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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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十四、城の生活

 自由になる時間のほぼすべてを、リミカは兄と過ごしていた。まるで五、六年ぶん幼くなってしまったように、べったりになっていた。

 家族がみんな死んでしまい、この世に独りぼっちだと思い込んできたのだから、生きて帰ってきた実兄と一緒にいたいのは自然なことである。私を見捨てていたのかと怒り、詰ることも一度もなかった。むしろ何度でも兄の顔を見て、確かにここにいると確認していなければ不安になるようだった。リミカが抱えてきた孤独は、それほど大きく膨れてしまっていたのだ。


 リューベルトは陰に隠れる生き方を選んでいたが、孤独ではなかった。いつまで続けられる生活だろうかと、常に付きまとう不安は確かにあったが、イゼルを去るとしてもエレリアだけは一緒だと思えば救われていた。

 今の妹を見ていると、幸せな日々を願ったはずだったのに、実際には辛い時間を強いてしまったように感じる。まずは彼女の心が落ち着くまでしっかり向き合うのが、リューベルトだけにしかできない、優先すべきことなのかもしれない。

 会議で提案した勅使の派遣については、リミカが選定を命じていたので、話が進んでいた。

 

「武装蜂起が起きているところはみんな、勅使が出発したみたい。これで戦いは治まるかしら」

「今はそう信じて待とう。どうしても解決しないようなら、私が直接話を聞きにいってもいい」

「お兄様が行くなら、私も行く」

 

 状況を正しく把握できているのかいないのか、リミカの声音は無邪気に響く。

 イルゴが言っていた通り、国を治めることに関心を寄せなかったリミカは、民の反発や内乱に逼迫感を感じていないのだろう。そういう地域で皇帝(じぶん)がどう思われているのかも、真剣に考えられていないように思う。

 リミカには変わってもらう必要があろう。皇帝として育ててやらなくては。

 急ぎたくなるが、リューベルトの立場もまだ微妙なところだ。勝手に皇帝の教育係になって大きな顔をすれば、妹の権力を自在に操ろうとしているように見られてしまう。出しゃばり過ぎることで周囲のいらぬ反感を買うのは避けたい。

 今しばらくは我慢の時だ。この城での孤立は最悪の結果をも招くと、以前経験しているのだから。

 

 

 



 リューベルトは正式に、グランエイド家に皇子として復籍した。 

 当然の流れで侍従を付けられそうになり、彼はやんわりとそれを拒んだ。本音はシンザ以外の人間がそばに侍ると困るからだが、皇子としての公務もない現在の状況では、予定や時間の管理をしてもらう必要がない。着替えも自分ですることにすっかり慣れていたので、侍従はまだいらないと言い張った。

 取り次ぎなどは、近衛のシンザが行っている。

 

「殿下。そろそろお食事の準備が整うそうです」

「わかった」

 

 知らせに来たメイドに承知したことを伝えたシンザは、ゆっくりとドアを閉めた。

 

「どうも背中がむず痒い気分だな。そなたに殿下と呼ばれるのは五年振りか」

「俺だって気色悪いが、人前では規範を守るさ。お前はもう皇家の人間で、俺は家臣の一人なんだ」

「受けた恩を、忘れることはないぞ」

「何がだよ。大袈裟な奴だな。家族で暮らしていただけのことだろう」

 

 にっと笑ったシンザが軽く顎をしゃくる。

 この城内での彼は、いかにも名門家の人間らしい、皇子の近衛としても申し分ない立ち居振る舞いをみせている。だが他に誰もいないと、途端にこの遠慮ない態度に戻る。

 そうするとリューベルトは安らぎを感じて、つい笑ってしまうのだ。


「しかしなあ、そういう格好をしていると、どこからどう見ても高貴な皇子様だよな。よくも今まで、世に紛れて込んでいたと思うよ」


 帰還した日の夜に二人がかりでてきぱきと採寸され、翌日にはリューベルトにぴたりと合う服が数着仕上がってきた。服など身体にだいたい合えば既成の品で構わないと言っておいたのに、何人が徹夜で作業に当たったのだろうと少し申し訳なく思った。その後も好みなどを聞き取られ、日々服が増えている。

 シンザにも近衛専用の制服が仕立てられていた。


「そなたも似合っているぞ。しっかり近衛に見える」

「まあ、実戦向きとはいえない装飾過多な高級品だが、騎士服だしな」


 着こなせて当たり前だ、とシンザが胸を反らせた。確かにこの男ほど騎士の衣装が似合う貴族はそういないかもしれない。


「だが支給の剣は短くてなじめなかったな。一応聞いてみたら、俺の剣に合わせた鞘だけを作ってくれることになったんだ。要はこの服に外見が合っていればいいみたいだな」

「そなたは家を継がぬ二男なのだから、今後も近衛の一員でどうだ? それとも若い頃のダイル殿のように帝国騎士団に入れば、隊長に出世するのも難しくないと思うぞ」

「そうだなあ……帝国騎士としては名誉ある生き方だろうが、……国境が平和になったらだな」

 

 そうなると良いと思う未来を語り合っているのに、なぜだろうか、二人ともあまり現実味を感じていなかった。






 兄妹二人で取る食事の時間も、リミカはいつも楽しそうにしていた。招待するような友人もいないようだから、この大きなテーブルで一人、ただ静かに食べ物を口に運ぶだけの、作業のような食事をしていたのだろう。

 食後になって、侍女レナイが封書を差し出した。

 

「今しがた届きました。陛下と殿下宛てのものでございます」

「私たち、二人宛て?」

 

 受け取った封書を裏返したリミカの顔に、驚きが溢れる。

 

「エレリア! エレリアからだわ、お兄様!」

 

 リューベルトが何か言うのも待たず、リミカは封書を切って手紙を開いた。

 

「帝都に来ているのですって! 私たちとの面会申請をしたいそうよ」

 

 純粋にうれしそうな笑顔で、手紙をリューベルトに差し出した。

 キュベリー家はアダンが引退表明をしてからも、誰も登城したことはない。監視を解かれ、友人付き合い程度の社交を取り戻しているものの、正式な登城許可は下りていなかったためだ。

 エレリアの手紙によれば、面会申請も彼女一人で出すつもりのようだ。今でもアダンは認められにくい可能性があるし、エレリアとリューベルトが過去婚約を決めていたことが考慮されれば、申請は通りやすくなると考えたからだろう。

 もし許可されなくても、キュベリー家が帝都に着いたことだけは、この手紙でリューベルトに伝えられる。エレリアのその配慮が、彼にはよくわかる。

 

「エレリアに会えるのね! そうよね、お兄様が帰って来たんだもの。一番会うべき人だったわ。そういえば、婚約はどうなるのかしら。まだ有効でいいのかしらね? 小さな頃は、エレリアが私のお姉様になるんだって、ずうっと楽しみにしていたんだから」

 

 楽しかった昔にどんどん戻ってくれているような心地なのだろう。リミカは七歳の頃のようにはしゃいでいる。彼女は本当にエレリアに懐いていたものだった。ほんのりと赤らめた頬を両手ではさみながら舞い上がる妹に、リューベルトのほうは少々照れくさい気分になった。

 

「そ、そうだな……私の今の立場は異例だから、昔のものを有効というのは……難しいだろう」

「えーっ、いいじゃない。じゃあエレリアやキュベリー様がいいって言ってくれたら? お兄様もいいでしょう?」

「ああ、いや、そういう意味ではなく……」

「……あ、周りがうるさいってこと?」

 

 嫌なことを思い出してしまったリミカは、急におとなしくなり、視線を落として口を歪ませた。

 

「……ねえ、お兄様。私はきっと、会議で決められた人と結婚しなくてはいけないのよね? そんなことになるなら、私は一生結婚なんてしたくないわ。お兄様の子を皇太子にしたい」

「……リミカ」

「血筋が大事だからって、ただ繋ぐだけの道具になるのは……嫌なの」

 

 ——私はどうせ、早々に誰かと結婚させられて、跡継ぎの期待をされるだけなんでしょう?

 

 イルゴとジグに対し、そんな投げやりな言葉を吐いていたと聞いた覚えがある。この年頃の少女にとっては、皇帝という地位を嫌い、血筋を恨み、目を背けさせる一因になっていたのかもしれない。

 跡継ぎの問題は、貴族に生まれた多くの子女が向き合うものである。その中でも皇帝は、相手を選ぶ自由は特に制限されてしまう。

 そして爵位は子や兄弟に譲って引退できるのに、帝位は生前譲位を一切認められていない。リミカは必ず皇太子を立てた上で、生涯帝位にあらねばならない。

 

「リミカは今年十四になるところじゃないか。まだ時間はある。私もリミカには良い相手を望んでいるよ」

「本当に? 好きになれない相手に決まりそうだったら、反対してくれる? 味方に……なってくれる?」

「味方だよ。いつでも。六年も放っておいてと言われると立つ瀬がないが、私はリミカの家族だ」

「うん……うん、ありがとう……お兄様」

 

 頬を紅潮させたリミカは、涙ぐんで頷いた。

 自分を人形や道具でしかないと感じるようになってしまい、その悲しさを誰かに吐き出すこともできずにいたのかと思うと、つくづく近くにいてやらなかったことを間違いに感じる。

 イルゴやジグが守ってくれれば大丈夫だと考えていた。勝手な話だった。リミカにしてみれば、彼らは優しくて頼れる存在でも、従者では家族の代わりにはならない。悩みを解決するほどの権力も持ってはいなかった。少女が気持ちを共有する対象ではなくても仕方のないことだった。


 本当は、リミカがルイガンに植え付けられた、イルゴとジグへの誤解も解いておきたい。しかし次から次へとリミカの間違いを指摘するばかりになってしまうので、今はまだその話はやめておいている。

 それよりもっと重大なことも控えているのだ。すべての内乱を確実に平定することと、堕ちた皇帝への評価の回復である。

 これはリミカがやらなくてはならない。リューベルトは兄として寄り添うが、すべてを代わってやることはできない。人々に見せる必要があるのは、民を傷付けてしまった皇帝が、その過ちを認めて謝罪し、姿勢を改める姿だ。

 それをしなくては、国の広範囲に及んでいる反発を、根本から鎮めることはできないだろう。

 各地から勅使が戻るまでに妹と真剣に話をして、一緒に皇家の現実と義務を考え、ルイガンを含めた周囲の説得などの準備をしなければいけない。

 

 

 



 エレリアの面会申請には許可が下りた。

 この城で会うのは、アダンとリューベルトがそれぞれ罠に嵌められることになったあの日に、昼食をともにして以来だ。

 また立場と舞台が変わっての再会に気恥ずかしくなるかと思ったが、リミカがとにかくエレリアを離さなかったので、そういう雰囲気ではなくなった。

 賑やかで楽しい時間となったが、シンザは水を指す存在の気配を感じ取っていた。遠くからそれとなく見張られていたのだ。

 ルイガンの手先と見るべきだろう。リューベルトとキュベリー家の接触は、やはり歓迎できることではないはずだ。

 城に来て以来、この日までこれといった異変はなかった。ティノーラによれば、相変わらずグレッド家には影の者が張り付いているそうだが、城内では何もしてこなかった。これが初めての、リューベルトへの敵対的な行動だった。焦りの表れかもしれない。シンザは警戒態勢を強めた。


 折しも季節は進み、花盛りの時季になっていた。ほぼすべての国土で雪が消え、領主たちが年次報告のために帝都を訪れる、春のただ中である。温かい地域から来て、いち早く登城を済ませている領主でも、北方からやってくる領主たちとの情報交換や社交のために、しばらく帝都に留まっていることが多い。貴族街区に爵位ある者が勢揃いする、賑やかで華やかな光景ができあがる。

 ——本来ならば、そういう季節だ。

 今年は多くの貴族家が、年次報告に代理の者を送ってきていた。武装蜂起が起きている地域はいうまでもなく、それ以外の地域の領主たちも、自領を留守にすることを避けたのだ。

 今の帝国内は、そういう情勢だということだ。


 リューベルトの帰還と皇家復帰については、各領にすでに通達が送られている。

 ただしディーゼン帝暗殺の件を公にするにはまだ早いとされ、リューベルト皇子の六年間については、詳細を伏せたままとなった。そのためにひどく中途半端な声明となってしまっていた。

 リミカが命じた調査は継続している。しかし、ルイガンの手が回っているわけでもないのだろうが、成果は無きに等しかった。

 

 そんなある日、リューベルトにひとつの提案が上がった。

 生誕ではなく復籍とはいえ、六年振りの「皇子の誕生」は、一時は存続さえ危ぶまれた皇家からの、悦ばしい報せとなっている。ぜひ広く顔見せを、と請われたのだ。

 貴族の子女が成人すると、十五の誕生日を過ぎてすぐの頃に、父親か当主が夜会を開いてお披露目をするのが習わしだ。

 皇子や皇女の場合も、城で盛大に祝賀会が催されるが、それに加えて、平民の街区にて代表者から祝福の言葉を受けるという、次代皇家を平民へもお披露目するための「下御(かぎょ)の儀」という小さな式典がある。

 十三歳で城を出ていたリューベルトは、成人に関わる儀礼を一切通過していなかった。多くの貴族たちが帝都に上がることができない現在、この平民の街区でのお披露目だけでも、という話だった。

 十九にして成人の儀礼を今更かとも感じたが、広く民にまで皇家復帰を認めてもらうためには、ただ帰還を発表しただけでは足りないとも思えた。こなしておくべき儀式かもしれない。


「わかった。よろしく頼む」 

「それでは、直ちに準備に取り掛かります」

 

 短くて簡単な式であったはずだ。周囲の準備といえば警備計画を立てることくらいだろうか。

 警備に就くのは当然、帝国騎士団であろう。団長のギダラはまだ休暇を取らされたままで領地におり、会えてもいない。指揮権を預かっているのは、今もジェブロ伯爵である。

 

 

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