十八、最後の反旗 薄闇
イゼルに入る前の西門で、思いがけず再会することができたリミカは、一人きりで隠れていたのだと言った。彼女が待っていたヴィオナとセスは、南門の火災現場付近へ向かったのだという。拘束された仲間とレナイを救うために。
「シンザ、まずは南門へ行こう」
妹の話を聞いた時、リューベルトはすぐにそう提案した。ヴィオナを始めとした心強い仲間が増えるのは利点である。
しかしシンザは同調しなかった。
「ルイガンが先だ。南門へ行っている間にさらに火でもつけられたら、街は壊滅する。イゼルはただの領都じゃないんだぞ。城は残るだろうが、フェデルマの砦としては半壊も同然になる」
この街がひとつの火災で全焼まで至ることのない造りであるのは、六年間暮らしたリューベルトも知っている。しかしルイガンがいくつもの火災を起こせば、それも無意味になる。
帝国全体の利を考えれば、最優先は反乱の首謀者を抑えることで間違いない。そうなのだが……リューベルトには妙な胸騒ぎがあった。ヴィオナのことが気がかりでならないのだ。
ルイガンが最終的に成し遂げたいのは、リューベルトの抹殺であり、現在のフェデルマの打倒。その皮切りに狙うのが、グレッド家の消滅のはずだ。
「ヴィオナ殿も標的の一人だ。人質を取られている状態で、二人だけで戦うのは厳しいだろう。ここの隊を分割する」
「リューベルト……おそらく頭数では、ルイガンに分があるんだぞ」
「これは私の決定だ。両方を同時進行する」
リューベルトは譲りそうにないと、シンザは悟ったのだろう。それに時間が惜しいのも現実で、一瞬の思案のあと、シンザは妥協案を出した。
「わかった。だが、南門には俺一人でいい」
「敵が何人回されているか、わからないのにか」
「俺と姉上とセスが揃えば、何人いてもねじ伏せられるさ」
「無理はするなと言いたいところだが……ヴィオナ殿やレナイたちの安全確保を、どうか頼む」
「ああ、心配いらない。そちらこそ危なくなったら、南の方へ逃げてこい」
シンザ一人だけが、西門で別れることになった。
本当は、リミカをもう一度ルイガンのいるところへ連れて行くのは、避けようとした。しかしリミカがリューベルトから離れなかった。そして彼女は涙も乾き切らぬ瞳で言ったのだ。
「私はルイガンの末路を見届けたい。そうしないと、きっともう安心できないの」
ヴィオナやグレッドの騎士たちも聞いている前で、ルイガンは己から罪を認めたのだという。
「お兄様の疑念の通りだったのよ。ルイガンがお父様とお母様に毒を盛ったの。二人の命を奪ったのは、あの男なのよ!」
恐怖から解放された妹は、今度はそのやつれた顔に憎しみをたぎらせていた。見ていて辛くなる姿だった。
リューベルトも今日こそは、ルイガンと決着をつけるつもりでいる。リミカの手を握っていてやることはできない。妹の守護はジグに任せることにした。
「隊の後方にいてくれ」
ジグには近衛騎士の任務と同じく、戦いへの参加は控え、守りを優先するよう頼んだ。
城門前の広場へ、徒歩でゆっくりと進行を始めた。周囲の民家やその間から、潜んでいる敵の攻撃があるかもしれない。帝国騎士団員はリューベルトを囲む隊列を組み、夜の街の中を進んだ。
時間の感覚がないが、明時が近付いているのかもしれない。弱まってきた雨はまだ止んでいないものの、少しずつ闇が薄れ、街の景色がぼうっと見えるようになっていた。
予想されたような攻撃は、一度も起きなかった。
どうやらルイガン家騎士団は、団員を散らさずに、主のもとを固めているらしい。
前方に明るい空間が見えてきた。
城門と小さな広場は、周囲に立てられた松明で照らし出されている。その中で一団は、門を越える方法を模索しているようだった。
いち早く帝国騎士団の接近に気づいた者が、仲間に警告を発しながらこちらへ弓を向けた。もしこの時射られていたとしても、リューベルトの隊列の先頭の騎士たちは、すでに防御と迎撃の態勢を固めていたから、被害は出なかっただろう。けれど即戦闘が始まるきっかけとなっていたかもしれない。
弓を構えた男に待てと命じたのは、他でもない彼らの主だった。
「リューベルト殿下で……あられますね」
「そうだ」
盾を構えた騎士が道を空ける。
広場の端と、城門の前。
リューベルトとルイガンは、イゼルの城が見守るもとで対峙の時を迎えた。想像していたよりも静かな再会だった。
ルイガンがため息ともに首を横に振る。
「計画通りには行かぬものですね。殿下がご到着なさる前に、落城させるつもりでいたのですが」
「帝都暮らしのそなたには落とせないだろうな。イゼルはそういうところだ」
「何年もここでお過ごしだった殿下がおっしゃると、不思議と嫌味に聞こえませんね」
「イゼルの陥落が、帝国にとってどれだけ深刻な損害をもたらすのか、理解した上での狼藉だろうな」
「わかりませんと申し上げたら、恩赦でもいただけるのでしょうか?」
「そうだな。もし与えたとて、無意味だろうな。そなたは皇帝を誘拐し、レナイやジェブロにも危害を加えている。すでに討伐対象だ」
ルイガンの顔には笑みが浮かんでいる。何の笑いなのか、リューベルトには理解できない。
「お父様とお母様のこともよ」
後方からリミカが声を上げた。
「私のことは抜きにしたっていい! あなたはお父様とお母様を裏切った罪だけで極刑よ!」
「これはこれは、姫様もご一緒でしたか」
なぜかうれしそうな顔にさえ見えるルイガンが、リミカのいる後方へ目を向けた。
「もう一度機会をお与えくださるとは。……皇家を根絶やしにする機会を」
さっとジグが身体を使ってリミカを隠し、庇った。
ジグは約束を守ってくれる。リューベルトが魔獣に襲われて死んだと信じていた頃でも、最後の命令を守り続けてくれた近衛騎士だ。ジグがいれば妹は大丈夫だと、リューベルトには信じ切ることができる。
「最後に聞く。降伏はしないのだな」
「白旗など、持ち合わせておりません」
雨の中、ルイガン家の旗がバサリとはためいた。
「ご覚悟いただきましょう、殿下」
「何の覚悟だ? 罪人はそなたらだというのに」
ルイガン家の騎士団員が先に剣を抜いた。
帝国騎士団員も同じようにしたところで、戦闘が開始する。広場が一瞬で、金属と金属がぶつかり合う生々しい音と、戦う者たちの哮りで満ちた。
憎しみに駆られているとはいえ、戦いと縁遠かったリミカにとっては、間近で見ていられるものではなかった。ジグは彼女を連れて、広場から大通りまで撤退していった。
「私は、殿下にお相手いただけるのですか」
ルイガンも真剣を構えている。
帝国対反乱者の戦いのさなかを進みながら、リューベルトも鞘から銀色の刃を引き抜いた。
「もちろんだ。祖父から続くそなたとの因縁は、ここで私が終わらせる。皇家グランエイドの血を引く者として、そなたを捕らえてやる」
「……捕らえる?」
心外そうな表情のあと、ルイガンは目に怒りを浮かべて足を踏み出した。やや大振り過ぎるほど、強く振り下ろされてきた一撃を、リューベルトは落ち着いて盾で受けた。それなりに体格もあるルイガンの攻撃は重いが、シンザの剣に比べたら、受け流して逃げる選択を考えるまでのものではなかった。
「反逆者を捕らえる? 甘い……! まだそんな甘いことをおっしゃるか!」
「ベネレストなら違うと言いたいのか?」
屈めていた足に力を込め、リューベルトは相手の剣を押し返した。それで隙ができるほど、ルイガンも軟弱な使い手ではなかった。互いに繰り出した剣が正面からぶつかり、一瞬火花が散った。
「言ったはずだ。時代は変わっているんだ!」
ベネレストの時代ならば、反逆者には粛清か、それに近い締め付けが行われたのだろう。早急な体制強化の必要に迫られて、圧倒的な力を誇示する手段が用いられたのだろう。
そのような方法に頼る統治は、もう過去の歴史であり、終わったのだ。民もそれを感じ取っている。統治者だけが時代に抗ったところで、この大きな流れは変えられない。新たな歴史をともに綴るべきなのだ。
押し合う剣と剣はギリギリと震えて擦れ、嫌な音を立てている。どちらからともなく、リューベルトとルイガンは後ろへ跳び、距離を取った。
「もう一度言おう。私とリミカは、この時代を良くしていく。そなたを捕らえるのでは甘いと言ったか? 違うな。そなたには犯した罪を数えさせる!」
——すべてを詳らかにしてもらおう。
そして公平な裁判を受けさせてやる。
その判断を受け容れて、罪を贖え。
「……そういうことですか。死刑の前に、屈辱を味わえと」
「いいや。どれほどの大罪人でも、己の主張ができる裁判を受けられるのは、持って然るべき権利だと言っている」
「反逆者でさえ、仇でさえもお手打ちにはなさらず、法に裁かせると」
「そうだ」
ルイガンはくっと笑い出した。嘲笑だった。
「あいにくですが、お断りいたします。私には裁判など、もったいのうございますので」
「本当に、そなたと私は意見が合わないな」
きっと生涯、考え方が相容れないのだ。
皮肉なものだ。もしもベネレストが健在であったなら、今なら議論を戦わせてみたいとさえ思えるのに。たとえ黙れと恫喝されたって、食い下がってやろうと思うのに。
リューベルトは腰を落とし、盾を前にして剣の切っ先を引き、攻撃の構えを取った。ルイガンも笑いを収め、同じように構えた。
ほぼ同時に地を蹴った二人は、互いに薙ぎ払った剣を盾で受け合った。次の攻撃も、その次の攻撃も、繰り返し盾で防ぎ合った。
リューベルトは少し手を変えた。積極的に足を動かし、右へ左へと回り込み、揺さぶりをかけながら攻撃を繰り出す。するとルイガンの剣は攻撃を打たなくなった。守りに専念するしかなくなったのだ。
遅い、と思った。ルイガンの動きは、余裕を持って見極められる。
帝都を追い出されてから、リューベルトの鍛錬の相手は、シンザやノルドレンだった。彼らの動きを正面で見て、受けて、模倣してきた。更なる高みへ行く彼らには決して追いつけなかったし、手合わせでは偶然の勝利も得たことはなかった。圧倒的な経験不足も自覚している。
それでも、帝都では手にできなかったはずの力を、身につけさせてもらった。ルイガン相手なら、問題ないと思える。こちらだけは致命傷を狙わないという不利な前提があっても、これならば勝てる。この手で、この因果に決着をつけられる。
「くっ——」
ルイガンは大きく腕を振ってリューベルトの剣を横向きに弾くと、また後ろへ跳んで距離を取った。
追うこともできたが、リューベルトはあえて追わなかった。すっと背を伸ばした彼とは対象的に、ルイガンは前屈みで息を切らしている。
「私にも勝てずに、シンザに勝つつもりでいたのか。そなたこそ、ずいぶんと甘いことを考えるのだな」
「……ええ、まったく、そうですね……殿下がここまでの実力を備えておいでとは……正直に申しまして計算外です」
ルイガンはまた笑った。今度は苦笑だ。
「投降しろ、ルイガン。そなたにはもう逃げ道もないんだ」
ハッ、と大きく短く息をついたルイガンが、視線を下げた。リューベルトの足元あたりに目を落とした姿は、ついに観念したようにも見える。
……もしも六年前、海の塔に渡らなかったら。何も目撃せず、何も知らずに十三歳で帝位に就いていたなら。リューベルトは、この男の操り人形にされていたのだろうか。
——いいや。きっと、ならなかっただろう。こんなにも目指すものが異なり、根本的に向いている方向が違うのだ。やがて厄介者と判断され「処分」されてしまったかもしれない。
「終わりにしよう。……剣を捨てろ、ルイガン」
「お断りいたしますと、先ほど申しました」
ルイガンは視線を上げ、姿勢を正した。
「勝てる、勝てないではないのです。私は裁判など受けない。あなたの創るフェデルマで、生きるつもりはない!」
玉砕覚悟のつもりなのか。盾を捨てたルイガンは、両手で剣を握り直した。
——仕方がない。無傷で捕らえるのは難しいかもしれない。リューベルトも覚悟を決めて、向き合った。
雄叫びを上げたルイガンが先制し、力いっぱいに刃を振り下ろす。リューベルトはそれを正面から剣で受けた。交錯したふたつの剣身はじりじりと天を指し、二人の身体がわずかな間静止する。
さすがに片手で受けるリューベルト側に剣先が傾いたその刹那、彼は左腕を水平に振った。
右手側から突然襲ってきた盾に顎を殴りつけらたルイガンは、雨が落ちる地面に叩きつけられた。手からは剣がすり抜け、ガランと音を立てて転がっていった。
隙のある相手なら盾も武器になる……シンザが使う手だ。
頭部への衝撃で意識が飛んでしまったのか、ルイガンは倒れたまま動かない。
このうちに手放した武器を回収し、拘束すれば、終わる。リューベルトは彼に近付こうとした。
そこへ乱入者が現れた。
考えるより先に、身体が回避行動を取っていた。一瞬前までリューベルトが立っていた空間は、鋭い剣先に切り裂かれていた。
「旦那様を捕らえるなら、まずは私を倒せ!」
ルイガン家騎士団長、ビルダだった。




