十七
すたすたと歩き始めた紅珊の袖を、 六飛はあわてて引いた。──今、なんて?
「海賊退治?」
「そう。六飛の言ったことが当たりだったの」
「俺の言った?」
「事件の犯人は仙狸の子じゃなくて人間だ、って」
うん、言った。それが当たりで、海賊退治ってことは……。
紅珊は可笑しそうにくすくすと笑った。
「六飛が『陰の手下』なんて言うから、私まで誤解しちゃったじゃない。宮城にもどって、県令さまから詳しく計画を聞いて、力が抜けちゃったわよ」
誤解? 計画?
「ちゃんと『月陰の剣』って言ってくれなきゃ」
『月陰の剣』──そういえば、県令は最初にそんなことを言ったっけ? 私の月陰の剣にならないか、と。
「それ、何?」
「隠密に城市を守る、県令さま直属の武官でしょ?」
え、何、その、ちょっとかっこいいの。俺が子どものころにはなかったよ?
紅珊がふたたび歩き出し、今度は六飛も従った。紅珊の語る話を聞きながら。
「県令さまは、最初から、仙狸の子の復讐に見せかけて何者かが悪事を働いている、とにらんでいたの。ずっといろいろと探っていて、娘たちをさらっているのは海賊の仕業だとつきとめたの。海賊が、今夜、さらった娘たちを船に乗せて城市を離れる、って情報を得て、一気に決着をつけるおつもりなの」
おお、そうだったんだ。
「じゃあ、俺の仕事って?」
「陽動。私たちが海賊の目を引きつけて、そのスキに県令さまの部下が娘たちを助け出す計画よ」
なるほどー、と思った。岬の小屋に娘たちを助けに来た県令の姿、六飛の掛け試合を受けたときの堂々とした態度、紅珊の語る県令の計画──矛盾なくひと筋につながる。ただ、まだひっかっかていることもあって。
「だけど、あのチンピラは……」
「だから、それが……」
紅珊が言いかけたところで不意に葦原が終わり、視界が開けた。正面に桟橋が見える。
桟橋には小舟がつながれ、井達開が腕組みして座っていた。雑兵のような軽装だ。海を見ている。ほかに人影はない。
足音に気づいたのだろう、井達開がこちらを振り向いた。
「来たか」
「す……すみません」
屈託ない笑顔を向けられ、六飛は思わず謝っていた。自分のカン違いのことは誰にも話していない、と紅珊には言われたけれど。
井達開は少し不思議そうな顔をした。となりで紅珊が笑いをこらえる。
六飛と紅珊が小舟に乗り込むと、井達開はふたたび視線を海へと向けた。広い湾には、いくつもの小島や奇岩が月の光を浴びている。井達開はその島のひとつを見ている。
不意に霧が出てきた。流れるように海上に広がる。
「六飛、舟は漕げるか」
問われて、うなずいた。子どものころはよく舟を出して魚を捕った。手早くもやい綱を解き、櫓を握った。
「頂上に松林を抱く、筒のような形の島があるだろう」
井達開の指が、彼自身がずっと見ていた島を差した。霧に浮かぶ影となったその島に、六飛は舟の舳先を向ける。低く、紅珊に聞いた。
「あの、この霧……?」
というか、このめっちゃ不自然な霧。さっきまで月の明るい晴天だったのに。
「もちろん、先生よ」
王衛の方術か。先生も力を貸してくれるって言っていたの、これか。……すごいな。
舟は霧に紛れて島に近づく。井達開の指示で、島の裏側に舟を回した。周囲はすべて切り立った崖に見えたが、一箇所に裂け目があった。知らなければ気づかないだろう、内側に大きく切れ込んだ裂け目だ。
そこに船が停泊していた。小舟で静かに近づいて、見上げる。海賊船だ。
揺れる小舟の上に、井達開が造作なく立ち上がった。
「乗り込むぞ」
舟底から鉤爪のついた縄を取った。一本を六飛に渡し、もう一本を勢いよく振り上げた。鉤爪が海賊船のへりにかかる。強く引いてかかりを確かめ、船腹を登り始めた。
六飛も井達開と同じように鉤爪を船べりに引っ掛けた。紅珊を見た。うん、俺はこれで登れるけれど、
「紅珊は?」
尋ねると、紅珊が顔を赤らめた。小さな声で、おんぶ、と言った。まあ、そうなるか。
「じゃ、少し我慢してくれ」
ひょい。子どもみたいに紅珊を胸に抱き上げる。
「えっ、ちょっ、リウ……」
「両手、使いたい。おぶって首にぶら下がられたら、俺、死ぬよ?」
抵抗しかけた紅珊がおとなしくなった。六飛の肩に腕を回して、ぎゅっ、とつかまった。
紅珊の心臓がとくとくと動いているのが六飛の胸に伝わってくる。緊張と……きっと怖いのもあるんだろう。
六飛は縄をつかんだ。足を船腹に踏ん張って紅珊の重みを体で支え、登り始める。
半分くらい登ったとき、耳もとで紅珊のささやく声がした。
「先生、感心していたよ、腕輪のこと。六飛が白風山で修行したことがあるって話したら、ぜひ教えを乞いたい、って」
……いや、あれやったの、師匠だし。
「腕輪を直してくれたときの六飛……いつもとちょっと違っていた感じがする」
そうだろう、あれ、中身は師匠だったから。だけど、それはそれとして……。
六飛の胸に伝わる紅珊の鼓動がとても速い。なんだかつられて、こっちの心臓も落ち着かなくなる。背負ったときも感じたけれど、紅珊の柔らかさって師匠のぽよぽよ柔らかいのとは何か違う。
「六飛って……私が見鬼だって打ち明けたとき、びっくりはしたみたいだけど、だからって私のことを変な目で見たりはしなくて……」
そこでいったん言葉を切ったけれど、紅珊は思い切ったようにあとを続けた。
「自分が仙狸の子みたいなつまらない冗談を言って……あれ、励ましてくれたんだよね? そんな人、初めてだった。六飛のこと、私が絶対に守るから」
ちょうど片手を縄から離し、ずれかけた紅珊の体をもとの位置にもどそうとしているときだった。私が絶対に守るから──そう言われ、ほんの一拍、必要以上に長く強く、紅珊を腕に抱いてしまった。
こちらこそ、そんなことを言われたのは初めてだ。
船べりの手すりに手が届いた。近くの甲板に気配はひとつ。井達開のものだ。先に紅珊を押し上げてから、自分も手すりを飛び越えた。
「さあ、暴れるぞ。なるたけ派手に頼む」
と、声をかけてきた井達開の手には炮烙玉がある。ぱちっ、と火花を散らしたそれを、井達開は船の屋形目がけて大きく放った。
六飛はあわてて目を閉じ耳を塞ぐ。そいつが発する閃光も破裂音も大の苦手だ。
目を開いたときは、辺りは真っ白になっていた。今の炮烙、煙玉だったのか。煙の隙間に目を凝らすと、屋形からわらわらと湧いて出たのは反り返った刀や剣を引っ提げた男たち──海賊ども。こいつらが『仙狸の子』の名前を騙って娘たちをさらったり殺していたりしたわけか。
懐から流星錘をつかみ出し、紅珊を背にして前に出る。
と、すい、と空気が流れた。紅珊が六飛の横を抜くようにしてその前に立って。
両手に、切り刻んだ紙の束。
「疾っ!」
気合とともに、手にしたそれを空中高く撒き散らす。
ひらひらと舞い落ちる紙片を見上げ、六飛はそれが人形をしていることに気づく。その一枚一枚が、煙の中で淡く光を帯びてするすると伸び、顔のない兵士に変わる。
式だ。が、突如現れた兵士の群れに、海賊たちの足が止まった。兵士たちが前進する。驚きから立ち直った海賊たちが武器を構える。
兵士たちが槍を繰り出す。実際のところ、その槍に殺傷力はないようだ、だが、海賊たちの振り回す武器も紙の兵士に当たらない。ひらりするりとかわされる。それで同士討ちになる海賊もいて。
「ぎゃ」
「ぐわっ」
別の方角でも悲鳴が上がった。井達開が紙の兵士に紛れて剣を振るっている。
派手に暴れろ──六飛は紅珊を見た。紅音は式に囲まれ、胸の前で右手の人差し指と中指をそろえて伸ばしている。師匠が相手の意識を奪うくらいはできると言っていた、点断の術の構えだ。
紅珊は六飛の視線に気づいて力強くうなずいた。うなずき返し、六飛は、たん、と甲板を蹴る。
紙の兵士の陰から飛び出し、正面にいた海賊の胸に掌打を決めて呼吸を詰まらせる。そいつが倒れるより早く、つかんだ錘を投げた。錘は横から襲いかかろうとした海賊の刀を砕く。六飛の手の中を縄が滑る。錘は勢いよく振られ、別の海賊の肩を打つ。
錘が手にもどったと同時に、六飛は甲板に体を倒し空いている方の手をついた。たった今まで六飛の頭があった空間を大刀が薙ぎ払う。六飛は片腕で体を支えたまま踵を蹴りだした。斬りつけてきた海賊の膝を迎え撃つかたちになり、海賊は膝を抱えて悶絶する。
素早く立ち上がって、六飛は振り下ろされた刀をかわす。すれ違いざまに相手の首に縄をかけて引き倒す。そのまま走って碇綱を巻き上げる横棒に飛び乗り、さらに帆桁に跳んで、甲板を見下ろした。
戦っている海賊の数は減っている。海賊たちの後ろに飛び降りて流星錘を振れば、やつらをもっと混乱させられるな──そう考えたが。
ひやり、とするものを感じて、そちらに目をやった。ひとりの海賊が紅珊に気づいて足を止めていた。曲刀を握り直し、のそり、と紅珊に近づく。
躊躇なく帆桁を走り、飛び降りた。甲板に着地したときは錘を手のひらに握り込んでいる。師匠は紅珊は自分の身を守るくらいはできると言っていたけれど。
紅珊が背後の海賊に気づくのと、六飛の錘が放たれるのと、ほぼ同時だった。だが、紅珊が点断の術を使うよりも六飛の錘が海賊を打つよりも一瞬早く、海賊の体ががくりと崩れた。崩れた向こうに現れたのは棒を持った男。
六飛はとっさに縄を引く。当初の目標を失った錘は、現れた男の棒にくるくると絡みつく。
──いや、絡めとられたのか?
縄がぴんと張り、六飛の力と男の力が拮抗する。
不意に、男が白い歯を見せた。
「よう。俺だ」
高、だった。県令の手下のチンピラ……って、チンピラの腕前じゃない。
そこでやっと気がついた。県令の手下、つまり、月陰の剣、県令直属の武官──彼が。
ふいっ、と高が棒に込めた力の向きを変えた。六飛も縄を緩めた。棒に絡んだ縄がするりと外れる。六飛は手元に残していた錘を鋭く後ろに振り、高は振り向きもしないで棒を脇から背後に突き出す。
六飛と高、ふたりの後ろでそれぞれに海賊が倒れた。
高が紅珊の手をとり、六飛の方へ、ぐい、と押しやった。
「そら、お嬢さんを頼んだ」
受けとるみたいに紅珊の腕をつかみ、六飛は紅珊を自分の後ろにやる。
高は懐から筒を取り出した。筒の先から、しゅっ、と何か飛び出す。光玉だ。急いで閉じた六飛の瞼の裏が明るくなる。
元どおりになってから、目を開け、辺りを見回した。煙と霧が入り混じる中から、井達開が姿を現した。今の光玉は、何かの合図か。
高は井達開の前に膝をついた。井達開が尋ねる。
「女たちは救い出せたか」
「は、ほとんど」
「ほとんど? 全員ではないのか?」
重ねて問われ、高の表情が曇った。
「ふたり、足りません。船倉に鍵のかかった部屋があり、そこに閉じ込められているのやもしれませんが、私では開けられず」
ふたりの会話を聞きながら、六飛の頭の中で今度こそすべての辻褄が合う。──高はチンピラを装って『仙狸の子』を騙る組織に潜入した県令の腕利きの部下だった。自分たちが暴れて海賊の気を引いている間にさらわれた娘たちを助け出した。岬の小屋で彼にだけ殺気がなかったのもそういうわけ。
県令、もう少し詳しく説明してくれればよかったのに──と、思ったが、この時代の者には『月陰の剣』で通じることだったのかもしれない。
とりあえず、安堵した。最悪の想像が外れて。
……じゃあ、県令たちの海賊退治に手を貸している王衛も、実は良いモノなのだろうか。いや、でも……。
井達開が厳しい声で高に確かめている。
「鍵が開けられない? おまえでも、か?」
「呪がかけられているようで」
呪、と聞いて、六飛と紅珊は顔を見合わせた。
「すでに水軍は近くに待機して合図を待っている。海賊どもを一網打尽にするためには、この機を逃すわけにはいかないが」
井達開が苦渋の表情を浮かべる。高が頭を下げた。
「已むを得ないかと。そこに女たちがいる確証はなく、いたとしても生死のほどは」
「あの、呪なら、私が」
声を上げた紅珊を、井達開と高が同時に見た。
「なるほど。だが──」
高が言いかけるのを、六飛が制す。
「俺が一緒に行く」
井達開の決断は早かった。
「よし。行け。だが、猶予は小半刻だ。時間になったら火矢を使うぞ。ここに来るのに使った小舟を残しておく」
簡潔に指示して、高に視線を向けた。高は速やかに立ち上がり、ふたりして霧の中に消えていった。




