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 藍色の空に輝く満月。

 城市を囲む高く堅牢な壁に片膝を立てて座り、六飛(リウフェイ)は月に照らされた街並みを見下ろしていた。

 髪は尻尾のように無造作に結んでいる。ほつれ毛が、さら、と風になびき、片方の耳に揺れる雫の形の飾りが月光を弾く。

 一見痩せぎすな体に纏っているのは当たり前の衫袴、袖なしの黒い長衣に幅広の渋茶の帯。だが、袖口を絞って指のない皮手袋をはめた両手が穏やかではない。明らかに戦うための拵えだ。触れれば、衣服越しにでも、無駄のない滑らかな筋肉が張りついた体をしていることがわかるだろう。夜行性の獣のように。

 膝の横には黒い猫。風生は、それに、師匠、と呼びかけた。

「しばらく見ないうちに城市(まち)の雰囲気が変わったなあ。すごく平和そうだ。戦、終わったのかな?」

 城内には灯りが集まる場所が幾つも見える。風に乗って音楽が聞こえる。熱い汁物や肉のカリっと焼けるにおいも鼻をくすぐる。

「あれから随分経つからのう」

 猫が答え、六飛は、ふん、と立ち上がる。

「変わるもんだなあ、五年で──行ってくる」

 とん。六飛は壁を蹴って宙に身を躍らせた。柔らかに地面に降り立つ。

 体重を感じさせない動きだ。

 目指すのは高台に聳える県の宮城である。狙うは県令、李源リーユアン。父と母を殺した男。

 簡単に殺しはしない。まずは家族の命を奪う。今夜は娘を。明日の夜は老いた父親を。肉親を失う悲嘆を次は自分かもしれないという恐怖を十分に味あわせてから李源自身の首を切る。──我ながら残酷で恐ろしい復讐計画だ。恐ろしすぎて、ちゃんとやれるか少し自信がないくらいだ。

 めっきり増えた灯りを避け、闇を縫って走った。街が穏やかで楽し気に見えても油断はならない。李源の無慈悲な巡視兵がいつどこから現れるかわからない。

 前方の暗がりに人の潜む気配があった。さっそく兵士か? いや、違う。たぶん物盗りだ。どちらにしても遭遇したら面倒なので、六飛はひらりと屋根に飛んだ。そのまま屋根の上を進んで怪しい気配を避けようとしたのだが。

 ぴた、と足を止め、六飛は振り向いた。今度は後方から足音が聞こえる。

 足音はひとり分。とても軽い。やがて月明かりの中に現れたのは柔らかな緑の襦裙結い上げた髪に揺れる簪。

 若い女だ。前方に潜む不穏な気配に向かって歩いている。なんてこった、格好の獲物じゃないか。ていうか、若い娘さんがこんな夜更けにひとりで出歩いちゃダメだろう。

 ため息が出た。屋根で女が近づいてくるのを見守る。女じゃあ、金目のモノを取られるだけじゃ済まないかもしれないからなあ。

 目星をつけていた暗がりから、男たちがわらわらと躍り出た。四人だ。突然現れた男たちに驚いたように、若い女は足を止める。同時に、六飛は屋根から飛び降りていた。男たちと若い女、両者の中間に着地する。もちろん、女を背中にして、だ。

 正対した男たちは反射的に半歩下がった。が、すぐに下がった分の距離を詰めた。

「なんだ、てめえは」

 一瞬浮かんだ警戒の表情はすでに侮りに変わっている。声の調子にも余裕がある。男たちは四人、対するのはまだ少年の面差しが消えない若者がひとり、の図だ。

 六飛は唇の端で小さく笑った。背後にかばった娘に言った。

「逃げな」

「余計なことを」

 不思議な言葉が背中に返ってきた。……余計?

 正面の男たちに意識は残しつつ、肩越しに後ろを見た。余計って、俺のこと?

 十代半ばだろう女の子が、ぱっちりと大きな目で六飛をにらんでいた。薄桃色の唇から出るのは、玻璃の玉を転がすような可愛らしい声ではあったけれど。

「あなたが逃げて。それとも一緒に捕まる?」

 は? 『逃げる』と『捕まる』の二択? 『助ける』って選択肢は? 俺、そのつもりで飛び降りたんだけど。

 空気が乱れた。ハッと首を戻すと、白刃が目の前に迫っている。『助ける』──がナシなら。

 短刀を突き出してきた男の手首に自分の手首を擦り合わせ、六飛は刃の軌道を逸らせた。均衡を崩した男の腹に掌底を叩き込むのは簡単だったが、六飛はくるりと体の向きを変えた。女の子の横をすり抜け、路地に走り込む。

 男がひとり六飛を追って路地に入る角を曲がった。が、そこでハタと立ち止まる。

 月の光が降る、細く長く伸びた路地に逃げていく人影はない。

「どこに行きやがった! ××の×××が!」

 品のない罵り言葉をひとしきり喚いてから、男は来た道を引き返す。

 六飛は屋根にしゃがんでそれを見下ろしていた。少し遅れて、身を低くしたまま男と同じ方向に屋根の上を移動する。

「なんだ、逃がしたのか」

「ガキ一匹にざまあねえな」

 仲間のところに戻った男は、笑われて地面にぺっと唾を吐いた。

「逃げるなら、なんで出てきやがったんだ、腐れ卵が」

 ホントだよ──六飛は屋根の上で男の言葉に同意する。俺、何しに出ていったんだよ。

 見ると、女の子は大人しく後ろ手に捕らえられているし。

「余計な手間をかけさせやがって」

 男が続けたセリフにがっくりと肩が落ちる。五年ぶりの生まれ故郷であっちからもこっちからも『余計』扱いだなんて。

 屋根の上で男たちが女の子を連れ去るのを見送った。どうしようかなあ、このあと。とりあえず、『逃げる』を選択してはみたものの。

 髪をくしゃくしゃかきまぜて、ふり向く先には傾いた月を屋根に乗せた宮城。今夜はあそこに行って県令の娘を殺す予定なのだ。……予定、なのだけれど。

 視線を戻すと、男四人と女の子の影が遠ざかっていく。男たちは女をさらって売り飛ばす類の商売をしている連中だろう。そして、女の子は察するにわざとさらわれたのだろうが、何を考えてのことだろう。せっかくの親切がなぜ『余計』呼ばわりされたのか、気にはなる。何か作戦があるのかもしれないが、あの子、本当に大丈夫なのかな、とも。

 決めた、あとを追おう。仇討ちは明日からだ。

 

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