◆ウェズリーside③
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あまりの恐ろしさに、ウェズリーは震えながらただ下を向くしかなかった。
最愛の女性、アリスンがウェズリーの両親と妻のホリーを襲い、命を狙ったのだ。
スノードロップ侯爵家の邸宅は防犯はしっかりしていたが、アリスンはたまたま邸宅に資材の搬入をしにきた一団に紛れて敷地内に侵入。
そして庭園のガゼボにいたウェズリーの両親と、ホリーを見つけたらしい。
以前、慰労のガーデンパーティーを両親が開いた時に、ウェズリーは密かにアリスンも呼んだ。その時両親にバレない様に、彼女に紹介した事があるのだ。だからアリスンはウェズリーの両親の顔は知っていたし、その二人と仲良くお茶を飲む女なんて、ウェズリーの妻しかいないと当りをつけた。
あの後、ウェズリーは嫌な予感がしてアリスンの後を追った。
アリスンの家は王都にあったが、転移ゲートを使ってスノードロップ侯爵領まで一時間もかからずに行き来することができる。
現在、スノードロップ侯爵領へは素材の搬入や、打ち合わせの為、人の行き来が多い。
転移ゲートは、一定の定員に達すると次の転送になってしまう。
一足遅かったウェズリーは、アリスンの次に転送される組に割り振られてしまった。
だから一足遅く、アリスンの凶行を止めることはできず、そして、のこのこと邸宅に戻ってきたウェズリーはアリスンと一緒に捕まってしまった。
どうやらアリスンがウェズリーの愛人だということは、知られていたようだ。
アリスンの美しかった顔は、ホリーに殴られ、見る影もない。最低限、人相が分かり言葉を発することが出来る程度に治されているが、そこにウェズリーの愛した女性の姿はなかった。
「ウェズリー、これまでは我々も忙しかったので大目に見てきた。いや、煩わしいので放置していたが、これは流石に無理だ」
父の冷たい目。
「ウェズリー、何故あなたはその様な……」
涙を流す母。
「……」
蔑んだ表情の妻。
「平民であるこの女は、死罪は避けられないだろうな」
父の言葉に、血の気が引く。
アリスンが死罪?
アリスンは貴族の生まれだが、没落して平民になった。平民である彼女が侯爵家の当主とその夫人、そして令息の妻を害した。
これだけで、死罪になるには十分だ。
ホリーが治癒魔法の使い手だったから、怪我などは綺麗に治ってはいたが、もし怪我が残ってしまったら、あるいは死んでいたら。
アリスンは同じ事をされた上で、死罪となっているだろう。
「ホリー様は聖女だ。大聖女になりうる才能を持ちながら、我が家に恩があるからとそれを断り、嫁いでくれたのだ。それなのに──」
聖女。
この世界に湧く瘴気を浄化し無効化できる唯一の存在。
聖女神が多くの子をもうけたおかげで、各国に相応の数存在するのでそれ自体は珍しくはないが、一方的に害すればかなりの刑罰となる。
もし、聖女神の怒りに触れれば、最悪の場合聖女が力を失い、生まれなくなってしまう可能性もあるからだ。
ホリーが聖女とは知らなかったとはいえ、アリスンのしでかした事は、ウェズリーでも彼女が助かる道はないことがわかってしまった。
「お前たちは衛兵に身柄を預け、司法にその処遇を任せることにした」
この国では、貴族が問題を起こし、衛兵の世話になる場合、本人が留置される事は滅多に無い。『家』が手を回すからだ。
一時的に留置されても直ぐに帰され自宅にて謹慎し、沙汰を伝えられる。上級貴族なら尚更だ。もちろん、監視は付くが。
つまり、貴族が拘留されるという事は、よっぽどの事をしでかしたか、『家』に見放されたという事になる。
「ち、父上……」
そして、ウェズリーにとって良くないことが更に起きる。
「私も、愛人を囲おうと思います」
妻であるホリーが言った。
このままでは、妻として、聖女としての役目が果たせないこと。
しかし、ウェズリーとの間には子供を作りたくないこと。
だから、血縁で優秀な者を愛人にしたいこと。
ウェズリーは、自分の父が愛人を囲うことや浮気を嫌っていることを知っている。だから、一縷の望みをかけて自分の父を見た。
だが──。
「……そうだな。それも、必要か」
父は、あっさりと息子嫁が愛人を囲うことに同意した。
それは、ウェズリーが見限られたということだった。
そしてウェズリーとアリスンは、衛兵によって王都に連行された。
ウェズリーは厳しく尋問され、嘘を言えなくなる魔術道具も使用された。
結果、アリスンの凶行には協力したとは認められなかったため、三日ほど拘留されただけで返された。護身用に魔術ナイフを渡した事は、かなり叱責されたが。
アリスンは皆の予想通りに死罪が決まり、それまで勾留されることが決まった。
彼女の家族は、一家離散となっていた為、彼女の遺体は引き取り手もなく、犯罪者用の共同墓地に埋葬される事になるらしい。
一応と、ウェズリーに遺体引き取りの打診をされたが、ウェズリーは断った。
そんなことよりも、急いでスノードロップ侯爵領に帰り、両親とホリーに謝らなければならない。
今回のことで流石に反省し、心を入れ替えたウェズリーは、今度こそ領地運営のために尽力すると決めた。苦手な仕事も覚えるし、何よりホリーと向き合うことを決意した。
長年彼に連れ添ってくれたアリスンの事など、既にウェズリーの中から消えてしまっていた。
ウェズリーが勾留されたのは三日ほどだが、流石にその間に、既に愛人を囲って男女の関係になってることはないだろうと踏んだ。きっと、美しい自分が優しくすれば絆されてくれると、信じて疑わなかった。
しかし、領地の邸宅に戻ると様子がおかしかった。
どうにも使用人がよそよそしく、やんわりと自室へ向かうのを止められた。
妻のホリーと会わなければならないのに、邪魔されるわけにはいかない。
「俺は、ホリーの夫だぞ!?」
「い、いまはダメです!」
家令が、珍しく慌てている。
「何を──。!?」
そこへ、男女の声が聞こえてきた。
言い争っているような、激しい声だ。
「……」
ウェズリーは声がする場所を目線で探す。
そこは夫婦の寝室とされる場所。
──男女の声は、争っているのではない。
ウェズリーもよく知っている、男女が激しく睦み合っている時の嬌声だ。
一体誰が?
夫婦の寝室を使えるのは文字通り、夫婦だけだ。
ウェズリーが結婚してからは、両親は同じ敷地内にある別邸で生活している。
ここで言う夫婦はウェズリーとホリー。しかし、夫であるウェズリーは部屋の外で呆然と立ち尽くしている。
つまりは、ホリーが夫以外の男と、そういう事をしているに他ならない。
「そんな──」
ウェズリーは絶望した。
「奥様は三日間、寝室に篭りきりです。おそらく、運命の番を見つけたのでしょうな」
「運命の、番……」
祖父がよく話していたのを、思い出した。
獣人にはそういった運命の相手がいると。
そして、出会うことは稀で、出会えば蜜月と呼ばれる初夜期間があるということも。
「旦那様の命により、しばらくの間ウェズリー様が夫婦の寝室に近づくことは禁止されています」
「は?」
家令を見る。
家令の琥珀色の瞳が縦に裂けている事を、この時初めて知った。
確か彼は、他国にて兄のアーノルドがスカウトしてきた人材だ。
「そして、これからの身の振り方を考えるように、とのお達しです」
「……」
ウェズリーは、呆然としたまま客室へと案内された。
しばらくの間は、ただぼんやりとしていたが、次第に怒りが湧き上がり、しかし、自分にその資格がない事にも思い至り、萎える。
そして、すべてが嫌になり、また愛人に逃げたくなった。だが、既に最愛のアリスンはいない。
彼女は死罪が決まった。
証拠も動機も確定している上、後ろ盾の無い平民ならば、刑は直ぐに執行されるだろう。
その日はいつだったか。
しかし、知っていた所でウェズリーにできる事は何もない。
ウェズリーには、何も無い。
いや、元はなんでも持っていたし、手に入れていたのだ。それを自ら捨て、そして逃げてしまったのだ。
だから手元に何も残らなかった。
その事にようやく気づき、同時に腹の奥から、嫌なモノが迫り上がってくる。
ああ、それなのに、優秀で後継ぎに相応しい兄のアーノルドを──。
「──っ」
ウェズリーは口元を押さえて洗面所に駆け込み、そして吐いた。