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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第八章 炎国
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ニ、幼帝の決心

 帝都にいると、フェデルマは豊かな泰平の時代にあるように錯覚してしまう。地方の領へ行ったなら、現在のこの国はまるで違う顔に変わるだろう。

 内乱状態になったそれぞれの地方は、リミカが送った勅使によって、戦が終結してくれたところも、ほんの一部はある。

 だがまったく話が通じず、未だ内乱の真っ只中で、一般の民が家を捨てての避難を余儀なくされている地方がある。彼らはその避難先でも、住む場所や食料の確保に苦労させられることになる。

 勅使を送った地方で一番多いのが、領主と旧国の反乱者の双方と話をつけて、ひとまずは(・・・・)説得に成功した、という状態である。対立の解消まではできておらず、統治体制は不安定だが、休戦になったことで民の生活は細々とだが再開できている。

 どの地方にも共通しているのは、国と皇帝への強い不満、そして不信感である。


 どうにか帝国の形が変わらず保てているのは、まだ領主貴族が一人も倒されていないから、そして領主貴族による国家への反乱は起きていないからだ。

 しかし、もともと旧派の考えを嫌ってきた領主も多くおり、カルツァ領の一件で、さらに反発を強くしているはずだ。それでもまだ表面上おとなしくしているのは、彼らが比較的若い領主で、帝都に妻子を住まわされているからである。


 兄と二人の新しい宰相によって、リミカはそんな帝国の現況を改めて語られた。

 勅使を送ったのだから内乱は終わるもの、リミカは単純にそう考えていたはずだ。だから帰還した勅使たちの報告を、アダンとフレイバルが聞き取る時に、リューベルトがわざわざ同席しに行ったことも、気にし過ぎだと思っていたくらいだろう。

 勉学の時間を終えてリューベルトに呼ばれたリミカは、今ここで初めて実感を持って、深刻な統治体制悪化の現実を受け止めていた。


「じゃあ、根本的には……何も解決していないの? それから、皇帝(わたし)は……国中の人から嫌われているということ?」

 

 ぎゅっと握った細い手も声も、ふるふると細かく揺れ動いていた。

 

「私……私じゃないのにっ……。宰相たちが勝手にやってきたことなのに——」

「だが、リミカは命令書に署名した。そうだろう?」

「そう……だけど……私は何も知らなかったのっ」

「……リミカ」

 

 リューベルトはそっと首を横に振った。

 

「そうじゃない。それではだめなんだ。グランエイド家はこの国を統べる一族。我々だけで治めるものではないが、人々の上に立つ者の責任がある。皇帝の署名がどれだけ重いか……八歳の頃では理解できなくても、今ならばわかるだろう」

「……わ、わたしは……。みんな、私になんか、何も期待していなかったもの……。いつも何も教えてくれないで、次はこれです、こうしてくださいって言われて、それだけで……」

 

 リミカの瞳からぼろぼろと涙が落ち、とうとうしゃくり上げて顔を伏せた。

 妹の涙を見るのは、兄にとってはどうしても辛い。アダンもフレイバルも胸を痛めて口を結んでいる。

 リミカの言い分の通り、ルイガンたちは意図して彼女に何も教えず、利用していたに違いない。血統を繋いでくれさえすればそれで良い、としか思われていなかったことにも、傷付いてきたのだろう。

 それでも「皇帝」が負う責任は重い。

 知らずに自分がしてきたことに、リミカは向き合わなければならない。

 

「リミカ。たとえ形だけであったとしても、帝位にある者が君主なんだ。国を預かる者が、無知のままであることは……罪にも近いと、私は思う」

「そん……な」


 涙で汚れた顔を上げたリミカは、何か訴えようと口を開いた。でも、結局ひと言も言葉は出なかった。正面にいる兄を潤む瞳で見つめていたが、やがてまた顔を歪め、唇をきゅっと閉じて床に視線を落とした。


「似たようなこと、イルゴに言われたわ……何度も。あれは、お兄様からの言葉だったのね……」

「そう伝えてくれと実際に頼んだわけではないよ。だが、イルゴもジグも、私の考えを汲んでくれる従者だったからな」


 リューベルトはリミカの横に腰を下ろし、その肩を抱き寄せた。できることなら時間を巻き戻し、すべてをやり直させてやりたかった。


「もう失われてしまった命は戻せないが……せめて失策の責任を取ろう。一緒に」

「……一緒……?」

「一緒にだよ。私もグランエイドだ。私にも充分過ぎるほど責任がある。そのために帰ってきたんだ」

「……お兄様……私、怖いよ……」

「怖くても、やらなくてはだめだ。やり遂げるまで一緒にいるから」

 

 リミカはまた堪えきれずに涙をこぼした。その雫が染み込んだリューベルトの服に縋り付き、恐れと後悔に震えが止まらなくなっていた。

 それでも……リミカは小さく頷いた。

 皇家の自覚に目覚めつつある彼女ならば、決意してくれると思っていた。

 

「キュベリー、フレイバル。カルツァ伯爵はまだ帝都にいるのか知っているか」

「旧派の衰退によって幽閉状態が解かれ、早急にご領地へ戻られたはずです」

「そうか……先に直接話をしておきたかったが……。私とリミカは、しばし帝都を空けることになると思う。就任したばかりで大変な時期なのに、国政を任せきりにするのは心苦しいが」

「やはり……カルツァ領へお出でになるのですね」

「最初に会うべきだと、私は思っている」

 

 燻っていた国への不満が溢れ出すきっかけとなった、帝国騎士団によるカルツァ領への制裁。リミカがその現実を見て、間違いを認め、直接謝罪をするためには、実際に行く以外にないのだ。

 

「正直に申し上げれば心配でございますが……承知いたしました。帝都のことはお任せを」


 今回の事件で、平民の街区は実被害を被っている。それ以上にこの帝都内で、あれほど大きな事件が起きたことそのものが、平和な都と信じていたのはただの虚構であったのだと、人々の心に暗い影を落としてしまっている。

 一方城の中では、己を守るため立ち位置を変える者が現れている。それによって生じる軋轢は多い。それらをなるべく穏やかに収拾し、まとめ上げなければならない。

 この都の中だけでも波風が収まらない様相だが、遠く国境線も未だに不安定だ。

 ザディーノ王家と反対派の戦いは今も続いている。

 セームダルの王と実の弟との対立も、氷解の気配はない。

 ネウルスも政情不安の状態だ。

 どれもいつ、どう飛び火してくるかわからない。

 国境四家が監視を強めているが、もし帝国内になだれ込んでくることがあれば、帝国騎士団の出陣を検討する必要もあるかもしれない。その時は、皇帝の許可が要る。本来は帝都を空けるべき時ではない。

 それらを踏まえた上で、アダンとフレイバルは頷いてくれているのだ。


「ありがとう。そなたたちも気をつけてくれ。ルイガンが巻き返しを図っていないとも限らない」

「楽観はいたしませんが、その可能性はだいぶ薄くなったかと。ルイガン卿は、自領に幽閉となる見通しですから」

 

 ルイガンの姿はあの直後から見ていない。彼の主張を聞き取る調査が済んでからも、屋敷からまったく出ておらず、おとなしく裁定を待っているという。

 その裁定が一両日中にも下り、陛下に認可をいただくことになると思います、とフレイバルが説明した。

 ルイガン家の侯爵位についても、降格を求める動きがあるという。実際にそこまで行くかはまだわからないが、六年前にキュベリー家が受けた処分とほぼ同等のものを、今度はルイガン家が受けることになったわけだ。

 

「……ルイガンが自領へか……」

 

 ロニー・ルイガンは父親が健在の少年期から、ほとんどの月日を帝都で暮らしてきたはずだ。自らが当主になってからも、宰相の立場を優先していた。休暇の取得はおろか、空きの期間ができた時さえも、他の貴族のように自領へ帰ることをしなかった。しかも年間の半分は城内に寝泊まりしていて、宰相という仕事に身を捧げているような男だった。

 それが今さら、管理者任せにしてきた領地で、国家に監視されながらの生活をしなければならない。本当に受け容れるのだろうかと疑ってしまうが、ルイガンにこれといった反撃の気配はないという。

 もしかしたら、個人的に話す機会は今後ない可能性もある。ルイガンが去る前に、最後に直接会っておきたい。リューベルトはそう思った。

 

 

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