65 夢の後始末
次の瞬間、黒井の両目は真っ赤な炎と黒く焼けた大地を映した。先ほどまであんなにも美しい花畑にいたと言うのに、一体これはどう言うことなのか。辺りを見渡すも、目に入るのは炎か焼け焦げ黒くなった地面ばかり。
(さっきと違うとこなのかな...また飛ばされたのかな?)
しかしそれは違うということにすぐ気づいた。ついさっきまでいた所と一緒で、ここは匂いも音も一切しない。炎がそこら中を走っているというのに、熱さも感じない。ここは、ディアンの言う神界というところなのだろう。ただディアンの神界は見渡す限りの白一色で不安になったが、ここはここで別の不安を覚えた。恐怖・激怒・悲哀・憎悪・絶望・・・そんな負の感情が全て混ざり黒井に重くのしかかる。自分までこの感情に飲み込まれそうになる。
息苦しく感じ、眩暈がしてきて黒井は地面に座り込む。その時、ふっと突然息が楽になった。顔を上げると黒井の隣をディアンが足早に歩いていくのが目に入った。その顔は険しく、黒井の方には目もくれない。いや、ディアンには黒井が見えないんだった、と思い出しディアンのあとを追って立ち上がる。ディアンの後ろをリューズがスルスルと這っていく。少し前に見た時は両手いっぱいくらいの大きさだった筈なのに、高く上げられた頭はディアンの背を越している。全長にしてみれば3mはありそうだ。相変わらず額には黒い宝石が輝き、エメラルドのような瞳はディアンだけを捉えている。
(どこに行くんだろう...あれ、そう言えばフィアナ様は...?)
黒井の疑問はすぐに解消された。一段と炎が高く上がり、円を描いているその中央にフィアナは座り込んでいた。美しいストレートの白髪は、手入れされていないかのように目に見えて傷み、地面にまで伸びた髪がドス黒い赤に染まっている。ディアンは炎の手前で立ち止まると火の中に向けそっと声をかけた。
「フィアナ...。もう契約を切るんだ。これじゃあフィアナの体が持たない...。」
ディアンの声に反応してフィアナの首がぐるりと180度回転する。フィアナの顔を見た黒井は気持ち悪さと恐怖に耐え切れずパッと目を逸らした。もう顔は見ていないはずなのに、脳がその顔を何度も何度も再生してくる。黒井の見たものが正しければ、フィアナであろうそれの顔は死人のように真っ白な肌をしていた。ふっくらと薔薇色をしていた唇は青白く染まり、頬は痩せこけていた。何よりあの眼だ。最初黒井は、ただの落ち窪んだ目なのだと思った。しかし、その目のあまりの暗さに気づいた黒井は、そこに眼球がないことを知った。どこまでも黒く深い二つの穴がじっとディアンを見つめている。眼球があったであろう場所からは一筋の真っ赤な血が垂れている。あまりの不気味さに黒井は吐き気すら覚えたが、ディアンはただただ悲しそうな瞳をフィアナに注いでいる。
フィアナの体が骨や関節を無視してぐるりとこちらに向く。ボキボキと鳴ってはいけない音を立てながらこちらを向く様は正にホラーそのもの。ホラーが大の苦手な黒井として今すぐ逃げ出したい状態ではあったが、(そもそもフィアナの首が180度回転した時点で逃げたかった。)それを何とか堪えて踏みとどまる。ディアンの様子を窺うと相変わらず悲しそうな顔をするばかりで動く気配は一切ない。後ろにひっそりと従えているリューズもディアンと同じようにただ黙っている。ふと、音が止んだことに気づき、フィアナの方を恐る恐る振り向くと、青白くひびの入った唇が微かに動くのを見てとった。
「...どうして?あの子たちは私の子供なの。私の分身なの。今更切るなんて出来ない。あぁ、ディアン。あなたの言う通りだった。人間なんて...人間なんて生かしてはいけなかった...!あぁ、子供達の悲鳴が聞こえる...私に助けを求めている...なのに私は掟なんかに阻まれて...。あぁ....あぁあ!!!!!!!!」
それまで消え入りそうな声で話していたフィアナは突然叫び出し、両手で自分の顔を掻きむしった。白い皮膚が切り裂かれ、赤い鮮血が空を舞っても掻きむしることをやめず、それに呼応するように周りの炎は温度をあげ、ついに真っ青に染まった。ディアンはフィアナのその様子をただ黙って見つめるだけで動こうとしない。それになんだか黒井は苛ついてきて、見えないとわかっててもディアンの前に進み出て早口に捲し立てた。
「なんだよ、ディアン様...俺には覚悟が足りないだのなんだのほざいてた癖に、自分はフィアナ様を助けようともしない...!今1番近くにいるのはお前なのに、何で何にもしないんだよ...!!!!!」
ハァハァと肩で息をする黒井。勿論ディアンは黒井の言葉など聞こえず姿だって見えない。こんなことをしても意味がない...わかっている。脳内ではちゃんと理解してるそれでも黒井の心はこれじゃダメだ!!と叫んでいる。黒井の体を突き動かす。あんなに恐ろしく見えたフィアナの姿は、今ではただ自分の大切なものをを傷つけられた小さな子供にしか見えなかった。グッと唇を噛み、拳を握る。爪が手のひらに食い込むほど握ると痛みで心が落ち着いてくるような気がした。
(俺に今出来ることは何もない....。でも最後まで見届けることくらいはできるよな...。)
顔をあげ、悲しそうなディアンの瞳から目を逸らし、隣に並ぶ。フィアナの行末を見届けるために。
フィアナの体はどんどん大きくなっているようだった。叫び声はいつしか金切り声に変わり、そこに泣き声まで加わった。強い怒りと深い悲しみがフィアナの体と心を満たしている。それが黒井にも伝わってきて、今にも泣き出しそうになる。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁ...羽が...羽がもがれる...うっ...自由の象徴がぁ....失われる.......あの子たちの心が...なかったはずの感情が.........あぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあ――――――――――!!!!!!!!」
遂に耐え切れなくなったフィアナの神界が、フィアナの足元から崩れはじめる。何も見えず聞こえないフィアナは、それに気づかず深い深い地へと堕ちていく。ディアンはそっと足を離すと宙に止まったままフィアナの堕ちていく様を見ている。ディアンの腕にリューズが絡み、大きな頭をディアンの肩に乗せた。ディアンはその頭を撫でながら呟いた。
「僕に独りにしないでって言ったのに...君は僕を独りにするんだね...ごめん、フィアナ...ごめん...。」
嗚咽の混じった呟きはすぐに聞こえなくなった。段々と意識が遠のいていく。もうここにはいられないのだと、過去が終わるのだと黒井は気づいた。あの白い神界で独りぽっちのディアン。一緒にいたはずのリューズはどうして地上にいるのだろう。分からない事だけだが、ただいま分かっているのはあの時のディアンの言葉は本心なのだということだけだ。黒井は自分の意識が引き戻されるのを感じながらあの時の言葉の続きを思い出す。
『そして―――――』
「そして...いつか僕を終わらせて...か。」
薄らと目を開けると、見慣れた土の天井。いつの間にか大蛇のいやリューズの背から落ちていたのか、黒井は背中に地面の冷たさを感じた。ゆっくりと起き上がると、左手には聖剣が突き刺さっていた。その剣を抜き、今はもうぐったりと頭を寝かせているリューズの元へと向かう。リューズのエメラルドの瞳が黒井を捉えたが、体が動く気配はない。黒井はリューズの目をじっと見ながらゆっくりと話しかけた。
「ごめん、俺勝手にお前の記憶見ちゃった。ディアンってほんとにいい奴だよな。お前のこと助けて掟?もあるのにさ...。でさそんなディアンに頼まれたんだ。お前のこと、救ってって。こんな中途半端な俺じゃ嫌かもしれないんだけど、俺もお前のこと解放してやりたいんだ...。いいかな?」
暫くしてリューズは(黒井の言葉が聞こえないはずなのに、)ゆっくりと頷いた。両目を固く瞑り、大切なディアンの宝石を黒井に向ける。黒井も深く礼をしてから剣を握る。ディアンの瞳のような宝石目掛けて剣を振り下ろすと、硬く思われた宝石はあっさりとヒビが入り、次の瞬間には真っ二つに割れた。リューズの体は尾の方から火でも付いたかのように灰になり、昇天していく。きっとディアンのいる所へ昇っているんだ。そう思い、黒井は両目を固く瞑りリューズへ合掌した。
(リューズがディアンのとこまで行けますように。)
次に目を開けると、そこにはもうリューズの体はなかった。あるのはボスを倒した報酬である立派な宝箱だけ。開けてみると、中には薬がきっかり3本入っていた。鑑定してみれば、それが上級ポーションということが分かり、黒井は急いで3人の元へ向かう。逸る気持ちを抑えながら3人にポーションを飲ませる。淡い緑の光に包まれた3人の体から血が止まり、傷跡が塞がり、解毒されたのが顔色から窺えた。嬉しさのあまり涙目になる黒井を見て、目を覚ました3人は笑ってしまった。
大蛇編ここまでです!いつから大蛇編になっていたのやら、私も良くわかりませんが...。まあ一先ず一件落着ということで、黒井たちの後日談を挟みつつそろそろ夜たちの方に焦点を当てたいと思います。読んでくださった方、ありがとうございます!ついでに評価なんかもぽちっとしてくださいな!




