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「だけどさ、師匠」

 しばらく泣いたあと、鼻をすすって顔を上げ、六飛は白風子に尋ねた。

「じゃあ、俺、何のために一生懸命に武術を修したんだろう」

 厳しい稽古に耐え、師匠の理不尽な気まぐれにもつきあった。いや、確かに自分が言ったのだけれども。何でもする、言うことを聞く、って。

 ぽんぽん。六飛の膝を師匠の肉球がたたく。

「昨夜、娘さんたちを助けたと言っておったではないか。さっそく役に立って良かったのう」

「でも、俺、すごく腹が減ってるんだ」

 白風山で過ごしていたときは忘れていた感覚だった。五年ぶりの空腹、腹ペコ。

「それで、俺、一文無しなんだよね。どうしたらいいと思う?」

 ぽんぽんぽん。

「いい若い者が何を言っておる。働いて銭を稼げば良かろう? わかっておろうが、白風山には帰れぬぞ?」

「それは別にいいんだよ」

 人が仙境に行き着くことができるのは、一度だけ。再訪はできない。半分ヒトである六飛もそれは同じ。──山を降りる前に、それでよいな、と確認され、うん、と答えた。もともと人の中でヒトとして生きていた。仇討ちしたあとも人間暮らしをするつもりだったから、山に戻れないのは別にいい。だが、

「俺、今のこの城市に、ひとりも知り合いがいないんだよな。俺が子どものころは、まともな商売をしているところは、素性の知れない若い男なんて胡散臭くてどこも雇わなかったんだけど。しかも、俺、やや目つきが悪いみたいだし? 特に知識も技術もないし? 怪しい仕事しかないなんてこと、ないよね?」

「とりあえず修した武術を活かし道場破り的なことをして飯にありついてはどうかの」

「むちゃくちゃ胡散臭いよ!」

 ひゅっと逃げようとした白風子を六飛はひっつかむ。自分に正面を向かせて両手で抱き上げる。

「仇討ちなんてしなくていいから幸せに暮らしてほしい、って、そういう話だったらさ、武術のほかに算学とか医術とかも教えてくれてたらよかったんじゃない? 幸せに暮らすのって、少しはお金も要るよね? いや、俺、金持ちになりたいんじゃないよ? むしろ、貧乏でも好きなだけ昼寝して暮らしたいよ? だけど、好きな娘と一緒になって子どもを育てるって、それ、ヒトとしてまっとうに働かないと無理じゃねえの? だったら……」

 白風子は目を細めた。てへっ、と笑うみたいに。

「だって、主、武術の方は恐ろしく飲み込みがよくて教えていて楽しいんじゃが、頭の方はさほど……。まあ、根気よく教えればそこそこものにはなったと思うのだが、めんど……やはり、長所を伸ばしてやるべきかと」

「今、面倒くさい、って言いかけたよね? 師匠、少しは真剣に弟子の将来を考えて……」

「ほう? そもそも武術以外に興味を示さなかったのは主の方で……」

「そこをうまく導くのが師匠の役目……」

「──見つけた!」

 後ろからいきなり声が飛んできた。玻璃の玉を転がすような……。

 吊るしていた白風子をぎゅっと懐に抱きしめて、六飛は振り返った。この声、もう覚えた。

 青い道服の女の子が、石段のいちばん上に仁王立ちしていた。唇をきつく結んで六飛を見下ろしている。

「……苛めてないよ」

 言ってみた。白風子の耳の後ろを撫でながら。

 女の子は何も返事しない。

 白風子を抱いたまま、そろそろと六飛は立ち上がった。女の子の横を通ろうと石段を上がったら、女の子は一歩横に動いて六飛の行く手に立ちふさがる。

 そんなに怒らなくても、と思った。ちょっと猫とじゃれたぐらいで。それとも、昨夜のことをまだ根に持っているのだろうか。

 女の子が大きく息を吸って、口を開いた。

「ゆ……昨夜は、あ……ありがとう!」

 怒鳴りつけるような声の調子に首をすくめてから、あれ? となった。ありがとう? 女の子を見ると、顔を赤くして自分をにらみつけている。やっぱり怒っているようにしか見えないが。

「考えたんだけどっ、あのときあんたが小屋に飛び込んでこなかったら、あの女の人……」

 あの女の人? ああ、男ふたりに押さえつけられていた美人さんか?

「先生、たぶん、間に合わなかった。私、人の動きを止める術くらいは使えるから、いざというときにはなんとかできるつもりだったんだけど、ひとりが殴られるのを見たら、体が動かなくなって……」

 女の子は固く目を閉じ、思い切り頭を下げた。

「だから、助けてくれて、ありがとう。余計な事なんて言って、ごめんなさい!」

 六飛の胸に温かな波が静かに広がった。おお、なあんだ、いい()じゃないか。お礼とお詫びのために俺を探していたなんて。悔しい気持ちもあるだろうに、ちゃんと頭を下げられるんだ。

「や、別に。たいしたことじゃねえし」

 気持ちよくそう言って、女の子をよけて石段の最後の数段を上ろうとした。

 女の子が六飛と同じ方向にさらに一歩動いた。六飛が怪訝そうに女の子を見上げると。

「そ、それで、あの……お願いがあるんだけど」

 お願い? お礼とお詫びだけじゃないんだ? 女の子は意を決するように口を大きく開く。

「仙狸の子を探すのを、手伝ってほしいの!」

 自分の心臓の音が大きくなるのが聞こえた。──仙狸の子? 探す? なに言ってんの、この子。

 とにかく、関わりになっちゃダメだ。うっかりしていたが、この子、方士だ。

「いや、ちょっと無理……」

 言いかけた言葉が、ぐうう、という音にさえぎられた。

 自分の腹の音だった。

 ふたりの間にしばしの沈黙が流れ、女の子がぎこちなく微笑んだ。

「お腹、空いてるんだ?」

「えっ、まあ、少し……」

 少し……すごく。

 女の子は背後に視線を巡らせた。水路沿いに並ぶ建物。

「……じゃあ、ちょうどお夕飯の時間だし……」

 止まった視線を辿ると、うどん屋の看板。

「助けてもらったお礼に、一杯ごちそうさせてもらっちゃおうかな……っと」

 罠だ──六飛は直感した。見え透いた甘い罠。だが、漂ってくるつゆの香り、茹で上がったうどんの匂い……。

「肉入りうどんが美味しいって、評判の店なんだ」

 ……断ることは、できなかった。

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