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十一

 紅珊(ホンシャン)は廟堂の入り口に立っていた。門を入った六飛(リウフェイ)を見て、大きく息を吸い込んだ。

「あ、紅珊、おはよ……」

「──おはようじゃないわよ!」

 朝の挨拶をしようとした六飛は、いきなり怒鳴りつけられて首をすくめた。

「もうお昼よ。今までどこで何をしていたの!」

 遊びほうけて時間を忘れ、真っ暗になってから帰宅したときの母さんのようだった。

「……船小屋で……眠ってた」

 水路沿いを廟堂に向かって歩いていたら、釣り船の小屋があったのだ。折よく火を焚いて船を出す準備をしていたので、濡れた服と体を乾かさせてもらい、船の準備を手伝って、少し休むつもりで小屋の隅に横にならせてもらったらいつの間にかぐっすり眠ってしまい……。目が覚めて、即、ここに来たのだが。

 自分をにらむ紅珊の目がちょっとうるうるしている。心配していたのよ、なんて、母さんみたいにぎゅーっとしてきたらどうしよう。

「心配してたのよっ、ばか」

 さらに怒鳴られた。

「ちっとも廟堂に来ないから。約束したのに。こっちは朝からびっくりして大変だったのに」

「びっくり?」

「朝いちばんに県令さまの使者が来て、狸娘々(リニャンニャン)廟に六飛という男がいるから伝言を届けるように、って。私が帰ったあとに何があったか、全部説明して」

 六飛は肩を落とした。……怒りんぼだなあ。昨夜はちょっと可愛く見えたのに。

「あのチンピラのお頭、県令でさあ……」

 ぼそぼそと話しはじめると、

「はあっ?」

「いやっ、だから……」

 となりの部屋にいたお頭のあとをつけたら、県令だった。成り行きで掛け試合して、ひと仕事あるから陰の手下になれと言われて……。

「……信じられない、県令さまがそんな……」

 ぼう然とする紅珊の顔を見て、絶対に県令と仲間なんかじゃない、と六飛はあらためて思う。

 でも、仲間じゃないなら、なぜ紅珊に伝言を託したりするんだろう。紅珊を利用して? と、浮かんだが、利用する目的が思いつかない。紅珊をもう一度拉致することを期待されてるんだろうか。いや、それならそうと命令するだろう。手下になったんだから。

 考えた道筋に異物が混じっているようで、すっきりしない。俺、何か、見落としているんだろうか。あのチンピラのお頭が県令なのは間違いのない事実なんだが。

 うーん、と頭をひねる六飛。一方、紅珊も紅珊で何か考え込んでいるようだったが。

「でも、六飛って、すごいかも」

 うつむいていた顔を上げ、六飛を見上げた。

「探りたい相手にうまく近づいて手下になっちゃうなんて。目つき悪いわりにぼーっとしていて、なのに凄腕の間諜みたいだったり……。なんていうか、不思議。さすが白風山で修行しただけあるってこと?」

 ええと、これは一応褒められているのか? 紅珊の目をぼーっと見つめ返していたら、肩の師匠に頭をはたかれた。──早く伝言を聞け。

 おお、忘れていた。

「それで、県令からの伝言って、何?」

子時夜半(ねのときやはん)、東の桟橋」

 少し待って、六飛は確認する。

「それだけ?」

 真夜中に東の桟橋に来い、と。紅珊がうなずく。

 ……何をするのかは、まあ、行けばわかるか。さらった娘さんたちを船に積み込む、とか、そんなところだろうけれど──なんて考えていると、

「私も行くから」

 不意に紅珊が言った。何のことかわからなかった。

「どこに?」

「東の桟橋!」

 紅珊は左手を六飛の目の前に突き出し、長い袖を上げた。腕輪が露わになる。見鬼のチカラを封じている、という腕輪だ。

「足手まといになんか、ならないから。この腕輪を外せば、私、チカラを使えるから」

「え、でも……」

 死者の思いに同調できるくらいだから、持っているチカラ自体はかなりのものなのだろう。だが、それに引きずられてしまうことがあるから、腕輪でチカラを抑えている──そう自分で説明していたはずだ。

「だって、六飛にだけ危ないことをさせるなんて、できるわけないでしょう?」

 紅珊の視線は強く、六飛の方が気おされる。

「六飛、ホントは関係ないのに、私が手伝ってほしい、って頼んだせいで巻き込まれちゃって。昨夜は決心がつかなくて、六飛ひとりに任せちゃってごめんなさい。ずっと心配で、すごく後悔した。ひと晩考えて、覚悟を決めたの。六飛にケガさせるくらいなら、腕輪を外して、私が六飛を守る」

 守る、という言葉に意表を衝かれた。そんなことしなくていい。危ないし、俺、関係なくないし。紅珊を止めようと、口を開いたが。

「──腕輪、見せて」

 思ってもいない言葉が出た。ええっ? と驚くヒマもなく、今度は手が勝手に動いて、紅珊の手を優しくとった。六飛を見る紅珊の目も丸くなる。

「六飛?」

 いや、俺じゃない。だが、声が出ない。師匠か。肩に乗った猫が首を伸ばして腕輪をのぞき込むのを感じる。

 六飛は身を屈め、腕輪に唇を近づけた。小さく息を吹きかける。息のかかった部分を親指の腹でこすると、刻まれた文字のいくつかがすうっと消えた。

「何するの?」

 紅珊は、自分の手を、六飛の手から奪い返すような勢いで引っ込める。

 うん、こっちのセリフだ。人の体で何をするんだ師匠。だが、六飛の気持ちにお構いなく、表情も動かせない。静かに紅珊を見るだけ。紅珊は急いで腕輪を改めてから、六飛に視線をもどす。少し怯えたように、言った。

「……何を、したの?」

「腕輪を外すよりはマシだ」

 六飛の口から、言葉は穏やかに勝手に滑り出す。

「今のおまえに扱えるだけのチカラを解放した」

「六飛、何を言って……」

 言いかけた言葉がとぎれ、紅珊の視線がふと宙に浮いた。自分の中で何かが変わったことに、紅珊自身が気づいたように。

 宙をさまよった紅珊の視線が手のひらに落ちた。六飛の目にも見えた。紅珊の手から揺らぎ立ち、炎のように全身を包んだ光。

 淡い金色を帯びた気。綺麗で、強靭で、六飛は思わず息を飲む。

 光は不安定に揺れていたが、やがて落ち着き、紅珊の中に溶け込むようにして見えなくなる。

 紅珊は戸惑うように自分の体を抱いた。問いかける目で六飛を見る。

「これで、点断の術で相手の意識を奪うくらいはできるはずだ。自分の身は守れるようにしたから、ついてくるのはいいが、無理はするな。俺がそばで守ってやれればいいんだが、どういう状況になるか、わからないからな」

 俺の体も解放してくれ、師匠。気恥しいんだが。紅珊がらしくもない揺れるまなざしでこっちを見ているぞ。

「……六飛、だよね」

 違う。師匠だ。紅珊を見つめ返して微かに笑んでいるのは。

 紅珊は頬を赤らめ、ハッとして下を向く。

「あの、じゃあ、私、先生のところにもどるから」

 そのまま六飛の横を走ってすり抜ける。

「今夜、東の桟橋で」

 と、言いおいて。

 





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