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 笠を深く被り、黒い猫を肩に乗せ、六飛は石畳の道をゆっくりと歩いていく。

 昨夜、城壁の上から見たときも思ったが、こうして昼日中に歩いてみると、街の様子は本当にすっかりと変わっていた。道はきれいに整備され、建ち並ぶ家々にも行き交う人たちにも荒んだ雰囲気はまったくない。

 大通りが交差する広場に出た。茶館に劇場、大きな商店が軒を連ね、明るく賑わっている。李源の悪口を囁いた者が動かなくなるまで鞭で打たれたり、税が払えず逃て捕らえられた一家が殺されてその死体が晒されたりした場所──とは、とても思えない。

 感心した。自分が城市(まち)を離れたころは、皇帝暗殺のうわさが流れ、あちこちで諸侯が戦を始め、世の中がどんどん乱れていく予感しかなかったのに。それが、五年でこんなに平穏かつ活気ある様子になるなんて。李源がくびになって、ちゃんとした県令が任命されてちゃんと仕事をしただけではなく、国士無双の英雄でも現れて天下を太平の世にしちゃったんだろうか。

 すれ違う人々の中に朗らかに笑う家族連れがいて、六飛の目が彼らをちらりと追った。俺にもあんなときがあったな、んて。父がいて、母がいて。

 父は小さな薬屋を営んでいた。母は山で薬の原料になる植物を採った。六飛が母を手伝って籠いっぱいに薬草を集めて父に差し出すと、父は嬉しそうに籠を受けとり頭を撫でてくれた。大人たちが不安そうに戦の話をしていることはあったけれど、子どもたちが遊びまわるのにはとりあえず関係がなくて、山に入れば木の実が採れて、海に行けば魚が釣れた。李源が県令として赴任してくるまでは、貧しかったけれど辛くはなかった。

 六飛は石畳に視線を落とした。足は自分が住んでいた家に向かっている。いや、もしかしたら、家はもうなくなっているかもしれない。けれど、近所の人たちは今もそこに暮らしているだろう。一緒に遊んだ友達も。悪戯好きな福平(フーピン)や、可愛い春喜(チュンシー)。みんなが自分を見てどう反応するか、不安だったけれど、それ以上に会いたかった。

 原形でいる方がチカラは強いのに、それを抑えてヒトの姿でいる理由は──ひとつは、原形では霊的な守りに引っ掛かるから。その辺の戸口に貼ってあるありきたりな魔除けの札ぐらいは何でもないが、宮城のように身分の高い者が住む場所には本格的な防御の術が施されているものだ。

 そして、もうひとつの理由──ヒトの姿でみんなに会いたかったから、だ。目を逸らされるかもしれない。知らない人のふりをされるかもしれない。それでも、みんなの元気な姿を見るだけでもよかった。

 狭い道が広くなったり新しい水路ができていたりして何度か迷ったが、ついに懐かしい商店街に辿りつくことができた。父の薬屋があって、親子三人で暮らしていた場所だ。

 だが、通りをしばらく歩いて、六飛は足を止めた。

 あれ? 懐かしさがない。

 こんなに小奇麗だったろうか、ここの街並み? もっと、全体的にボロッとした、貧乏な感じじゃなかったっけ? いっぺん戦で全部焼かれて、立て直された……にしては年季の入った建物が多い。なのに見知った店がひとつもない。どころか、店先にも通りにも、知り合いっぽい人間がひとりもいない。

 六飛は肩の猫を両手で抱き下ろした。声を潜めて、

「師匠、ここ、楽県で間違いないよね?」

 猫は、にゃあ、と鳴いてそっぽを向く。六飛は猫の頭をつかんで、やや強引に自分を向かせる。

「師匠、俺に何か隠してないよね?」

 そもそも、修行を終えた弟子が親の仇討ちに山を降りるというのに、『わしもひさしぶりに人間界を覗いてみるかのう』なんて物見遊山みたいについてくる態度に、弟子が本懐を遂げるのを見届ける真摯さがまるでなかった。武術の稽古は厳しくつけてくれたが、六飛が語る残忍な復讐計画に『ほう』『なるほど』『すごいのう』の三種類の反応しか返さないことも、常々不自然に感じていた。

「これこれ、師に乱暴するでない」

 猫が前足を振った。六飛の指を軽くひっかいて、地面に飛び降りる。とっとっと、軽やかに走り、小さな門に入ってしまった。

 追おうとして、気づく。自分の家があった場所だ。

 そりゃあ、家がなくなっているのは覚悟していたけれど。

 猫が入っていった門の内側には、廟堂があった。柱に塗られた緑や紅の塗料は雨風に耐えた色合いをしている。掲げた額には『狸娘々(リニャンニャン)廟』、こちらの板も墨色も、古色ゆかしい。

 ものすごい違和感に襲われた。家がなくなっているのも、跡地に廟堂が建つものまあいい。だけど、それが、なぜ、こんなに古めかしいんだ?

 猫を探しながら、廟堂に入ってみる。正面に一服の絵が掛けられていた。つり目の美人を真ん中に、美人を見る賢そうな男と、手をつなぐ愛らしい男の子が描かれている。

 背後に誰かが立った。

「参拝ですか}

 玻璃の玉を転がすような澄んだ声だ。六飛は笠の下で後ろに視線を走らせる。肩より上は見えなかったが、青い道服の長い袖が目に入り、うわあ、となった。

 方士だ。声からすると、若い女。昨夜、方士には二度と近づかないと固く決心したばかりなのに。うっかり廟堂なんかに入るから。──いや、正確には、師匠が入るから、だ。

「男女和合や家庭円満にご利益がありますよ」

 と、後ろの女方士が言う。

「はあ」

 そんなことより、師匠はどこに行ったんだ。ここに入っていく尻尾が見えたと思ったのだが。

「今から百二十年くらい前なんですけど、ここで薬を売っている男がいたんです」

 ……なんか、説明が始まってしまった。

「とても心の優しい男で、ある日、山に薬草を採りに行ってケガをした山猫を見つけ、手当をしてやったんです」

 笠に隠れてきょろきょろと猫を探す六飛の視線が何もないところで止まった。

「数日後、とても美しい女が男を訪ねてきました。その女、実は助けられた山猫で、ふたりは一緒に暮らすようになり、可愛らしい男の子も生まれたのです」

 金縛りにあったみたいに動けなくなって、六飛はただ女方士の声を聞く。

「そういう、人に変化する力を持った山猫の精を『仙狸』と呼ぶんですけれど、仙狸の生き胆を喰らうと百年生きることができるという言われていて……」

 そこで後ろの声がふっと悲し気に沈んだ。

城市(まち)で評判の美女が仙狸だと知った当時の県令が、仙狸を捕らえ、そして、仙狸は……」

 生きたまま腹を裂かれて肝を喰われた。六飛はぐっと拳を握りしめる。母を守ろうとした父は李源の兵士に斬られて死んだ。だから、自分は仇を討つために白風山で修行して……。

 ……え?

「その後、この地も戦に巻き込まれ、県令は敵に捕らえられて首を斬られたそうです。仙狸の夫と子どもがどうなったかは、はっきりしたことはわかりません。言い伝えによると、ふたりとも仙狸とともに殺されてしまったとも、子どもだけはどこかへ逃げたとも。……そして、長く続いた戦乱の世が終わり、今の王朝が天下を治め、徳帝の三年に、近在の善男善女が気の毒な仙狸とその家族の霊を慰めようとして、この廟堂を開いたのですね」

 六飛の胸がどきどきしていた。その胸を片手で押さえ、六飛は言った。

「あの……最初のところ、もういっぺん話してもらえますか」

「え? ……ええと、薬売りの男が……」

「や、その前の、今から何年前とかいう……」

「百二十年前?」

 ちょっと待って、と思った次の瞬間、六飛はたっと廟堂の床を蹴っていた。視界の隅を横切った黒いモノを追って、青い道服の横をすり抜けた。

 黒い猫は廟堂を走り出て槐の木を登り、廟堂の屋根へと飛び移った。六飛は同じように飛んで猫の行く手をふさいだ。横に逃げようとした猫の首に、六飛が飛ばした流星錘の縄が絡みつく。

 猫は苦し気に、にー、と鳴いた。

「六飛、これは少々やりすぎ……」

「どういうことだよ、師匠。百二十年、て。俺、白風山で五年間修業しただけだよね?」

 猫はため息をついた。首に縄をつけたまま、六飛のそばまで歩いてくると、可愛らしく首をかしげた。

「だって、常識じゃろうもん。仙境と人間界の時間の流れが異なるくらい」

「知らないよ。師匠、そんなことひと言も──」

「言ったな、何度も。あれから随分経ったのう、とか、憎しみばかりに囚われていると大切なものを失うぞ、とか」

「わかんないから、それ。もっと具体的に……」

「うむ、説明しようとしたぞ。だが、主、山に来てしばらくの間は泣いてばかりでわしの話などちょっとも聞かなかったから。そのうち面倒になってのう。いずれ山を降りれば自ずと明らかになることであるから、それで良いかと」

 六飛は両手を瓦についた。百二十年。どおりで城市(まち)が様変わりしている。知ってる顔にまったく会わない。県令どころか、王朝も替わっているなんて。

「李源、とっくに死んでたんだ?」

 答えは、にゃあ。

「死んでるよね? さっき首を斬られたとか言われてたよ?」

「まあ、仙狸の肝を喰らおうと、首を落とされれば死ぬのう」

 全身の力が抜けた。俺はずっと死んだ人間に仇討ちしようとしていたのか? その計画を真剣に師匠に語っていたわけで。

 ほー。なるほど。すごいのう。

 六飛はぱっと顔を上げた。師匠に文句を言おうと。だが、

「ちょっと! あなた! 屋根から降りなさい!」

 下の方からきつい声が飛んできた。見ると、長い髪を背中に垂らした青い道服の女の子が槐の横に立ってこちらをにらんでいる。

「あ、これは、師匠が、じゃなくて、猫が……」

「! 何しているのよ! 猫の精を祀る廟堂で猫をいじめるなんて、どういうつもり?」

 にー。猫が哀れっぽい声で鳴く。こっそり舌を出しながら。

 六飛はあわてて猫を抱き、首の縄をほどきにかかった。

「違うよ? これは、あの、その……」

「あー‼」

 女の子が大声を出した。人差し指を、ぴしっ、と六飛の顔に向けた。

「あなた、昨夜の……!」

 昨夜? 六飛は猫をぎゅっと抱いて女の子を見つめる。昨日は李源の娘を殺すつもりで宮城に向かっていたら、女の子が悪者に──。

『余計なことを』

 玻璃を転がすような声が耳に甦った。髪型も服装も違うから、気づかなかった。

 立ち上がって素早く笠を傾け、六飛は女の子に背を向けた。

「あ、待って!」

 待たない。猫を抱いたまま屋根の上を走り、女の子がいるのとは反対側の、裏路地にぽーんと飛び降りた。

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