70 小さな違和感
夜が魔族に連れ去られていた頃、王都の辺境の方にある小さな村では鶏の合図とともに少年が飛び起きていた。
「もう朝かぁ、母さんたちの手伝いしなきゃ。」
手早く服を着替え、顔を洗い、早速外に飛び出す。体を思いっきり伸ばすと、新鮮な空気が肺に流れ込み清々しい気分がした。
「あ、ロヴァー!こっちこっち、卵の確認して、そのあと羊連れてってよ」
まだ暗い時間帯から起き出していた母は、日の光に眩しそうに目を細めた。母の周りでは興奮したルイが走り回っている。
「ルイも一緒にね、分かってるだろうけど、森の奥の方には行かないでよ、魔物が出るんだから。」
「あいあーい...ふぁあ」
あくびを噛み殺しながら鶏舎に向かう。つい最近、王都に出かけたのがずっと昔のように感じる。僕の手を引いて、ゆっくり歩いてくれた歌姫、迷惑をかけたのに怒るでもなくずっと優しく接してくれた。
(また、会えるかなぁ。)
そんなことを考えながら鶏を追い立て、卵を確認する。
「あれ、、、おっかしいな、いつもより少ない...。」
籠いっぱいに卵を取る予定だったが、今朝は10にも満たない数しか取れない。
「うーんこれじゃあ今日は全然売り上げになんないな...。」
小さな牧場を営むロヴァの家は、新鮮な卵と牛乳、そして乳製品がメインの売上だ。まだ7歳のロヴァも、家族経営の牧場を支えるべく、毎朝鶏の卵取りを任されている。普段は30前後取れる卵が今日はいつにも増して少ない。最近減ってきているような気はしていたが、ここまで減るのは想定外だった。
「病気なのかなぁ、でも元気そうだけどなー...あ、ルイ、口開けろ、こら。」
口が不自然にもごもご動いているルイの口を無理やりこじ開けると、中からひよこが飛び出した。牧羊犬にあるまじき行為、守るべき家畜を食べようとするとは...。いや、遊んでるだけか。ルイは親鳥に突かれキレられているのに遊んでいると勘違いして元気に追いかけ始めた。
「ルイー羊んとこ行こ、羊。」
羊、という単語に単語に反応したルイはグルリと向きを変え、柵を飛び越し駆けていった。卵を母に預け、ルイを追いかける。羊はルイが急激に近づいたことに驚いて一塊になって端の方にまとまっていた。
「ルイ、ちょ、速い...はぁ、はぁ、は...ふぅ。そんじゃ、ちょっくら散歩に行くか。」
息を整え、柵を開ければ怖がっていた羊たちはまた固まって外へ歩き始めた。とりあえず羊たちを丘の方まで歩かせ朝ごはんまでには戻れば、一先ず仕事終わりだ。ルイは有り余る元気で羊たちを目的の方角に進ませている。
魔物は恐ろしいが、魔物を家畜化した生物は人間と順応して暮らしている。牛からは乳を、鶏からは卵を、そしてもちろん肉も頂いている。犬なんかは、牧羊犬・護羊犬として一緒に暮らしているが、王都の方では愛玩犬のように可愛がられるだけの犬もいる...らしい。海に近い街ではネコが当たり前のように街を闊歩しているとも聞く。いつかネコを見るのがロヴァの密かな夢だったりする。
「あ、この花畑、前にローラにかんむり作ってやったら喜んだんだよな、もっかい作るか。」
羊たちがのんびりしだしたので、ロヴァも少し休憩と花畑に座り込んだ。妹の好きなピンクの花をメインに白い花を織り込んでかんむりをするすると作っていく。この辺りの子供なら誰でも作れるが、歌姫様は作れないと言ってたなぁなどと思い出しながら完成させる。ひとまず自分の頭にのっけて羊の様子を見守る。
最近生まれたばかりの仔羊は、もう元気に野を駆け回っていた。母親から離れすぎない距離でルイと戯れあっている。というよりルイが噛みつきに行っている。親愛の証なのだろうが、噛みつくのは良くない。犬に噛まれたところから病気になることだってあるのだ、甘噛みだろうと注意せねば。
「ルイー甘噛みは僕にしときなよ、ん?どうしたの?」
突然ルイの耳がピクっと森の方を向いた。じっと森の奥を見つめている。
「え、なに?何か森にいるのかな...まさか魔物?!」
森に入っていないどころか、森の手前にある少し小高くなっている丘は人間の村に近いからか、魔物が出てくることは滅多にない。だが、ルイの口は牙を剥き、唸り声を上げ始め、羊たちも怯えたように塊出した。
「よし、よしよし、ルイ、羊を全員元のところに戻して!!」
ワッフ!!と返事をするとすでにじりじりと後ずさっていた羊を素早く追い立て、列を形成しながらもと来た道を駆け降りていった。ロヴァも一緒に走る間、バクバクと心臓の音が耳に響き、嫌な汗が背中を何度もつたった。無我夢中で走ると、目の前に開け放した柵が見え、羊とルイと一緒にそこに傾れ込み、バンっと勢いよく柵を閉めた。
それでも嫌な感覚はなくならず、独断で羊たちを小屋の中に連れて行った。屋根と扉のあるとこまで来てようやく少し心臓の落ち着いてきたロヴァは、羊の数を数え、置いてきぼりがいないことを確認する。
「ロヴァー?あんた、戻ってくるの早すぎるよ!!...どうしたの?」
声をかけてきた母を見た瞬間、ロヴァは腰が抜け、恐怖からくる涙が止まらなかった。
「か、母さん、うっううぅぅ、ふ、うぁぁぁぁぁぁぁ」
母は何があったのかと、しきりに尋ね、ルイは心配そうにロヴァの手をぺろぺろと舐めた。
ようやくロヴァが落ち着いた頃には、ルイは退屈になったのかまた子羊と戯れあっていた。母は言葉が詰まるロヴァの話を辛抱強く聞いていた。
「はぁなるほどね。でも、何か見たわけじゃないんでしょ?」
「見てないよ...見てないけど、ルイが何かいるって唸ったもん...。」
「いや、信じてるよ。ただ、そうだとしたら魔物が活発になっているかもしれないってことだろう?これは村の人たちに伝えとかないと。」
「うん...あ、卵...。ごめん、今日はなんだか少なくて、、」
「ん?ああ、それなら牛たちも全然乳を出さなくてね、まるで大雨が来る前兆みたいだよ。大雨...まさか...」
1人ぶつぶつ呟きながら母親は立ち上がり、外に出た。1人残されたロヴァは心細くて、すぐに母の後を追いかけようと立ち上がった。が、その時母が中に飛び込み、ルイは天井に向かって吠えた。
天井越しに虫の羽音のようなものが何倍にもなって聞こえる。あまりのうるささにロヴァは耳を塞いで体を縮めた。その上から母がロヴァを守るように覆い被さり、ルイは尚も声を張り上げ吠えていた。ふ、と母の体温が離れたことで、ロヴァはその音が止んでいることに気づいた。何時間もそうしていたように思えたが、実際は10分にも満たない時間だったようで、外は変わらず太陽が眩しく輝いていた。
「ローラを見てくるから、ロヴァはここにいて!!」
勢いよく外に飛び出した母に言われた通り、ロヴァはルイに引っ付きその場で座り込んでいた。
(今のは、何だったんだろう...。)
またあの羽音を思い出し、ロヴァは恐怖にブルッと体を震わせた。
(母さん、早く戻ってきて...。)
カチャっと音がなり、扉が開いた。
「母さん!」
と走り出そうとする体を、ルイが強い力で引き留める。なんで!と振り解こうとした時、ロヴァはそれが母親ではないことに気づいた。
「おまえ、私の糸を千切った子だな...?」
目の前には、真っ赤な髪に白い肌をした女が立っていた。その瞳には何の感情も浮かんでいるようには見えない。ただ恐ろしくて、ロヴァはハァハァと呼吸が浅くなる。
「ゥワフ!!!!」
その時ルイが目の前に飛び出し、ロヴァを護るように、女に立ちはだかった。女の眉は吊り上げられ、怒りを覚えたようだった。
「シルバーウルフのなりそこないか...人間に隷属した魔物の風上にも置けない...そんなやつが、この私に、威嚇してもいいとでも...?」
シュッと音がして一瞬のうちにルイは倒れた。
「へ...?」
訳がわからず、倒れたルイの顔を覗き込む。
「ルイ...るい?え、なんで、なん、どう、?え?」
ルイの体からは赤い何かが広がっていく。鉄の匂いで鼻がいっぱいになり、吐き気が込み上げてきた。
「人間、おまえのおかげでどれだけ計画が狂ったと思っている?殺すでは飽き足らぬ、こき使わせてもらうぞ。」
そういうと、ロヴァの目の前は女の赤い髪でいっぱいになった。そしてロヴァはその時気付いた。
(この髪、血の匂いがする...)
そこでロヴァの意識は途絶えた。
お久しぶりです、そしてこんなシリアスになるはずではなかったです。犬大好きです、死んでほしくないです。何ですか、これ???




