十一、最後の反旗 暮夜
出くわしたのは異常な状況。思いもかけない事態が起きていた。
この騎士は間違いなく人間の手で殺害されている。一体何者に、背から致命傷を負わされることになったのか。
昼間出発した第一陣は、この騎士を含めて三十二人。あとの三十一人が、仲間を道に捨て置いて先へ行くはずがない。彼らはどこにいるのか。こんな事が起きて、なぜ誰もエリガに報告に戻らなかったのか。
「旦那様……まさか、セームダルがここまで……?」
「それはあり得ない」
ノルドレンは即座に強く否定した。
ここはイゼルの北側でグレッド領の北端、紛れもない帝国国内である。セームダルがここまで来るためには、レグスの丘を攻略しなくてはならない。そこにはガレフが陣営を構えているのだ。破られているはずなどない。
「しかし、第一陣の彼らが、賊どもに敗れるはずはありません」
「潜伏して、待ち伏せでもされない限り——」
一人の発言に、全員がはっとした。
「灯りを消せ!」
ノルドレンの命令に、全員が手に持っていたランタンの火を吹き消し、ザッと身を屈めた。
しかしわずかに行動が遅れた一人が、うっと呻いて膝から崩れ落ちた。
「——!!」
彼の名を呼びそうになったが、四人とも声を飲み込んだ。声を聞かれることで、これ以上こちらの情報を相手に与えてはならない。
倒れた騎士の背には、矢が突き立っていた。深く、位置が悪い。おそらくもう絶命しているか……この先も助けられない。
奇襲だ。待ち伏せされていた。
野盗などではない。もっと高度な戦闘技術を持ち、統率の取れた敵だ。
襲われる心当たりはない。なぜここで待っているのだ。今日ここを通ると知っていたのか。こちらがリエフ家騎士団と認識して狙っているのか。
——第一陣は……全滅したのか……
ノルドレンはぐっと奥歯を噛み締めた。
この遺体。残酷にもそれを道に晒して、後続の足を止める罠としていたこと。エリガに誰も知らせに帰ってこなかったこと。それらを鑑みると、第一陣の生存は絶望的である。
しかし、嘆く時間は許されない。ノルドレンは体勢を整えた。
「我々はおそらく囲まれている。ここに留まっていても死しかない。ならば」
小声で囁いたノルドレンは、従者たちの顔をぐるりと見た。彼らは力強く頷いた。
次の瞬間、四人は散り散りに駆け出した。
この相手が誰なのか、見当がついていない。こんなに卑劣な手段を用いて命を狙われる理由も、どこに潜み、何人いるのかも知ることができない。
対してこちらは、相手の思惑通りの行動を取ってしまった。立ち止まって馬を降りてしまい、持っていた灯りによって正確な位置と、五人連れであったことまで知られてしまっている。ごく軽装で、弓も携帯していない。
圧倒的不利である。
第一陣も待ち伏せという分の悪さによって、全滅まで追い込まれたのだろう。しかしリエフ家騎士団が一方的に敗れたとは思わない。きっと幾手も反撃をし、敵に代償を払わせたはずだ。犠牲や負傷、最低でも大きな疲労を与えているはずだ。
帝国の民同士である可能性が高いが、抜き身の武器を突きつけて相対してくる者とは、惑うことなく戦う。迷って立ち止まれば命を落とすのだ。
平等な戦地など、もともとありはしない。
勝機が皆無とは考えない。
ノルドレンは二本の剣を鞘から抜き放った。
まさかこんな刻限に現れるとは思っていなかったが、夜通し罠を仕掛けて、見張ることにしていて正解だった。
昼間討ち取った騎士隊と同じ制服の男たちが、ゴーゲンらの仕掛けた罠にかかった。全員を引きつけるつもりでしばし待ったが、どうやら奴らは本当にたった五人で移動していたらしい。所用か何かで領都間を移動するだけなら、魔獣にしか警戒しなくても無理もないことだ。
昼の戦いでゴーゲンたちも犠牲者を出し、消耗もしている。また来るであろう騎士隊を襲うために、今回は五人だけなら見逃そうかとも思っていた。
しかしあのうちの誰かが言った。「旦那様」と。
奴らの主人とは、リエフ家当主に他なるまい。ジレイスたちが自害する原因となった、ティノーラ・リエフの実兄。それが、ここにいるということだ。リエフ伯爵がいるのなら、見逃すわけにはいかない。ジレイスたちの無念を思い知らせるべき相手である。
潜んでいた皆がそう思ったはずだ。その証拠に、左手側の草むらにいるはずの副長が弓を射って、一人始末した。
あと四人。
対象が灯りを消し、身を屈めてしまったので、さらに弓で攻撃するには適さなくなった。誰の指示がなくとも、全員が剣を使った戦いに移行するだろう。
ゴーゲンも音を立てないよう剣を抜き、木の陰から身を出した直後のことだった。
「がぁっ!」
副長のものらしき声がした。攻撃を受けたのだと、即座に理解した。
闇の中に一瞬、ギラリと光る銀色の金属が見えた。誰の手が握る剣だろう。副長が弓から持ち替える暇があっただろうか。おそらくなかった。これは副長を斬った敵の剣だ。
ドサ、と大きな塊が無造作に倒れた音。
ザザザッと何かが草の中を走る。あの剣の持ち主が、次の相手へ向かっているのだ。
弓矢で仲間を射たれてから、なんという行動の速さか。突如受けた襲撃への戸惑いから、切り替えるのが信じられないほど早い。
日中討伐した騎士隊に対しても感じた。暗がりからの一斉射撃で半数以上を討ち取ってやったのに、こちらが次の行動に入る前に、猛然と反撃が始まった。そのせいでゴーゲンたちの隊も三分の一を失ってしまったのだ。
リエフ家騎士団については、あまり情報を得ていなかった。バーリン家やグレッド家とともに、幾度も国境戦で戦っているはずだが、いずれも中心部隊にはなっていないためか、目立った活躍の逸話が国内で流れたことはない。
独自の乳製品開発で、貧困からやっと脱した程度の弱小貴族家だと侮っていた。騎士団を鍛える余裕はなかろうと、完全に実力を見誤った。認めざるを得ない。
ゴーゲンの近くで鋭い金属音が発生した。副長を倒した男が、次の相手に斬りかかったのだろう。
その背を貫いてやろうと、ゴーゲンは素早く踏み込んだ。
ところがその男は、くるりと振り返った。たった今剣がぶつかる音がしたはずなのに、男はその二人目との戦いをもう終えていたのだ。
木の葉の隙間からこぼれる月明かりで、男の顔が瞬間的に見えた。
「リエフ——!」
それは、旦那様と呼ばれて返事をした男、まだ若いリエフ家当主の顔だった。
ノルドレン・リエフに関しても、ほとんど情報を持っていなかった。貴族の男として帝国騎士の称号は獲得しているが、その実力の程はまるで世間に知られていない。
知恵によって領地を立て直していたことから、漠然と文官系の優男という人物像を思い描いていた。
ところが目の前にいるリエフは、そんな甘い男ではない。
明確に不利なこの状況で、自分から敵の潜む暗闇の中に飛び込める人間だ。あえて仲間を方々に散らせて距離を取ることで、動くものを片っ端から斬るという、単純だが凄まじい戦法を、即座に実行に移せる人間だ。
そしてそれに追従する騎士たち。
これが、好戦的な隣国を、日常的に相手取ってきた騎士団なのだ。
……覚悟の持ちようが、違う。
振り下ろされてきたリエフの剣を、ゴーゲンは盾で受け止めた。彼とてベネレスト帝の時代を生きてきた騎士である。対人戦も経験している。格別大柄でもないリエフに、力負けしない自信はあった。
「貴様だけでも——殺す!」
胴体に、重い衝撃が響いた。
何が起きたのか理解できないゴーゲンの目に、自分の胸部から躊躇なく引き抜かれていく剣身が、次に両手に剣を握ったリエフが、もうゴーゲンには構わず、他の敵に備えて身体を翻すところが映った。
——双剣……?
やがて何も見えなくなった彼は、草の中に倒れた。
開けていた窓から入ってくる風が、湿り気を帯びている。
イゼルの守りを任されているヴィオナは、少し寒さを感じ、窓を閉めようと歩み寄った。
もしかしたら、雨が降るかもしれない。兄と騎士団が雨粒に冷やされることを思い、ヴィオナは城の自室の窓の前で、無意識のため息をもらしていた。
まだロザックとの戦は始まっていない。
ノルドレンやエドリッツ侯爵からの援軍も、まだ来ていない。
帝国騎士団にも派兵要請の使者は出したが、帝都との距離とロザックの行動の速さを考え合わせると、当てにならない。
やはり自分も行くべきではなかったかと、ヴィオナは何度も考えていた。ザディーノとの大戦では、父が城に構えていたので、兄弟揃って出陣した。現在は父は亡く、シンザは「末弟」と行動をともにしている。
レグスの丘はイゼルに近い。セームダルとの戦においては、万が一後退を余儀なくされた時のためにも、拠点都市を留守にすることはできない。兄がヴィオナを残していった理由は重々わかっている。
——残されるほうの気持ちって……堪えるわね。
ヴィオナにとっては子どもの頃、父を見送っていたあの頃以来に味わう心境だ。
母のナリーはいつもと変わらない落ち着いた様子で、前侯爵夫人として仕事をこなして過ごしている。本当に強い人だと、改めて感じる。
もしかしたら明日には、ガレフたちが決戦を繰り広げることになるかもしれない。そのための人員や物資面はここから手助けしているが、どうにももどかしい。
イゼルの街からは、もう灯りがほとんど消えていた。街のみんなは静かに寝静まっている頃だった。
「あら……? 誰か、こちらへ向かってる……?」
街の中心通りを、駆ける馬の速度で移動している小さな灯火を見つけた。南側から、北部にあるこの城へと向かっているようだ。
「何か……あったのかしら」
なぜだろうか、胸がざわつく。自分が呼び出されると決まっているわけでもないのに、ヴィオナは部屋を出た。
ロビーまで下りると、セスもそこにいた。まだ息を切らしながら頭を下げたのは、イゼルで一番大きな南門を守っている門番隊の騎士である。彼は執事に城主との面会を申し入れている最中だったようだ。
落ち着こうとしているが、彼の顔からは困惑のようなものが読み取れる。こんな夜に、当主代理であるヴィオナに面会を請おうとしていたのだから、よほどの事があったのではないか。
「どうしたの? 門で何かあったの?」
「旦那様への来訪者……です。そんな先触れが来ているとの話は、いただいておりませんでしたが——」
「先触れなんてどこからも来ていないわ。どなたがいらしたというの?」
「……陛下です」
「え? 陛下?」
ヴィオナは「リューベルト殿下」の間違いかと思った。
しかし彼は、はっきりと言った。
「リミカ皇帝陛下です。我々は陛下のお顔を存じ上げませんが、昔帝都に配置されたことのある隊長が言うには、レスカ皇后陛下にとても似ておいでだと。私の目にも、リュート様と似たところがおありだと感じました」
「リミカ陛下って……、リュートは? リュートとシンザは一緒ではないの?」
「はい……お姿はありませんでした」
「どうして……リミカ陛下がお一人で、イゼルに?」
リミカとリューベルトが、カルツァ領都を訪問することは知っている。シンザが帝都から寄越した手紙で、そう近況を知らせてきたからだ。それによれば、シンザやティノーラも同行しているはずだった。
その一行が今どの辺りにいるのかまでは把握できていなかったが、なぜリミカが一人でカルツァではなくここへ来たのか、理由が思い当たらない。
「偽物じゃないですか? 特徴が似た女の子にいいドレスを着せれば、それらしく見えるじゃないですか」
セスは信じていない。
そもそも、先に早馬も出さないこと、こんな時間に出歩いていること、どちらも皇家や貴族がすることではない。
門番自身もそう思っているくらいだった。しかし確実に偽物であると断定ができないため、ヴィオナに対応を判断してもらうしかないのだ。
「そうね……かなり疑わしいけれど、念のため私が確認に行きましょう。偽物なら追い払えばいいだけだけれど、もし陛下の御一行に何かあって、ここへ助けを求めていらしたのなら、すぐに保護して差し上げないと」
リミカは三年ほど前から、少しずつ公務にあたっていた。城内に限っていたが、式典などに皇帝として出席もしていたので、拝謁したことのあるヴィオナならば、本当にリミカかどうか見定められる。
「だから……本人のはずがないと思いますけどね」
さっさと追い返せばいいのに、とでも言わんばかりに、セスは呆れ顔で肩をすくめていた。
しかしまるで信じていない彼だからこそ、ヴィオナと一緒に門まで行くことを即断した。
何者かはわからないが、ずいぶんと大それた嘘をつく輩である。そこまでして無理やりイゼルに入り込もうとしている人間が、好意的な相手のはずがないと、セスは確信を持っていた。




