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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第八章 炎国
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十二、最後の反旗 夜半

 来訪者に対して南門の門番隊が不審に思った点は、他にもあった。「皇帝」の護衛隊が多すぎるという。そしてどうも帝国騎士団ではないというのだ。全員外套を羽織っているのでわかりにくいが、足元を見る限り、制服が異なっているようだという。

 貴族家騎士団が皇帝を護衛することが、まったくないとは言い切れない。しかしシンザの手紙には、そんな特殊な事情は書かれていなかった。

 もうひとつが「リミカ」が姿を見せた、という出来事そのものである。先触れを出していないという落ち度があったとはいえ、最高位の貴人である皇家の人間が、ただの門番に直接顔を見せたというのは、あまりに不用意で不自然である。それも、馬車から降りてきたというのだから、あり得ない行動といって良い。


 ますます訝しんだセスは、来訪者とヴィオナが直接顔を合わせることには、断じて反対だと言って譲らなかった。彼はこの相手に対して、セームダルの間者である可能性すら考えていたのだ。

 ヴィオナは城壁の上の回廊を通り、門塔の上からこっそりと確認することになった。

 下では門番がさり気なく松明を増やし、付近を明るく照らし出している。

 

「どうです?」

 

 セスや一緒に来た従者も下を覗いた。ずらりと並んだ騎士団の先頭に馬車があり、その近くにドレス姿の少女が立っている。リューベルトより落ち着いた色合いの金髪の持ち主だ。

 まだ成人もしていない女帝が、こんな夜更けにいつまでも馬車の外に出て待つはずがないではないか。セスは早くも騎士団のほうを睨んでいた。

 しかしヴィオナは、信じ難いものを見る思いで、不安そうに佇む少女を見つめていた。

 

「……ご本人だわ」

「はい……?」

「あの方はリミカ陛下ご本人よ……! どういうことなの? どうしてシンザたちがいないのよ」

 

 確かに門番が言った通り、騎士たちの外套の下から伸びた脚は、帝国騎士団の制服とは色が違っている。

 一体どこの家の騎士団なのか、と様々な可能性を考え始めたその時、フードまで被ったひとりの男がリミカに近寄った。反射的にわずかに下がったリミカは、周囲の大人たちが少しでも動くたびに、さっと目で追いかけているように見える。

 そんな彼女の様子が、六年前に帝都を追放され、森の中単独で逃亡する直前の、殺されるかもしれないと思い詰めていたリューベルトを思い出させた。

 

「怯えて……いらっしゃるの……?」

 

 リミカは、身の危険を感じているのか。

 そんな彼女の隣にいるフードの男が、ヴィオナたちの隠れる塔を見上げてきた。まるで目が合っているような感覚になる。ランタンは足元に置いているし、狭間窓から覗いているというのに、こちらに気づいたのだろうか。

 

「いつまで陛下をお待たせするのです? グレッド侯爵ともあろうお方が」

 

 ふいに男が大きな声を響かせた。どうせ上から見ているのだろうと、読まれていたように。門番が松明で特にリミカの近くを明るくしたことから、意図に勘付かれたのかもしれない。

 挑戦的に門塔を仰いでいた男はフードを取り、隠していたその顔を晒した。

 ヴィオナは驚愕のあまり、目を大きく見開いた。

 

「ルイガン!?」

「えっ!?」

 

 セスはルイガンの顔を知らない。でもイゼルに現れるはずのないことは知っている。だからといって、彼はヴィオナの目を疑いはしない。

 

「なんでルイガンが来てるんですか!? しかも、皇帝陛下と一緒に!」

「わからない……でも……あれは……」

「……脅されてますよね。人質じゃないですか」

 

 セスの声に怒気がこもる。

 リミカは、あえて馬車から外に出されていたのだ。ガレフかヴィオナ、あるいはナリーに見せつけてやるために。皇帝を人質にされていては、グレッド家に敵意を持つ相手だとわかっていても、門を開けないわけにはいかない。


「どう……するんですか。ヴィオナ様」


 国の命令に背いて帰領せず、皇帝を拘束して利用しているルイガンは、制圧対象とみなして良いだろう。しかし眼前の現実としては、リミカを手元に置かれている限り、手を出せない。

 ここまでしてルイガンがイゼルに来た動機は、父の代から嫌悪しているグレッド家への敵意……それ以外に源が考えられようか。

 現在グレッド家騎士団のほとんどは、ガレフとともにレグスの丘へ出陣している。援軍なき今の状況、ロザック軍を単独で迎え討たなければならないからだ。国内からの侵略者とまで渡り合う想定はしていない。

 今からレグスの丘へ報せを出しても間に合うものではないし、厳しい戦いになるであろうガレフたちに、人員を割いてもらうこともできない。

 イゼルを守るのが、残った者の務め。

 ヴィオナは、すっと背筋の伸びた誇り高き騎士の顔で、セスたちを振り返った。

 

「形勢不利は承知。我らがグレッド……ルイガンの前で膝を屈することなどないわ」

「当たり前です。散々裏でこそこそとやってきたルイガンの奴が、ついに正体を現したんです。俺たちが引導を渡してやりましょう」

 

 グレッドの従者たちに、異存はない。

 ただし拭えぬ気がかりはあった。ヴィオナにも彼らにも、ルイガンの行動は自暴自棄にしか思えなかったから。

 皇帝に危害を加えたなら、もう彼は終わりだ。そしてなぜ、正面からイゼルに乗り込んできたのか。ロザックのことさえなければ、ここにはいつもガレフと騎士団はいて当たり前だったのだ。リミカを手中に収めていても、そもそも規模が違う上に相手の本拠地で、ルイガン家が勝てると思っているのだろうか。

 

「城門は、開けざるを得ないでしょう。私が迎えに出てなんとか時間を稼ぐから、早急に街の人たちを城へ避難させて。絶対に城内にまでは入らせないから。さあ、行って!」


 いつまでもルイガンを待たせてはおけないだろう。急がなくてはならない。街に入られてしまっても、領民の命は守ってみせる。すでに眠りの中であろう街中の人間を避難させるとなると、城に残っている騎士や使用人総出でも、どれだけ時間がかかるだろうか。

 従者たちは回廊を戻り、城や街へと走っていった。ガレフからヴィオナのお目付け役を任じられているセスだけが、この場に残った。彼は無言で城壁に寄りかかりながら、目の前の空間を睨んでいた。


「何か不満があるような顔ね、セス」

「確かに……そこに陛下がいるんじゃ、ヴィオナ様が出迎えるしかないですけど……たぶん、一番狙われているんですよ?」


 レグスが開戦間近の状況であるため、イゼル城内でもヴィオナは騎士服に帯剣という出で立ちである。先触れがなかったことで、このまま皇帝を出迎えても許されるはずだが、鎧まで身につけるわけにはいかない。


「いきなり斬りかかってくるなら、そのほうがいいじゃない。乱闘に乗じて、陛下を救ってみせるわ」

「はぁー……。それが侯爵家のお嬢様の言葉ですか」

「あなたの力も必要よ、もちろん」

「付いて行きますよ、魔力の続く限り。……でも、今日だけは特別に公開します」

 

 セスがヴィオナに向けて手のひらをかざした。魔導士は魔力を手から発して、それぞれの魔法を発現させるという。

 

「——えっ、なに?」

「守護魔法です。生物にかけるものだから、効果は薄いですよ。大怪我が怪我で済むって程度なんで、本当は当てにされたくないんですけど……どうせ命懸けの無茶をするんなら、計算のうちに入れてもらったほうがましでしょう」

「……ありがとう。頼らないよう心がけるわ」


 実はこの時セスは、ヴィオナの衣服にも中等の守護魔法かけていたのだが、魔力を感じ取ることのできない彼女は知る由もない。

 ヴィオナはふと考え込んだ。ザディーノとの大戦を思い返していた。


「ねえ、セス……もしかして、今までもその魔法をかけてくれていたことがある? 少しも怪我をしていなかったのを不思議に思った出来事が、何度かあったと思うの」

「……あー、役立ててましたか」


 セスは軽口を叩く時のように、にっと笑いながら肩を小さく上げてみせた。

 ヴィオナの胸の奥が、ふっと温かくなったような気がした。

 過去にないほど張り詰める、この暗い夜の中で。






 丘を下った遥か遠くで、無数の松明がうごめく。夜が更けても、ロザック軍の拠点固めは続いている。


「なりふり構わずという様子です。予想より早く仕掛けてくるかもしれません」


 ジュルクが覗いていた単眼鏡を下ろした。

 仮眠から戻ってきたガレフは、ジュルクから手渡された単眼鏡で、敵陣営を見下ろしてみた。


「先手で強行してくるか……。何をそんなに焦っておられるんだろうな、ロザック公は」


 レグスの丘の上に拠点を置くグレッド家騎士団は、地形的には優位にある。敵軍の全貌を見ることができ、可動式の大砲や投石機、弓矢の飛距離も稼げるからだ。

 ただし今回は、ロザックの動きが早すぎて、充分な配備が終わっていない。それが狙いだろう。なるべく早く全面衝突に持ち込むことで、そういった地の利の差を縮めようとしているのだ。いよいよロザック軍は、夜明けにでも動き出すかもしれない。


「やはりエドリッツ卿は間に合わないな……。ノルドレンの加勢はほしかったところだが、仕方ない」


 あまりに急すぎた。リエフ家が領外の戦の準備に手間取るのは無理もない。先に動き始めたグレッド家すら万全には程遠いのだ。

 ガレフは単眼鏡をジュルクに返すと、はあ、と息を吐いて天を仰いだ。昨夜は満天の星空だったが、今日はほとんどが消えていて、月も朧に見える。


「なあ。お前にだけ、愚痴を言ってもいいか」

「何ですか。戦の前に愚痴とは」

「やっぱりなあ……戦いたくない相手なんだよ。ロザック公にはリュートと話し合いのテーブルに着いていただいて、歴史を変えてほしかった。何でこうなったんだろうな。あの王と手を組んだとは、どうしても思えないんだが」

「それは、わかりませんがね……。本当に、私だけにしてくださいよ。そんな士気の下がる言葉をお吐きになるのは」


 ジュルクは丘の下に目を戻しながら、弱音を吐露する困った主人をたしなめた。


「わかってるさ。俺は帝国の盾。フェデルマの大地に手を出す者は、好き嫌い関係なく帰らせるよ」


 声音は物静かだが、そこには揺るがぬ決意がある。

 ガレフは確実にそれを実行できる主人であると、ダイルに仕えていた昔から、ジュルクはよく知っている。総力を上げて挑んできたザディーノを、一歩たりとも国境戦線から下がらずに跳ね返し、勝利したのはこのガレフが率いてこそだった。

 セームダルの王と王弟が束になってこようとも、引くことはない。このグレッドの騎士団は、最後まで戦い抜いてみせよう。






 視界がほとんど利かない。ノルドレンはそんな暗闇に潜みながら、何かが動く気配を察知しては敵を斬り捨ててきた。敵ではなく草木であったこともある。敵が蝋燭に火を灯してわざと動かし、懐に誘い込まれそうになったこともあった。

 時間の感覚ももうなかった。どれくらいの時が経過したのだろう。辺りはすっかり静かになっていた。仲間の声も、知らない声もしない。


 ——誰か……生きている者はいるだろうか。


 息を殺して長い間周囲の様子を窺っていたノルドレンは、そっと街道のそばまで移動した。ここにはまだ、霞んだ月の明かりがぼんやりと届いている。

 木陰に隠れたまま、ノルドレンは自分の左腕を確認してみた。痛みと感触でわかってはいたが、袖は真っ赤に染まり、腕に張り付いていた。挟み撃ちにされた際に、一刀浴びてしまったのだ。その後も傷口を縛りもせず戦闘を続けていたため、剣は握れているものの、出血がまったく止まっていない。

 でも腕の感覚はある。まだ戦える。


 敵の正体を知りたかった。ノルドレンは隠れながら周囲を探り、草の中に倒れている人間を見つけた。よく見えないが、リエフ家騎士団の者ではない。もしかしたらノルドレン自身が最初に倒した相手かもしれない。表面体温は生者のそれではなかった。

 彼はその人間の足首を掴むと、微光が差すところまでその身体を引きずっていった。顔を見ても誰かわからないだろうが、どうやらこの敵たちは立派な騎士服を着ている。

 

「……これは」

 

 やはり賊ではない。傭兵のような流れの騎士の集まりでもない。

 これは貴族家騎士団の制服。帝都城内で、ある貴人のそばに控えていた護衛が、これと同じものを着ているのを見た覚えがある。


 ——ルイガン家だ。やはりそうだったか……


 戦いながら予感はしていた。ある一人に言われたのだ。「リエフ、貴様だけでも殺す」と。

 ほとんどの内乱がリューベルトのおかげで、ぎりぎりでも休戦に持ち込めている。それらの戦火とも縁遠かったはずのリエフを、闇討ちという手段を用い、相討ちになってでも殺そうと襲う帝国の人間は、他に思いつけなかった。

 ついにルイガンは、表立ってリューベルトに反旗を翻したのだろうか。

 

 ——しかし、どうなっている……? なぜ彼らはここで、私たちを待ち伏せできたんだ?

 

 リエフが恨まれるのは理解できるが、まるでノルドレンがイゼルへ騎士団を送ることを、先に知っていたかのようではないか。セームダルを監視していた国境領家さえも、予見できなかった今の緊急事態を。

 まだ帝都のニ公にさえ、このロザックの件が伝わっていないかもしれないというのに、それをこれほど早く知ることができたというのは——


 ——……待て……


 ノルドレンの思考が、考えたくもない更なる惨い筋書きに辿り着く。 

 現況の情報を得た(・・)のでは、ないのではないか。

 ルイガンの手で作り上げられた現況なのか。


「……まさか……」


 ロザックを、動かしたのか。

 ノルドレンの想像通り、フェデルマがセームダルに侵攻するという間違った情報が、彼の耳に入ったのだとして、それは悲運の出来事ではなく。

 どちらにも侵略の意思などないというのに、ガレフとロザックに自国を守るための戦いだと錯覚させ、互いに潰し合わせようという——最初からすべてが、ルイガンの謀……

 

「なんて……ことをっ……!」

 

 長年宰相を務めてきたルイガン家の工作員なら、ロザックの情報網にまことしやかな嘘を吹き込むことは、不可能ではないのではないか。グレッド家を筆頭にして、速やかに侵略が開始されると聞かされたなら、ロザックが真偽を確かめる暇もなく、レグスの丘の守りを固めに動いてもおかしくない。

 そしてそこへ行ってみれば、実際に丘の上にはグレッドの騎士団が陣を構え始めたのだ。嘘は真実にしか見えなくなってしまっただろう。

 あまりの憎悪と怒りに、ノルドレンは身体の奥底から震えがくるのを感じていた。


 その時、ピィィッ、と指笛が鳴った。

 

 

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