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炎国の騎士と北の夜明け  作者: 紘麻 涼海
第七章 内乱時代
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十一、帝国中央会議

 誰も気づけないほど小さく、ルイガンがぐっと口を結んだ。リューベルトの眼差しは、ベネレストが家臣の腹を探る時の、鋭利なそれに似ていたのだ。


「当時、私は……父と母の死は、毒殺だと主張していたんだ」


 元皇太子の発言は、会議の間を沈黙させた。

 ただ一人、リミカだけがひどく動じることになった。これまで彼女は、兄が言った状況を想像したこともなかっただろう。


「……毒……殺? お父様とお母様が……? 何なの、それ……嘘でしょう……!?」


 自分が話す内容で傷つく妹を、リューベルトは正視できずにいた。同時に、ルイガンから目を離すこともできなかった。


「炎上する海の塔に渡った私は、煙に巻かれる前にすでに唇を真っ青にして、事切れていた父と母の姿を見ている。だがそれを口に出した時、誰も信じなかった。炎の恐怖と悲しみのあまり、幻覚を見たのだと憐れまれる始末だった」

「わ、私はそんな話……一度も聞いていないわ」

「……」


 ルイガンはまだひと言も発しない。


「そうして私は、心の療養という名目で、ロベーレへ送られることになった。それが六年前のいきさつだ。そうだな?」

「……はい。当時の殿下には、お怪我やご即位の重責もございました。多くのものをお一人で負われる中、計り知れぬご負担をおかけしていたことに、我々の配慮が足りず……あれほど取り乱されるまでに至ってしまわれたのでしょう」


 やっと口を開いたルイガンは、あの頃と同じ見解を示した。そうするしかないのだから、これは予想通りだ。


「父と母が何者か(・・・)に毒を盛られた。それを証言してしまった私も、命を狙われると予感していた。だからロベーレへは行かず、私は脱走した。今思えば自然を甘く見過ぎた愚行だったが、命拾いしたあとも、誰にも信じてもらえなかったこの城へは帰れないと思った。山火事跡を確認に来ていたグレッドに出会うことができ、私は身一つで保護された。その時はまさか、そのまま六年も匿ってもらうことになるとは思っていなかったが」

「グレッド卿は——ダイル様は、両陛下に続く殿下のご訃報に国中が悲しんでいたさなか、知らぬふりをして黙っておられたということですか」


 平常心を保っているのか装っているのか、ルイガンはリューベルトを越えてシンザを冷ややかに睨んだ。

 帝国民への裏切り行為と言わんばかりに非難された形のシンザは、皇帝に発言許可をいただいた。


「私の父ダイル・グレッドは、リューベルト殿下がお話しになったことを信じました。実際に殿下を追う、刺客と思しき不逞の輩を確認していたからです。なれば、優先すべきは殿下のお命。臣として安全な場所をご提供するのは、当然のことでございましょう」

「本当にそうでしょうか? まもなく帝位を継承なさるお立場だった殿下を懐に抱えることに、何か思うところでもあったのでは?」


 心を病んでいた皇太子に、お守りしましょうと甘い顔を見せて懐柔して、その実ダイルは何事かを企んでいたのではないか。ルイガンはあからさまに、すでに亡きダイルを批判している。


「——宰相閣下。父や私への皮肉は構いませんが、そのご発言は、殿下のご主張を歯牙にもかけておられないと感じられます。殿下の御前にて、そのようなお振る舞いは控えられるべきかと存じます」


 話の本筋をさり気なく歪曲させて挑発するルイガンに、シンザはあくまでも冷静に切り返した。

 現在のルイガンに物申せる者はほとんどいない。しかしシンザは少しも億していなかった。役職もなく当主でもなく、まだ年も若いシンザは、宰相より立場はずっと下であるが、堂々と意見する姿勢はまさにグレッド侯爵家の者らしく、ことの成り行きを見守るばかりの貴族たちの誰からも、あれは無礼ではないかとの声は上がらなかった。


「ルイガン。そなたはどうしても私の言葉は信じられぬようだな。あの頃も、今も」

「いいえ、私は……殿下のご証言を偽りと申しているわけではありませんが……」

「幻覚だと言いたいのだな?」

「……」

「毒が存在していたことを証明できても、か?」

「……証明?」


 さすがというべきか。一瞬くらいルイガンの瞳が揺らぐのではないかと思ったのだが、正面にいるリューベルトとシンザにも、それは見えなかった。


「父の侍従だったドルトイはあの日、知っての通り塔の一階にいた。彼は火災発生時、母の紅茶が入った瓶を持っていたのだそうだ。おそらく熱か、彼が倒れた衝撃かで割れてしまったのだろう。ドルトイの服には茶葉がこびりついていた。それから猛毒が検出されたんだ」


 リューベルトの隣の椅子で、リミカが口元を手で覆い、その下で言葉にならない声を小さく発した。


「証明としては充分ではないか? あの日、私たちの母が……皇后レスカが淹れた紅茶の葉には、致死量の毒物が混入されていたんだ」


 語尾に怒りがにじむのは、抑えきれなかった。

 再び会議の間が押し殺した声で低くざわついた。それには新派や中間派、旧派の区別もなかった。

 かつてダイルは言っていた。忠誠を誓った主、すなわち皇家への反逆は、帝国騎士ならば本能的に嫌悪すると。何者かが皇帝と皇后を手にかけた。それを初めて事実として捉えた時、フェデルマの重鎮たちは狼狽をあらわにしていた。


「……そんな……お父様とお母様が……本当に?」


 リミカはぐるりと大人たちを見回した。


「誰? 誰がそんなことをしたの? 誰なのよ!?」

 

 会議の間に響くリミカの泣きそうな声に、答える者はいない。この場の貴族たちも今の今まで、この事実をまったく承知していなかったのだから。

 ただし彼らには、リミカと違う点がある。リューベルトの抜剣騒動を知っている。少年の頃の彼が、誰を敵視していたのかを知っているのだ。

 当惑の視線を集める男は、ふっと鼻を鳴らした。

 

「ご主張が少しもお変わりでないのならば……殿下は未だ私をお疑いということなのでしょうか」

「えっ、ル、ルイガンを——?」


 思わず身をすくめたリミカが、椅子の上で兄のいる方向に身体を寄せた。

 彼女にとっては、ルイガンはずっと宰相である。信頼を置けるか置けないかも気にしたことがない、国政を任せて当たり前の相手だった。

 それが容疑者だと聞かされたのだ。どれだけ戸惑っていることか。


「……どうだろうな。この城には、住み込みで働く者だけでも何百人という人間がいる。そなた以外にも犯行が可能な者はいただろうな」

「その中でも、私は筆頭候補と見なされているのでしょうか。これは参りましたね。無実を証明するというのも、なかなかに難しいものですから」


 ルイガンは顎に手をやり、軽く指先でさすった。

 左の頬に皇帝の視線が突き立てられていても、観念したようには見えない。困ったような微笑だ。


「その毒の茶葉は、お見せいただけるのでしょうか」

「現在は私の手にはない。私と証拠が揃って消されると困るからな」

「しかしそのような物証がおありなら、なぜ御身をお隠しになったのです? すぐに戻っておられれば、城内の人間の記憶が薄れないうちに、調査を開始できましたものを」

「その証拠を掴んだのが、事件から一年後のことだったのだ。その頃にはリミカのもとで、国は安定していた。今さら私の出る幕ではないと判断した」

「まさか、皇太子であられたあなた様が地位をお捨てになり、『弑逆者探し』さえも断念なさっていた、ということですか」

「そうだ。私はフェデルマの安寧を掻き乱したくなかった。父にも母にも、リミカに対しても、後ろめたい気持ちはあったが……君主の家系として、もっとも優先すべきものを優先したつもりでいた」

 

 ルイガンの微笑からすっと温度がなくなる。まるで不本意そうに、眉間にわずかなしわができた。

 

「グレッドも私の考えをわかってくれた。私は陰から、この国を見守り続けようと思っていた。だが……今回のことは看過できない」

 

 ゆっくりと立ち上がったリューベルトは、会議の間にいるひとり一人の顔を見るように視線を回した。


「裏庭でも言ったが、帝国騎士団の派兵は中止にしてくれ」


 立っている者、座っている者、全員に訴えかける。

 ルイガンへの糾弾ではない。リューベルトはこれのために、グランエイドの名に戻ったのだ。


「帝国民同士が戦うなど、もう決してあってはならない。あのような理不尽をまた繰り返せば、領民や領主の心は国から離れるばかりだ。騎士団員の忠誠まで失えば、フェデルマ帝国は崩壊に向かうだろう」

「し、しかし……」

 

 誰かの小さな呟きのあとには、誰も口を開かなかった。顔色を伺うように、ルイガンを盗み見ている。

 よほど意見を言いづらいとみえた。ルイガンと対立したという騎士団長が事実上排除されたとなれば、発言を控えたくもなるだろう。反対意見ならばなおさらだ。

 だが、議論を交わさない会議に意味があろうか。反対も含めた様々な見解にも耳を貸すことは、上に立つ者には重要な能力のはずだ。

 

「構わない。意見があるなら、遠慮なく申してみよ。ここは会議の間ではないか。リミカも咎めたりしない。そうだろう?」

「……ええ」

 

 まだ両親の死の真相を受け止めきれていないリミカは、顔色が悪く見えた。兄が犯人を探さないと決めていたことにも、納得できていないだろう。身近に仇がいると知ってしまった今、怖い思いもしているに違いない。

 兄妹としてもう一度よく話したいが、今この場ですべきは、直前に迫っている騎士団の出陣を確実に止めることだ。不確かな立場のリューベルトが宣言しただけでは、ルイガンに強行されてしまうかもしれない。

 すっと、一人の男が立ち上がった。

 

「——私は、殿下のおっしゃる通り……派兵は見送るべきと考えております」

 

 リューベルトは彼に見覚えがあった。アダンに近かった、新派の人物だったはずだ。

 

「私もです」

「私も同じです」

 

 そう言って次々と人が立ち上がり、もともと座っていなかった者は前へ進み出た。

 ルイガンと、彼に近しい者が思わず頬を歪めた。

 反対表明をした人数は、過半数にはほど遠い。しかし、騎士団長ギダラの他にもこれだけの反対者がいたことを、皇帝に見せることができた。


「リミカ……どう思う」

「……え?」


 目の前のことに集中しきれていなかったリミカは、兄に言われてから、反対者の顔を順に追った。

 普段の会議の内容を知らない彼女は、今回の件も総意だと言われて出陣命令書に署名をしていた。だから皇帝として共に現地へ行くことも、避けようがないのだと思い込んでいた。意見が割れていたなんて初耳だった。

 行かなくて良いのなら行きたくない。いらない戦なら、しないでほしい。それが少女の本心だった。

 

「こんなに反対があるとは聞いていなかったわ。ひとまず中止ではないの? 少なくとも出陣は延期にすべきでしょう」

「ッ……、陛下……! 反逆者どもを捨て置くおつもりですか」

 

 ルイガンが小さく呻く。

 彼の紅い目線から逃れるように、リミカは顔を背けた。ルイガンに対して、どういう態度を取ったら良いのかわからなくなっていた。

 

「反乱を抑える他の手立てはないの?」

「リミカ。力で抑え込む手段は、選ぶべきではないと思う。今起きている反乱はすべて、カルツァへ派兵したことに端を発している。自分たちの生活や自由を、暴力で奪われると恐れさせ、怒りを買ってしまったからだ。フェデルマはそんな国ではないと、一刻も早く示すべきだ」

「カルツァ? カルツァの派兵も間違いだったの?」

「間違いだ」

 

 リューベルトは断言した。

 ルイガンを始めとした現在の旧派の中心と思われる人間が、リューベルトを睨むように見つめる。それらをすべて受けてなお、彼は毅然と主張を続けた。

 

「中央の政策へ反対意見を表明したら、この国はその領を潰すのか? 知っているか? そんな横暴を働いていた国家は、この大陸の東方で、次々と打倒されているそうだ。フェデルマだけはそうならないとでも思っているのか?」

「東方の小国などと、このフェデルマを比べるのですか」

「何がどれほど違うというのだ。フェデルマもまだ百年にも満たぬ国。違うのは規模だけだ。どこの国であろうと、人は己の生活が脅かされるなら、戦おうと考える。我が国はどの地方の騎士団も強い。このまま内乱が本格的に拡大すれば……大地は血と灰にまみれる。その先に待つのは滅亡だ」

「……」

 

 リミカが恐ろしそうに両肩を抱いた。

 

「武力行使ではなく、勅使の派遣をするべきだ。領主や領民の代表と話し合いの場を作り、民の声を汲み取らせ、今まで通り各領の自治を認めると知ってもらわなくてはならない」

「失礼ながら、フェデルマの君主として……そのような統治法では体制が緩むかと存じます」

「甘いと申すのか? 広く国土を見渡し、地方に過度な干渉はせずとも、安全は保障し、見守る余裕を見せてこそ……大国の君主というものであろう」

 

 リューベルトの発言に思わず反応したのは、新派の者たちだった。彼らが今でも敬愛するかつての君主が即位した直後、最初の会議の際に行った決意表明と酷似していたからだ。

 

「陛下と……ディーゼン陛下と同じことを……」

「お父様?  お父様も……同じ考えだったのね」

 

 ある一人が呟いた言葉は思いの外に響いてしまい、本人は一瞬まごついたが、すぐにリミカに、はいと頷いた。

 

「そう……そうなの……。では、決まりだわ」

 

 リミカは立ち上がった。

 

「帝国騎士団の出軍は中止。派遣する勅使の選定をしてちょうだい。なるべく急いで」

「——はっ……」


 大人たちが立ち上がり、胸に拳を当てて礼をする。普段は飾りのような存在でしかないとはいえ、リミカの言葉は皇帝の言葉に違いない。


「それから、もうひとつ。お父様とお母様の件を調べ直すわ。私は……赦さない。わからず終いで諦めたりしないから!」

 

 

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