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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第八章 炎国
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十八、最後の反旗 薄闇

 イゼルに入る前の西門で、思いがけず再会することができたリミカは、一人きりで隠れていたのだと言った。彼女が待っていたヴィオナとセスは、南門の火災現場付近へ向かったのだという。拘束された仲間とレナイを救うために。

 

「シンザ、まずは南門へ行こう」

 

 妹の話を聞いた時、リューベルトはすぐにそう提案した。ヴィオナを始めとした心強い仲間が増えるのは利点である。

 しかしシンザは同調しなかった。

 

「ルイガンが先だ。南門へ行っている間にさらに火でもつけられたら、街は壊滅する。イゼルはただの領都じゃないんだぞ。城は残るだろうが、フェデルマの砦としては半壊も同然になる」

 

 この街がひとつの火災で全焼まで至ることのない造りであるのは、六年間暮らしたリューベルトも知っている。しかしルイガンがいくつもの火災を起こせば、それも無意味になる。

 帝国全体の利を考えれば、最優先は反乱の首謀者を抑えることで間違いない。そうなのだが……リューベルトには妙な胸騒ぎがあった。ヴィオナのことが気がかりでならないのだ。

 ルイガンが最終的に成し遂げたいのは、リューベルトの抹殺であり、現在のフェデルマの打倒。その皮切りに狙うのが、グレッド家の消滅のはずだ。

 

「ヴィオナ殿も標的の一人だ。人質を取られている状態で、二人だけで戦うのは厳しいだろう。ここの隊を分割する」

「リューベルト……おそらく頭数では、ルイガンに分があるんだぞ」

「これは私の決定だ。両方を同時進行する」

 

 リューベルトは譲りそうにないと、シンザは悟ったのだろう。それに時間が惜しいのも現実で、一瞬の思案のあと、シンザは妥協案を出した。

 

「わかった。だが、南門には俺一人でいい」

「敵が何人回されているか、わからないのにか」

「俺と姉上とセスが揃えば、何人いてもねじ伏せられるさ」

「無理はするなと言いたいところだが……ヴィオナ殿やレナイたちの安全確保を、どうか頼む」

「ああ、心配いらない。そちらこそ危なくなったら、南の方へ逃げてこい」

 

 シンザ一人だけが、西門で別れることになった。

 本当は、リミカをもう一度ルイガンのいるところへ連れて行くのは、避けようとした。しかしリミカがリューベルトから離れなかった。そして彼女は涙も乾き切らぬ瞳で言ったのだ。

 

「私はルイガンの末路を見届けたい。そうしないと、きっともう安心できないの」

 

 ヴィオナやグレッドの騎士たちも聞いている前で、ルイガンは己から罪を認めたのだという。

 

「お兄様の疑念の通りだったのよ。ルイガンがお父様とお母様に毒を盛ったの。二人の命を奪ったのは、あの男なのよ!」

 

 恐怖から解放された妹は、今度はそのやつれた顔に憎しみをたぎらせていた。見ていて辛くなる姿だった。

 リューベルトも今日こそは、ルイガンと決着をつけるつもりでいる。リミカの手を握っていてやることはできない。妹の守護はジグに任せることにした。


「隊の後方にいてくれ」

 

 ジグには近衛騎士の任務と同じく、戦いへの参加は控え、守りを優先するよう頼んだ。


 城門前の広場へ、徒歩でゆっくりと進行を始めた。周囲の民家やその間から、潜んでいる敵の攻撃があるかもしれない。帝国騎士団員はリューベルトを囲む隊列を組み、夜の街の中を進んだ。

 時間の感覚がないが、明時が近付いているのかもしれない。弱まってきた雨はまだ止んでいないものの、少しずつ闇が薄れ、街の景色がぼうっと見えるようになっていた。

 

 予想されたような攻撃は、一度も起きなかった。

 どうやらルイガン家騎士団は、団員を散らさずに、主のもとを固めているらしい。


 前方に明るい空間が見えてきた。

 城門と小さな広場は、周囲に立てられた松明で照らし出されている。その中で一団は、門を越える方法を模索しているようだった。

 いち早く帝国騎士団の接近に気づいた者が、仲間に警告を発しながらこちらへ弓を向けた。もしこの時射られていたとしても、リューベルトの隊列の先頭の騎士たちは、すでに防御と迎撃の態勢を固めていたから、被害は出なかっただろう。けれど即戦闘が始まるきっかけとなっていたかもしれない。

 弓を構えた男に待てと命じたのは、他でもない彼らの主だった。

 

「リューベルト殿下で……あられますね」

「そうだ」

 

 盾を構えた騎士が道を空ける。

 広場の端と、城門の前。

 リューベルトとルイガンは、イゼルの城が見守るもとで対峙の時を迎えた。想像していたよりも静かな再会だった。

 ルイガンがため息ともに首を横に振る。


「計画通りには行かぬものですね。殿下がご到着なさる前に、落城させるつもりでいたのですが」

「帝都暮らしのそなたには落とせないだろうな。イゼルはそういうところだ」

「何年もここでお過ごしだった殿下がおっしゃると、不思議と嫌味に聞こえませんね」

「イゼルの陥落が、帝国にとってどれだけ深刻な損害をもたらすのか、理解した上での狼藉だろうな」

「わかりませんと申し上げたら、恩赦でもいただけるのでしょうか?」

「そうだな。もし与えたとて、無意味だろうな。そなたは皇帝(リミカ)を誘拐し、レナイやジェブロにも危害を加えている。すでに討伐対象だ」

 

 ルイガンの顔には笑みが浮かんでいる。何の笑いなのか、リューベルトには理解できない。

 

「お父様とお母様のこともよ」

 

 後方からリミカが声を上げた。

 

「私のことは抜きにしたっていい! あなたはお父様とお母様を裏切った罪だけで極刑よ!」

「これはこれは、姫様もご一緒でしたか」

 

 なぜかうれしそうな顔にさえ見えるルイガンが、リミカのいる後方へ目を向けた。

 

「もう一度機会をお与えくださるとは。……皇家を根絶やしにする機会を」

 

 さっとジグが身体を使ってリミカを隠し、庇った。

 ジグは約束を守ってくれる。リューベルトが魔獣に襲われて死んだと信じていた頃でも、最後の命令を守り続けてくれた近衛騎士だ。ジグがいれば妹は大丈夫だと、リューベルトには信じ切ることができる。

 

「最後に聞く。降伏はしないのだな」

「白旗など、持ち合わせておりません」

 

 雨の中、ルイガン家の旗がバサリとはためいた。

 

「ご覚悟いただきましょう、殿下」

「何の覚悟だ? 罪人はそなたらだというのに」

 

 ルイガン家の騎士団員が先に剣を抜いた。

 帝国騎士団員も同じようにしたところで、戦闘が開始する。広場が一瞬で、金属と金属がぶつかり合う生々しい音と、戦う者たちの哮りで満ちた。

 憎しみに駆られているとはいえ、戦いと縁遠かったリミカにとっては、間近で見ていられるものではなかった。ジグは彼女を連れて、広場から大通りまで撤退していった。

 

「私は、殿下にお相手いただけるのですか」

 

 ルイガンも真剣を構えている。

 帝国対反乱者の戦いのさなかを進みながら、リューベルトも鞘から銀色の刃を引き抜いた。

 

「もちろんだ。祖父から続くそなたとの因縁は、ここで私が終わらせる。皇家グランエイドの血を引く者として、そなたを捕らえてやる」

「……捕らえる?」

 

 心外そうな表情のあと、ルイガンは目に怒りを浮かべて足を踏み出した。やや大振り過ぎるほど、強く振り下ろされてきた一撃を、リューベルトは落ち着いて盾で受けた。それなりに体格もあるルイガンの攻撃は重いが、シンザの剣に比べたら、受け流して逃げる選択を考えるまでのものではなかった。

 

「反逆者を捕らえる? 甘い……! まだそんな甘いことをおっしゃるか!」

「ベネレストなら違うと言いたいのか?」

 

 屈めていた足に力を込め、リューベルトは相手の剣を押し返した。それで隙ができるほど、ルイガンも軟弱な使い手ではなかった。互いに繰り出した剣が正面からぶつかり、一瞬火花が散った。


「言ったはずだ。時代は変わっているんだ!」

 

 ベネレストの時代ならば、反逆者には粛清か、それに近い締め付けが行われたのだろう。早急な体制強化の必要に迫られて、圧倒的な力を誇示する手段が用いられたのだろう。

 そのような方法に頼る統治は、もう過去の歴史であり、終わったのだ。民もそれを感じ取っている。統治者だけが時代に抗ったところで、この大きな流れは変えられない。新たな歴史をともに綴るべきなのだ。


 押し合う剣と剣はギリギリと震えて擦れ、嫌な音を立てている。どちらからともなく、リューベルトとルイガンは後ろへ跳び、距離を取った。

 

「もう一度言おう。私とリミカは、この時代を良くしていく。そなたを捕らえるのでは甘いと言ったか? 違うな。そなたには犯した罪を数えさせる!」

 

 ——すべてを詳らかにしてもらおう。

 そして公平な裁判を受けさせてやる。

 その判断を受け容れて、罪を贖え。

 

「……そういうことですか。死刑の前に、屈辱を味わえと」

「いいや。どれほどの大罪人でも、己の主張ができる裁判を受けられるのは、持って然るべき権利だと言っている」

「反逆者でさえ、仇でさえもお手打ちにはなさらず、法に裁かせると」

「そうだ」

 

 ルイガンはくっと笑い出した。嘲笑だった。

 

「あいにくですが、お断りいたします。私には裁判など、もったいのうございますので」

「本当に、そなたと私は意見が合わないな」

 

 きっと生涯、考え方が相容れないのだ。

 皮肉なものだ。もしもベネレストが健在であったなら、今なら議論を戦わせてみたいとさえ思えるのに。たとえ黙れと恫喝されたって、食い下がってやろうと思うのに。


 リューベルトは腰を落とし、盾を前にして剣の切っ先を引き、攻撃の構えを取った。ルイガンも笑いを収め、同じように構えた。

 ほぼ同時に地を蹴った二人は、互いに薙ぎ払った剣を盾で受け合った。次の攻撃も、その次の攻撃も、繰り返し盾で防ぎ合った。

 リューベルトは少し手を変えた。積極的に足を動かし、右へ左へと回り込み、揺さぶりをかけながら攻撃を繰り出す。するとルイガンの剣は攻撃を打たなくなった。守りに専念するしかなくなったのだ。

 遅い、と思った。ルイガンの動きは、余裕を持って見極められる。

 帝都を追い出されてから、リューベルトの鍛錬の相手は、シンザやノルドレンだった。彼らの動きを正面で見て、受けて、模倣してきた。更なる高みへ行く彼らには決して追いつけなかったし、手合わせでは偶然の勝利も得たことはなかった。圧倒的な経験不足も自覚している。

 それでも、帝都では手にできなかったはずの力を、身につけさせてもらった。ルイガン相手なら、問題ないと思える。こちらだけは致命傷を狙わないという不利な前提があっても、これならば勝てる。この手で、この因果に決着をつけられる。

 

「くっ——」


 ルイガンは大きく腕を振ってリューベルトの剣を横向きに弾くと、また後ろへ跳んで距離を取った。

 追うこともできたが、リューベルトはあえて追わなかった。すっと背を伸ばした彼とは対象的に、ルイガンは前屈みで息を切らしている。


「私にも勝てずに、シンザに勝つつもりでいたのか。そなたこそ、ずいぶんと甘いことを考えるのだな」

「……ええ、まったく、そうですね……殿下がここまでの実力を備えておいでとは……正直に申しまして計算外です」

 

 ルイガンはまた笑った。今度は苦笑だ。


「投降しろ、ルイガン。そなたにはもう逃げ道もないんだ」

 

 ハッ、と大きく短く息をついたルイガンが、視線を下げた。リューベルトの足元あたりに目を落とした姿は、ついに観念したようにも見える。


 ……もしも六年前、海の塔に渡らなかったら。何も目撃せず、何も知らずに十三歳で帝位に就いていたなら。リューベルトは、この男の操り人形にされていたのだろうか。

 ——いいや。きっと、ならなかっただろう。こんなにも目指すものが異なり、根本的に向いている方向が違うのだ。やがて厄介者と判断され「処分」されてしまったかもしれない。

 

「終わりにしよう。……剣を捨てろ、ルイガン」

「お断りいたしますと、先ほど申しました」

 

 ルイガンは視線を上げ、姿勢を正した。

 

「勝てる、勝てないではないのです。私は裁判など受けない。あなたの創るフェデルマで、生きるつもりはない!」

 

 玉砕覚悟のつもりなのか。盾を捨てたルイガンは、両手で剣を握り直した。

 ——仕方がない。無傷で捕らえるのは難しいかもしれない。リューベルトも覚悟を決めて、向き合った。


 雄叫びを上げたルイガンが先制し、力いっぱいに刃を振り下ろす。リューベルトはそれを正面から剣で受けた。交錯したふたつの剣身はじりじりと天を指し、二人の身体がわずかな間静止する。

 さすがに片手で受けるリューベルト側に剣先が傾いたその刹那、彼は左腕を水平に振った。

 右手側から突然襲ってきた盾に顎を殴りつけらたルイガンは、雨が落ちる地面に叩きつけられた。手からは剣がすり抜け、ガランと音を立てて転がっていった。

 隙のある相手なら盾も武器になる……シンザが使う手だ。

 頭部への衝撃で意識が飛んでしまったのか、ルイガンは倒れたまま動かない。

 このうちに手放した武器を回収し、拘束すれば、終わる。リューベルトは彼に近付こうとした。

 そこへ乱入者が現れた。

 考えるより先に、身体が回避行動を取っていた。一瞬前までリューベルトが立っていた空間は、鋭い剣先に切り裂かれていた。

 

「旦那様を捕らえるなら、まずは私を倒せ!」

 

 ルイガン家騎士団長、ビルダだった。

 

 

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