」

「え?」

「カアサンセンリダケド……?」

 さあっ。音をたてて血が引いたが。

 まじまじと六飛を見たあと、紅珊は、ぷっ、と吹き出していた。

「それ、冗談のつもり?」

 ころころと笑っている紅珊を、六飛はどきどきと見つめる。

「面白くなーい。だけど……そう、だよね。仙狸の恋って、実ってるんだよね。あやかしが人と結ばれるんだから、見鬼なくらい、大丈夫かもね」

 笑い過ぎたのか、紅珊の目じりに涙が浮かんでいた。紅珊はそれを笑んだまま、きゅっ、と拭う。すぐに視線を水路に逸らしてしまったけれど、その微笑みが六飛の心の深いところに濃い影のように残った。──気の強い元気な子だと思っていたけれど、がんばってそう振る舞っているんであって、本音はすごくさみしいんじゃねえかなあ、なんて。

 あの日自分を遠巻きにしていたみんなの目。物心ついたときからずっとあんな視線の中で生きてきたら、きつかっただろう。性格が違っていたかもしれない。親を殺された復讐のため、無関係な娘さんを殺したりできたり。

 だけど、紅珊はずっと異端視されてきたのに、その原因になったチカラでみんなを幸せにしたいって考えられたのか。……それとも、そんなかたちでもいいから、誰かとつながっていたいのかな。さみしくて。

 ……なんだか話がすごく逸れた。

 六飛は軽く咳払いした。事件を解決するために協力するのはいいけれど、犯人は仙狸の子じゃない、って話をしたいんだよ。

「で、話、戻すけどさ──」

「──おう、こんな遅い時間にこんなさびしい場所でイチャついてんじゃねえよ」

 後ろから声がして、六飛は振り向いた。紅珊も。

 月明かりの下、水路に出る路地の入口に男が立っている。足音は聞こえていたので、六飛としてはあまり驚きはしない。

「あ、すみません」

 軽く言って、立ち上がった。とりあえず、場所を変えよう、と。

「あー!」

 突如上がった高い声に、耳がキーンとした。

「昨夜の! 悪者!」

 男が驚いたように一歩下がった。六飛と紅珊の顔に目を凝らす。

 耳を押さえてよろけた六飛も、足を踏ん張って男の顔を見た。覚えてないが……昨夜の悪者、って、小屋から逃げた男か? 殺気を感じなかったので錘を当てなかったやつ。

 男はくるりと体の向きを変え、走り出した。

「六飛、捕まえなきゃ」

「──じゃなくて、追うよ」

 叫んだ紅珊に返すと同時に、六飛も駆けだそうとした。男を追って。

 びた。何かが顔に張りついて、目の前が真っ暗になった。いや、何か、じゃない。つんのめって足を止め、六飛は黒い猫の首をつかんで顔からはがし、ぶら下げる。

「師匠ー」

「愚か者。ヒトが主の足についてこれるか」

 あ、そうか。

 六飛は猫から手を離した。紅珊に背を向け、地面に膝を折った。

「おぶされ。あいつを追って、ねぐらか親方を突き止める」

 ええ、と、紅珊は半歩下がる。

「じ……自分で走れるわよ」

「屋根の上を行く。早く」

 ためらう気配が揺れたあと、紅珊はえいっと六飛の背中に体を預けてきた。

 その柔らかな重みに、六飛はちょっと戸惑った。師匠も柔らかかった。足腰を鍛える、という理由で師匠を背負って山を駆けさせられたとき背中に当たったぽよぽよ感を覚えている。だが、それとは何かが違う。

 けれど、今、それを深く考えている時間はない。

 にゃあ、と声がする方を見れば、白風子はすでに塀の上で六飛を待っている。

 六飛は、たたっ、と助走をつけ、屋根に向かって思い切り跳躍した。

 





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