62 対の神
ぺちぺちと誰かが自分の頬を軽く叩く音が聞こえる。その手の冷たさに黒井は驚きガバっと起き上がった。
「お、起きた?」
黒井は何がどうなっているのか分からず、黙り込んでしまう。目の前には小さな男の子―8歳くらいだろうか?がニコニコ笑いながらこちらを見ている。墨を溢したように真っ黒なふわふわの髪に、夜空のような青と黒のグラデーションをした瞳が、透き通るほど白い肌によく合っている。どことなくユルグ味を感じるその少年は、黒井の反応が得られないことに顔をひそませる。
「おかしいな、意識はあるはずなんだけど...。」
その独り言に黒井は慌てて右手を勢いよくあげ、はい!と答える。黒井の突然の行動に一瞬顔をきょとん、とさせたがすぐに顔を綻ばせた。
「やぁ、元気そうで良かったよ。黒井くん。」
「えーと...あなたは?」
「僕は君たちを召喚した者だ。所謂神というやつだよ。」
黒井の問いに神と名乗った少年は、一層笑みを深め楽しそうに答えた。一方黒井は頭の中がフリーズしてしまい、また固まってしまった。
(え、今神って言った?まじで???えーー初めて見た!!!!)
黒井の瞳は好奇心に輝き、神と名乗った少年もまたおかしそうに笑った。
「あれ、でも神様ってフィアナ様一柱だけじゃなかったっけ?」
「そうだね、この世界ではそう言われている。でも僕はフィアナの対の神なんだよ。その事実は変わらない。」
対?と呟いた黒井に神はうん、と楽しそうに頷く。
「彼女が朝なら僕は夜。彼女が太陽なら僕は月。彼女が善なら僕は悪、彼女が生なら僕は死だ。」
そう言って彼の真っ白な手が黒井の頰に添えられる。瞬間、黒井はその手からじわじわと“死”が自分に広がっているように感じて身震いした。それは長く感じられたが、実際は10秒にも満たない時間だったようで気づけば彼は手を離し心配そうに黒井を見ていた。
「ごめんね、脅かすつもりはなかったんだけど...。」
「ああいや、平気平気!てかここどこなんだ?俺さっきまで戦ってたはずなんだけど...。あっ!神様がいるってことは天国...?」
「違うよ、ここは僕の神界。君たちが死んじゃいそうだったからこっちに呼んだんだ。今君らに死なれちゃ困るからね。」
「でもそれなら他の奴らは...?どうして俺だけ?」
「用があるのは君だけ。さあ時間がない、単刀直入に言うよ。君はまだ完璧な勇者じゃない。」
突然の言葉に黒井はまたもフリーズする。勇者じゃない?それはどう言うことだろうか、勇者として召喚されたと言うのに...。
「君の剣、あれは国王からもらったもので聖剣じゃない。聖剣が現れるのは、勇者としての自覚が現れてからだ。君にはまだ覚悟が足りていない。」
なぜか説教が始まり、黒井は顔を顰める。覚悟...まだ足りないと言うのか。自分で言うのもアレだが、こっちに来た時よりは成長したと思ってたんだけど...と心の中で反論する。
「どう言おうが構わないよ、でもね君の仲間は死にそうになっているよ。それは分かってるよね?」
「!」
そうだ、こうしてる間もみんなは死にそうになってるんだ...俺が弱いから...と心が沈んでいく。それまで難しい顔をしていた神様は、すっと両手を黒井の顎に持っていき顔を上げさせた。
「まだ諦めるには早いよ、黒井くん?言ったろう、聖剣は真の勇者の目の前に現れるんだ。そして真の勇者とは、正義の自己中なんだよ?」
「??」
神様の言っている意味がわからず、黒井は間の抜けた顔をする。全く理解していないことが神様にも伝わり、苦笑した。神様がすっと手を離し、黒井を一心に見つめる。黒井を見ているはずなのにどこか遠くを見ているような目だ。黒井は何故だかドキドキしてしまって顔を逸らした。
「....勇者は正義の象徴だ。でもね、その正義はひどく自分本位なんだよ。誰か知らない人々を助けるより、自分の大切な人を助けたい、と思う時にこそ真の力は放たれる。分かるかな?」
「...ちょっと分かるかも。」
何となく言わんとすることは分かった。よくある好きな人の為ならなでもできる的なやつだろう、がやはり自分本位だとか自己中とか言う言葉に引っかかってしまう。
「今君が勇者としての力を解放するのに1番の近道は自己中になることだ、自分の欲を優先することだ。今君が最も望むことは?」
「白木たちを助けたい。」
この答えは深く考えなくても、するっと口から出てきた。黒井はさっきの大蛇の問いかけを思い出す。あの時は勇者っていうのが何なのかよく分からなくて、何となくの答えになってしまった。よくある漫画やアニメの勇者を思い出して、彼らがいつも何をしているのか、この世界で何を求められているのかを考えて答えた。その時、黒井は気づいた。勇者という言葉に惑わされていただけで本当はもっと単純なことなんじゃないか、と。
「そっか...俺にとっての勇者は大切な人を助けることだ。魔王の討伐とか魔物を倒すとかより、白木たちを守りたい。」
黒井はもう顔を下げなかった。その瞳には強い光が秘められているのを神は見た。それを見て、少年は静かに微笑んだ。
「そうだ、それでいいんだよ、黒井くん。勇者という言葉に飲み込まれるな、自分で見つけるんだ、自分にとっての勇者を。」
黒井の世界に溢れていた勇者。漫画でもアニメでも勇者はあまりに軽い存在で簡単に存在した。だから自分もそんな数ある勇者の一つだと思ってた。ゲームやアニメや漫画によくいる勇者。でも、自分は生きている。これはゲームでも漫画でもアニメでもなくて現実だ。
(あぁ、これ前にも気づいたはずだったのになぁ。)
あの時はこの世界で生き抜く覚悟が決まっただけだったな、と思い返す。この世界で生きる覚悟ができた今、黒井は次のステージへと進む時なのだ。自分のなりたい勇者へと。そういえば、と黒井はふと思った。
(神様、俺のことずっと名前で呼んでたな...。)
この世界の住人には散々勇者と呼ばれ続けていただけに、なんだかそれがおかしく感じられたけど同時に嬉しく思った。
「良かった、間に合ったみたいだ。さぁもう戻る時だ、君にとっての勇者を全うしてこい。」
そう言って黒井を立たせ背中を押す神様に、黒井は慌てて振り返り話しかける。
「待ってまって!まだ神様の名前、聞いてない!」
そう言われるとは思っていなかったのか、神様の動きが一瞬止まった。そしてすぐに満面の笑みを湛えて答えた。
「僕はディアン、黒井くん、大蛇を救ってそして...
刹那、黒井は光に包まれ、ディアンの顔が見えなくなる。そして一瞬にして黒井は現実へと戻った。体はうつ伏せになり、固く冷たい地面が感じられる。右手に持っていたはずの剣はどこかに飛んだのか酷く空っぽに感じた。黒井は体を起こし、状況を把握した。どうやら白木たちの近くに倒れていたらしく、剣は大蛇を挟んで反対側まで飛んでしまったようだった。例の大蛇はと言うと今まで黒井の姿が見えていなかったかのようで、立ち上がった黒井を不思議そうに見つめている。しかしすぐに大蛇は戦闘モードへと切り替える。黒井はそんな大蛇を見上げ、自分のやるべきことを胸に中で反芻する。
(俺は白木を、清水を、一護を助けるんだ。)
睨み合っていた両者はどちらともなく動き始めた。
大蛇戦これで終わるはずだったんですけど...まだ続きます。ブクマ嬉しいです!ありがとうございます!評価も押してくれるとうれしーなー。




