1.寒空の下
「寒い……」
その年は特に寒気が強くて人死がそこら中で起きるのが当たり前であった。
あまりの寒さに目を覚ました少年は、腹を空かせながら立ち上がる。純粋に寒過ぎてやっていられなかったから。
動けば腹は余計に空くだろうが、ジッとしていれば自らもそこらのガリガリな大人達のように仏になるのを本能でなんとなく分かったから。
街の整備されてない申し訳程度の石畳上を彷徨うように歩く。
素足で歩くような場所ではないが、当に感覚など無いから問題なかった。
「今日の収穫はこれか…」
少年は、ナニかから引き摺るように布を剥いで己の糧にする。
寒さに対抗するために布を必要としていた。
生命とは不思議な物で、そこにナニかを置いておくだけで、その内何処かに消えてなくなるのを少年は理解していた。
きっと己も死ねばそうなるだろうと知っていた。
「今日はついてるな」
ゴミ捨て場を漁る。
少年が運良く見つけたのは、少しカビの生えてる食べかけのパンだった。
意図して裕福な市民達の近場に毎日転がってるとは言え、それはここら辺の子供達、そして大人達もそうである為、毎日争奪戦になり腐っているパンと言えども食べ物は貴重であった。
しかし、気をつけなければならない。
市民は凶暴で、自ら捨てたというのにそれを拾っていると、ゴブリンのような醜い顔をして暴行を加えてくるのだから。
彼ら曰く、「スラム街の野蛮な人間が!」らしい。
少年は言っている意味こそ分からなかったが、それで殺されている大人を見て学んだ。
奴らには近づくべきではないと。
故に、少年はグズグズする事なくその場を立ち去って行く。
裏路地まで行けば"奴ら"が追いかけて来る事はないと理解していたから。
そして軽く小走りで安全圏まで入ると、そこでパンを食べようとする。
しかし、そこに転がっていたモノがいつもなら気にならない筈なのにどうにも気になって、食べようと口元まで持って行ってたパンを止めてしまう。
そこに居たのは、子供だった。
横たわるように地べたに転がっているのは一応人間だった。
最初は死んでると思って気にしなかったが、微かに上下する体を見ると、場所を移そうか迷う。
ここでは、人のモノを平気で奪って来るような子供と大人ばかりだ。
だから、寝ているように見せかけて、こちらの油断を誘おうとすることなんてのもよくある話だった。
証拠に、少年も何度か取られた思い出がある為、余計に警戒心が高かった。
最近は、漸く取られないようになって来たのだ。
それなのにこんな小さな子供に取られたら、自己嫌悪で一日気分は最悪だろう。
だが、普通なら今すぐにでも離れているというのに、この日は何故かそんな気分にはならなかった。
それどころか、気づけば子供の顔を覗き込んでいた。
(――おかしい)
少年は自分の行動を理解出来なかった。
危険性を孕む物に近づかない事なんてここで生きてれば嫌でも身につく最低限の常識だ。
だというのに、少年は自身より小さな子供に興味を抱いてしまった。
自分の心が分からず、暫くそのまま子供を見ていた少年だが、くぅ〜っという間の抜けた音が聞こえて、ハッと我に返る。
腹を鳴らしたのは、少年ではなく目の前の小さな生命だった。
腹が減っているというのに立ち上がる事が出来ない、淘汰されるべき弱者。
ここは,無視するのが基本的な正解だ。
分かっている。しかし、何故か出来ない。それどころか、先程まであれ程減っていた腹も今では鳴りを潜めている。
だからだろうか、少年は不正解を選んでしまった。
「おい、お前。意識はあるか?」
子供を揺らしながらそう問いかけてしまった。
「…………うぅ」
意識は何とか保っているようだが、放置しておけばドブに住んでるネズミ等に食べられて消えて行く運命だ。
だが、その子供にとって幸運だったのは、いつもとは違ってらしくない少年が声を掛けた事。
そして、少年がパンを、食糧をその子に分けた事だ。
「むぐっ!」
「いいから食え。死ぬぞ。」
パンを無理やり子供の口に押し当てる少年は、ただ淡々と自ら、今日の戦利品を子供に与えて行く。
愚かだと。何やってるんだと。心に文句言いながらも押し付ける手はそのままに。
そして、意識が浮上して来たのか、子供は少しずつ硬いパンを噛み砕き嚥下して行く。
少年は、今までに無いベクトルの 安堵 という感情を始めて体感した。
勿論、この時の少年にその感情を指し示せる程の言葉はなかったのだが、なんとなく胸の中が、こんな寒い気候の中で暖かく感じたのは確かだった。