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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第八章 炎国
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四、廻り合わせ

 少しの従者を連れたルイガンは、監視の役人に同行されながら、中東部にある領地への旅路に就いた。

 それを見届けたあと、リューベルトは二公に、貴族の未成年子女を帝都に住まわせる御触れについて、撤回の方向で動くよう要請し、自分はリミカとともにカルツァ領へと出発することにした。

 カルツァ伯爵には先に使者を送ってある。それによって伝えてあるが、リューベルトたちはカルツァ領への滞在は遠慮することにしていた。皇家が訪れるとなれば、伯爵家は最上のもてなしが必然となってしまうためだ。カルツァ家と、制圧の際の犠牲者家族への配慮として、今回は隣領に宿泊し、日帰りでの訪問とした。

 しかしシンザや二公に言わせれば、その隣領が少々問題だった。

 カルツァ領都は、その領地内で東南の位置にあたる港町である。つまり日帰りが可能な宿泊地は、カルツァ領の東隣の領に求める他にない。

 その東の領主が、ジェブロ伯爵なのである。

 

 リューベルトが帝都に帰還する前、ルイガンによって帝国騎士団長ギダラがほぼ強制的に休職となり、ジェブロはその代理を担っていた。ルイガンの失脚に伴い、それも元通りにする運びとなったのだが、まだ領地へ帰らされていたギダラを帝都に呼び戻せていなかった。

 よって今はまだ団長代理のジェブロが、自身の領地まで帝国騎士団の小隊を率いて、皇家の御一行を護衛する任務に就くのが自然の流れになったのだった。

 

「よりによって旧派の代表格に護衛される上に、その領内に滞在することになるとはな」


 シンザはかなり渋っていた。

 リューベルトとしても気分は複雑だった。ジェブロは、六年前にアダンを陥れた人物の一人のはずだ。旧派の中でも特に、ルイガンに近かったようだ。


 ただし、現在のジェブロは至っておとなしい。

 会議の間でリューベルトが示唆した、ディーゼンとレスカの暗殺事件、その実行者にルイガンを疑っていたこと。ジェブロはそれに相当信念を揺るがされたようだ。ディーゼンに対しては堂々と反対意見を述べていたと聞いていたが、皇家の暗殺という大逆には恐れを抱いたのかもしれない。

 それに、団長代理の肩書を持っているとはいえ、彼の指示で騎士団員がリューベルトを襲うとは考えられない。下御の儀の事件で、命を懸けてリューベルトを守ってくれた騎士団だ。その忠誠には、主である皇家の一人として、信用で応えたい。もしジェブロから理不尽な命令を下されても、きっと従わない選択をしてくれるだろう。

 

 シンザは引き続き近衛として、影のようにそばにいてくれる。さらに今回は特別の側仕えとして、ティノーラとジグとイルゴも随行してくれることになった。

 おそらくこの旅路は安全だ。注意が必要なのだとすれば、ジェブロ領に入ってからだろう。

 

 グレッド領とジェブロ領は遠くない。シンザはガレフに隠密の護衛を何人か送ってもらうことも考えたが、やめておいたと言っていた。帝都から私兵を連れていくのと同様、ジェブロや帝国騎士団に知られた場合、彼らの面子を潰す侮辱行為とも取られかねず、かなり面倒なことになるからだ。

 それに結局はシンザも、帝国騎士団員のことを信頼している様子だった。

 

「……うう、ん……」

 

 椅子の上で横たわるリミカが、小さく顔を歪めて身じろぎした。レナイが落ちかけた掛布を直す。

 外泊にも馬車にも慣れていないリミカは、出発二日目にして疲れ切っていた。仕方なくこうして馬車内で縮こまって、小刻みにでも眠ることで、できるだけ行程が遅れないように努めている。

 おかげでリューベルトとレナイ以外は、この馬車には同乗できなくなってしまったが、リミカなりに途中休憩を減らすための努力をしているのだ。

 

「レナイも慣れていなくて疲れたろう。座ったままで悪いが、休んで構わないぞ」

「と、とんでもないことでございます。陛下や殿下の御前で」

「私たちへの遠慮はいらない。私も少し眠ろう」

 

 リューベルトは窓のほうに身体を傾け、目を閉じてみせた。

 レナイのことだ。リューベルトにそう言われても、本当に仮眠を取ることはないだろう。でも皇子たちに見られていない間なら、姿勢を楽にすることくらいはできるはずだ。

 彼女から見えないように、リューベルトはそっと薄目を開いた。窓にかけられたカーテンの隙間では、陽の光あふれる街道の風景が流れていた。

 





 皇家の一行が帝都城を発つ時、エレリアは一番最後まで見送っていた。笑顔を作って送り出したが、心の中では不安が渦巻いていた。皇帝として矢面に立つことになるリミカのことを、どうしても心配してしまう。守ってあげたいと思ってしまう。

 それから、ジェブロ伯爵のこともだ。世間的にはただの政敵同士だが、本当はキュベリー家にとってはそれ以上の宿敵である。今はアダンに対して敵意を見せていないそうだが、彼が今回のリューベルトとリミカの護衛隊長になってしまったことは、エレリアにとっても不本意なことだった。

 

「姉上が外でぼんやりするなんて珍しいね」

 

 エレリアは水色の空から、声をかけてきた弟まで視界を下げた。五歳年下の弟であるイーリオも、最近エレリアの背丈を抜いてしまっていた。

 

「今日も晴れて良かったと思っていたの」

 

 フェデルマは広いので気候にも気象にも地域性があるが、リューベルトたちの現在地は、まだそれほど帝都から離れていないだろう。きっと同じような天気のはずだ。

 

「うん、そうだね。過ごしやすい暖かさだ」

「姉上の言う通り、歩いて帰るにはいい日だね」

 

 来年にはキュベリー家当主になるウィルドは、ずいぶんと大人びた。半年前に、実はリューベルトは生きていると明かした時は、イーリオと一緒に目を剥いて固まっていたものだが、当主に相応しい青年へと日に日に成長している。

 横の交友関係もかなり増えたようだ。先ほど終えてきた伯爵家の茶会も、ウィルドに招待状が届いたものだった。

 

「それにしても……姉弟もぜひというから出席したけど、私は本当におまけだったな」


 イーリオは首や肩を軽く回して、強ばりををほぐした。大人の茶会への参加に気疲れしていたようだ。


「わたくしくらいの年齢の方が多かったものね。年上の方々とのお茶会は、最初は疲れてしまうわよね、イーリオ」

「子ども扱いされたことは、別にいいんだ。そうじゃなくて」

「そうだよ。私も利用された気分だ」

 

 ウィルドが肩をすくめる。

 先方も他の招待客も兄弟を連れてきていて、彼らの目的は明らかにエレリアとの接点を得ることだった。女性は良いとして、男性が姉に近付くのは、思わず何度か阻んでしまった。

 苦難の月日を超えて見事宰相に返り咲いたアダンの愛娘に、声をかけたい貴族は、思っていたより多かったようだ。

 

「姉上には殿下がおられるのに、無礼だよ」

 

 リューベルトとエレリアに内定していた婚約は、公式ではすっかり白紙の状態に戻っている。だから彼らの行動が不敬になることはない。

 エレリアは大人の貴族らしく上手にいなしていたが、ウィルドとイーリオにとっては大いに問題である。


「姉上。私の察しが浅かったせいだよね。今日は不快な思いをさせてしまって……ごめん」

「宰相のお父様を持つと、こういうこともあるでしょう。わたくしよりもあなたたちにこそ、これから増える出来事よ。気をつけなさいね」

「でも、ご婚約を発表できていれば、こんな面倒は起きなかったのに」

 

 つい愚痴をこぼしたイーリオを、エレリアは軽く咎めた。

 リューベルトがエレリアとの婚約を確定させないのは、彼が戻った皇家が置かれている状況のためだ。現在のフェデルマはあちこちで不幸な争いが起きている。一にも二にも、彼はその解決に専念しなければならない。皇子が自分一人の幸せにかまけていると思われては、民に期待された分が失望に変わってしまう。


「殿下のご配慮は必要なことよ」

「それはわかるけど、姉上が——」

「ありがとう、イーリオ。でも大丈夫。それにこれは、殿下がわたくしをご信頼くださっている証、とも取れると思わない?」

「……お二人には、本当に強い絆があるんだね」

 

 姉の微笑みは自信に満ちていて、繊細な年頃であるイーリオのほうが照れてしまう。彼は徒歩で帰るなら寄ろうと話していた場所に、足早に駆け寄った。

 

「ああ、やっぱり。ここなら広場が見えるよ」

 

 帝都のそれぞれの街区の間にある城壁には、いくつか上部が鉄格子になっている箇所がある。万が一侵攻を受けた際、敵の動きを見たり、弓で迎撃したりするためのものだ。

 エレリアとウィルドも、格子に顔を近付けた。遠いので全景は無理だが、下御の儀が行われた広場が見える。

 

「修復が始まっているみたいだね」

 

 色とりどりの建物が並ぶ都の壮観の中、こぼれたインクの染みのように黒々と火災の痕跡が残る広場では、修復工事の作業員らしき人々が動いている。まずは真っ黒になった玉砂利を撤去しているのかもしれない。

 

「良かったわ。周辺にお住まいの方は、あれを見るたびに嫌な気分になるものね」

「確かあの修復費は、ルイガン家が全額負担したんだよね」

「ええ、そうね」

 

 たとえ顔も知らない騎士団員でも、ルイガンの配下の者が犯した犯罪だ。それは当然の流れだった。


「イーリオ。資金の出処はルイガン家でも、作業員は国が雇っているそうだよ。だからまた細工されるようなことはない」

「そう……か。なんだかルイガン家が関わると、心配になる癖がついてしまったみたいだ」


 兄に見透かされたイーリオが、自嘲するように笑う。エレリアもくすくすと笑ったが、弟の気持ちはよくわかった。


「こんなところで、何をなさっているのですか?」

 

 三人は急に背後から声を掛けられた。どことなく嫌悪感を滲ませる女性の声だった。

 振り向くと、つばの大きな帽子を被った、明らかに貴族の女性が立っていた。その後ろにもドレス姿の女性が四人まとまって立っているが、近くまでは来ようとしない。会話に入るつもりはないのだろう。

 イーリオはどの女性とも面識がなく、ウィルドも城の夜会で顔を見たことがある程度で、家名もわからなかった。外見の年齢的にも姉の知り合いなのだろうと、二人は横を見たが、エレリアも一瞬不思議そうな顔をして言葉を詰まらせていた。彼女もこの女性の名前に確信が持てなかったのだ。

 

「……ニッキー様……でしょうか」


 おそらくこの女性はニッキー・クリーズだ。ジェブロやバレンと並ぶ、強硬な旧派であったクリーズ伯爵家の娘。子どもの頃から話したこともない女性だ。

 彼女は否定せず、虚勢を張るようにわずかに顎を上げた。

 

「ここは下級貴族の街区です。エレリア様のお屋敷はここにはありませんでしょう? お早めに上の街区へお戻りくださいませ。それとも下級貴族への当てこすりなのですか」

 

 意味のわからない敵意に、イーリオはきょとんとしていた。ウィルドは大体の状況は飲み込め、呆れ顔になりかけたのを我慢して口をつぐんだ。

 

「それに侯爵令嬢ともあろうお方が、侍女の一人もお連れせずに男性二人と街をお歩きになるとは、感心できませんわね」

 

 エレリアは困り顔で、ニッキーの冷めた視線を追って弟たちを見やった。どう見ても護衛騎士ではないこの二人を、何かしら(・・・・)の存在と早とちりされたようだ。

 

「ニッキー様……この二人はわたくしの弟の、ウィルドとイーリオですわ。弟たちが一緒なら安全ですので、侍女も護衛も先に帰らせましたの」

「弟……?」

「わたくしたち姉弟は似ておりませんから、そうは見えないかもしれませんけれど。ウィルドは社交界にも出ておりますから、お見知りおきください」

 

 頬が引きつったニッキーに、ウィルドとイーリオは礼儀正しく自己紹介をした。名乗り返さないニッキーに助け舟を出すように、エレリアが弟たちに彼女を紹介した。

 そこでようやくイーリオも、彼女の敵意と、後ろの女性たちが近付いてこない理由を理解できた。

 彼女たちはクリーズ家と懇意にしてきた家の娘で、しかしキュベリー家と敵対までする気はないのだ。

 ニッキーだけは偶然見かけたエレリアに、ひとこと嫌味を言ってやりたくて声をかけた……というところだろう。未成年だった頃の城の茶会でエレリアに勝ち誇り、成人してからは社交界でもかなり上位にいたニッキーだ。旧派の勢力が落ち、エレリアに逆転されたことが悔しくて仕方がないのかもしれない。


 品のない方だな、とイーリオは思っていた。彼がよく知る貴族女性、ヴィオナやティノーラや、それからターシャも、きっとこんな真似はしない。

 そもそもクリーズ家は、キュベリー家を騙し討ちにしたようなものだった。当然の報いともいえる。


「ニッキー様、もう参りましょう」

 

 見かねた友人たちが、切り上げさせようと声をかけた。エレリアはショールで覆っているが、三人の装いからどこかを訪問した帰りだとわかるし、初めから侯爵家が下級貴族の街区を歩いていることに、何の問題もありはしないのだ。

 さすがに恥の上塗りは回避したのか、ニッキーは簡単な礼をして友人たちのほうへ戻り、街の東側へと消えていった。

 

「……お騒がせな方だ」

 

 ほぼ沈黙を決め込んで成り行きを眺めていたウィルドが、ぼそりと呟いた。

 

「クリーズ伯爵は、旧派の中でも穏健なほうに変わられたと聞いていたけど。ご令嬢のほうは、そうでもないんだね」

 

 エレリアは、ふっと苦い笑みを浮かべた。残念ながら昔も今も、ニッキーから快く思われてはいないようだった。

 その時だ。少し遠くから、動揺した声が上がったのは。


「なあ、あれ!」

 

 反射的に三人は声の主を探し、その人物が指差す方向へ顔を向けた。

 城壁の向こう側、平民の街区西側の最奥で、黒煙が上がっていた。

 

 

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