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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第八章 炎国
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六、蒔かれた種

 火災後特有の臭いは夜になっても、帝都を取り巻いているような気がした。

 水で消火した現場には、一晩中警備が付くことになっている。残火の恐れがあるからだ。


 家の門から入ってくる人影を認めたエレリアは、自室のテラスから下りて窓を閉めた。風を受けなくなって肩や背中に落ちついた髪は、まだ湯浴みの名残で湿っていた。

 ようやくキュベリー家に帰ってきたアダンは、平民の街区から届いた被害報告を聞かせてくれた。

 火災拡大の危機に直面したものの、帝都中の火と水の魔導士の活躍によって、悲劇的な事態は免れていた。重傷を負った被害者は皆無だったのだ。

 不審な炎を発生させて焼失してしまったのは、空き家や廃業した店舗、普段は使われていない国の所有物件など、出火時無人だったところがほとんどだったのだという。

 エレリアもウィルドもイーリオも、想像していたよりは少ない人的被害状況に、胸を撫で下ろしていた。


「ところでエレリア。ずいぶん派手な演説をぶったそうじゃないか」

「もうお父様の耳に……いえ、入って当然よね。あの場にはウィルドもいたのだし」

「えっ、演説って? 私は聞いてない」


 イーリオが好奇心あふれる眼差しで隣をのぞき込んだが、兄には明後日の方向に目を逸らされてしまった。次に直接姉に目で問いかけると、なんだか少し気まずそうにしていた。


「ウィルドに聞くまでもなかったよ。お前が叱りつけた伯爵方から、直接聞いた」

「……明日、順番にお詫びに伺うわ」


 間違ったことをしたという意識は、エレリアは今も持っていない。でも貴族社会においては、非礼な態度だったとは思う。

 アダンは笑いながら上着を脱ぎ、腰を下ろした。

 

「怒っていた人は一人もいない。むしろ感謝されたのだよ。帝都全体の被害を一番軽減したのは、エレリアの英断だとな」

「皆様お一人おひとりの、行動の結果よ」

「ああ。お前たちも含めた一人ひとりだ。良くやってくれた。陛下も殿下もご不在の帝都を、おそらく最小限の被害で留めて守ってくれた」

「……父上。お城のほうは何もなかったの?」

「ああ。特に不審な出来事は確認されなかった」

 

 アダンなど国の首脳やそれに近い人物が、あの異常事態に誰も街区へ下りてこなかったのは、城の守りを固めていたためだった。複数人の何者かが、放火によって都に混乱を引き起こしているのなら、第一に警戒すべきは城への襲撃であったのだ。

 皇家の居城が落ちるということは、フェデルマの核が砕けるということだ。

 迎撃態勢を敷きながら、徹底的に侵入者を警戒し、反逆の徒を捜索した。

 しかし、帝国に仇なすような輩は、結局一人も見つからなかった。

 

「じゃあ、あの火災は何だったんだろう……」


 ウィルドは不安げに考え込んだ。エレリアがいた倉庫区画に城前広場への近道の階段があることは知っており、帝都城への侵入を企んでの犯行だったのではと考えていたのだ。なのに不審者さえ見つからなかったとは。

 今日のことは事故ではなく、確実に何人もの人間による仕業だった。あれがただの悪戯だとは思えない。燃えたのが人のいない建物ということからも、誰かへの怨恨による事件ではないはずだ。

 きっと思惑通りの大混乱を起こした。火災のなかった上級貴族の街区も、商業用街区も例外ではなかった。状況把握や応援に向かうため、または避難する女性や子どもを受け入れるため、門を開放したままで多くの人の行き来が発生した。乱れ入り混じったその街の陰で、一体何をしていたのだろう。

 

「明日以降も調査を続ける。すべての街区において、事件の前とあとで変わったことを調べさせよう」

「うん……何か見つかってくれないと、とても落ち着けない気分だ」

 

 アダンもエレリアたちも、実はルイガンのことが脳裏をよぎっていた。

 ルイガン家の屋敷は、当主ロニーが帝都を去ったことで、監視は解かれ、日に数回外の巡回だけとされていたのだ。

 しかし、疑う根拠がまだ何もないのに、侯爵の屋敷に乗り込んで調査を行うことはできない。それを実行するならば、他の貴族家も平等に調査することを前提としなければなるまい。それはかなり難しい話だ。

 エレリアは無意識のうちに、胸の前で握った手に力がこもっていた。なぜか、怖かった。暗い霧がまとわりつくような恐ろしさから、逃れられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 帝都に背を向けて走る騎馬集団があった。剣を帯びた彼らは、一直線に目標へと駆けていた。

 途中必要以上の休憩は取らず、町に寄れば疲れた馬を手放して、新たな馬を買って乗り換えてしまい、夜の闇に視界がなくなるまで走っては、短い野営を挟み、日の出とともに旅立つ。

 一心不乱に先を急いでいた彼らは、その日ついに前方の街道上に、とある集団を見つけた。

 上等な馬車。それを守る騎士隊と、それ以外の者。

 

「取り囲め。他の者は待機」

 

 指示者が短く命じると、一団の一部は街道から外れ、散り散りに走っていった。

 

 

 

 

 

 林の中、突然に馬のいななきがこだました。

 

「襲撃だ!」

 

 緊張した男の声が続く。

 その声を耳にした馬車の中の主は、カーテンをわずかに開けて外の様子を窺った。木立の間に、抜き身の剣を握った数人の人間が見える。

 

「……」

 

 彼はカーテンを閉めると、ゆったりと椅子に座り直した。

 やがて襲いかかってきた賊と、応戦するために剣を引き抜いた、馬車の近くにいる者たちの雄叫び。

 猛々しかったそれらはすぐに、驚愕の叫びに変わった。

 

「おい、なぜ……何をしている!?」

「お前たちッ!」


 剣と剣がぶつかり合う音。


「なぜ何もしないっ……!」

「貴様ら——まさか!」


 驚愕が、絶望に変わる。

 騎馬による戦闘で立つ、数え切れない蹄鉄の足音が、前後左右でとても騒がしい。

 静かに座っていた馬車の主は、祈りでも捧げるかのように目を閉じた。

 短い悲鳴。叫声。どすんと、大きく重たいものが無造作に土の上に落ちる音。

 そんなものが幾度か続き、馬の足音が少なくなり、やがて止んだ。

 砂埃が落ち着いた頃、馬車の扉が外から叩かれた。少しの荒々しさもない、上品なノックだった。

 

「開いている」

 

 主は落ち着いた声で応じた。扉がそっと外側へ開かれても、椅子から腰を浮かせることもなかった。

 

「大変お待たせをいたしました。旦那様」

 

 主はまぶたを上げた。馬車のすぐ前で、膝をつき、深く頭を垂れている男がいる。彼の剣は鞘に納められ、右手の地面に置かれていた。

 

「よく来てくれた。……ビルダ」

 

 はっ、と応えたビルダが恐縮する。

 

「私が使える馬はあるか?」

「もちろん用意してございます。しかし途中まででしたら、この馬車をご使用なさっても良いのではありませんか」

「騎馬のほうが速いだろう。それに、この悪趣味な馬車は目立って困る」

 

 ロニー・ルイガンは外へと降り立った。この馬車は派手な装飾を好んだ今は亡き父のものだ。ロニーはあまり帝都から出なかったので、当主になってからも馬車を新調しなかったのだ。

 外の景色は良いものではなかった。人間が数人、大量の血を流して地に伏しているのだから。

 

「私の監視役などを請け負ったばかりに、哀れなことだな」

 

 言葉ほど哀れんでいる様子はない。

 城から派遣された役人たちの二度と動かぬ身体を、無感情に見下ろしていたロニーは、歩きながら外套を羽織った。

 帝都から追ってきてここで合流した騎士隊は、たった今その手に掛けた役人たちの亡骸を運び始めた。誰かに発見されては厄介である。

 ここまでロニーの馬車を護衛し、仲間の合流を待っていた少人数の騎士隊は、主が放棄するとした馬車を、林の奥へ片付け始めた。これも誰かに発見されては面倒なことになってしまう。

 

「帝都では、誰にも気取られなかったか」

「はい。ご命令通り火災を起こし、都全体を混乱させました。門が常時開放したところで、帝都を脱出いたしました」

 

 上級貴族の街区で雇われている者が、下の街区へ行くのに障害はない。しかし門番に所属や氏名を名乗って、開けてもらう必要はある。ルイガン家の騎士団員が大勢で帝都を出ようとすれば、確実に疑惑を持たれて城へ報告され、停止命令が下されるだろう。

 団長ビルダたちは、通常の買い出しを装って下の街区へ行かせた数人の仲間に、なるべく多くの火災を起こさせた。街区間の門を開放させ、彼らが帝都を出たことに気づかせないようにする、ただそのために。

 ——こうして主のもとへ、集うために。

 

 そこへビルダに待機を命じられていた残りが合流した。ロニーはここへ集まる団員の正確な人数を把握していなかったのだが、なかなかの人数を数えている。

 彼らは、最年少で宰相に上り詰め、国のために身を粉にして尽くしたロニーを信じ、忠誠を誓う騎士たちである。領地に配置している騎士団のほうが規模はずっと大きいが、ロニーが自領の館へほぼ帰らないため、信頼関係は希薄だ。人数が少なくても、この者らを連れていくほうが良い。

 

「私に付いてきてくれたこと、ありがたく思う。残念ながら先日……私たちは一度失敗した。少ない好機を手にすることができなかった。だが、私たちが今共有しているこの覚悟はきっと、今度こそ帝国を作り変えるであろう。私たちは始まりの痛みを分かち合う同志である。いざ、参ろう!」

 

 ロニーの呼びかけに、騎士団が鬨の声を上げる。

 充分だと、ロニーは満足していた。

 それに人数の問題ならどうにかなる。相手方は激減しているはずだ。そうなるよう、すでに種は蒔いてある。風に乗せ、奴らの頭上を越えて、遠くまで飛ばしてある。芽吹く頃合いは近い。刈り取られてしまえばいい。


 時間を無駄にしてはいられない。ロニーたちは人目につかぬよう、部隊をいくつかに分け、街道から逸れた道なき道を進み始めた。

 向かうのは、ここより南方。

 ジェブロ伯爵領である。

 

 

 

 


 ガレフとヴィオナは、諜報員から上がってきた報告に、大きく眉をひそめていた。

 

「それは……確かなの? 本当に?」

 

 疑っていたわけではない。しかしどうしても信じられないヴィオナは、もう一度聞き返した。

 

「はい。私にも、にわかには信じ難いことですが」

「……そんな、どうしてなの?」

「なぜ今、ロザック公が攻めてくる……」

 

 隣国セームダル王の実弟、ロザック・カウリオン。国を二分している争いの主役の一人。

 セームダル国内では、まだ大戦こそ起きていないが、王軍も、ロザック率いる反体制派も、各地に軍勢を揃えたところである。以前行商人に扮して国内に潜入してきた諜報員によれば、日々緊張が高まっているとのことだった。

 王位継承直後から無能と陰で揶揄されてきた王には、おもに特権階級が味方に付き、国を立て直したことで兄から嫉妬され、役職を奪われた弟のほうには、一般の民や騎士たちの支持が多い。

 分かれ目の決戦に突入したとしても、このまま睨み合いを続けても、分があるのはロザックのほうだと予測していた。民想いで穏健な性格といわれる彼の即位を、ガレフは待ち望んでいたくらいだったのだが。

 そのロザックがグレッド領に攻め入るために、レグスの丘に迫っているというのである。それも相当に急いだ様子で。

 

「ロザック公が今フェデルマに侵攻することに、何の得があるというんだ? 一体どうなさったんだ……」

 

 そんなことをすれば、彼は兄に背後を取られてしまう危険性がある。最悪の場合、王軍とグレッド家に挟まれることになるというのに。

 

「お兄様。とにかく……黙って侵略されるわけにはいかないわ」

「ああ。俺とジュルクが出る。ヴィオナはイゼルを頼んだ」

 

 相手がそれほど迅速に動いているのでは、帝国騎士団に応援要請を出しても、とても間に合わない。リエフ家とエドリッツ家には遣いを出してみるが、グレッド家騎士団が総出を挙げて対応するしかない。


 ガレフはふと自分の手に目を落とした。

 すっかり口に入れるのを忘れていたクッキーが、指の間で割れて崩れていた。

 

 

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