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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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十三、表と裏

 その人影は座っている時も背筋が伸びていたが、立ち上がった姿勢もきれいだった。こんばんはと挨拶をしたその声、星の薄明かりに覗いたその顔立ちは、間違いなくティノーラである。


「すまない、待たせてしまったな」

「いいえ。もとより私たちは先に着いて、周囲を見張りながらお待ちするつもりでおりましたから」

 

 彼女はこれまでに見たことのない真っ黒な出で立ちをしていた。黒いストールまで纏って、人目を忍んで待っていたようだ。

 

「さすがにこのような時間には、誰もいらっしゃることはありませんね。昼間なら、それなりに人が憩うところなのですが」

 

 この待ち合わせのために、リューベルトはティノーラにも避難路出口の場所を教えても良かったのだが、彼女のほうが断ったのだった。シンザは仕方ないとして、皇家の秘密を知るのは最小限の範囲で留めるべきです、とティノーラは言っていた。

 少し離れたところで見張っていたレマも、リューベルトとシンザを見つけて合流していた。

 

「どうだろうか。街の様子は」

「リュート様の——いえ、殿下のことで持ちきりですよ。ご存命でいらしたなんて、誰も想像していなかったでしょうから。ですがどうやら、貴族に限っています。レマが見に行ってくれたのですが、平民の街区ではまだ知られていないようです」

「そうか。城内で起こした騒ぎだからな。むしろもう城外まで知られていることのほうが、驚くことかもしれないな」

「すぐに商業用街区まで知れ渡るさ。そうしたら、あっという間に国中だ」

 

 シンザが大きな肩を竦めてみせた。

 覚悟を決めて戻ったのだから、リューベルトに逃げ隠れする意思はない。たださまざまな噂が立ってしまうことで、国に対する民の信頼を損ねたり、混乱を招いてしまわないかを憂慮していた。世間に対して経緯をどこまで説明できるか、どう声明を出すのか、早急に議題にしてもらったほうが良いだろう。

 ティノーラが遠慮がちに尋ねた。


「殿下は……リミカ様と無事お会いになれましたか」

「ああ、直接会って話せたよ。本当は少し自信がなかったのだが……すぐに私を本物だとわかってくれた」

「それは……ご兄妹ですもの」


 ティノーラとレマは、ほっとしたように顔を見合わせた。


「リミカ様もお喜びだったのではありませんか」

「そうだな、生きていたことを喜んでくれたよ。父と母のことを明かしたから……喜んだだけでは済まなかったが」


 リミカは複雑だったろう、とリューベルトは黄金色のまつ毛を少しだけ下ろした。今となっては、六年間も真実を隠してきたことは大きな間違いで、より深く妹を傷付ける結果になったような気さえしていた。

 ティノーラが何か察したように、ごく小さく首を振った。


「殿下……他にお心が揺らぐことがおありだったとしても、お兄様との再会が妹にとってうれしいことに、変わりはないはずです」

「……ありがとう」


 寄せられた気遣いに、リューベルトの表情は穏やかに戻った。悔いても巻き戻らないことより、これからのことのほうが大事だと思い直した。

 彼らが話している間も、周囲に人の気配がないか、シンザはくまなく警戒している。


「私の近衛だが、当分の間はシンザに頼むことを認められた」

「それは安心しました。これでシンザは、お城の中にいられますね」

「ああ。俺が常にリューベルトの脇にいる正当性ができたわけだ。ところでティノーラ、ルイガン家の動きはどうだ?」

「あなたのご推察の通りだったわ。もうグレッド家のお屋敷を見張ってる。もちろんこっそりとよ」

「やっぱりな……」

 

 現在のリューベルトの支援者であるグレッド家を、ルイガンが野放しにはしないだろうと思っていた。以前キュベリー家にしたように、多少力ずくでも蹴落とそうと仕掛けてくるかもしれない。


「くれぐれも気をつけてくれ……シンザ」

「そんなに心配するな。大丈夫だ。屋敷の者には自重した行動を命じてきた。それに」

 

 シンザは婚約者と目を合わせた。

 

「ティノーラがいてくれるからな」

「ええ。私が一番外側から全体を見張ります。そのために別行動をしているのですから」

 

 帝都の外門をくぐる時から、ティノーラはリューベルトたちと距離を取った。城に同行するのもやめた。こうすることで、ルイガンはティノーラという支援者の存在に気がつけないはずだ。いずれシンザの婚約者として警戒対象に入るとしても、彼女が今現在帝都に来ていると知るのはまた別の話だ。

 シンザ及びグレッド家が表立ってリューベルトを支援し、守る姿勢を見せる。ティノーラはそれを裏側から見守る。

 今回は戦場ではないけれど、身を賭して闘うシンザの背中を守るのだ。

 

「街の様子なども、できるだけ探っていきます」

「ああ。負担をかけるが、よろしく頼む」

「ティノーラとレマは、結局リエフ邸にいるのか」

「そうなの。下の街区に宿を取るつもりでいたのだけれど、絶縁状を預かる代わりにって、みんなから引き止められちゃって。この街区にいたほうが、この待ち合わせに都合がいいのも事実だったしね。ちゃんと出入りの際には誰にも見られないように注意しているわ」

「二人のことだから、それは心配してないが。それじゃあ、もう戻るか」

「ええ。……ではまた、ここで」

 

 今後も情報交換していくためにも、こうして会っているところを誰かに見られるべきではない。四人は手短に話を終わらせて、別れることにした。

 リューベルトたちの密かな行動を、浅い闇で覆い隠してくれていたかのように、彼らが街の隅から消えた途端、夜空にかかっていた薄雲が風に散っていった。

 煌々と輝く月が、静かに眠る帝都を照らし出していた。

 

 


 

 

 城内。宰相が寝泊まりするために用意されている私室。充分に広い部屋の中には、ロニーの指先が机を叩く音が、途切れ途切れに響いていた。 

 窓がふわりと明るくなる。隠れていた月が顔を出したようだが、目を向けることはなかった。

 

「……グレッド……国境の犬めが——」

 

 ふと呟いた彼の指が止まる。静寂の中、今日起きた出来事を繰り返し思い返していたロニーは、無意識に椅子から立ち上がった。そこでまた身体が止まった。

 

「——ハッ……」

 

 意味のわからない笑いがこぼれる。自分でも、何かが可笑しくて笑ったのか、嘲笑したのか、判別できなかった。

 両手をついた机の表面には、うっすらと自分の影が浮かび上がっていた。それを眺めているうちにもう一度笑みがこぼれ落ちる。今度は明らかに苦々しい笑いだった。

 

 ——ダイル・グレッド……また貴様なのか……

 

 あの不届きな侯爵は、何度も何度もロニーに憤りを与えてきた。まさか死してなお、五年もの月日を経てからまた、これほど怒りをあの大男に覚えることになろうとは。

 思い返せばダイルは、ディーゼンとレスカとリューベルトの国葬に姿を見せていなかった。グレッド家からは、現在の当主ガレフ一人だけしか出席していなかったのではなかったか。

 確かあの数日前、帝都到着の挨拶に来たガレフが、父は流行り病に罹っているので来られなかった、などと説明していた。あの当時は多忙を極め、気にも留めなかったが、本当は森でリューベルトを保護したため、領地へ連れて帰っていたのか。


 いいや、流行り病が本当だったのかは、もうどうでも良い。

 ガレフ・グレッドは帝国全土にその名を馳せる騎士だが、意外なほど物柔らかな印象を受ける男だった。だがあんな顔をして、あの若者はロニーを謀っていたのだ。父親と同じで国境を守るしか能のない大男が、微笑みさえ浮かべながら、この帝国の宰相であるロニーを騙して立ち去っていた。

 本当に、腹立たしい血筋だ。

 そして今日また一人、グレッドから大男が現れた。今度はリューベルトのそばに張り付いて、この城に居座るつもりだ。

 

 ロニーはキュベリーを警戒してきた。ディーゼンを慕った新派に目を光らせてきた。

 そして数年をかけて、家を潰すことはできなかったが、アダンを引退に追い込むことができた。新派は取るに足らない存在になった。

 最近になって旧派も数を減らしてしまい、どっちつかずの無責任な人間が増えることになったが、ロニーはこれから国をあるべき姿に戻していくはずだった。目の前の危機から帝国騎士団に命を守ってもらった市民から、世論は変わっていくはずだった。

 まさか、中央政治に関わる権力を持たない、国境の犬なぞに足元をすくわれるとは。

 まさか……リューベルトが生きていたとは。

 

「……ハッ……」

 

 ロニーの唇から、笑い声が吐き捨てられた。

 あの皇子は生き延びているのではないか。遺体を見つけられなかったことで、何度もそんな考えが心に浮かんだことはあった。しかし本当に生きて戻ってくる姿を想像できたことはなかった。

 ましてキュベリーの一派ですらなく、グレッドの後ろに隠れて、こちらを観察していたというのだ。なんという屈辱的な事実だろう。

 

 六年分成長したリューベルトは、ベネレストにそっくりな眼差しを操った。ロニーでも一瞬見間違えそうになったほどだ。

 リミカをあっという間に取り込んだ彼は、徐々に家臣との信頼関係も築いていくだろう。ベネレストに似ていても、中身はディーゼンなのだ。新派はすでに彼の中に、先帝の再来を見出し始めている。どっちつかずの中間派も、やがては掌握されてゆくことだろう。

 皇帝に即位することがなくとも、リューベルトが国の実権を握る未来が見えるようだ。

 そうなればロニーには、生き残る道はない。それは宰相や貴族としてだけではなく……

 

 だというのに、この感情は一体何なのだろう。自身で認めたくないほど、不思議なこの感情。

 リューベルトを憎らしく思っていない自分がいるのだ。この身を滅ぼすかもしれない相手の生還を、どこか感動的な奇跡のように感じてしまっている自分が。

 

 ——己の不甲斐ない失敗を悔いてきたせいか。

 

 まだロニーの中に、リューベルトをベネレストの代行者にしたかったという、執着心が残っていたのだろう。そのせいで、彼の青い瞳にベネレストを見てしまったのだ。

 こんなにも弱い意志でいてはいけない。あの青年が今日為したことに、再び幻滅させられたことを胸に刻むのだ。彼は強きフェデルマの内なる敵。居てはならない存在なのだから。

 

 もしも会議の間で、リューベルトがもっとロニーを糾弾し、追い落とそうとしていたならば、周りの家臣たちはもっと戸惑っていただろう。そこを突けていれば良かった。六年も国を騙して隠れていた彼への不審感を煽ってやれば、強い反発心を生ませることもできたかもしれない。未だに妄想に固執するどうしようもない皇子だと、証拠の品の価値ともども踏み潰す道筋も見つけられていたかもしれない。

 リューベルトは冷静だった。一時に畳み掛けるだけの力を備えていないことを弁えていた。

 それ以上に、ロニーへの復讐など二の次のようだった。おそらく本当に、帝国騎士団の出兵を止めたくて乗り込んできたのだろう。

 

 時が経過するほどに、きっとロニーの首は締められてゆく。立ち位置は不利になる一方であろう。どんな無理をしてでも、リューベルトには彼を守護する者とともに、早く消えてもらう他にない。できなかった時には、ロニーには破滅の道しか残らない。この城には彼とロニーのどちらかしか残ることはできないのだ。

 これはこの国の行く末が決まる分かれ目。

 ロニーに天の助けなど訪れないことは知っている。

 望むものは、自ら勝ち取らなくてはならないのだ。


 

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